月別アーカイブ: 2014年2月

風呂のかけ湯

水曜日。帰りに温泉に立ち寄ったとき。
湯船に長いあいだつかりボンヤリ目をあけていた。脱衣場から浴室にはいる場所にかけ湯の場所がある。
丁寧にお湯をかける人。サッと済ませる人。かけ湯しない人もいた。
「かけ湯」の目的はなんだろうかと思いながら眺めた。衛生面からすれば、はじめに身体を石鹸で洗い、その後に湯船にはいるようにすればよいが、2〜3杯身体にかけて私も湯船につかる。
きょうも周南市を走りながら「かけ湯」を考えていた。
神社の鳥居をくぐり、はじめに手水場で、拍手をする両手を清める。
かけ湯は清めるという意味合いがあるのではなかろうか。

それと、かけ湯をしない人に腹立たしく思う私は見えない場所か、目をとじて風呂に入るほうがお湯を楽しめる。

木曜日に注文を忘れた奥さまが「土曜日に配達できませんか」と電話があった。明日の土曜日は、早朝から萩に行く。お昼にもどり昼寝をするのが楽しみだが、寝ることを我慢して喜んでいただくほうを選んだ。

小野田寛郎少尉

沖縄に米軍が上陸する少しまえ、陸軍中野学校(諜報養成所)の訓練を受け、フィリピンちかくルバング島に小野田寛郎さんは赴任。本土決戦作戦など日本軍極秘事項も知らされ、しかし必ず巻き返し作戦を日本軍はやる。そのときまで潜み諜報活動をせよ。支給された装備と三千円(千円で家が建つ)を持ち島に行った。それが彼の任務だった。
以前放送され、観た番組「生き抜く」が再放送され録画した。

終戦から29年。ジャングルに潜み、夜中に蟻に鼓膜を破られるような過酷な生活。
ジャングルで島民や家畜が不審な死にかたをすれば、すべて日本兵の仕業とされ、のべ300回ものフィリピン軍による掃討作戦が行われ激しい銃撃戦があり、行動をともにした部下2名は戦死した。小野田さんは至近距離から撃つので無駄弾はなかった。

しばらくして、朝鮮戦争とベトナム戦争で、洋上や空を行き交うアメリカ軍に、日本の反撃が始まっていると信じた。

転々と密林を野営しても29年間の暦は正確だった。元旦は神棚をつくり合掌した。その神様について対談相手が問うた。この問答が、わたしの心にストン!と落ちた。
「神仏を尊び 神仏には頼らず」と背筋をのばして言われた。以下はわたしの推測。

きょう一日ありがとうございますのお礼は申し上げる。しかし、明日もよろしくとは願わない。明日は自分の力で切り開く。
切り開けなかったら神様のせいにしてはならない。

兄や父親の呼びかけには応じず、直接の上官からの投降せよ。との命令には従った。

帰国後、すぐに果たしたかった戦友の墓参りは、厚生省や各種団体が催す行事で遅れ。どこか違う日本が息苦しく、翌年全国から届けられた見舞金すべてを靖国神社に奉納してブラジルに生活の新天地をもとめた。

あらためて立派な人だと、わたしは思った。

週刊朝日に藤野先生

水曜日は宮尾八幡宮の朝参り。

次の楽しみは今村さん。裏口から声をかけてたが応答がない。近くを配達していたら、陶芸の窯にご主人がおられた。弟子か生徒か男女ふたりに教えておられた。野球の人生から野菜と陶芸に切り替え、りっぱに花を咲かせておられて、わたしは尊敬している。

ラジオ「すっぴん」加藤登紀子さんとダイヤモンド・ユカイさんの生歌「百万本の薔薇」は車を停めて全部聴いた。お登紀さん最高。
血圧は、だんだん付き合いかたがわかりはじめた。
次は腰痛。お湯で温めると調子がよい。農園帰り道「くすくすの湯」に立ち寄り腰を温めた。風呂上がりにはマッサージ機で腰をピンポイント。

週刊朝日3・7日号の56ページ。数学者 森田真生のページ。タイトルは「山口で垣間見た、未来の光」この「光」は藤野先生。

母の保護者会

2時に目が覚めた。ルバング島で生き抜いた小野田少尉の番組を録画していたので半分みた。この番組は以前もみた内容の再放送。あらためて考えさせられる事柄をたくさん見つけた。いつか感想を日記に書き留めたい。

久しぶりに糸賀社長とお会いできた。吉野さん(うどん店)と読書の傾向が似ており、きょうは中村天風先生語録を聞かせていただき、今朝みた小野田少尉の神仏観と天風先生が同じと感じたのは、陸軍中野学校がベースかもわからない。

母の施設で、子供でいえば保護者会のような行事があり家内がでてくれた。
早起きして着替えと化粧をすませて食堂に行く。食事はエプロン無しできれいに食べる。よい評価をいただいたらしい。母はディサービスに行きマイクで歌っていたらしい。
風呂も職員さんのおかげで気持ちよく入り、自宅ではできないサービスを受けて余生を満喫している。

明日は午後から雨予報。農園にもどり外回りの仕事を日がくれるまでやった。

モンゴルのギャル鼻血

岡本拓也さんから配達が始まる月曜日。先週末にホームステイを引き受けたモンゴルのギャル3人(日本語修得中)との思い出をを聞かせてもらった。
モンゴルには海がないから海峡館(水族館)に行った。海がないから水族館というモンゴル語も存在しない。
百円均一店に大興奮。行きたかったユニクロにも大興奮。地域の新築餅まきではひとりのギャルの鼻に餅が当たり鼻血騒動餅あったらしい。

藤野先生からいただいた二冊の新刊。能楽師、安田先生の本を読み進むうち、この本は「よしの」さんに、わたしより早く読ませようと今朝持参した。人に「心」の概念がない時代からの「心」が解説されるところまで私は読んだ。「よしの」さん目を細めて喜んだ。草競馬と草野球はどちらが歴史が古いか。など、先週の木曜日は悩んでいたから本はよい薬になったろう。

もうじき猟期がおわる。美祢の猟師さんが「よい肉ではないが」と新聞紙に包んだ猪肉をくださった。今月17日の獲物と書かれていた。見事なロースだった。

厚狭のスーパー「マルキュウ」に立ち寄り、今夜の魚と明日の弁当のなにか。それと犬の牛乳を買っていた。肉売り場で「キャー」の声はカルタクイーンの今村夫妻。明日の来客に「キリタンポ鍋」をつくるため鶏肉を品定めしたが、やはり農園の鶏がよいから「これから買いに行こう」と話していたところに私が現れた、しかも車には鶏肉を入れたクーラーボックスがある。
まさにミラクル。

きのうの県知事選挙。誰がより投票率の低さに、県民の政治無関心があらわれた。

春のような一日

きょうは春のような1日だった。
朝は、1時間ウォーキングをすませて母にあいに行った。先週の誕生日お祝い膳がおいしかったと喜びの余韻が残っていた。
毎年2月は農園にあるエンジンすべてのオイル交換をしている。農園内を走るディーゼルのライトバンが一番面倒。ピットがないのでユンボで人が入れる穴を掘り、その上に前輪をおいて、穴にもぐり上を向いてオイルを抜く。
ユンボに草刈機。各種ポンプ類に発電機と数はあるが、毎年の行事で手際よくできた。
今週のお天気予報。氷点下はない。

春がちかくなった

早朝の農園は氷点下2度。萩市に向かう峠は氷点下4度だった。

朝夕、犬と川沿いを歩くとウグイスの「笹鳴き」が聞こえるようになった。春は近い。

昨夜、佐々木仁資(じんすけ)さんに電話をした。ふたつ話題があり、ひとつは以前にいただいた本「日本の路地を旅する」上原善広著。帯の文字は(路地とは被差別部落のことである)
タブー視されていることを、自身の生い立ちも重ねて、全国の路地を歩き取材された内容だった。
身近な多くの人にも読んでいただきかなり手垢がついた。
この本をいただいたお礼。

もうひとつは、昨年の萩地域豪雨災害で仁資さん地域にも被害があり、お見舞いの気持ちをタマゴに託してお届けした。民生委員の奥さまが地域に配っていただいた。
はじめて仁資さんのお宅に行き、相当へんぴ(萩市から40分ぐらい)な自宅から、下関や北九州の掃除の会に参加されることに頭がさがった。お掃除の会は早朝からはじまる。
わたしの電話にたいそう喜んでくれた「また飲みに行きます」

配達からお昼に戻り、ビールを飲んで昼寝したら2時間も熟睡した。今夜は本が読めそう。

タマゴつながりの輪

きのう衆議院予算委員会。慰安婦問題の根拠「河野談話」について、当時の石原信雄元官房副長官が参考人として出席され誠実に、当時の日韓やりとりを証言され「河野談話」が慰安婦といわれる16名の証言の裏付けをとらないままに(慰安所がない熊本・広島に台湾など偽り証言)談話が出された経緯を話された。
昨年10月16日。産経新聞一面トップで「元慰安婦報告書ずさん調査」と指摘報道されている。
韓国が、日本海を東海と呼ぶのは、わたしは「そうか」ぐらいで済ませる。
しかし、20万人の朝鮮の女性を軍や政府が強制的に慰安婦にした。その文言を像の説明に刻むことは許せない。
在米日本人、とりわけ子供たちが悪いことをした「子供」と蔑まれ。これからの日本を担う子供たちまでも、性奴隷をした国と烙印を押されるとすれば、いま報告書の公開をして、当事者の日韓以外の国々から真偽を正してもらう手続きが必要だと思う。

山口市の「野菜工房」は、食品の安全と安心を旗印に地域で支持されている。農園タマゴもたくさん納品している。
店長の山本さんは野菜ソムリエの資格を持っておられる。そのソムリエつながりで新下関駅近くのレストランに農園タマゴをご紹介いただき木曜日にお届けしている。きのうもお届けのランチタイムは満席で入れないお客さまがおられた。
先日、野菜ソムリエの会合が山口市であり、農園が話題になりましたよ。と山本店長から激励いただいた。
ホタルの時期、野菜ソムリエみなさんと農園で懇親会を計画する。

こころの尺度

愛車(ダイハツ軽四ワンボックス)は、下関トヨタで購入。メンテナンスフリー契約で、車検もタイヤもオイルまで無料(相当分の支払いは毎月ある)。
きょうは6万8千キロオイル交換。さらにブレーキパッド点検を江口店長(お掃除仲間)に頼んでいる。
いつもトヨタに12時ごろ到着してたくさんタマゴを納品する。
きょうは点検時間の1時間をつくるために早めに出て急ぎ足。
しかし、年度末は予算消化のためか随所で道路工事。こんなとき私は「夜中にやれ、夜中に」とか「まったくお役所仕事はうんざり」と心が乱れて血圧をあげている。
道路工事を請け負う業者にとっては年度末は稼ぎ時。家族サービスもできるかもわからない。
つまり「私が正しいと思う尺度」は、わたしの尺度であり、工事をしている人の尺度とは違う。
多様な尺度が混在する社会で「ワシが正しい」と胸をはれることは皆無かもわからない。
加奈ちゃんは自宅でパン教室。保育園で足の骨折をしてギブスをしていた慶ちゃんはギブスもとれ元気で安心した。

さきほど藤野先生が本二冊を差し入れてくださった。
吉部八幡宮で「寺子屋」を藤野先生が企画され、その講師、能楽師の安田登師の一番新しい著者「あわいの力(ミシマ社)」と、数学者 岡潔「春宵十話」。
今月18日で国政選挙当選から25年。河村建夫代議士を支えてこられた隆子夫人からお借りした「こころの作法」を読みはじめた。差し入れ2冊は、そのあと読ませていただき、寺子屋仲間に回覧したい。

朝参りの水曜日

農園をスタート前に血圧測定。大丈夫を確認して水曜日のウォーキング40分。寒風が強かった。
毎朝歩くときに思うことは、やがてその時を迎える、農園を離れること。
とにかく懸命に「ぎじろくセンター」創業。次に「しんあい農園」創業。ていねいに生きたようには思わない。その数十年のなかでさまざまなドラマを体験した。それを文字にしておこうと思っている。
さいわい上田さんから、わたしの一番得意な富士通ワードプロセッサ(親指シフトキーワード)をいただいているから道具はある。
その構想(目次)を考えながら今朝も歩いた。
宮尾八幡宮の参拝。心の玉手箱から一枚。きょうの御教えをいただきその場で読んだ。
わたしの心をあてる定規の朝参り。
きのうから、水元さんお手伝い「ケニアの響き」を配っている。宇部に「ハバハバ」というアフリカの小物?を商う店があり、そのファンの方は「マゴソスクール主宰」の早川千晶さんをご存じだった。

井上酒店。金額を示して「スッキリうまい焼酎をくれ」と頼んだら「樵(きこり)」鹿児島志布志の一本を出した。店を出るわたしの背中に「飲みすぎんように」と声をかけた。
商売下手な店主。

杉田かおるヘアヌード

配達先(岩城さんローソン)で「週刊現代」を買った。
見出し「60すぎたら」親を捨てる・子供を捨てる・友人を捨てる・家を捨てる・見栄を捨てる・年賀状やお中元をやめる・カネを捨てる
昼に維新公園で弁当時間に読もうと広げたら、ご年配の杉田かおるヘアヌードをながめていた。

10年ちかくお届けの老夫婦。わたしへの応対がとても丁寧。きょうお人柄のワケが理解できた。
わたしの自宅を問われて「宇部の南方八幡宮正面が自宅です」と説明した。八幡宮の宮司は親族で、ご自身は山口大神宮の神職を昨年までされておられた。農園地域の吉部八幡宮の野村清風宮司とも懇意らしい。
わたしは毎週水曜日に宮尾八幡宮に朝参りしている理由などを申し上げた。

さきほど数学の藤野先生が来てくれた。わたしは晩酌でほろ酔い。麻雀に人生哲学を見いだすような話になり、鍵山先生が「雀鬼」を講演の内容にされたことが、藤野先生の解説で今ごろわかった。
神社とお寺の相違が、藤野先生の解説で基本的に理解できた。

捨ててこそ、楽しい人生が始まる「週刊現代」の活字をこれから読もう。

マサイの戦士ケニアの響き

つい最近まで宝くじに関心はなかった。けれども昨年末「ロト宝くじで70万円当たりました」と知り合いが誇らしげに胸をはり、それから2匹目のドジョウを毎週さがしている。
毎週千円分ロト宝くじを買う。わたしが通う売り場は過去の輝く実績があり列に並ぶ。この度は、年末ジャンボをバラと連番で分厚く買ったご高齢の男性と並んでいるとき話をした。年末ジャンボだけに運を託し数万円買う。当選発表は無視して、なにか意味のあるこの日に売り場の機械で一瞬でチェックを毎年繰り返している。
チェック結果をわたしも一緒に液晶画面を見た。2千3百円が当たっていた。
発売日のグリーンジャンボを何枚買うか、真剣に悩んでいる。

昨年、水元さんの案内でケニアの楽器演奏と、貧困にあえぐ現地のスラムの子供を支援している日本人が、私たちが少しでも支援ができる具体的な方法を教えてくださった。
東北被災地で家族を失った人々に、スラムで孤児として生きる子供たちが祈りを捧げていた映像に胸がつまった。
3月22日。ヒストリア宇部を会場に「ケニアの響き」をテーマにマサイ族青年リーダーも加わり、マサイの大地の響きが催される。
明日から案内を配達にあわせて配ろう。
水元さんが仕掛人。

母95歳のお祝い

早朝から家内が、きょう95歳の誕生日を迎えた母のお祝い膳をつくった。
8時に待ち合わせた末娘(真砂恵 母が命名)が二男(3才)を連れて母の部屋に来た。
京都の長女(照美)からきのう届いた家族写真も料理と一緒に母を喜ばせた「わたしは幸せもの」と最高の笑顔だった。
山口市内の配達をして、防府市の「潮彩市場」に行った。海産物がたくさんあり、きょうはイベントが催されるとラジオで繰り返し宣伝していた。
期待ほどの規模ではなく(唐戸市場を知っているから)しかしせっかく来たからと子持ちイイダコとアナゴを家内は買った。
農園に戻るまえに天宿温泉でゆっくりお湯を楽しんだ。
録画していた奥出雲の稲田神社「ゆかり庵」の蕎麦を観た。神社の境内に蕎麦屋がある。そして仁多米のおにぎりと山菜。これはぜひ新蕎麦を食べに、時間をかけても行きたいと思った。
藤野先生(奥さまが奥出雲)にダビングして見ていただき、行き方指南をしていただこう。

きょう行く・きょう用

きょうは用事がなにもない。きょうは行くところがない。
このような老後にならないよう心がけている高齢者のラジオ投稿。きょう行くところがある。きょう用事がある。これを「きょう用(教養)」と「きょう行く(教育)」
老後は教養と教育人生がよいらしい。

早朝の萩行きは、案の定途中から台風なみの突風とアラレの荒天になった。萩から長門までの便利な高架道路は日本海からの風が強くてハンドルをとられると思い、旧道の峠越えを選んだ。

1時過ぎに下関市長府でSさんと合流。焼却炉で使う薪を安くいただける製材所に動向していただいた。途中、上下線が渋滞でノロノロ。対向車の黒塗り外車にSさん声をかけたらスキンヘッドのおっさんが顔を出してしばらく会話。誰もクラクションはしなかった。
約500キロ製材の切れはしが入った袋をリフトでわたしの軽トラダンプに載せて、もう一袋載せようか。一袋でも積載オーバー。
ひと袋が破格の2千円。Sさんの紹介だからいつでも2千円でよい。
立ち去ろうとしたSさんに麦焼酎を一本渡したら「ボクはこの顔で、信用しないかもわかりませんが酒は一滴もダメです」と断られたが「友人に飲ませます」といただいてくれた。
イカナゴの釜あげがあり今夜の一品。春は近い。

過程相

テレビ番組で「旅の力」があり、北極圏に生きる人の暮らしや、モンゴル遊牧民の生活に密着取材があり、アザラシを撃ちその場でナイフで生肉を食べる場面。モンゴル草原を馬で駈ける男の子のナーダム祭など知らない文化が紹介され面白い。
再生して観たらディスクから削除するけれど、削除しないで繰り返し観ているふたつの番組がある。
ひとつは、作家(競馬予想屋)高橋源一郎がイギリスの小児ホスピスを訪ねた「死が与えてくれる力を探して」
死をむかえる子供が親に「ボクは死ぬの」と問いかけ「人は、誰もが死ぬんだよ」と。「死んだらどこに行くの」と問われて「お父さんは死んだことがないからわからない」そんなやり取りがある。つまり子供に嘘はつかない親に、子供は自分の立場の理解が早い。
末期の子供が。両親があかるいから私もあかるく毎日が過ごせる。とも笑顔で語る。

「街は毎日が銃撃戦」のボスニアは作家の角田光代。
スナイパー通りとまで呼ばれた、市民生活の道路は、ビルから多くの狙撃兵が市民に照準を合わす。
その過酷な状況でも、街から逃げないで生活を営む人々の姿。

学ぶべきたくさんの栄養があり繰り返し観ている。

金曜日を走り終え晩酌のとき藤野先生が来られた。目的はまたの機会にして、やはり藤野先生の眼力は確かだと思った。
この理由も長くなるから今後に譲るが。
農園をはじめて藤野先生とご縁ができたころのわたしは、自虐的な歴史認識だった。それを指摘された。
誰からコントロールされるでもなく最近は180度歴史認識が変化した。たくさん本を読み、多彩な人と意見を交わした結果である。
鍵山先生が「過程相」と表現された。その人の「今」をみて人物を決めてはならない。その言葉を思いだした。

ビールは常温!

昨夜は温泉で思いがけなく正吉さんと裸の付き合いになり、湯上がりで自動販売機の近くに座り、ハイボールの缶を2本ずつ飲んで語り合ったので、長風呂と空腹と運転疲れで酔いが早くきた。
家内はあけみ奥さまと話が盛り上がっていた。
きのう井上酒店に納品しているとき松原酒店(ホタテマン)が葬儀の礼服で来店「酒を買いにきましたか」と冗談を言った「足立さんの車があったから」厚狭の葬儀に行くときだった。車を見て「お久しぶり」と声をかけてくれる仲間がおり、わたしは幸せ者。
温泉駐車場でもおおきな正吉さんベンツがあり、うきうき気分になった。
どこでも「やあ!」と手をあげるたくさんの仲間がわたしの宝物。
木曜日を走り終えた。寒かったのですぐに風呂。最近ビールはたまにしか飲まない。
年末、いただいたプレミアムビールをいつものように冷やして飲んだが、冷たい液体が喉を通過するだけで、発泡酒とのちがいがわたしにはわからなかった。
中国を旅したときビールは常温だった。中華航空機内でも常温。
実験で常温でプレミアム・ビールを飲んだらたいへん味がわかりうまい。発泡酒を常温で飲んだらうまくない。
今夜はエビスのプレミアムを常温。あとは麦焼酎をロックで。
これで木曜日の疲れはリセット。

裸のお付き合い

今夜は農園泊まりの家内と天宿温泉に行った。
駐車場におおきなベンツは黄正吉さん。
露天風呂で日韓歴史認識のエンドレス会話がはじまった。
風呂から出て休憩室でハイボールの缶を2本飲んでも日韓問題。家内と明美奥さまは待ちぼうけ。
2時間ぐらいハイボールで歴史の話題。お互い譲れない歴史認識があるけれど、それがあたりまえ。裸のお付き合いをした。

配達の流儀

建国記念日。
火曜日は山口市内。学校や事業所がわりと多く祝日の配達は休みになる。
わたしが農園に雇用されているなら配達件数が少なく嬉しい祭日。しかし、正志が経営者とはいえ、わたしは身体の疲れより、ひとつでも多くのタマゴを届けたい。
売り上げもあるが、そのまえにタマゴは毎日消費される。その責任を果たさなければならない。
先週の金曜日と明日の水曜日に振り分けて配達している。
これが、わたしの仕事の流儀。
血圧がこの冬高くなった原因を、こまめな血圧測定でさがしている。
昨年と比べて違うのは。年齢とコーヒーの量。
セブンイレブンのドリップコーヒーを毎日一杯か二杯飲んでいた。コーヒーを飲んだ日の夕方は値がはね上がる。飲まない日は落ち着いている。

明朝は冷えそうな夜になった。

文化の違いはある

母がしきりと「奈良漬け」を所望する。元気なころは日本酒党だったせいかもわからない。
今朝、岡本拓也さん宅でそれを話題にしたら「食べてください」とお母さんが桶から大きな奈良漬けを取り出して「洗いませんから」とくださった。
今週、岡本家ではモンゴルの女子大生3名のホームステイ受け入れがある。
わたしは、韓国女子大生一人を一週間受け入れた経験がある。家族が順番にはいる風呂に嫌悪感を示した。その文化の違いを感じた出来事を伝えた。

厚狭の日蓮宗妙徳寺。この時期はずっと境内の樽に水をはり、早朝ご住職がした帯で、水ごりをされ祈願されている。
奥さまと玄関で立ち話。この寺には33体の神様の像が祀られ神仏わけへだてなく祈りを捧げていると知った。世界の紛争のなかには、他宗を排除する力が源になっている。
結婚式はアーメン。葬儀はお寺。初詣はお宮。戦没者は護国神社や靖国神社。クリスマスも大歓迎。
大災害の心の痛み。空襲や学童疎開船の撃沈。受け入れ難いことも「水にながし」てきた。
人の噂も3日まで。村八分(最低限の付き合いはする)
まことに曖昧。フレキシブルに日本人は生きている。国ごとに違う文化は認めたほうがまるくおさまる。

昨夜の出来事

きのう、黄正吉さんが歌手の新井英一に会いに行った理由は、昭和17年に宇部市の長生炭鉱(海底)水没事故(水非常と呼ばれた)の犠牲者183名のうち、朝鮮人130名が含まれており、その追悼行事に新井英一がゲストで来たからである。
正吉さんは、いわゆる強制連行された人と言われ、わたしは当時の西岐波小学校在校生名簿に、多くの朝鮮名を確認している。だから強制ではなく自ら働きに来たという立場。ましてや強制連行は昭和19年の終戦間際にはじまっている。

昨夜、8時すぎに正吉さんから電話「いま、新井英一と会って帰り道。強制連行とかなんとか意見のちがいはあるが、足立さん、あの事故は悲しい」わたしもほんとうに同感した。
それからしばらくして河村隆子さんが日記の「在日90年・ある在日女のつぶやき」を見てメールをくださった。
金優さん(つぶやき女の長男)の奥さんの李文相(イームンサム)さんが、私のハングル(韓国語)の先生です…ずっと落第生ですが。(河村隆子さんは韓国語弁論大会出場経験あり)

もちろん著者も読まれたメールの内容だった。

今度はわたしから正吉さんに電話をした「河村隆子さんが読まれたとメールが届きました」
色々会話を重ねたあと、わたしは本音を話した「正吉さん。大病を患いながら、美祢市の炭鉱で亡くなった同胞の慰霊や、チベットの歌手ヤンジンさんを招いて意義深い企画などすばらしいと思います」彼は「ヤンジンさんのときお世話になったことは忘れていません」と返してくれた。

「ある在日女のつぶやき」は半分まで読みすすんでいる。
言葉もわからない異国に来て、日本人がやらない仕事で生計をたて、そのたくましい生き方もあり日本人からの差別や偏見に苦労された。
正吉さんは、同胞が困ったことは解決に力を出す。わたしは、同胞とはいえ他人に無条件で、金にもならないことに寄り添うところに魅力を感じている。

今朝、母は車椅子になっていた。来週の日曜日は誕生日だからご馳走を食べようと別れた。

凍結には鶏糞作戦

早朝窓から眺めた。一面銀世界の天気予報は外れ、雪はあるものの銀世界ではなかった。
萩市に7時納品を決めており、いつもより30分早く農園を出た。出るまえに、冬タイヤがしっかり雪を噛むよう、後輪左右の上にビニール袋の鶏糞ふたつをウェイトで「よいしょ」と積んだ。
想像したとおり萩までの峠越えは積雪。とくに下り坂カーブの橋は2速のエンジンブレーキで慎重に通過した。
美祢市まで戻ると雪はシャーベット。黄正吉さんがコーヒーをいれて待ってくださった「読まれませんか」と(在日90年・ある在日女のつぶやき)と題された、萩市で生きた女性の一生を長男が自費出版(300ページ)されたものを差し出された。来週お返しする約束で拝借。
正吉さんは宇部に来ている歌手、新井英一と親交があついようでこれから奥さま同伴で会いに行かれる。
20年ぐらい前「清河への道」CDをいただき新井英一を知った。
それとは別に、彼が新天地を求めてブラジル丸でアメリカを目指す心を歌い上げた作品でわたしも元気が出た。

土曜日の午後は、一週間の疲れをいやす時間と決めた。高倉健「ホタル」を観た。3時から長風呂を楽しみ。風呂とトイレ掃除をした。
今夜は拝借した本を読むことにした。

驚いた出来事!

ご主人が長距離トラックドライバー。あるとき奥さん(お客さま)が同乗して新潟方面に行った。福井のスーパーマーケットで買い物をしていたら名前を呼ばれた。高校同級生だった友人が福井に嫁いでそこにいた「どこで知り合いにあうかわかりませんよ!」

きょう金曜日は、山口市から周南市を走った。下松の住宅街にスーパーマーケットがあり、きょうも夕方の買い物に立ち寄った。
買い物のまえにトイレ。小便器はふたつで片方を使う人がおり、わたしは並んだ。なんとなく隣と顔をあわせた「ありゃ!」とお互い声が出た。その人は農園の対岸、重本さんだった。
子供さんがこの地域で所帯をもち、たまに遊びに来ていると。農園のタマゴがこの地域まで届いていることに驚かれた。
まさに、どこでも知り合いにあう。

藤野先生の涙

下関市内のSさん。長年お届けしている。ご主人とたまに挨拶をする。ちょっと見は宇崎竜童に似ている。
昨年の海峡ウォークで見かけ声をかけ、しばらく一緒に歩き会話をはずませた。それから、挨拶に雑談がプラスになった。
先週の木曜日。薪ストーブの燃料にする製材で出た切れ端をたくさん整理されていた。市内の製材所を友人が経営しているから安価で手に入ると言われた。わたしも欲しいとは言い出せなかった。
今朝お会いできたので薪の話題をきりだした「ボクが最初は一緒に行って紹介すれば、薪として売る半値以下になる」と同行まで快諾くださった。
しばらくして電話があり15日の午後から長府に行くことになった。

美祢市を通過して大谷山荘に向かうとき「よしの」の前を走る。いつも夫婦ね車が2台並んでいるが1台しかない午後2時(3時閉店)。
大谷山荘を済ませ、弁天池の水汲みをして「よしの」に着いたら臨時休業の看板。主はカウンターで読書。奥さんがきのうからダウンして寝込んでいるらしい。主はうどんは立派につくるがダシもおにぎりも天ぷらもつくれない。夫婦が揃って働くことが要。
売上も奥さまも両方気になる。励まして別れた。
「よしの」にわざわざ食べに行き、臨時休業の看板に涙をながした藤野先生から「残念」メールが届いた。

美祢から農園までの峠道は、頂上付近は積雪がはじまっていた。
今夜は積もるかもしれない。

力道山

昨夜、力道山の番組があり録画した。朝、布団のなかで再生した。
当時、我が家にテレビはなく隣の家にプロレスは見に行った。
あのころ試合は3本勝負で、ボコボコに負けても数分後には完全復活。試合のあいだリングでは三菱掃除機が活躍していた。
遠慮しながら、隣家族の背中ごしに観戦したことを鮮やかに思い出した。歌や映像は記憶のスイッチ。

その話を今村さんにした。ザ・デストロイヤー(覆面レスラー)と親交がありゴルフに行ったり、彼が野球観戦に来て「イマムラサン!」と歓声をあげたらしい。

井上酒店。店主が「最高でした」と、わたしが買わせていただいた「五橋立春朝搾り」を差し出した。この酒は180本(総量680本)を岩国から持ち帰り予約で完売。
新酒だから旨いかと尋ねたら「この酒だから旨い」とご満悦顔。これだけ自慢の酒なら旨いだろう「冷やしてください」とやかましい。

井上さんの高校同級生。小野田市の老舗時計店「セイコー堂」に行った。
住所は「セメント町」小野田がセメントと炭鉱景気で賑わったころ、早朝3時でもホステスに時計をプレゼントしたい男が雨戸を叩いた。酔っぱらいの喧嘩もこの通りで毎晩あった黄金時代。時計屋家業87年。時計修理でいまも健在。
酒屋も「へんくう」その友達も。

夜は新聞タイム

入浴中の来客は、農園ひとり暮らしです一番困る問題。
薄暗くなり、犬を作業場につなぎ、冷えた身体を湯船でほぐしていると、タマゴを買いに来る人。宅配業者が来たら犬たちは大騒動。わたしはタオルでおおざっぱに拭いて、おおざっぱに着て対応する。
きょうは家内が自宅に戻る前にゆっくり身体をあたためて下着も替えた。明日の午後から検診。

夕食が終わった。食器と弁当箱も洗った。これから犬の朝食づくり。この時期は石油ストーブを使うから、鍋に野菜を切って豚の軟骨と煮る。ストーブをとめるころ、割れて商品価値のないタマゴ3個を入れる。
朝は3時過ぎからストーブをつけて5時ごろまで餌をかけておく。6時の餌時間にドッグフードにあたたかいスープをかける。

はなちゃんが亡くなる一年ぐらい前から、毎朝、はなちゃん用卵焼きを焼いた。そのおかげで卵焼きの腕は確かになった。
割れたタマゴをふたつ確保した。朝はこれで弁当に一品できる。

毎晩、新聞3紙を時間をかけて読んでいる。今夜も、その時間がやってきた。

消えた一千万円

毎週土曜日。山口市内の宝くじ売り場で千円(5本)買い、火曜日の夕方抽選結果を携帯電話で見る楽しみが習慣になった。
先週の土曜日「当たりますように」と売り場のおばさんが笑った。これははじめてのコトで、当たるかもわからないと本気で思った。
その宝くじが行方不明。心当たりはすべてさがしたけれどない。
そうなると不思議なもので、当たりくじが無くなったように思えてしかたがない。損失は千円ではなく一千万円に思える。
これも宝くじの楽しさかもわからない。

毎週木曜日に「よしの」でダシをとった鰹節をいただく。お客さまも自由にお持ち帰りだから量は変動する。
先週もらった冷凍。ビニール袋6個をクーラーに入れて月曜日をスタートした。
美祢のひとり暮らしばあちゃん。飼い猫一匹と野良猫一匹に痩せたタヌキが一頭遊びにくる。
着いたら野良猫が腹を空かせて鳴いていた。解凍していない鰹節を砕いて置いたら喜んで食べた。
ばあちゃん「しばらく餌代がたすかる」と。
この鰹節。我が愛犬たちは豚の軟骨と煮たら食べる。

世代交代スタート

農園をはじめて一年後、正志家族が長崎県島原市から戻った。無認可福祉作業所の職員として働いていた(年収120万円)が、仕事としていたアイロンプレスの注文が途絶え職場は閉鎖になった。
いわばズルズルと農園で働きはじめた。正志を経営者に有限会社とした。正志の出資金300万円はわたしが出した。
それから10数年。正志は経営者としての成長はみられない。わたし夫婦はボツボツ辞めたほうが自立を促すと思い、辞める期限を示し、一昨年に夫婦で月額7万円を減額し、家内の車を農園に提供して農園経営の力にした。しかし正志は新しい人を雇用するでもなく、配達コースを覚えることもなく、毎日同じことを繰り返した。
能力のない者に経営者としての力量を期待すれば、本人も家族も農園も立ち行かないと感じて言った。
農園経営権を買う人がおれば譲り、そのお金でおまえのこれから将来を築いていくかと。

明日、正志が雇用を決めた青年が初出勤する。わたしは、農園が立ち行くよう責任を持つ。あと数年、仕上げの時期になる。

今朝の母は押し車で歩いて食堂を往復した。今月は95歳の誕生日がある。食べたいリクエストを尋ねたら「赤飯と奈良漬け」奈良漬けは好きだった酒を思い出すのかもわからない。とにかくご馳走を用意したい。

臨時収入

昨夜、ゆっくり新聞三紙に目をとおしていたら、井上酒店が岩国市の清酒「五橋」の新酒を、この日曜日に岩国市までとりに行き限定販売する記事が目にとまった。ささやかな贅沢を味わうのもよかろうと電話をした。お互い晩酌が効いている「買わしてください」「しょうがないの」で大笑い。水曜日に1本手に入る。

土曜日はクリーニング取次店のお客さま。ダウンの商品はクリーニング料金が高い。安い商品を持ち込まれたら「高くつきますよ」と前もって釘をさす。安いダウンジャンパーをクリーニングして真空包装を頼まれ、購入金額の倍近い料金をいただくことになり困った。さらに翌年、真空包装から出したら平らのままでまた騒動。安物ダウンは使い捨てと話された。

前の仕事で家内は20年事務員をしてくれた。その間、銀行の渉外担当が「奥さん記念硬貨がでました」と善意で持ってきたコインが、自宅の整理で見つかり、記念切手(額面6万円)と一緒に、午後から家内が売りに行った。10数万円の現金を持って帰るまで3時間。切手は半値査定。コインはそのまま。ひとつ百円硬貨に価値がつき110円だったらしい。
生活費にはしないでカタチに残したいと言う。