月別アーカイブ: 2013年10月

パーフェクト集金

新下関駅ちかくの衣料品店さら、スポットのご注文150個を12時から半までのあいだ。きょうは月末で集金があり指定の時間が気になる。
その指定時間は12時に着き喜んでいただいた。わたしが嬉しかったのは、配達軒数の多い木曜日コース、いろいろな事情で朝が遅いお宅があり、事情を知っているから玄関チャイムを押しにくい。パジャマ姿で財布をさげてこられたおばあさんもあったりしたが、はじめてパーフェクト集金を達成した。
大分県中津市の掃除の会は創業1967年、和菓子の「桃屋・甚兵衛」の加来さん夫妻がはじめられた。ご主人の夢、渡り鳥を眺めながら風呂に入る。中津市郊外に渡り鳥が飛来するため池そばに自宅をつくられた。その後ご主人は亡くなられ奥さまの味紗さを(いま68歳)が家業を守っておられる。
北京掃除に学ぶ会のとき、加来さん夫妻が広い公園で行方不明になり走りまわって見つけた思い出。ご自宅にお線香をあげに松村御大とおじゃましたこともある。
来年のNHK大河ドラマは中津藩城主だった「黒田官兵衛」桃屋甚兵衛の味紗さんは、官兵衛の妻「お光(てる)の方」に目をつけ、焼き菓子「良妻お光さま」と銘打った商品を開発された。
毎日新聞が伝えてくれた。この店定番は「びったれ餅」

農園の窓越し風景最高

水曜日は今村夫妻とのよもやま話が楽しみ。今朝の夫妻はよそ行きの服装。8時半に集落の老人を今村奥さんがたばねて、社協のバスを走らせ角島見物のミニ旅行。今年25センチの開腹手術のあと「もう酒は欲しくない」と言われたご主人が「きょうは運転がないから、精一杯呑めます」と満面の笑み。
昔、社員の高山君を静岡の管理者養成学校(通称・地獄の特訓)に2週間入れた。凄まじい洗脳を受けて会社に戻った朝、彼はわたしに抱きつき泣きながら「これから会社のために全力を出します!」
1週間ほどたった夕方5時「おさきに失礼します!」と彼は帰る「なにか大切なことでもあるのか」と尋ねたら「新台!パチンコの新台が入りました」男の決意はこの程度。
酒屋の井上さんは、犬と猫を飼っている。その犬(14歳)は両目失明と認知症に皮膚病の三重苦。長くは生きられないらしい。その犬に以前買い求めた犬小屋(新品)がある。それを譲り受けることになった。日曜日の朝、トラックでいただきに行く。
19歳の農園犬 太郎さんもかなり悪い。きのう朝、食事しながら肛門から鮮血が落ちた。はなちゃんで汚れたり出血したりを経験したので、少々のことでは慌てはしない。寿命に不足はないだろうから、食べられなくなったら、それ以上のことはやらない。
赤崎小学校の木陰で弁当を食べた。昼寝体制になったら校内放送が聞こえる「きょうは、音楽をながすCDが故障しました。給食のあいだ放送部員が頑張ります」リクライニングシートを倒して、タオルをまぶたに置いてわたしは寝る体制。放送部員は「なぞなぞ」の放送をはじめ、わたしも回答を考え続けて眠れなかった。
夕食どき、窓越しの山。14年、朝夕眺めながらご飯をいただき、酒を呑んでいる。この風景でくつろいでいる幸せを感じた。たしかに1人の晩酌で話し相手はないけれど、晩秋の山々を眺めて酒が呑める。人はその満足感をもとめて旅に出る。わたしは、得がたい至福の時間を長年楽しんできたことに気がついた。

農園は秋景色

きょうの火曜日。気になるお宅があった。
10年ぶりの第2子の予定日が遅れて先週も「まだなんです」とお腹を抱えたNさん。今朝もおおきなお腹で出てこられるより留守を期待した。彼女の車はあったが留守だった。
セブンイレブンのホットコーヒーを飲みながらの田舎の空き地。山のなかに濃い黄色の実が鮮やかに見えた。藪をかきわけてナイフで秋の色を葉もつけて収穫。テーブルコーディネイトを自宅でレッスンされる奥さまに見せたら「まぁきれいなカラスウリ!」と喜ばれた。なぜカラスが黄色か疑問が残る。
岡本拓也さんのお母さんからササゲマメ?の苗を10本いただき鶏フェンスの下に植えた。たった10本がどんどん成長して今が収穫真っ最中。
毎日夕方、黄色くなったサヤをとり、あくる日天乾燥。夜の楽しみで豆をとる。小豆より少し大きいが素人目には小豆。
わたしは一合の米を炊き。それが3食。夜、その豆と麦を炊飯器に入れ、多めに水を入れたら、赤く色がつき赤飯のようなご飯になる。このご飯はうまい。
お客さまからたくさん銀杏をいただいた。農園ツル首カボチャも不作ながら熟れはじめ、椎茸も出てきて農園の秋は深まった。

朝は7度。冷え込みはじめた

今朝は寒くて目がさめた。外気は7度。
朝食と弁当をつくりながらラジオで山口市長選挙の結果を知ってがっかり。なんと投票率は36%の低調。その分析は誰かがするだろうが、なんとも情けない。とかく政治家や社会、経済問題にはやかましく言う人が多いが投票には行かないことにがっかり。
美祢の年配猟師さんが「いま警察に廃銃届けをしてきた」個人が高額で買った銃でも、最後は警察に納めなければならない法律。わたしには納得ができない法律。さて、体重約50キロちかい猟犬をどうするか。どれだけ大きなイノシンでも果敢に攻めて負けたことがない10歳「あんた飼ってくれんかの」わたしにこの犬の世話は、体力的、経済的に無理だと断った。
近くのお宅では甲斐犬の「カイ」が庭でゴロゴロ。奥さんが「今年だけで4頭イノシンを殺したんですよ。タヌキにカメにヘビ。動くモノには噛みつきます」しかし、これまでイノシンから反撃を受けなかったからよかったけれど、放し飼いしておれば必ず怪我をする。
いつもきれいな庭のお宅。はじめて、その手入れを目撃した。高麗芝に少し芽を出した雑草を、メガネをかけてピンセットで主が抜いていた。庭の芝生が美しいわけをはじめて知った。

百田尚樹節で心が元気に

10月16日産経新聞の一面トップは。
元慰安婦報告書ずさん調査 氏名含め証言曖昧 河野談話根拠崩れる(本紙入手)
このスクープはこれから意味を持つと思い保存している。
自由民主党の山口県政経セミナーが山口市のホテルかめ福で午後から開催され参加した。
講師の百田尚樹先生が「海賊とよばれた男」で描かれた、戦後の日本をささえた精神を拝聴したかった。理由は。プロジェクトX初回の放送で、無理だと言われた富士山頂にヘリコプターでレーダードームの骨組みを運んだ男。0式艦上戦闘機の教官として若い命を特攻隊で散らす任務を担った。だから、命をかけてでも国家事業に飛んだ。8月15日。
わたしはこの番組をみて、あの戦争から生還した男たちは、なぜ自分の命があったかを自問する場面があったのではないかと思った。だから、空襲で焦土と化した日本で、300万人もの犠牲を払い(戦争未亡人・働き手を失ったり父親を失った悲しみの日本)しかし、この国を再建する情熱に燃えた男たちがゼロではなくマイナス(莫大な戦争補償金)からの出発をした。
そのエネルギーを百田節で聴くことができた。はじめは朝日新聞の自虐的歴史認識からはじまり、戦後の復興を果たした、明治、大正生まれの人たちを出光興産を舞台に、あのイギリスを相手に石油戦争に挑んだ男たちを百田先生は目に涙を浮かべて語り尽くした。確かに出光興産も日章丸船長も生え抜きかも知れないが、その戦いをささえた官僚も保険会社も銀行も、すべてマニュアル違反をして。いまは日本が復興するための石油がいる俺の首がとんでもよい。その国を愛する心がひとつになりイギリスに勝った「日章丸事件」を詳細に語られ満場の拍手がわき上がった。
わたしは、この誇り高い日本にうまれてよかったと元気をいただいた。

今朝の母は妄想のなかにおり、いろいろ物語を聞かせてくれる。
わたしが母の立場になったとき、母のように面白い物語を語れたらよいが。

神仏談義

萩市からはじまり、いつもの8時半に美祢市の黄正吉さん宅に着いた「きのうソウルから戻った」で会話ははじまった。約1時間、会話のベルトが回った「いい話ができた」と笑顔で手をあげて見送ってもらった。
「いい話」は多分宗教談義のことだろう。宗教による助かりのようなことを問われた。問いには外れているがわたしの持論を話した。
例えば、少しの時間差で交通事故が回避できたのは、自宅を出るまえに靴のヒモをしめ直した。あのヒモのゆるみこそが神様がお前を救うぞ。というような理屈が多い。
戦地から生還した人はたくさんおなじような物語がそれぞれにある。
それならば、運動会が雨で中止になり子供は残念。つくった弁当もある。これは「おかげ」でないのか。
要は、私にとって都合のよいことが神仏の「おかげ」のような尺度では神仏の説明が困難になる。人類にとっておおきな惨状がおきても、肉親の不幸に嘆いても、それをいつかは受けとめることができて前に進もうとする心をいただくことが「神仏のおかげ」ではなかろうかと、どん底の悲しみの経験のないわたしが偉そうに言った。
ならば、金光教はなにを拝んで、どんなおかげあるのか。と問われた。それはわたしの急所である。
参拝していた教会に背を向けて約20年。その明快な理由はある。けれども去りきれない気持ちもあり、教団刊行物は購読している。いわば、金光教のまわりを人工衛星のようにまわっている。
その立場で善い話も反対の話もできない。

午後から録画した映画「フェイス・オフ」2時間を一気にみた。面白いストーリーを楽しめた。

火曜日。長女夫婦がご用をさせていただいている金光教太秦教会の大祭が仕えられる。家内は明日から二晩泊でご用奉仕に向かう。途中下車して播州龍野市の墓参りも予定している。

ペットの話題で金曜日

運動中に後ろ足の腱が切れ、先週金曜日に人工の腱を骨2ヶ所に穴をあけてつなぐ手術を受けた防府市の「アンちゃん」が気になった。2時間の手術は無事におわり半月ぐらいで正常に歩けるらしい。
その手術をされたペットクリニックには、3月に路上で流産し、瀕死の状態で助けられた野良猫がいる。助けた方が飼うと言われても、野良猫だから人を威嚇して飼える状態ではなかった。ドクターは待合室に大型のケイジを置き、そこに野生の猫を入れ、人に慣れる訓練をはじめた。だいぶ穏やかになり、ドクターは抱くこともできるようになった。
山口市内の美容室で保護されたうまれたばかりの子猫は、子猫を世話するボランティアが預かり、美容室の先生が費用を負担しながら飼い主さがしをされ、今朝「見つかりました!」と喜ばれた。
来月で農園犬になり4年になる野良犬だったハッピー。先日、今年最後のフィラリア予防薬を投与した。捕獲された後の検査でフィラリアに感染していたが今のところ発症はない。約7年、発症しなければ当初の寄生虫は死滅するらしい。
金曜日はペットがいるお宅が多く、話題に困らない。

黒田先生のホームページは。

http://rinen.gr.jp

ポケットベルの想い出

下関トヨタでオイル交換をするため午前の配達は足早。予定の時間にピットインできた。交換を待つあいだ江口店長にコーヒーをいただき笑い話。
江口さんが若い営業マン時代のこと。外出中の江口さんを「ポケットベルで呼べ」と所長が若い部下に命令した。部下ははじめて手にしたポケットベルに向かって「江口さん!」と叫んだ実話。
加奈ちゃんが「美祢軽トラ市」が運営の商工会議所からやめると宣告され終わったと嘆く。やめる主な理由は客が少なく宣伝効果がみえないことらしい。
1年(12回)も継続しないでやめるぐらいの地域おこしは恥だと思う。簡単に盛況が実現するわけがない。うまく運ばないから悩み、工夫を重ねて本物になる。加奈ちゃんは自宅販売をその日やって、いつもの数のパンが完売したらしい。
近々、山口市一の坂川で地域興しで土曜日の店舗販売を頼まれたらしい。また、レストラン「うさぎ」の金刺オーナーシェフも加奈ちゃんをいろいろ応援されていることも聞いた。一生懸命の姿は周囲が応援したくなる。
「よしの」雨でも完売。きのう皿を今村さんに頼みに夫婦で行き、ビールと日本酒をたくさんいただき皿の打ち合わせを忘れるところだったらしい。来年2月までに打ち合わせの皿が今村陶工の太い指でつくられる。

カルタクィーンの気合いメイク

黒田先生からいただいた本2冊(理念の時代を生きる・森のフォーチャの暮らし)。理念の目次を昨夜見て驚いた。それは、わたしが敬愛する作家、新田次郎の記述を「スイスアルプスの旅・新田次郎の思い出」を目次のなかに見つけた。
黒田先生は家電メーカー社員として秋葉原でトップセールスを3年やり遂げた偉業がある。疲れはてボロボロになった気持ちを、新田次郎の作品のなかに溶かし、自身も各地の山々を単独登山され鋭気を養われた。その新田次郎の碑がアイガーを望む場所にあると知り旅をされた。新田次郎が憧れつづけたアイガーが眼前にひろがる地に20センチ×30センチの小さなプレートが石のうえにあり「アルプスを愛した日本の作家新田次郎ここに眠る」と記されていた。
黒田先生とは相当長い時間会話をして、わたしは先生のことを知っていたように思っていたが新田次郎は知らなかった。
今朝、ご迷惑にならない8時をまってご自宅に電話をした。今度は新田次郎を話しましょうと伝えたかった。
先生は高知県に講演出張と奥さまが電話口。奥さまの本のタイトル「森のフォーチャの暮らし」フォーチャてなんですかと尋ねた「ケルト語でウェルカムです」奥さまの作品モラ美術館も完成しているから来てくださいと案内された。
黒田先生の師は城野宏先生というお方。あることで城野宏先生は、中国撫順に収容されていたことを知った。
シベリア抑留者約60万人の日本人のなかから特にエリート1000人が撫順に移送され、戦後も約10年近く軟禁され共産主義の洗脳を終えて帰還した。その後1000人は教育界や政界で日本をかえる根を張ったとわたしは認識している。
なにかの電話で黒田先生に「先生の恩師は撫順で洗脳されたひとりでしょうか」と尋ねたら「ちがう。ゆっくり今度話そう」で終わっている。再会楽しみ。
今村さんが水曜日の最初の配達。奥さまはバッチリメークで目もとはパッチリ「じぇじぇじぇ。どうされましたかその顔は!」奥さま本業は化粧品の販売できょうは気合いをいれて化けたらしい。
お昼に美祢から吉野夫妻が訪れ、今村さんに吉野奥さまのイメージの食器を伝えて制作の打ち合わせらしい。野球監督は陶芸家気分になりウキウキ。とりあえず昼飯で一杯呑んでからと言われた。
楽しい水曜日(よしの定休日)になったろう。

みなさんお達者

小野(農園近く)にお住まいの平山智昭先生(小学校校長を歴任。わたしは出版のお手伝いを何度かした)80歳はこえておられるが心も身体も元気。
数年まえ、この資料はあとから大切になる。あんたも保管しておいてくれと印刷物をいただいた。内容は小野地域にある古い信仰の対象物、その数は200をこえる。ほこら・やしろ・観音・山伏の祭場跡など、地域の古老に場所を尋ねて山々を踏破され地図に場所と写真が記されている。
そのなかで、豊後竹田の城主、志賀は小野と深い関係があることをつきとめた。志賀姓は小野にある。
さらに、初代毛利秀就公の生誕地は、広島ではなく小野だったとつきとめられた。その母君「二の丸様の顕彰碑」をつくられ、歴史の杜と命名され来月その除幕式をされる。その案内にご本人が来られた。その日の出席はかなわないが、先生の行動力に敬服した。

本が2冊抱き合わせで届いた。送り主は黒田悦司先生。「理念の時代を生きる・黒田悦司」と「森のフォーチャな暮らし・黒田善子」広島の人生愉しく生きる達人の井辻さんから黒田先生を紹介いただいたのは約20年まえ。
脳力開発(能力ではない)が黒田先生のメシのタネ。その内容がすばらしく社員研修の講師に何度もお願いした。
「なーるほど!」「それで!」と聴き上手は阿川佐和子をこえていた。
何度か茨城県霞ヶ浦近く、森のなかのご自宅に先生を訪ねた。奥さまは刺繍「モラ」では有名な方と知った。
毎年、夫妻で海外リゾート地に長期滞在をすることが楽しみ。
先生が農園に泊まると温泉に行く。温泉でも聴き上手がはじまりゆでダコになる。酔ったら窓をあけて山に向かってカンツォーネを歌う。下着はフンドシ。
先生がたは元気いっぱい生きておられる。もう少しわたしも走らなくては。

ぼつぼつの営み

お届けするタマゴの数は毎日変化がある。
就職や結婚などで家族が減ったとき。医者からコレステロール値を改善するためにタマゴの数を指導されたとき「今回で終わりにします」と理由がわからないときもある。
きょうは下関市内から偶然おふたりの方から「配達してください」と連絡をいただいた。彦島の方は、友達からひとパックいただき美味しかったから。菊川の方はご近所の知り合いからすすめられた。
美祢の奥で大型猟犬と生活をされるおじいちゃん。体力が衰え「今年は猟はせん」と言いながら、農家にイノシンやシカの駆除を頼まれ、今年もゴソゴソ猟の用意をはじめた。きょうで4回会うことができなかった。タマゴはいつもの場所に置いた。それからしばらくして農園から電話が着信「4回分のタマゴ代を支払いに来られました」美祢から細い峠越えをされわざわざのお支払いに嬉しくなった。
農園のタマゴはお客さまからクチコミで長年かかって、増減を繰り返しながらじりじりと数が増えてきた。対面販売なので人間関係も生じてくる。
ぼつぼつ歩んでいる実感。

村芝居の紹介

農園から車ですぐの場所に吉部八幡宮がある。来月3日に「芋煮え祭り(神事)」に合わせて、3年に1度の村芝居が奉納(10回目)される。
今年の演目は、2幕構成の「親を裁く奉行」地域のさまざまな職業のみなさんが数ヶ月稽古を重ねてこられ、笑いあり涙ありの内容と聞いている。3年さきは見られないかもわからないから、今回はワンカップ酒持参で楽しみたい。
関心ある方はわたしまで問い合わせください。
今朝の母は車を押して歩いて食堂に出ていた。母は長女で、きょうも妹たちの様子をわたしに尋ねる。健在な妹は兵庫県の鶴子さんだけ。他はなくなったとは言えもせず嘘も方便。
驚いた言葉は「この部屋に来て1年になるね」そのとおり、昨年の11月に施設が完成して新居に入った。どこまでが夢の中か不思議な気持ちになった。帰りるわたしの背中に「ありがと、気をつけて」と言葉をかけてくれた。母はいつでも子供が心配。

秋はやっぱり太る

朝の5時半はまだ暗い。犬が吠えるから外を見たら釣り人の車がライトをつけていた。
6時すぎ犬と歩きはじめた。久留米ナンバーの釣り人に挨拶をしてすぐ「ワーッ!」と久留米が叫んだ。川におりる土手で足を滑らせ川まで転んだ。怪我はなかった。西くんもあのように滑って小雪の1月川までいったのだろうかと思った。

お昼まえ、山口市内の魚屋に立ち寄った。先週買った青森の真サバがうまかった。きょうも店員の笑顔は青森のサバ。二枚におろしてもらい、新鮮な小イワシも買った。
午後から電動ノコで焼却炉の薪づくりに汗をかいた。4時にシャワーをあびて16日付け産経新聞を缶ビールで読んだ。この日の紙面は、1面トップ記事から河野談話の根拠を「慰安婦証言根拠は曖昧」ではじまり、2面から3面も朝日や毎日新聞の根拠のない自虐史報道をわかりやすく解説してあり、丁寧に読んでいる途中。
自宅に帰る家内が小イワシと野菜を天ぷらに揚げはじめた。時間は早いが焼酎にきりかえた。青森のサバは煮付けと揚げものになり、1週間青唐辛子わ漬けた味噌で食べたら最高だった。
秋はやっぱり太る あだち山頭火

カルタクイーンの快挙

地元紙を昨夜見た。
ねんりんピック2013高知の協賛イベント「百人一首かるた交流大会」山口県チームは3人の紅一点が、われらが今村美智子さん(60歳・元かるたクイーン在位4期)。このチームで全国3連覇を13日に果たされた。16日の配達で奥さまといろいろ会話を交わしたが、そのことは話されなかった。わたしなら鼻高々で自慢話をする。
金曜日は「湯田花園」に10個届ける。約10年まえ、ご夫妻で市内で食事のとき卵料理が美味しかった。お店経由で配達が決まった。
母の部屋を飾る花について相談をした。日当たりとか水やりの管理は無理だが、やはり花は置きたい。それならばと生花をいったん脱色してから色を鮮やかにつけなおした鉢物をすすめられた。触っても生花と同じで4年ぐらいはもつらしい。ひと鉢買い求めた。
周南市の配達。午後の帰り道。参議院の中継をラジオで聞いていて驚いた。民主党女性議員が総理質問のまえに伊豆大島の被災について
「衷心よりお見舞い」の原稿を「あいしんよりお見舞い」と読み違え訂正した。人間だから間違いはある。けれども国会の場でお見舞いの言葉を間違うレベルには驚いた。他人が書いた原稿の棒読みが露呈した。

豪傑の太郎さん

高齢犬(19歳)アメリカンビーグルの太郎さん。マムシに二度噛まれた。イノシン罠で前足を大ケガした。遠くで捕まり駐在さんのパトカーで帰還もあった。昨年はスズメバチに目の下を刺された。
まだたくさんの語り草はある。
最近、耳、目に足腰が不自由になった。朝夕の散歩は太郎さんと最初にする。今朝も太郎さんを済ませてハッピーと歩いていたら、太郎さんがそばをトコトコ追い越して橋を渡ってしまった。わたしのつなぎようが悪かった。
道路に出たら事故にあう。車で広範囲にさがしたが見つからない。配達スタート時間もせまった。道路で死んだ愛犬を始末するのはつらいだろうと想像しながら農園に戻った。
太郎さんは小屋のなかで疲れて寝ていた。可愛くて抱きしめた。
下関「あの米店」は松村御大が農園をはじめた当初にご紹介くださり、毎週たくさんの数をお届けしている。
先月「なかべ少年学院」毎年恒例の掃除を下関の仲間がされた。なかべの子供たちに料理も毎年提供している。
その報告書が先日わたしにも届いた。お米の提供が「あの米店」と書かれていたので、きょうは米店の大将にお礼を申し上げた「松村社長にはお世話になっていますから」と、平素から口数は少ないが笑顔がよい「ツールド下関を松村社長は完走され、マラソン・ウォークに自転車三冠王です」とつけ加えたら「あの方ならやります」とまた笑顔。
最後に美祢の獣医に寄り、今年最後のフィラリア予防薬。我が家の4頭分購入。投薬は来週の水曜日。

益はなくとも、意味はある

昨夜の北風は予想していたので夕方対策をした。しかし、飛ばないように工夫していたアルミ缶ひと袋が飛び、朝はアルミ缶を広範囲に集めた。
水曜日は今村さんのお宅で立ち話が楽しみ。月曜日にNHKで放映された、今村さん教え子の番組を話題にした。今村さんは野球なのに教え子は相撲だったワケを聞いて驚いた。今村さんは野球と相撲の両刀使いで、相撲は国体の予選まではいった。曰く「空手など格闘技のなかで相撲が一番強いと思う」その理由を聞いた「相撲の稽古は頭のぶつかり合い。ゴツンと音がしますよ。短時間で全身から力を出すのが相撲です」
宇部掃除に学ぶ会から会報が届いた。来年2月に、鍵山先生が掃除をはじめられて50年。日本を美しくする会の20周年記念大会が、ハイアットリージェンシー東京を会場に催される。
そのテーマ「益はなくとも、意味はある」。配達先の近所の犬について相談を受け、次の週までに幅広く知り合いに問い合わせて回答したり。農園隣接の耕作放棄地や川土手の草刈りに汗を流したり。わたしでできることならなんでもやってきた。
例えば、その草刈り。10数年続けて「よくやった」とか「ありがとう」の言葉はない。しかし、農園生活のなかで1度も病気で寝込まない。肩や腰が悪いこともない。汗をかいて健康になった。
テーマであらためて、まだまだ益はないが意味のあることをやりたいと感じた。

仏の今村さん

約70歳。もと専修大学野球監督をされた今村さん。
何年も水曜日に配達に通い、奥さまの4年連続カルタクィーンの栄光は存じていたが、菜園と陶芸に精を出し、大男がいつも笑顔だから「仏の今村」と呼ばれていた「現役時代はなにをされていましたか」と尋ねてそのことがわかった。
この連休はご夫妻で、野球の教え子に会いに土佐にマイカーで行かれた。教え子とカツオで酒盛りしています。とメールをいただいた。現役時代は、選手が遅刻など基本的なことができないときは体罰あり。鬼の今村だったかもわからない(わたしは、どうしょうもない態度の子供を、ときには力で従わせることは悪くない立場)
その監督と選手の心の通いあいがあったからカツオの宴会になる。
昨日の夕方、仏の今村さんからメールが届いた。今夜放送NHKテレビ。にっぽん紀行「青空土俵とカミナリ親父」このカミナリ親父は、わたしの教え子です。よかったら見てください。
今村さん仕込みの甘えはなく、愛情で選手を鍛えるカミナリ親父が紹介された。
番組が終わり今村さんからメール「涙で見ました」と。
わたしは、たくさん立派な人にまじわらせていただき幸せ。

連休中の配達も楽しい

連休中の配達は日頃は学校や仕事で顔をあわす機会のない方と話をする楽しみがある。
渋柿の渋をぬく秘訣。芯を抜いて30度の焼酎(わたしはウィスキー)を芯の穴に入れ、余りの酒は柿にかけて透明ビニール袋に入れ2〜3日お日さまにあてる。このときリンゴ1個を一緒に入れておけば最高の甘さになるとご指導いただいた。
海上自衛隊で気象学を教えておられたご年配。関東にむかう大型台風の進路についてわかりやすく解説して区ダサった。
家族は行楽に出かけ、日頃は禁止の部屋タバコと水割りウィスキーで上機嫌のアルジ。
日頃よりたくさんの会話を交わして月曜日が終わった。

朝の気温9度

早朝ニュース。現在の日韓関係は政府レベルでは進展がないが、日韓議員連盟として手立てをさぐろうと両国議員が話し合いの場をもった。日本側の座長は河村建夫先生。両国政府が改善に動きはじめる布石として期待をこめて見た。
きょうの母は施設の職員から乱暴に扱われるから連れて帰ってほしいとせがむ。葬儀に参列した友人に会いに行くなどと混乱しており手をやいた。本心なのかどうか育った家族の悪口も言う。
わたしも長生きすれば、聞かれたくもない言葉が口をついてしまうのかと感じた。
母の施設は来月で開設1年になる。オープンの真新しい部屋に初めて入った。来月1日はその記念行事が催される。弦楽四重演奏会が華をそえるらしい。家内が付き添いに行く。
年にいくつか、山側にユンボで大きく深い穴を掘る。鶏糞は近隣農家が取りにきてくれるが、羽など処理できないものを埋設する。その穴はきのう完成。
きょう午後からは、死んだ鶏を焼却する薪づくり。発電機で電動ノコをつかいしっかり汗もかいた。
風呂にトイレもみがきあげた。

応仁の乱おもしろい

土曜日のはじめは、萩の宿「ともえ」に定刻の7時過ぎに着いた。
大谷山荘から美祢。うどんの「よしの」に用があり立ち寄った。開店準備の休憩タイムで、主は最近没頭している硬骨文字を紙きれに書いては腕組みして怪しい雰囲気。奥さまはおおきなアケビをスプーンで食べていた「はい」とわたしの両手にいっぱいになるおおきなアケビをふたついただいた。このアケビはすぐ近くの加奈ちゃんに届けた。次男の慶ちゃんが喜んだ。
黄正吉さんの愛犬(マメ柴)コユキが緊急手術を受け1週間の入院をおえてゲージでまるくなっていた。韓国の青色唐辛子(生)を奥さまからいただいた。
山口市内の納品でおわり魚屋に行った。きょうは青森の真鯖がいいと言われ一匹を二枚におろしてもらった。
真鯖は家内が煮付け・焼き・焼いて酢でしめてくれた。煮付けは腹の皮が黄金色に輝いて今夜の酒がすすみそう。唐辛子は目にしみて涙で味噌に漬けてくれた。味噌が辛くなり肉や魚がうまくなる。
夜明けまえ、録画のBS歴史館「応仁の乱」を少し見た「人世むなしい応仁の乱1467年」。少し見たわたしの感想は、むなしくではなく面白い。
京都が長年の戦乱になり、高級官僚の公家が日本全国に京都の文化を持って逃げた。それまで地方では板張りの生活が京都の畳文化になり、1日は2食だった食生活が3食になり、地方になかった「書き言葉」も伝わった。土佐には京都言葉までいまに残り「しただろう」を「しつろう」と言うらしい。
島根県日原の知り合いは「そこにある」を「そこにあるろう」と言う。山口の「姉さま」や「兄さま」もそうではないのかと空想は広がった。
歴史は、その当時に生きる人には過酷でも、後生になれば「あのことがあったればこそ」になる。
人の人生も、辛く過酷であっても、子や孫からは「あの苦労のおかげで」と感謝がある。まさに、わたしの母がそうである。

ニセモノ人間

10日の産経新聞「きょうの人」で鍵山秀三郎先生(80歳)が紹介されていた。
テーマは「掃除で環境を良くすれば心穏やかに」
内容は。米軍普天間飛行場のゲートフェンスに、オスプレイ配備に抗議の赤や黄色のテープが×印に巻きつけられている。それを今月9日、約90人とカッターナイフでテープをほどいて剥がす作業だった。普天間は6月に続き二度目だが、同様の作業は厚木基地で毎月されていることを知った。テープにはガラス片や針金が巻かれていることもあるらしい。
平和を訴えるために基地を汚すのは間違い。言っていることとやっていることが一致しない人間はニセモノ。
ご年齢からすると、趣味や楽しいことに毎日をおくられてもよかろうが、お掃除の会で全国行脚にくわえてのテープ剥がし。
わたしのクセ。人の背中をみたとき「で、おまえはどうする」の問いかけがはじまった。
金曜日を走りながらの自問自答。明確な答えは出ないが。これからの人生。ニセモノにはならないように生きていこうと思い、具体的にはひとり何をやるかを決めなければならない。鍵山先生の生き方を習いながら。

大丈夫か中国

約5万キロを9ヶ月で愛車は走った。前輪ブレーキパッドが限界まで磨耗している。
山口トヨタ(下関)で部品を確保していただき、きょうの配達時にピットインを江口店長が段取りしてくださった。わたしはなるべく早くトヨタに着き、12時には走り始めなければならない。何事も順調に運び予定時間前に走り出した。
小月の東行庵ちかく「しみず茶房」の奥さまから録画済みディスクをいただいた。中身はNHKプロジェクトX第一回(富士山頂レーダー建設)レーダードーム骨組みを山頂まで輸送したヘリコプター操縦士(健在と聞いた)の自宅に清水さんご主人が招かれて鍋で酒盛りをしたと話された。ご主人は防災ヘリコプター(きらら)のメカニックで、災害や救難に同乗されている。機会があればご主人からあの伝説の男の話を聞かせてもらいたい。
昨夜NHKテレビを録画して早朝にみた。内容は中国重慶市が国家プロジェクトで試験的にすすめている農村を工業都に改造するなかでの数々の課題や問題点。3千万人もの農民が営みむ農村を重機で整地して工業団地をつくり、村人は林立する高層住宅に移し、工業団地に誘致した企業が雇用する図式。それが計画どおり運ばない。結果的に村人の政府に対する不満(出稼ぎでしか収入がない)と。穀物や畜産などを失う国家の損失。
この国はほんとうに危ういと感じた。

嗅覚がにぶくなり

昨夜、家内が「キンモクセイの香りがここまでとどく」と話した。はなちゃんの墓に植えたキンモクセイが満開になっている。墓には毎朝行く「このキンモクセイは香りがない」と感じていた。嗅覚がとても鈍くなった。だから月下美人が開花した夜、花に鼻をつけても評判の香りがわからなかった。
昨夜は台風の風を感じることなく平穏な夜だった。気象予報があまいとは思わないほうがよい。たまたま陸地から離れた海上を通過してくれた。
小野田市内の幼稚園と保育園は休園になり明日の納品になった。
早く配達が終わり散髪と血圧測定に行くことができた。血圧は130・70でよかった。

台風の接近

台風の接近で思うことがある。
今朝、早朝のテレビ報道は、昨夜からの沖縄やその周辺諸島の港湾などの映像が氾濫。なかには以前の台風で横転したトラックまで登場させ防災意識を刺激?する。
山口県のわたしに一番欲しい情報は、山口県接近の時間と想定される風や雨の強さだけでよい。山口市内を配達して思うのは、奥さんたちは全国ネットの情報番組を見て「大変な台風ですね」と心配される。
災害が予想されるとき、不安をあおらずに備えを伝えるほうが先手だと感じた。
明日の水曜日。小野田市内の学校や幼稚園は休校、休園。配達は木曜日になり多少の作業に影響がある。
今夜の停電などアクシデントにそなえて家内が泊まる。長崎の鯖の刺身を手に入れてくれ晩酌がすすむ。

台風の接近

ラジオの台風情報がなにより気がかりな月曜日を終えて早めの晩酌麦焼酎。
以前、おそらく50メートル以上の風が吹き荒れた日、鶏舎の屋根が舞い上がり、ヒマラヤ杉が倒れ、数日間の停電も重なり農園機能にダメージは大きかった。今回はこの地域最大で60メートルの風が予報された。
台風は自然の営みだから誰も抗えない。沖縄と周辺の島々。ビニールハウスの農家さんや収穫目前の米農家さんに被害がないことを祈る。
農園のライフラインで一番重要なものは井戸水。停電の場合、市街地や住宅地から復旧がすすむようで山間地域は後手にまわる。
井戸のポンプを動かす発電機の試運転と懐中電灯などの点検。飛ばされそうなものを移動したり対策を講じている。
早朝の4時すぎ、松村社長の仕事場パソコンからのメールをいただいた「走るより自転車は楽だった」と。

祝松村御 大

松村御大やりました!
約140キロを自転車で走破するツールド下関に挑戦する。
4月、海峡ウォークをご一緒させていただいたとき御大が言われた。海峡フルマラソンも時間内の完走も果たされた。
奥さまから3時40分「6時間20分でゴールしました」のメールが届いた。
ランニングのときも走り方を本で学び、靴もいろいろ検討され選ばれた。根性だけではない緻密な計画と毎日のトレーニングがゴールに導いた。御大と親しい仲間はみんなおお喜び!

母の朝食に間に合った。先週は車イスだったが今朝は押し車でぼつぼつ歩いた。それだけでも母の生きる気力を感じて嬉しい。好物の水ようかんを喜んでくれた。
山口のイベントで出店の加奈ちゃん。何人かのお客さまから「繁盛していましたよ」と様子をメールで伝えてくださった。
午後から汗をかいて草刈りをやった。

小雨の草刈り

7時に萩に着くように早起きした。早朝から雨。
長門、美祢、山口市内を配達して昼前に農園に戻った。昼ごはんに缶ビール。そのあとの昼寝が土曜日の楽しみ。
午後から草刈り。この時期に刈れば来春まで大丈夫。今年最後の草刈りは小雨のなか雨具を着込んで3時間。続きは明日の午後から。

タヌキを餌付け中

木曜日。NHK総合テレビ「地球イチバン」がおもしろい。
昨夜は「世界最北の狩人イヌイット」(再放送は9日午後4時)
今朝3時に起きて録画を再生した。今回取材に行った日本人若者が、撃たれて解体されたアザラシの内臓をイヌイットと生で食べるシーンからはじまった。
村人500人。犬ソリの犬2000。グリーンランドの村が舞台だった。食べるための狩猟しかない極めてシンプルな営み。わたしから見れば「なにが嬉しいのだろうか」と思える営みを極寒の地で千年。自然へ畏敬の心。家族の絆。それはわたしに真似ができない豊かな心で生きている。幸せに生きるとはなにかを番組は問いかける。次回の木曜日午後10時は「世界最大の馬レース・モンゴル」おそらくナーダム祭ではないかとワクワク。
内蒙古の草原を旅したとき。電気もないゲルで夕方になれば馬頭琴の演奏で歌い踊る蒙古族との生活を体験した。生まれて一度も風呂に入らない。山羊の肉が主食。病気になったら自力で回復するか死ぬかの世界。みんなの瞳は輝き笑顔は最高だった。われわれが求めている世界は本物なのか。
残飯でタヌキの子供たちを餌付け作戦はいまのところ成功している。うどん店のダシガラと米ヌカを容器に入れ、草むらから毎日徐々に灯りのある場所に移動している。子供のタヌキが夕方走りまわりとても可愛い。
周南市の金曜日を元気に走り終えた。

落書きも文化か?

妻殺しの無実の容疑で刑務所に入れられた男が物語の主人公。すさんだ刑務所の生活に潤いと生きる希望を築くためにあらゆる改善の努力をした。国に毎週嘆願書を送り刑務所内に図書館ができた。その蔵書で通信教育課程で学び資格をとった受刑者。その模範的人格の裏側で毎日脱獄のトンネルを約20年掘り脱獄。これまでの人生をリセットして生きはじめた。先日の夜見た映画「ショーシャンクの空に」見終わって気持ちが晴れ晴れしたのは、人生はやっぱり自分が切り開ける。物語のなかの人物に真実を見いだす楽しみ。
心の内側を舞台にした作品が歳のせいか好きになった。

木曜日のゴールは「よしの」落書きも文化だと話が盛り上がる。
わたしが子供のとき見た便所の落書きをふたつ覚えている。

前の壁に「右を見よ」右の壁には「左を見よ」そして左の壁には「後ろを見よ」後ろの壁には「バカ!キョロキョロするな」

天は人の上に人をのせ人をつくる

今夜は刺身

横浜で身を挺して命を救われ亡くなられた、村田奈津恵さまに敬意をあらわしご家族と助けられた方のこれからを祈念。

朝6時半の十文字交差点。信号待ちのわたしの前方を8頭の猿が横断した。猪も見る機会が多くなり山間地は住みづらくなる。
きのう仙崎で乗り合い船でアジを釣ったから一匹あげよう。今村さんが言った(一匹?)両手で大きなアジを持ってこられた。わたしの大きなクーラーボックス(買い物用)に斜めで収まった。家内が刺身にしてくれる。
井上酒店で芋焼酎を一本買った「赤・利右衛門」この酒のラベルが前から好きだった。部屋に飾っておくのが目的。
以下は加奈ちゃん今月の出店予定。一生懸命です。よろしくお願いします。

・10月5.6日(土、日)
あーとふる山口。一の坂willowyにて 10時〜売り切れまで

・10月13日(日)
山口トレジャーマーケット。美祢市さくら公園(市役所裏)
10時〜16時まで

・10月19日(土)
美祢市軽トラ朝市。9時〜12時

・10月22日(火)
くるくる市
山口市長寿寺。9時〜14時

・10月31日(木)
山口リフレッシュPark メインアリーナ。10時半〜14時まで

各イベント共売り切れ次第終了です…

おもてなし

火曜日は歩いたあと、車で10分のセブンイレブンに行き100円のホットドリップコーヒーを買う。少し知的にハンディがあるかもわからない様子の男性店員がレジで「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」を大きな声で言う。今朝わたしが店内に入ったら「いらっしゃいませ」と言い、わたしがこれから注文するホットコーヒー(普通サイズ)の紙コップを手にしてわたしを見ていた。田舎のコンビニで「お・も・て・な・し」が嬉しい。
先日「おまえ!」とわたしを罵倒したマンション管理人とマンション入り口で鉢合わせになった「おはようございます。先日は失礼しました」と頭を下げたら管理人は無言だったが帽子をとって頭を下げた。これでよい。
きょうも大量のアルミ缶をいただいた。台風が接近したら農園アルミ缶の山はあぶないから厚狭レイボーに明日の回収を頼んだ。
秋がふかまり私も犬も食欲が出てきた。老犬(ビーグル19歳?)も太りはじめた。