月別アーカイブ: 2014年4月

玉子か卵か?

わたしの「凡事徹底」は、ささやかにふたつ続けている。農園日記と歩くこと。
日記のとき漢字の扱いに悩む。卵か玉子か。飲むか呑むか。怖いか恐いか。挙げればきりがない。
広辞苑などがはいっている電子辞書を買っているがスッキリと解らない。
2012年の本屋大賞1位「舟を編む」を浪花の荒川さんからいただき、言葉の海へ舟を漕ぎ出す辞書編集の世界を知った。
それにしても電子辞書版の広辞苑はつまらない。ならば本物と思いブックオフ(古本)で棚を見たらあった。ケースに入り新品同様の広辞苑が108円!それを買わなかったのは、Eテレで「辞書を編む人たち」があり、現場は三省堂「大辞林(23万8千語収録)」買うなら大辞林(の古本)と決めた。新明解国語辞書は解説がおもしろく読み物としてのファンがあると高橋源一郎さんが紹介された。

吉部八幡宮の朝参り。祖霊殿の西くんと心が通いあった気持ちがした。

社小屋の案内をしながら水曜日。関心あるけど重い腰は。会ならば自己紹介ではじまり感想をのべておわる。それには抵抗がある。と感じたから、受講して話をする場面は、残念でしょうがないのです。と付け加えた。

母は腰の打撲が悲鳴をあげるほどに痛く、オムツ交換が苦痛。昨夜施設から「尿道に管を入れます」と連絡があった。オムツの交換回数を減らせば母も楽かもわからない。
だんだん深刻な状況になってきた。

加奈ちゃんが記事に

小雨だから傘をさして40分歩いた。
祝日の配達は、学校や事業所の休みが多く早くまわれそうだが、いつもほぼ正確に訪問しているから、ゆっくり会話を楽しみながら定刻に最後のお届けを終えた。
夕方、酒を飲みながら夕飯の準備をしていたら「社小屋」の藤野先生が来られた。部屋を散らかしていたので外で立ち話。
わたしが尊敬している金光教教師を話題にした。
岡山県の片田舎。小さい教会で師は神様のご用をされていた(約30年前わたしとのご縁)囲炉裏がきってあり、円錐形の備前焼(ちろり)と呼ばれる酒の燗をつけるものを、炭のそばの灰にたてて酒をあたため、備前の盃で飲みながら、あぐらをかいて神様の話を聞いた。
「正月に元旦祭が教会ではあるらしいが、ワシの教会ではない。信者さんが、都合のよい時間に家族で参ってきて「先生おめでとうございます」それから一緒に神様を拝む。早朝から夜まで参拝はある。
例えば、元旦祭は午前10時から仕えます。と決めておれば、その時間で元旦行事は終わり教会長は奥に下がり酒が飲める。信者さんは距離や家族の都合で無理のない時間に家族一同が揃って神参りできるの。それを神様はよろこばれる。
それから囲炉裏通いがはじまった。
出版で数々手がけた本のなかに「生徒が授業の主人公」というタイトルがあった。
教会の主人公は神様と氏子である。

カレーの笑福。卵をお届けしたら、きのう朝日新聞山口版を栄作さんからいただいた。
「焼くほどに夢ふくらむ」の見出しで、加奈ちゃん満面の笑みカラー写真で紹介されていた。

大義に生きる

九州の旅番組。人吉市の焼酎蔵元(商品は武者返し)女性杜氏がレポーターに、この蔵の焼酎を最高に味わえるにはこの飲み方をしてくださいと三種類を実演した。
手塩にかけた酒だから「うまい!」と言わせたい。
井上酒店から電話があったから、その人吉酒蔵を話題にした。
彼は売る立場で、つまり造り手と買い手をつなぐことを儲けより優先する。時代おくれの松原酒店も同じ。
「よしの」で持ち帰りのうどんを注文したら、店主から細々と指示を受ける。これも同じ。
海賊と呼ばれた男。出光左三店主は、事業をはじめて、生涯をおえるまで店主として貫いたことは、あの終戦でも社員を解雇せずに、家族として定年もつくらず大切にされた。

出光や焼酎にうどんも、そこには「人の喜び」が儲けより優先されているように思う。

わたしが学生のころ「吉部」から通っている学生は「くそ田舎者」といじめられた。わたしもやった。その吉部で15年。なんの不自由もなく自然のなかで心ゆたかに生きている。
そして、社小屋が始まった。世界的に著名な方を招いて、受講料はお賽銭。老人も子供も一列で学ぶ場ができた。吉部から学びが発信される。そんな気持ちが大きくなった。

社小屋よかった!

朝8時に母の部屋で家内と待ち合わせた。
わたしは農園で適当に朝食を済ませ、家内は自宅で母の好物「うなぎ」や味噌汁をつくり運んでくれた。
母は歩けない。電動ベッドを動かしても腰の痛みに悲鳴をあげる。今回の打撲は致命的だと感じた。家内は京都太秦教会の大祭お手伝いに向かった。

藤野先生主宰「社小屋」の臨時版が午後から吉部八幡宮で開かれた。講師は独立研究者。数学者の森田真生(まさお)氏。細身でイケメン(主宰者と真逆)の好青年。東大を二回も卒業されたらしい。受講者は、高校生から地域の老人まで30人以上。
約90分の講義は楽しくて全員本気で聴いていた。
わたしが納得したひとつの話。
明るい懐中電灯を点けてガラスのキズは眩しくて見えない。その光を物にあてたらキズが映る。
それは、自分の心が自分で見えないことにつながり、自分の心は人間関係において投影されて見える。

次回も臨時。5月18日午後2時30分から2時間。
講師は「安田登」氏。吉部八幡宮では3回目の講師で能楽師。
今回同様すばらしい生講義に期待。参加費はお賽銭。

自分史をすすめているなかでタイトルを決めた。
以前、ロッキード事件の証人喚問で「記憶にございません」の言葉がマスコミを飾った。ぎじろくセンター時代、たくさん広告キャッチコピーをつくりDMを作成した。わたしの自慢作は「記憶にございません・記録にあります」会議録は文字で当社がのこします。
それにあやかり自分史のタイトルは「記憶を記録に」

生テレビで寝不足

深夜の「朝まで生テレビ」は集団的自衛権の議論が白熱して、朝まで見てしまった。

愛犬の「はなちゃん」は18歳で一昨年の1月に亡くなった。しばらくしての出来事。
日曜日の夕方、わたしは風呂あがりのビールを楽しみながら新聞に目をとおしていた。家内は台所にたっていた。犬の遺影に花が一輪。
突然、愛犬の大きな声が部屋に響いた。わたしも家内も思わず「はなちゃん!」と叫んで狭い部屋を見回した。こんな不思議なことが起きるのかと思った。
若いときから金光教に縁があった(いまは縁遠くなった。長女は太秦教会でご用している)信仰の世界では不思議な体験が語りつがれている。
弾がそれた。突然雨がやんだ。夢で知らせがあった。ムシの知らせなどなど。
今年の冬。夜中にまた「はなちゃん」が吠えた。連続したから発生源を知った。古くなった石油ファンヒーターがそうだった。
なにか特別のことがあると、それを自分に都合のよい事柄に置き換えて満足して納得する。だから犬の声も真実味をおびてさまざま、わたしのなかで物語がつくられる。
敵弾で死んだ戦友のお守りと、あたらなかった自分のお守りのご利益を比較はできない。
世界は、歴史はただ営みを続けているだけで、自分中心に神仏を語ると本質が見えてこない。
ルバング島で約30年生き抜いた小野田寛夫さんが「神仏は願うものではなく、敬いお礼を申し上げるもの。日々の困難を神頼みにすれば、自らの力を出しきれない」と語られた。
水曜日の神参りはお礼だけ。少しのお願いは身近な人の立ち行き。
家内は明日から二泊で太秦教会春の大祭裏方のご用にむかう。

午後から草刈り。今夜はぐっすり。

問題は自分で解決

今朝も暗闇から少し見える時間を(5時)待ち草刈り。
田舎暮らしは草刈りができないとはじまらない。やるなら暑い時間より朝にかぎる。
6時にすっきり終わり草刈機をしっかり洗った。

農園内の配水経路に問題が発生している。緊急性はないが早く対処が要る。
わたしのやり方はあるが正志がどうやるか見ている。きのう水道業者を呼び対策と見積りをとったらしい。
わたしは農園をはじめたとき、少しはつかえる資金があったので問題があれば業者に任せた。業者は依頼されたことはやる。目につく余計なことは無視。
ついに財布が空になり、できるだけ自分の努力で解決する気になった。
きょうお昼、下松を走りながら正志に「どうするのか」と電話した。昼休みにスコップで配管を掘っていたらしく息切れして「なんとかします」と言った。自分の力でやる。経費をおさえるのは二番。一番は、自分の力になる。

ゼロからはじめるデジタル講座「くらしのタブレット」Eテレで4回録画した。
「詳しくはホームページで」の案内が多くなりガラ携で多少の不便がある。
文明開化の時期がきているかもわからない。

草刈りも本気で木曜日

まだ暗闇の4時すぎ。外気温は4度。犬たちを放して木曜日の配達準備をする。
少し暗闇がとけはじめたので自走式草刈機(ハンマーナイフ)を使い広い面積を刈りはじめた。キャタピラーで動くので草の背丈が高くてもバリバリ働く。家内に6時朝食。40分に配達スタートを頼んでいた。
かなり刈りおえたがまだまだ残りはあるがエンジンを6時にとめた。

寿司割烹「浪花」は定刻10時。みやざき中央新聞「社説」を先日の農園日記で話題(牛のみいちゃん)にした。荒川大将はその中央新聞を定期購読されており最新号を「購読申込みもわかります。どうぞ」といただいた。
嬉しくて空き地に停めてザッと読んだ。いわゆるニュースの新聞ではなく、多彩な顔ぶれが各地で講演された要旨がペン先なめらかにまとめられて面白い。月4回発行。1ヶ月千円。
むかし広島で指折りのクラブママが、接客するあらゆるお客さまの話題にベルトがかかるよう、新聞各紙の紙面を読むのは仕事のうちだと言われた。株式相場やスポーツなんでも広く深くご存知。
荒川大将の幅や深さはこんな努力がたくさんあるからだろう。
わたしも購読申込みをする。

3時に母の退院に寄り添う家内はまだ農園にもどらない。いま5時。これから作業服に着替えて草刈りの続きをやろう。

西君お参り

吉部八幡宮に朝参り。本殿と西君が祀られている祖霊殿。境内で野村清風宮司に声をかけられた。
酒の最高位大吟醸。宮司の最高位は特級。宮司はその特級まで昇格されている「また飲みましょうで」とお言葉をいただいた。
西君に手をあわせて気持ちがよかった。

県セミナーパーク「防長史に投影した異邦人たち(全3回)・講師は直木賞作家 古川薫氏」ペア受講で申し込みしたら当選。今村ご主人をお誘いして喜ばれた。

料理研究家 〇〇〇〇先生。昨年、突然自宅が空き家になり売りに出された。噂はいろいろ耳にしたが、きっと晴れ晴れして復活されると信じていた。
昨夜お電話をいただき「明日からお料理教室再開しますから卵をください」
電話で聞いた自宅を訪ねた。広い敷地にあった古民家を改装され、すてきな空間に仕上がり。キッチンはそれは広く。採光も計算され驚くことばかり。すべて先生のプロデュース。
なにがあったか尋ねはしない「先生よく頑張ったね。応援しますよ」と申し上げた。

今村さん昔話。電車の二人がけシート。隣の紳士は新聞。今村さんは眠くてシートを倒したら、隣の紳士が倒れた。

自分史づくり

火曜日のウォーキングは傾斜のきつい坂道を2度往復して40分。いろいろな鳥の声を楽しみながら少し汗がでる。

この年齢になり、しておかなくてはならないものに、わたしの人生の足跡を文字にしておきたいと思った。
約3ヶ月、運転中に思い浮かんだことをノートに書き出し、それを整理してまとめ始めた。
入力は携帯電話。「ぎじろくセンター創業」「宇部掃除に学ぶ会発足」「金光出版創業」「焼き鳥 鳥田金」と長文4編の入力を終え、データは携帯電話のメモリーに移行した。
今朝から、鍵山秀三郎先生とわたしのご縁をはじめた。
ウォーキングのあと、昨夜携帯電話に入力した文章を推敲。

わたしの人生が確認できる。とにかく人のご縁でわたしが生かされたことだけは明確になる。
出版はいつになるかわからないが、完成したらお礼の気持ちを込めてみなさまにお届けしたい。
今夜も老眼鏡で携帯電話に向かう。

母は強い

昨夜は懐かしいお二人を迎え歓談できた。家内も缶ビール2本飲んだ。8時過ぎおひらき。
朝「あっ!」と家内の声。茶碗蒸しが4つ電子レンジのなかに鎮座していた。

美祢市。先週立ち話をしたおじいさん(93歳)。自宅は小高い場所にあり、地域を見渡しながら「あの家も、あの家もわしが建てた」
集落は、農業を営む人が使う道具をつくる鍛冶屋。衣料品店。菓子屋。仕出屋に酒屋。神社にお寺などが地域を支え建築を担う大工も必要だった。じいちゃんは腕のよい大工。だから「あの家も」の言葉になる「喪中」の張り紙。ご家族は「楽に逝きました」と話された。
わたしは、母の足が萎えて床擦れなどえらい目をしないでほしいと思った。

午後、家内からメール着信。母は木曜日の午後に退院して、もとの施設に戻る連絡を受けたらしい。
福祉タクシーなど退院手続きに木曜日は行く。
もう、このまま寝たきりになる覚悟をしていたが母の強さに頭が下がる。

お大師さんご接待のお日柄。配達先のお寺で作法を訪ねて拝礼したらたくさんお菓子をいただいた。

昼寝にした

木曜日に入院した母を見舞いに行った。毎日通ってくれる家内から「三階」と聞いていた。
宇部興産中央病院。西棟と東棟で母を探してもわからない。看護婦に尋ねたら「一階守衛室にデータがある」と言われ向かっているとき目が覚めた。病院を間違えていた。

母はおじいさんと二人部屋。おじいさんはあらゆる管を装置され意識はなく生かされている。
母はベッドから転落して打撲した腰の痛みを訴えながら、食事がおいしくないと不機嫌。薬の副作用か、とにかくしゃべる。その内容はあの世の話題。
ここは医療現場だから介護サービスはしない。歩けなくなったらダメージが大きくなる。30分あの世の話題に付き合い部屋を出た。今度のハードルは高いと気持ちが重くなった。
やりたい仕事はたくさんあっても、きょうは眠くてしかたがない。昼ごはんのあと毛布をかぶり1時間熟睡。

夕方から来客ふたり。

お茶畑は絶景だった

土曜日。美祢の黄正吉さんお宅は8時半ごろ着く。体調を心配しているがお元気。
来月3日「八十八夜お茶まつり」が農園地域の茶畑で大々的に催される。茶畑の高台から360大パノラマで広大な新茶の緑が眺めることができる。
たまには気分をリフレッシュしませんか案内します。午後3時農園集合になった。

午前の配達からお昼まえにもどり、軽く食べて下関長府のブティックにたくさん配達。
店主は80歳。ルノアールの世界からあらわれたような大きな帽子に派手なファッション。化粧も派手。暗い色の洋服で背中をまるめる人生は嫌い。35年、乃木さん通りアーケードで安くない衣料品を商われている。あと5年は店を閉めたくない。ショパンと読書が趣味のマダム。
わたしと会話中も子供たちが挨拶をして往来する。マダムがいつも声をかけるから仲良くなったらしい。携帯電話のカメラで一枚撮影。
農園に戻る途中で散髪。さっぱりしてもどったら黄ご夫妻とマメ柴の愛犬「こゆき」が到着。絶景ポイントに案内してわたしは戻った。
きのう黄栄作さん「笑福カレー店」に配達に行った「ホタテマンが食べに来てくれた」と喜んでいた。往年の安岡力也がホタテマンを演じた。酒屋の松原さんの風貌が安岡力也に似ていると思い命名させていただき、いま掃除仲間ではそれが本名になった。
きのう地元紙「宇部日報」に松原酒店の話題がふたつ紙面を飾った。
ひとつは、萩市の澄川酒造場の限定酒「東洋美人・原点・奇跡の新酒」の販売。
ふたつめは「おかもと まさかず」というえんぴつ画家の作品が紹介されている。作品は永山本家酒造酒蔵。キャプションに「この酒蔵で造られる限定品・特別本醸造(馥)ふく」が松原酒店のオリジナル商品。と紹介されていた。仲間が話題になり嬉しく電話をした。

小雨の金曜日

朝から夕方まで小雨の金曜日がおわった。

金曜日は下松市の80歳。農業で歩んでこられたご夫婦と会話がはずむ。まだ現役を貫く気持ちが軽四トラック新車から受け取れる。いつ仕事を辞めようかばかりを考えているわたしには新車がまぶしい。
周南市から戻る途中、大道の上田さん宅に立ち寄った。もう30年以上お世話になっている紳士。
先日の社小屋がよかったとわたしの感想を話すのが目的だった。
上田さんは父親と幼い頃から毎月1日と15日は近くの神社に詣で、自宅神棚のお榊にご神水はかえる生活を営まれ、その神社総代をされていると聞いた。しかし、兼務宮司の財(お供え)の不透明。氏子が行事にかかわる姿勢の形骸化を憂いておられた。日本を失っているとまで言われた。
むつかしい話題より、唐戸で一万円で、ふくのフルコース(ひれ酒飲み放題)に行きませんかと誘われた。
それは元気が出る。やりましょうと約束した。

母が入院

愛車のオイル交換・タイヤローテーション・前輪ブレーキパッド交換をするため、午前の下関市内を急ぎ足で走り、トヨタに11時まえに着いた。江口店長に「できるだけ1時間以内で終えてください」とお願いした。約50分で作業は終わり走りはじめた。そのとき家内から電話「おばあちゃんが」で言葉がはじまれば良いコトを想像はできない。ラジオをとめた「今朝ベッドから落ちたらしい。検査の入院になる」すでに病院に搬送しているらしい。できるだけ急いで配達をすませて農園に戻ったのは4時半。まだ来客がある時間なので家内に病院に様子をみに行ってもらい、小雨のなか木曜日の後始末や犬の世話。お客さんもあった。
家内が農園に戻ってから夕飯の支度になる。腹が空いて缶ビールのつまみはイリコで2本目を飲みはじめたら、井上酒店から電話。きのう店頭で見つけた18年モノ玄米焼酎が気になり昨夜「あれはうまいかね」と電話で尋ねたら「まだ飲んじょらん」
まだ陽がたかいこの時間に18年モノを試飲して実況中継。
「藤市」という玄米焼酎は宮崎。価格は2450円。色は琥珀で25度。古酒をつくる目的ではなく売れなかったから古酒になり、飲んでみたらうまくなっていた。
と井上さんの推理。間違いなくうまい。

ご希望の方にはわたしが配達します。
18年まえ、井上さんの体重は58キロ。現在は70キロ。歳月は酒も体型も変える。
いま家内から電話。母は大腿骨を打撲しているが骨折はない。けれど両足の股関節は人口骨なので、経過観察でしばらく入院と医師の説明を受けた。これから農園にもどる。

水曜日の朝参り

昨夜の「社小屋」。数学者の藤野先生講師で90分の講義は夢中で聴いた。
はじめは、野村清風宮司が正装され神事で幕開き。みなさん大麻でお祓いを受けたあとは宮司の先唱、みなさんで大祓いの詞を奏上。貴重な体験をした。

なにを夢中で聴いたかというと。参加者の人数だけ各々の夢中があったと思う。わたしの夢中をいくつかあげると。
日本人は1日と15日は神参りを古来からした。その意味もあり神社本殿で神事のあとに学びをする。

なぜ学校ができたのか。学校がなければ子供は家の労働力に加えられる。

テストでよい成績をとる目的は、将来の生活に困らないためか。それは教育とはいえない。などなど。
お賽銭で学べる場がうまれた。

今月27日。午後2時半から4時。臨時社小屋が開催される。
講師は 独立研究者 森田真生(まさお)氏
臨時に開催されるだけのお方。ぜひネットでプロフィールをご覧ください。
どなたでも参加OK。費用はお賽銭。吉部八幡宮。

水曜日は宮尾八幡宮朝参り。30分歩き終えてから参拝7時半。
拝礼しているとき、心にわき上がった。
これからの朝参りは吉部八幡宮にしたらどうか。祖霊殿には西君がいるから毎週西君に手をあわせたらどうか。
これは神様がわたしにかけられた「そうしたらどうか、西君も喜ぶぞ」のご神意だと感じた。
約3年続けた毎週の朝参りは、来週からは吉部八幡宮。祖霊殿の西君。

鍵山先生ニュース

火曜日の早朝ウォーキングは上り坂を頂上まで息を切らして往復40分のコース。この坂が気持ちを前向き(歩く必要はないけど歩くから)な気持ちにしてくれる。

「いのちをいただく(みいちゃんがお肉になる日)」
可愛がって育てた牛の「みいちゃん」肉になり食卓にのぼるまでを描いた絵本を買った。
大きな活字。文字の数は多くはない。けれど「みいちゃん」に寄り添いお別れを言う「みいちゃん」と一緒に育った少女。牛の命を断つことが仕事の男性。男性の男の子。少ない登場人物で、実話が絵本に構成され、命をいただく、食べることの意味を真っ正面から描かれていた。絵本の力を知った。

鍵山秀三郎先生。来月13日。湯田 ホテル松政で朝6時から7時までご講演。演題は「凡事徹底」
主催は 山口市倫理法人会。参加費は無料。問い合わせは山口市倫理法人会事務局0839218603

今夜は7時から、吉部八幡宮を会場に、藤野先生による「社小屋」(寺子屋)初開催。まだ時間があるので風呂あがりの缶ビールで暑かった火曜日の疲れを癒してから参加。

エヒメアヤメ

5年まえぐらい。広島の井辻さん(広島のキムタク)奥さまご葬儀に参列したとき。
新幹線は10数年ぶりの利用になった。自動券売機はやめて窓口で切符を買い改札に向かった。自動改札ははじめてで乗車券と特急券を重ねて入れることを、そばで人の動作から学んで改札を無事通過した。

きのう、海峡ウォークのスタート場所に行くため新山口駅が始発の電車に乗ろうとした。車内には家族連れなどがすでに座っておりドアは閉じていた。ドアを開けようとしてもびくともしない。両手で満身の力で開けようとしてもダメ。あきらめて隣のドアに力を入れていたら、さきほどのドアをお嬢さんが開けて車内に入った。なにか仕掛けがあると、やっと判断できてドアのそばにある2つのボタンに気がついた。
この車両は停車中、ボタン操作でドア開閉をするルールらしい。赤面しながら車内に入った。

外に出ない生活をしていると、世の中の変化がすっかりわからない。
月曜日の最初の配達は岡本拓也さん宅。玄関さきの鉢にエヒメアヤメが可憐な花をつけていた。自生地は天然記念物で保護されているが、保護以前にかなりの数が個人宅で可愛がられていることをしった。
吉野さんご実家で自生している株をいただく話をしたら、お母さんから立派な植木鉢を数個頂戴した。
足の疲れも、痛みもなく月曜日をおえた。

海峡ウォーク完歩

維新海峡ウォーク30キロ。雨天のなか5時間半でゴールインできた。
日曜日に歩く時間がとれて、完歩できる体力と健康に感謝ができた。

松村御大はご出張でマイペースで歩いた。
要所では地域のみなさんがお茶やチョコレート、飴などたくさんお接待。間食と甘いものは苦手な私も「元気が出ますから食べてください!」と近づいてくだされば「頂戴します」と拝受。信号機や車の往来がある場所にはボランティアが雨具で奉仕され頭が下がる気持ちになり、お礼を言いながら通過。
幼い子供連れで傘やポンチョ姿の家族がたくさんおられた。雨も寒さも、足の疲れも気にならないようす。
わたしは仕事ばかりで子育てや家族に気持ちが向かない道を歩んだ。取り返しのできない反省を歩きながらした。
足はどこも痛くない。明日から仕事に励もう。

2日分働きました

午前中は配達。午後から草刈り。きょうはしっかり体を使った。

明日は母も仕事も休み、維新海峡ウォークに参加する。
お天気予報は雨。楽しくないから止めようと思っていたが、たくさんの人たちが事前に準備をされ、当日は大勢のボランティアが奉仕される。雨でも。
わたしの靴は通気性はよいが雨には弱い。長靴と雨具をリュックに入れ傘を持って行こう。長靴で歩く限界まで歩き、ダメならリタイアもよい。
30キロを頑張ろう!

1日が長かった

2時半に目が覚めた。昨夜録画したアンジェラ・アキと滝川クリステルの(日系と36歳共通項)対談番組をみたりして5時。
犬たちを世話しようと出たら愛車の後輪がパンク。7時前にはスタートしたいので慌ただしくなった。
スペアタイヤはおそらく空気圧が足らないだろう。卵をのせて周南市を往復はできないと判断した。先月倉庫に納めた家内の冬用タイヤがあるのでそれと交換した。ガソリンスタンドにパンクのタイヤを預けて金曜日をスタートした。

山口市内のTさん。数年まえまで事務職をされていたが自宅で老後の主婦で過ごされている。
肩こりや体調の不調ばかりをいつも口にされる。長いおつきあいだから、配達時間が遅れてもきょうは言おうと決めた。
前向きに1日を過ごされませんか。ここから商店街アーケードは近いから、毎日アーケードのなかを散歩されませんか。雨天も日焼けも気になりません。
1ヶ月ぐらい歩けば体の不調はだいぶ改善しますよ。
「そうですね!きょうウォーキング用の靴を買いに行きます」と元気になられた。

周南市から帰る途中にガソリンスタンドに立ち寄ってタイヤを交換。スペアタイヤの空気圧を計ったら4キロのところが2キロしかなかった。

4時に農園にもどり6時まで草刈りに汗をながした。今夜はよく眠れそう。

木曜日元気におわり

木曜日。下関をおわり菊川に向かうころは正午ごろ。眠気と疲れ、そして春の陽気でぼんやり運転になる。
菊川の室内犬「はなちゃん」は白内障で失明しているけれど、わたしの車の音を覚えてくれ、玄関を入る前から喜んで大騒ぎ。ひとり暮らしのおばあさんと玄関に座り込み世間話。わたしが配達に通いはじめて「はなちゃん」が元気になりましたとお礼を言われた。
1ヶ月まえから10個を届ける美祢のお宅。若い奥さんとはメールのやりとりだけでお会いしたことはない。きょうもヤクルトの箱に入れたら「いつもおいしいたまごをありがとう はるま」のメモがあった。この仕事をしてよかったと思い、疲れも眠気もなくなった。

「よしの」の実家は庭に茶室がある庭がある邸宅。91歳の主は週一回ペースのゴルフから愛車を運転して戻られた。製材業と市議を長年された紳士。
晩酌は大ビン一本のビールと焼酎を2〜3杯。調子のよい日はビールなら3本。肉食らしい。
奥さまは5歳下。いつも黙々と畑に向かっている「要らんかね」と声をかけられた。
天然記念物指定の「エヒメアヤメ」が庭に咲いていた。10数年まえお茶仲間がひと株植えて帰りそれが増えたらしい。
植物に詳しいお客さまに移植方法を教えていただき、ひと株いただこうと思う。

「よしの」は、1時半に完売御礼札を出した。とにかく慌ただしくたいへんでした。
今年の10月が開店10年になる。厨房の器具に不調が多くなり業者が見積に来た。
年金生活に入るまでの数年このまま使えたらよいのにと店主。
来週火曜日。藤野先生主宰の「社小屋」で会おうと別れた。

神さまが後押し

13日開催、維新海峡ウォークにエントリーを済ませている。
30キロを元気に歩くため(雨天は休む)通常より長く毎朝歩いている。今朝は約50分歩いた。それから宮尾八幡宮に朝参り。
今月から大丸百貨店の納品がなくなり、営業努力をしなければならない。早朝、正志を農園に呼び売上を下げない努力をしよう。今回の落ち込みがあったからこそ前より得意先が増えた。そう言えるようにしようと気合いを入れた。

もろもろのお礼を申し上げ、最後に得意先がひろがりますようにお願いし頭をたれた。

小野田市内パチンコ店駐車場で、わたしの手作り弁当を食べているとき電話が着信した。
下関市内で老舗の和菓子店。以前は主力商品に農園卵をお使いいただいたが、事情で取引が途絶えた。
あれから6〜7年。ある和菓子だけは農園の卵でなくては満足できないから、その商品をつくるときは大丸の売り場で求めた。
今月から売り場で農園卵が消えて困っている。月に数回、少量でも届けていただけますか。

数でも金額でもない。農園卵でないと満足できない和菓子がある。その言葉が嬉しかった。

約1年料理教室をとめておられた竹内先生が、来月から再開される話題を生徒さんから聞いた。またたくさん卵のご注文があるかもわからない。

酒屋の井上さんにお店を紹介してくれないか頼んだら快諾。近日中に知らせてくれる。

神さまにお礼を申し上げた。

藤野先生からいただいたDVD2枚(宗教)を繰り返しみている。
昨夜、よい言葉を見つけた。

自分のしたことが
自分の知らないうちに人の役にたっている形になるまで修行しなさい。

ダライ・ラマ14世

お見事川 柳

毎日新聞川柳で見事な作品をみつけた。

ロシアでは 向こう三軒領土なり

きのう午後、ラジオで作家の山本一力さんが得意の江戸ではなく、身の上談義をされた。
一力さんの作品に必ず登場するものがある。それは、江戸庶民の食べ物文化である。まさに江戸で見てきたほど細かい描写で、読んでいると腹が減るような気分になる。

産経新聞。今朝の朝刊に「荒川健一の 関門味風土記」が掲載された。今回は「うに」以下、荒川さんの文章を抜粋してみよう。

(ご家庭でうに丼にするときはぜいたくですが、炊き立てのご飯に、ご飯が見えないぐらいに生うにを載せて、真ん中に卵の黄身と刻んだシソの葉と焼き海苔を添えて、お醤油をほんの少し垂らして、急いでかき込むようにいただきます)

活字の羅列なのに唾液がわいてきた。

火曜日の最後のお宅。ご主人は一年まえに退職され、国内・海外旅行ざんまいをされた。けれども今は奥さまに「支配(奥さまの弁)」され、ゴミ出しと留守番だけの日課。
あす水曜日の今村さんは野菜と陶芸に読書。釣り遠征もされる70歳。
わたしも支配されない生き方を見つけなくてはならない。

自然相手に生きる

朝夕、犬と歩くときつくづく幸福を感じる。もちろん解決しなければならないコトや、老後の生活設計など気になることはたくさんある。
けれども、散歩のときはウグイスの声を聞き、宝石のようなカワセミを見つけたり、キジやウズラが出てきたりする。もちろん車も人もいない。自然満喫。

今朝もおだやかな気持ちで散歩ができた。

この冬は特にイノシンが多く出て、農園内はミミズをもとめて耕運機が仕事をしたように荒く掘り返された。3月中ごろ半日かけてユンボのキャタピラーと排土板を使い平らに整地した。その夜にまえ以上(倍返しか?)無残にも掘り返された。無力感できのうまで放置したが、また根気よく整地した。
きょう美祢の猟師さんに掘り返す理由を尋ねた。
簡単に答えを言われた「草刈りあとの草を燃やせ」つまり、刈った草を放置すると、腐った草を餌にミミズが大量に繁殖する。
刈った雑草を集めて燃やすのは、ひとシーズンで何度もやると体力も要る。しかし、丁寧に草の処理をすればイノシンもモグラも出てこない。
なるほど。けれども面積が広いから刈った草を猛暑のなか集める自信はない。
自然に癒されての散歩と、自然の営みが悩みのタネ。

母が元気になった

昨夜二件電話が着信した。
広島県庄原市の林さん。お掃除の会などご縁があり酒をもって行き来する仲間。英会話ができるせいか酔ったら英語で歌う。酒癖は良くはない。
けれども彼は三期目の庄原市議会議員。ダスキンも手広く経営されている。
彼はエネルギー問題に関心を持ち、先進国のドイツなど視察を重ね、いま地域で家畜などの糞尿からエネルギーをとりだす仕組みづくりに邁進している。その熱弁を聞いた。
市民の個人がいくら唱えても動かないものでも、市民が推した議員は市民の付託にこたえる力がある。
農園で加奈ちゃんも交えて宴会を約束した。
8時半。酒屋の井上さんから着信。
長患いの愛犬が息をひきとった。
野良犬を飼い14年。犬の歳はわからない。寝たきりになり、紙おむつや使い捨てシートで世話をされていた。最近は床擦れで骨が露出しているところもあったらしい。わたしも「はなちゃん」で同じ経験をしたから苦労が理解できる。
「死にましたいね」の電話をわたしにくださったことが嬉しく、わたしもはなちゃんを思い出して胸がいたかった。

今朝の母は、先週に比べて別人のように元気になっていた。
食事の往復は押し車で歩いた。食欲もある。
先日みた1945年〜1960年までの世相を録画した番組。終戦直後の食料難では、配給の品物では生きていけないからヤミ米などを手に入れるが、街中や駅での荷物の検閲が厳しく、女性が胸に隠した少しの米まで見つけて没収する場面があった。

母、当時は28歳。
終戦のとき食べるものはあったか。とわたしが尋ねたら、しばらくうつむいて思いだし「弁当箱に米を入れて持ってきてくれよった」それは誰かとは尋ねなかった。宇部空襲で逃げまどい、戦後の食糧難もたくましく生きてくれたからわたしは命をいただいた。
天皇陛下の話題で楽しく会話がはずんだ。

今夜は真砂恵さん家族が夕食にきてくれる。子供には肉料理。大人は鯛ご飯とタケノコ料理を家内がつくりはじめた。

加奈ちゃんスマイル

萩に向かう7時前、NHKラジオに仲代達矢が15分登場した。
切腹や二百三高地の作品など名演技に魅せられわたしの好きな俳優。
俳優養成所時代から81歳の現在までをざっくり語られた。
例えばお茶を飲むシーンひとつでも、カメラの前や舞台では不自然になる。大勢の前で台詞を言うことも容易ではない。
そこで自分を変えるために、養成所に通う電車の車内で毎朝「わたしは俳優を志望している者です。この場をお借りしまして戯曲を朗読させていただきます。お許しください」と戯曲や詩の朗読を2年続けた「あの2年がわたしを育てました」と結ばれた。
成り行きで生きてきたわたしには、もうやり返すことができない悔しさと、まだこれから自分をつくらねば。という思いにさせられた。

美祢の黄さん。きのう韓国から戻られたらしいが元気にわたしを迎えて下さった。お届けのタマゴを奥さまに渡し椅子に腰をおろした。床はオンドル(温水)暖房であたたかい。
約30分、お互い最近心を動かされた出来事を交わし腰をあげたら、黄さんが紙袋を差し出した。
中身は韓国土産の海苔と安東(韓国文化世界遺産)の焼き物。それと井筒屋の包装紙。韓国土産はありがたいが井筒屋の意味がわからないから尋ねた。
4年まえ、直接黄さんには関わりのないことではあるが、わたしの行為を胸に刻まれており「よい結果になりましたからお礼の品です」と改まって申された。戻って井筒屋をあけたら立派な木箱におさまった品だった。わたし生涯の宝物になる。
嬉しかった他人の行為はしっかり心に刻み、機会があればお礼の心を伝える作法を体験した。わたしもそう生きなければならない。

午後から再び美祢市。桜祭り会場でパン屋出店の加奈ちゃん応援。家内がはりきって買った数は9個。
たくさんの種類を数多く焼き、ふたりの子連れで小雨まじりの寒風のなか加奈ちゃんスマイルがよかった。

きょうは寒かった

人の話しには、その道の人しか知らない世界があり、本も面白いが身近に「なるほど!」とうなずける語り部ばかりである。

先日、牛の「みいちゃん」をとおして命を考えた話題を今村ご主人に話した。
ご主人(いま70歳)が子供時代、自宅に農耕に使う牛がいた。そこそこ太ったころ「博労(家畜商)」が若い牛を連れてきて交換する。さらに現金も置いていく。仲良く遊んだ牛が三輪トラックにのせられたらモーモー鳴いて涙をながした。今村さんも泣いた。2〜3日過ぎたら博労が肉を少し持ってきた。泣きながら食べた肉はうまかった。
奥さまが口をはさんだ「だから主人は、テレビ番組でも肉がかたいとか文句を言う場面があれば、食うな!と本気で怒ります」
食肉の物語を知っているからだろう。

小野田市。読売新聞販売店。
「基本、左まわりです」とは、配達順路は左折を原則にコースをつくる。右折は対向車と接触する。あるいは信号待ち時間になる。左折は配達の効率と安全につながる。

タマゴを配達しながら、配達先でわたしの知らない世界を語ってくれるお客さまが多く、わたしは「きょうは何があるか」と朝のスタートまえにおもう。

露天風呂の桜は最高でした。

3時に目がさめた。メールが一通届いていた。昨夜のロータリークラブ「観桜会」事務局をされた女性職員さんからだった(午後9時過ぎ)。呉明美さんの歌姫が大盛況でアンコール。みなさま(ロータリーは家族同伴)「よかった!」の声で観桜会を終わった。そのお便りだった。
朝の交通渋滞。長府をノロノロ走っているとき明美さんから「素敵な会でした」と昨夜の感激が伝わるメールをいただいた。
政治レベルでは本音でなく建前での外交だからしっくりしない。けれども、チョゴリでカヤグムを奏でて明美さんが笑顔で歌えば「耳障り」という日本人はいない。お役目ありがとうと返信をした。

木曜日の10時ごろに寿司割烹「浪花」に着く。
荒川大将に、スーパーの魚売り場で4月におすすめの魚を教えてください。と尋ねた「少し早いけれど鯵(アジ)だと思います」と即座に答えをいただいた。刺身でも焼いてもまちがいない。

この毎月「魚質問」を荒川大将にしてみたい。5月はなんだろうか?

美祢の黄正吉さんから「天宿温泉、露天風呂そばのしだれ桜が最高」と先日お頼りをいただき、さきほど花見をしてきた。お湯から眺める桜は木曜日の疲れを癒してくれた。

社小屋(やしろこや)

農園を見下ろす山裾に、高校教諭(数学)の藤野貴之先生のお宅がある。先生の焼く広島風お好みは定評があり、農園でも度々焼いてもらっている。
先日、歴史教科書の表記について、わたしは自虐的すぎると尋ねてみたら「教室でなにを教えるかは教師の裁量」と嬉しい玉虫色の返答だった。
藤野先生が「寺子屋」と称して、能楽師 安田登先生を吉部八幡宮にお招きされ、高名な安田先生の能や古事記についての奥深い講話を二度も拝聴する機会に恵まれた。
不思議なことは、参加費はお賽銭。高校生から年配の人も一緒に生徒。帰りに「栗饅頭」のお土産までついていた。
わたしは勉強は大嫌い。けれども、例えば釣のボートを操船したいときは夜でも勉強して免許を取得した。
点数をとる勉強ではなく、楽しいことをする勉強ならばいくらでもできる。
安田先生の講話の展開は、古事記がおもしろくなる。能楽師の心を知り、能に関心がうまれた。

藤野先生が「社小屋(やしろこや)」を旗揚げされた。会場が吉川八幡宮だから「寺」ではなく「社」
8月を除く偶数月の15日。夕方7時から8時半まで。
講師は藤野先生。世相から真実をみつける楽しい学びの時間。
開会は本物の宮司 野村清風師(山口県神社庁長)によるお祓いの儀がある。罪穢れのクリアー。
参加費はお賽銭。
参加資格は、年齢も国籍もない。
藤野先生曰く「学びとは本来、楽しいものです。」
宿泊希望者は、民宿「しんあい」で無料お泊まり引き受けます(朝食あり)

今夜は湯田ロータリークラブ「観桜会」が湯田の老舗旅館「松田屋」で開催される。タマゴをロータリー事務局にお届けのご縁で、カヤグム奏者の呉明美さんが、約30分歌と演奏をされる。
昨年秋のロータリー行事「観月会」も機会はあったが、事務局のご配慮で、やるなら格式の「松田屋」花見演奏になった。
今夜の明美さんは春のチマチョゴリで歌姫。近くて近い隣国同士になる一石になるだろう。

今夜は読書

読みたい本を手にしたとき、早く読みたいとワクワクする。そんな一冊を手に入れた。
作家(競馬予想家?)の高橋源一郎さんが、2ヶ月まえに「この一冊は面白い!」とラジオ番組で語った。
「みやざき中央新聞」水谷もりひと編集長。自らがジャーナリズムは「知」ではなく「情」を愛する媒体でよい。その信念で書いた社説の41編を一冊にまとめた「日本一心を揺るがす新聞の社説」

配達の途中に車を停めて帯と最初の一編を読んだ。
帯の書評に驚いた。イエローハット創業者で、わたしどもが掃除の神様と慕う鍵山秀三郎先生の推薦だった。
さらに驚いたのは、最初の一編は「心をこめていただきます・ごちそうさま」
内容は、以前に毎日新聞で読んで涙をながした記事を引用されていた。
食肉センター(屠殺)で働く坂本さん。ある日トラックで運ばれて来た牛に女の子が寄り添ってきた。牛ね名前は「みいちゃん」牛と別れがつらい。運転してきたじいちゃん「みいちゃんとこの子は一緒に育てました。だからこの牛は置いておくつもりでした。けれどみいちゃんを売らんと正月がきません。明日はよろしくお願いします」もうこの仕事はできん。やめようと明日は仕事を休むことにした。
坂本さんの「あすは休む」に子供が言った「お父さんしかできん仕事」と。
あくる日、坂本さんは「みいちゃんごめんよ。みいちゃんが肉にならんとみんなが困るけん。ごめんよ」
その瞬間、みいちゃんの目から大きな涙がこぼれ落ちた。

坂本さんは、この出来事を小学校に頼まれ「命をいただく」話をされた。

今夜は読書。