月別アーカイブ: 2014年5月

水にながすテーブル

「朝まで生テレビ」をみた。
慰安婦問題について、日韓の論客が主張を戦わせた。しかし、わたしひは不毛な議論のように聞こえた。
戦後、とくに日本と韓国・中国は当時としては意を尽くして戦後保障協議をおこない、そのときは折り合い、つまり決着した。
けれども年月が経ち、決着をこと細かく、詳細に検証した側が、納得できない。それが論点になっている。

母親の妹は出雲市で生活をされていた。もう亡くなられたご主人は大和紡績工場の守衛をされていた。
50年以上もまえ、その社宅に母と一泊させてもらった。わたしと同級生の男の子がいた。
朝、ご飯が終わるとおじさんが、わたしと息子を呼び「一畑パークで遊んでおいで」と財布からお小遣いを二人にくれた。出雲市駅から一畑電鉄で一畑パークに行き1日を過ごした。その1日が楽しかったかどうか記憶はない。
夕方戻ったわたしに、おじさんが「すっちゃん(愛称)どうだったか」と感想を尋ねた「つまらんかった」と答えた場面は覚えている。おじさんの「そうか」と落胆の顔も。
おじさん横浜でご逝去の知らせで(すべて終えて)従兄弟に電話をした「覚えているかね、一畑薬師に行った昔を」彼は覚えていた「つまらんかった」と言った言葉は、今でもボクの「心のトゲ」いつも痛みを感じる。と告白した「進ちゃん、オヤジはわかっていると思うよ」と水にながしてくれた。

日韓や日中の戦後処理は当事者不在で、このままでは永遠に論争は終わらない。
経済や災害などで力を合わせていくべき隣国と「水にながす」そして環境や経済など発展的な「朝まで生テレビ」ができないものか。

眠気覚ましは大笑い

きょうは暑さで体力が衰えたのか、歳のせいか周南往復が眠くてたまらなかった。午前中にセブンのコーヒーを2杯飲んだが眠たい。下松花岡神社近くの木陰に停めてシートを倒したらすぐ夢のなか。起きたら30分経過していた。NHKラジオの全国番組に、周南市(金剛山てっぺん)「山芋祭」村田さん夫妻が登場されていた。松村御大のご紹介で親しくさせていただいている。

金曜日の午後、ラジオは、山田まりや「午後のまりやーじゅ」が楽しみ。前半は赤坂泰彦、後半は近田春夫が山田まりやと楽しい会話と音楽番組。
きょうは「失敗談」がテーマで、全国のリスナーから大笑いの失敗談が届いた。葬儀の焼香で火のついた炭を指でつまんだ失敗談。
山田まりやはデートで、見つめあったままストローを口に入れようとしたら鼻の穴に入った失敗談。
笑いは眠気覚ましになった。
わたしの失敗談金メダル級。絶対笑ってはいけない場面で高笑いをしたこと。
高校生のとき友人の母親が亡くなりご葬儀に参列した。読経の最中に前列からオナラが高らかに鳴った。決して笑ってはいけない場面だから懸命にうつむいてこらえた。
すると前列のおばさんが立ち上がり「すみません」と声をあげたから我慢が爆発して大笑いした。わたしの笑いにみなさんも大笑いでご唱和してくれた。

子供のキツネ登場!

木曜日は長丁場。けれども朝の草刈りはやらなければ。
5時からハンマーナイフという、ゴムのキャタピラーで動き、どうしょうもないぐらいにしげった草むらもグングン刈り進む。
エンジン音を轟かせていると小さい動物が私をめがけて走ってきた。エンジンをとめて抱き上げたのはキツネの子供。犬の豆柴に似ているが尾は大きい。
カゴに入れて草刈りしながら思案した。とにかく可愛い。けれども野生動物だから飼う選択肢は選べない。
可愛いから親はどこかで見ていると思い、カラスに狙われない場所に置いた。思い出に一枚撮しておいた。

下関市内のタクシー会社に配達。駐車場に停めたら年配の女性事務員さんがうろうろされていた。挨拶をしたら「わたしは、ここに何をしに来たのかわからなくなって」二人で大笑いになった。笑ったら思い出された「銀行に歩いて行くので、車に日傘をとりにきた」また大笑い!

高齢の室内犬「はなちゃん」はパートナーのおばあさんの言葉が理解できる。わたしの愛犬「はなちゃん」も言葉を理解していた。
おばあさんが「卵のおじちゃんが来たよ」と、わたしの到着を話したら、白内障で失明しているが小走りで玄関まで来た。おばあさんが「明日は、はなちゃんを病院に連れて行きます」とお腹の腫れを触ったら、病院がわかったようで小走りで家の奥に行った。

加奈ちゃん自宅のパン教室は盛況。よしのも「うどん完売」の札。
吉野さん、ご両親は健在。お父さんは91歳。毎週ゴルフ場通いをされる「困ったもんです」の困った意味は。
ゴルフも酒も付き合う仲間が一人もおらんようになった。
ビール大ビン4本ぐらいは平気と言われ、わたしもお付き合いは無理と思った。

手の内あかすな

起床は3時半。慌ただしい朝になった。きょうの配達のスタートは7時過ぎと決めた。
朝食と弁当をバタバタ済ませ、犬の世話など済ませて、5時半から農園周囲の耕作放棄地(地権者不明)、今年2度目の草刈りをはじめた。予定の約半分面積が7時に終わりシャワーをあびてスタート。吉部八幡宮に朝参り。
今村さん夫妻が待ってくださった。いつも30分ぐらい楽しい会話のキャッチボール。
念願の熊本城本丸御殿に行ったことを話題にしたら「完成したお祝いのこけら落としで、あの昭君乃間大広間でかるたが催され、わたしに出場依頼がきました」と奥さま。結果はどうでしたかと尋ねたら「もちろん勝ちました」
近年、棋士界の巨星、羽生善治棋士が名人戦をされた大広間の使いはじめが今村の奥さんとは!

9時から衆議院で集団的自衛権行使の集中審議がラジオで中継された。午後も聞いた。
武力行使について、事細かに事例を挙げて質疑が展開され、わたしは違和感を覚えた。
この質疑を他国が当然聴いている。いわば手の内を相手国にさらしている。戦闘機の接近事例や海保に対する中国公船の無礼は、ここまでやっても日本は手出しできない「防衛の縛り(法解釈)」を公表している。逆に、相手国のマニュアルはわからない。
手の内をあかさないのが「かるた」や「将棋」の常識であろう。
細かい対処方法は相手国に知らせず「なにをすかわからない」が一番重要。
陸自の戦車に方向指示器があるらしと以前聞いたが、いかにも日本らしい。
長妻議員が質問にたち、質疑をねじ曲げて年金問題をはじめた。場をわきまえない人柄に驚いた。

ホタルが飛びはじめた

昨夜、タマゴのご注文メールが届いていた。下関市の山岸さまお知り合いのMさま。
ご本人のお届けと、お知り合い会社経営の方へのプレゼント。その会社をさがして午後お届けした。わたしが名刺を差し出したら「宇部の西岐波かね!ボクも西岐波ですいね」ご年輩の社長が満面の笑み。聞いたら、わたしの自宅とは遠くない場所が実家。成り行きでわたしの素性(前職)を聞かれて「ぎじろくセンター」と言ったら「知っちょる」炎天下の長話になった。
わたしの善い評判はないが、悪い評判もないことで安堵した。
夕方、農園に戻ったら家内が木切れにヘビをのせて川に捨てに歩いていた。
健太(雑種の気合いが入らない猟犬。14歳ぐらい)を放したらヘビに食いついて、何度も頭を振って殺したらしい。白い健太の身体にヘビの血がついており、本人(犬)は得意げ。
例えば、魚が何十万個の産卵をしても、ほとんどが食物連鎖で上位のものに食べられる。このヘビは、もしかするとツバメのヒナを胃袋に入れた犯人かもわからない。
自然の営みは厳粛だとあらためて感じた。

夜、ホタルが飛び交いはじめた。

日が長くなった

昨夜は雨あしが激しく何度か目がさめた。昨日の疲れはすっかりとれた。熊本城から帰り道、菊水インターで降りてひと風呂浴びたのがよかった。

月曜日の朝一番は岡本拓也さん。先日、椎葉村から持ち帰ったミツバチの巣に日本ミツバチが入ったという話題など。わたしのすり減った冬タイヤを見て「雨ですべります。気をつけて」と見送られ、数百メートル走ったところで対向車が勢いよくきた。ブレーキを踏んだら、雪道のようにスーッと滑った。早いうちにタイヤを交換しなければ。

これから日が長くなり、地域のお百姓さんや会社帰りの人が8時まえでもタマゴを買いに来られる。それはありがたいが、農園でひとりの日が多く、一番困るのは入浴中の来客。犬は吠えるし、わたしが出ないからクラクションを鳴らす人もおりたいへんな状況になったことも何度かある。1日が長くなる季節をむかえた。

きょうから下関大丸の地下売り場に農園タマゴが復活した。

昭君之間よかった!

いつかは行きたい場所。そのなかでも距離的に実現可能な場所は、熊本城。明治の西南戦争で城が原因不明で炎上した(炎上の原因は諸説)。
天守閣は昭和の中頃再建され、何度か見事な石垣武者返しを見に行った。けれども6年前に再建された、豊臣秀頼公を招こうと忠義の加藤清正が、肥後の匠の技を結集した「昭君之間」を、写真や映像ではなく実際にみたい。ずっとその気持ちがあった。
今朝6時。昭君之間に向けて農園を出た。往復520キロメートル。5時前に農園に戻った。家内は帰りの高速道路出口から農園までの20キロを運転。わたしはコンビニでビールと唐揚げを買い、念願叶った祝杯は助手席。
池田屋ではじまった日本の変革は戊辰戦争から西南戦争で終わったようにわたしは感じている。
城内で「西南戦争遺跡展」があった。乃木希典・児玉源太郎・山県有朋ほかにも大勢の長州勢が熊本城を背景に西南の役を戦った足跡を見ることもできた。

ツバメ受難

ツバメのヒナが三羽ピィピィ鳴き出した。この声にヘビが反応してこれまで巣立つ前に食べられる。今年はヘビが嫌う薬品を買って巣のまわりに糊で付着させ、毎日木炭のタールを霧吹きでかけていた。
今朝、巣の中はカラになり親二羽が寂しそうにみえた。
ヘビも生きることに懸命。厳粛に自然は営まれる。

昨夜録画した「カティンの森」を昼から観た。ポーランド兵の大量虐殺現場を掘り起こし、すべての頭蓋骨は後頭部から撃たれ、両手はソ連式で縛られていた。この場面は生フィルムが使われた。ラストシーンは、実際もそうだったろうと思わせる描写に戦慄をおぼえた。
母の夕飯を家内がつくり持参した。会話が少ないからなのか「言葉が出ない」の連発。排尿の管を邪魔だからと引っ張る。ご機嫌不安定。
鯛のご飯に焼き物。茶碗蒸しは食べない。奈良漬けとヨーグルトは喜んだ。職員さん「お昼も食べる気がなかった」と。

5百グラムでも疲れた

早朝、金曜日の支度に階段を降りて作業場。蛍光灯を点けたら犬の近くに大きなムカデ。日ごろから想定内だから「おったか」ぐらいで踏みつけた。二階が騒がしい、同じとき家内も、台所で箸と思ったものが動いて大騒ぎ。わたしのムカデより大きいとは家内興奮の弁。これからしばらく騒動はあるかもわからない。

防府市。70歳まえだと思うご婦人が安いパック旅行で2泊の東京旅行をされたと言う。宇部空港発着。都内ホテル2泊。食事なしのフリータイムで3万円以内。
ディズニーランド・スカイツリーに箱根を満喫された土産話しを聞いた。確かに安い。
上京する機会があれば一番は国立博物館をゆっくり歩いてみたい。
毎朝歩いているけれど、少し負荷をかけてみようとスポーツ用品店で足のウェイトをみた。一番軽い片足5百グラム(両足1キログラム)。一番重いのは片足2キログラムまで品揃え。一番軽い5百グラムを買った。
それを足首につけて夕方から草刈りをしたら相当疲れた。

終わりよければ

Eテレ「敗者に学べ(彼らはなぜ負けたのか)」興味深く二度再生した。
勝者の歴史は人情話しも添えて立派に物語になっている。その敗者にスポットをあてた視点が面白かった。
わたしの感想は「出る杭は打たれる」
だから出ないほうがよいのではなく、打たれたときは「打たれるほどになった」と自覚すればよい。

木曜日を走り終え、きのうエンジン不調の草刈機のプラグを替えてエンジンが元気になった。けれども草刈りの元気がわかないので、風呂に入りビールで新聞のとき電話が鳴った。
下関大丸で長年にわたり農園タマゴを販売していただいた会社が3月で撤退した。とうぜん大丸地下売り場から農園タマゴも消えた。以後、たくさんのお客さまから「しんあい農園はないのですか」と売り場で尋ねられた。売り場と管理者のパイプがきょうつながり「お客さまの声をかなえたい。お取引をお願いします」と電話をいただいた。
1日の疲れがやわらいだ。1日の終わりよければ、1日すべてよし。

ディスカウント?

きのう、少し早く配達がすすみ時間調整をした。ほぼ定刻にお届けしているので、わたしの時間までに外出から戻られた話をたくさん聞いてきた。
ディスカウント酒屋に立ち寄った。驚きの連続プライスだった。魔王は2万数千円。森伊蔵は4万数千円。
井上酒店にいつもある「明るい農村(2千数百円)」が、なんと4千数百円。どこがディスカウントなのか疑問いっぱいで店を出た。
コーギー・ダルメシアン・愛玩犬。この3頭に長い配達のあいだに咬まれた。
コーギーは足。おばあさんに消毒液を借りて「若夫婦には言わないでください。犬が叱られます」
ダルメシアンは大型でシャツを破られた。翌週「すみませんでした」とシャツの高級品をいただいた。
室内犬が玄関に飛び降り足を噛んだ。翌週、菓子箱をいただき「今回でタマゴは止めさせてください」
犬は大好きだが、トラブルがあればお互い困るから犬とは距離をおくようにしている。
いつもお留守で置き場所が決めてある。その置き場所に大型愛犬(30キロ)が座っていた。もし犬がタマゴを食べたら困るので玄関に置いて、しばらく犬と遊んだ。
夕方お電話をいただいた「うちの犬は、絶対咬みませんから、タマゴはいつもの場所に置いてください。玄関のタマゴはカラスが食べました」お詫びをした。今度は犬が食べたと言われるかもわからない。

間渡瀬?かも

山口市内のバス停「あいわたせ」がきょうわかった!

山大正門を背にして湯田に向かうとき椹野川(ふしのがわ)手前のバス停が「あいわたせ」この意味が知りたくなり、山口市内のタマゴのお客さまに「ご存知ですか」と尋ね続けていた。
JR山口線「湯田駅(あいわたせ近く)」付近のおばあさんが「知ちょる」と笑った。
萩から嫁に来た昭和29年。義父が「今は橋があるが、平川(山大側)と、大歳(湯田側)の間、椹野川には渡し舟があった。小さい瀬を舟で往来した」と昔の話をされた。その渡し場が「あいわたせ」と「ばあちゃん、漢字ではどう書くかね」とさらに尋ねた「わからん」
山口市内を走りながら漢字を推理した。岸と岸の「間」。渡し場の「渡」に、川の瀬「瀬」わたしの推理は「間渡瀬」になった。

梅雨時期にはムカデが、それも特大級が毎年部屋に出てきて大騒動して殺す。
一昨年、洗面所の水滴を拭くタオルの下にうごめいたムカデをタオルの上から触った感触は忘れることができない。あれ以来、ムカデはいる。と常に想定して生活している。
つまり苦手なモノは部屋にはいない。この想定で生活をしたいが、雑木に囲まれた生活ではその想定は無理「いない」と決めても現実にムカデがいたら驚く「いる」と想定していると、夜中に発見しても「おったか」ぐらいになる。
数ヶ月前、道路工事で片側一車線。信号が往来を管理していた。わたし前方の信号が青になり走り出した。
このとき「青だから対向車は車はずはない」とは思わず、とぼけた人が来るかもしれないと想定していた。見通しがないカーブで軽トラが正面に現れた。しかし、それは想定内だったからギリギリ交わした。
自分に都合の悪いことを想定したくはないが、それもあるのが現実。

奥さんはべっぴんさん!

覚醒剤を使用したと芸能人が捕まり、うんざりするほどニュースで取り上げられる。
学校の校長や警察官が覚醒剤を使用したほうがよほど深刻だと思うが、これらは芸能人ほどの報道時間はない。その不満の延長には政治家の不祥事も(みんなの党)マスコミはお茶を濁している。つまり報道が担う責任がみえない。

先日、NHKラジオにクロマチックハーモニカ奏者の南里沙が1時間出演して、音域幅のひろいアコーディオンのような生演奏とインタビューがあった。
ガソリンスタンドの青年にそれを話題にしたら大喜び。4〜5年前に彼女のCDを買い、そのハーモニカも購入した。レパートリーも少しあるらしい。今度聴かせてくれるらしい。楽しみ。
9時ごろ家内から「弁当に箸を入れ忘れた」のメール。美祢の「よしの」に立ち寄り「箸をください」を理由に主の昨夜の感想を尋ねた。
主は読書家。日本の古代から現在までの歴史。西洋の歴史。あらゆるジャンルの本を読まれている。中国の甲骨文字も研究され漢字の成り立ちも話せば長い(生徒は苦痛)
能楽師 安田先生の「社小屋」には、うどん営業時間で「残念!」しかし、藤野先生のお誘いて直会(夕食)に吉野さん招かれ、安田先生と同席したらしいから感想を、うどんカウンターで隣に座り肩を寄せて聞いた。
「よかった」の連発で具体的にわからないが、まだ余韻の真っ最中。で、「藤野先生は痩せんといけん。奥さんはべっぴんさん。子供はよい育ちかた」
なかなか具体的なご感想を述べられた。箸をいただき失礼した。

下り坂の母

今朝は母のエプロン(食事がこぼれる)と部屋に置く芳香剤を持っていった。いつも監視できるようベッドの下にセンサーが設置され、廊下から見えるようドアが少し開けて固定された。階段を下りはじめた。

昨夜、松原酒店に電話をした。被災地が他の報道に比べて情報量が減った。減ればもう被災地は大丈夫かのように思う。
以前、松原さんと企画した会津の酒と喜多方ラーメンを飲んで食べて支援する企画を続けていこう。
拡がりをどうすればつくれるかを近々、農園で話し合うことにした。

昼にビールを飲んだら1時間も熟睡した。2時半から吉部八幡宮で「社小屋」講師は、今回で三度目の能楽師 安田 登先生。今回はバイオリニストの若い女性がご一緒。きょうのテーマは松尾芭蕉「おくのほそ道」わたしには未開のほそ道。
自己紹介がわりに「G線上のアリア」生演奏。本殿は太鼓の響きがよいからバイオリンは胸があつくなるぐらい、涙がでるほどよかった。
幽玄の「おくのほそ道」を汗をにじませた安田先生の舞いと語り、バイオリンのコラボレーションで最後は圧巻だった。
タマゴのお客さまがなん組か来られた。浪花の荒川さんは、午前の下関掃除を終えて来てくださった。お嬢さんが安田先生のファンで買い求められた著者「あわいの力」を「サインして」と託されてもいた。
わたしのアルミ缶回収の震源地、小野田の姫井さん夫妻も来られた。帰りに農園に寄られて歓談。来月の農園日記写真を一枚写した。

今夜は生鯨肉

6時にスタート。土曜日の配達をすませて11時すぎに農園に戻った。いつもならば缶ビールで昼寝が土曜日の楽しみ。けれども、軽く昼ごはんを済ませて下関に向かった。
きのう、下関市内のお客さまご紹介という飲食店から「よいタマゴと聞きました。少量でも配達できますか」とお電話をいただいた。ふつうなら「お願いします」とお返事をしてご注文の電話を待てばよいけれど、きのうの電話は仕事に前向きな勢いが伝わった。
雇われ調理人は、忙しければ不満顔をすることが多い。わたしが、木曜日の午前10時ごろのお届けでもよいでしょうかと尋ねたら「お店は夕方開店ですが、ボクは出ていますから大丈夫です!」お店オーナーではないが、発注などを任されている元気な若者だと感じた。
ご挨拶に行った。わざわざ行ったのでたいへん恐縮された思ったとおりの青年だった。気持ちのよい仕事ができると感じた。
3時すぎにもどり、最初に手がけたのはツバメの巣周辺に、木炭を焼くときにでるタール(木さく酢)を塗る作業。これはとても臭いからヘビが嫌うだろうと思った。ヒナが無事に巣立つようにできるだけの手をうつ。
それから草刈り。しっかり汗をかいた。
地域の仕出屋さんが鯨の生肉を差し入れてくださり、自宅に戻る前に家内が晩酌用につくってくれた。
子供の頃は鯨が定番料理で、夕方になると母が炭をおこして醤油につけて焼いてくれた。脂身のオバイケは酒粕で汁になり、あまりに鯨が多く鯨が嫌いになったが、いまは高級食材。今夜は生鯨で酒がすすみそう。

ツバメ誕生日

宇部市から不審者情報(鮮度は悪い)など携帯電話にメールが配信される。最近は住宅地に猿が出没したと時々着信する。農園地域では猿など群れで道路にいても、それは問題にはならないらしい。

クローズアップ現代で獣害が取りあげられた。おもに猿、鹿に猪。長野県では希少な高山植物が鹿に食い荒らされ、草を失った場所は雨で土が流される。まさに環境破壊。鹿が森林の木の皮を食べ立ち枯れする。
群れで出没する猿に手を焼き離農する人。熊が人に危害を加えるニュースも多くなった。
下松の花岡八幡宮近くに金曜日は配達する。老夫婦が百円野菜をつくられている「困った」じいちゃんがため息。畑に毎晩猪が出るようになり被害甚大。
農園もまだ毎夜猪が徘徊してミミズを探し地面を掘る。その場所は元に戻さないと草刈りができない。
駆除のため銃を所持するには警察がとりわけ厳しい。わたしも以前、宇部警察署に狩猟免許の相談に行ったとき「銃は許可が難しい。ワナの講習を受けたらどうか」と言われた。けれど、ワナで足を固定され暴れる猪。箱ワナに入った猪をどう処理してよいかわからない。今夜も猪が農園を徘徊する。

3Dプリンターの話題が新聞紙面を賑わす。理屈はなんとなく理解できても、わたしはプリンターといえばドット・インクジェット・感熱紙の世代だから、ピストルが造れたり、医学に貢献するものをプリンターと呼ばれても実感が伴わない。
先週は当たる予定のクジは見事にハズレた。家内は年末ジャンボを3千円買い、きのう売り場でチェックしてもらったら3千数百円になったらしい。
クジは人生で一度当たればよい信念で買い続ける。
ツバメのヒナがきょう誕生した証の卵のカラが落ちていた。

木曜日を終えた

下関トヨタでオイル交換(約40分時間ロス)を予約した木曜日。農園スタートを早くした。
浪花は定刻より30分早く着いた。調理場の水槽にピンク色の大きな鯛がおよいでいた。先日の産経新聞「荒川健一の関門味風土記」今回は「おこぜ」。タイトルが内容をひとことで表して「さすが!」
味の良さも器量の悪さも天下一品

昔は大島郡に渡るとき、大畠港から大畠の瀬戸をこえて小松港にフェリーが通った。大畠港の浮き桟橋で釣りをしていた子供が小さいハオコゼを釣った。港の子供は毒針を触らぬよう上手に針を外した。しかしサンダルで毒針を踏み抜いた。悲鳴をあげる子供を病院に運んだ。
わたしは仙崎で良型のバリを釣った。夕方自宅に戻りクーラーボックスから釣果を出しているときバリの毒針に指があたった。痛みに畳を転がった失敗がある。
おこぜの毒針も強烈だろう。

マレーシア航空・韓国フェリー事故・ウクライナ情勢・ナイジェリア女子生徒拉致・中国の暴挙数々・トルコ炭鉱事故など世界的に喜ばしい報道が少ない。日本では集団的自衛権論争。
困難な時代になったように思う。

血圧は合格点!

早朝の西君参拝。約40分歩いて水曜日ウォーミングアップ完了。
8時に今村さん。かるたクィン奥さまは京都。30分ちかく立ち話ができた。
今村さんお宅の横には大きな雑木林の山がある。新緑がまばゆい。今村さんのお風呂から、この山の四季を眺めることができるらしい。立ち話のあいだキジやウグイスが鳴く。この環境がご夫妻元気の源だと語られた。
わたしも、ほぼ毎日川面を滑空するカワセミや、ぐるり周囲の自然があるからリフレッシュができている。
私と今村さんの共通点を考えた。答えは、好き嫌いがハッキリしている。それがマイナスになることがあっても。
配達を終えて血圧定期検診。きょうは梅ちゃん先生に「いいですね」と合格点をいただいた。

山口市は夏でした

早朝の作業と朝食に弁当。このあたりまでは肌寒く、7時をこえたあたりから太陽がジリジリ暑くなりだした。
夕方4時の来客で気忙しい火曜日だったが、ニュースタイル(美容室)の糸賀社長はコーヒーをたてて待ってくださる。1週間ぶんのお互い近況をかわす時間。今朝は鍵山先生講演会が湯田であり、早朝6時に270名が聴講したと話された。
社長の書棚に、掃除の会雑誌「清風掃々」が何冊かあった。
全国のお掃除仲間の「情報誌」がほしいというリクエストに「やりましょう」と、わたしと高山君で取り組んだ。タイトルの「清風掃々」は、当時実践人の会、寺田清一先生が命名された。全国の顔ぶれは個性のかたまりで、出版に至るまで何度も会合を重ねた。
創刊号の次、2号を社長の書棚に見つけて「ください」とお願いした。2号のメインは、ブラジル掃除に学ぶ会特集。わたしはカメラと録音機をさげてサンパウロに行った。
代表の飯島さんの対談相手は神奈川の代表、カナケン社長の丸山さん。懐かしい2号を頂戴できた。
丸山さんはご高齢の紳士。我々が夜の街に出るとき「僕は疲れているからマッサージをホテルでやります」
夜中に戻ったら「足立さん、マッサージに地下に行ったら裸の金髪でした!」わたしは「で、どうでした」と尋ねて叱られた。

夕方の来客は「よしの」の主。はじめて草刈機を買ったが使い方がわからん。それで来られた。使い方は簡単だが、メンテナンスをしっかりご指導させていただいた。合気道4段も草刈り姿はへっぴり腰だった。

荒天の月曜日

昨夜の来客、西山夫婦(40歳)とあたたかい時間をすごせた。帰る二人を見送るとき頑張れよ!と手をふった。
昨夜から台風のような風。早朝から豪雨が加わり荒天の月曜日。万全の雨具でスタートした。
夕方、農園に戻るころ雨はあがった。長靴や雨具を干し、犬たちもしっかり運動させたので、わたしも早く休みたい。

母の日

毎週土曜日は、山口市内の宝くじ売り場でミニロト(5本)を千円買う。すでに二万円以上を購入して三千円を獲得した。割に合わないが「夢」もし一千万円手にしたらと思うとワクワクする。まさに夢を買う。
宝くじ売り場そばのセリフで給油する。給油のあと絵柄が揃えば大当たりで洗車券。スタッフは「1日で一回か二回の低確率に設定してある」。それが金曜日にファンファーレ音で当たった。
きのう土曜日。宝くじを買ったあとの給油でまたファンファーレ。どうやら今回は正夢になる。きっとなる。なれーっ!

自宅で母の朝食をつくり8時に家内と母のもとで合流。オムライス・肉ジャガ・味噌汁に奈良漬け・ヨーグルト。きのう夕食は食べなかったので栄養補助食品を食べさせたと説明を受けた。
歩くことができないから寝ているだけ。食欲があるはずがないと思った。
ベッドを起こし家内が食べさせると完食。入れ歯を洗い、9種類の薬を飲ませてわたしは山口市内に配達。家内は農園。
午後から焼却炉で使う薪づくり。暑くて汗をかいた。
夕方5時ごろ、小野田市から西山君夫婦が来てくれる。

レッド・バロン最高!

昨夜は録画しておいた「レッド・バロン」2時間10分を一気に観た。第一次世界大戦のドイツ空軍を背景に日本では武士道、西洋では騎士道。その騎士道でストーリーが展開された。軍服の男優に大人の女を演じた看護婦役の女優。さらに、これは実話にもとづいた作品とラストでわかった。久しぶりに、わたし好みの作品に出会った。

大谷山荘から美祢に向かうトンネルの峠。おびただしい血液が道路の左右いっぱいにひろがっていた。おそらく鹿だろう。衝突した車の損傷も大きいと思った。山間地の運転は動物に注意。

美祢の黄正吉さん。今朝もしぶい言葉「炭鉱のバラックの炭住で法事をする同胞の、セピア色の写真を見るとき、貧しくても心豊かに生きている」と思う「家族写真は、その家の宝物」
わたしは、言われる家族写真がない。だから返答に窮した。

午後から県セミナーパークで古川薫先生(直木賞作家・長州の歴史研究に長けておられる)
テーマは大内氏。百済、つまり朝鮮から大内氏ルーツは渡来している。じっくり拝聴する気で座ったが、はじめの30分は石垣島から出撃した特攻隊7名の話。中盤では満州事変になり、なんどか古川節を聴いているので、展開は想定していたが正直がっかり。
山口県を代表する歴史家ではあるが、89歳を担ぎ出すのはいかがなものか。歴史を語れる人材はいないのかと思った。ペア聴講だったのでお誘いした今村さんもお疲れ気味だった。

気に「どうでもよい」

山口大学を背にして湯田に向かう金曜日。橋の手前右側にバス停がある。毎週気になるバス停名は「あいわたせ」市内のお客さま何人かに名前の由来を尋ねたが不明。山口市交通局に尋ねたら「わからん」とは言わないだろうから電話してみよう。どうでもよいことが気になる。

さらにどうでもよいことがある。わたしは人のアクビを見ると必ずアクビがでる。対向車の人のアクビを見たらとたんに大きな口をあけてアクビをする。
最近わかったことは、犬のアクビを見てもわたしは反応している。どうでもよいことで1日が終わる。

周南市から帰り道で、母に赤いカーネーションの鉢植えを買った。病人に鉢植えは縁起が悪いジンクスは知っていて鉢にした。たくさんつぼみがあり部屋があかるくなる。
ジンクスで母の健康が左右されるとは思えない。それより今年のカーネーションをしっかり愛でてほしい。
農園から自宅に戻る家内に託した。

カラスも懸命

配達先がお留守のとき、どこにタマゴを置いておくかさまざまルールを決めている。
自転車のカゴに入れる。玄関ドアノブにかける。などはカラスの攻撃にあう。カラスは人の動きを観察しており、中身が食べ物かどうかは別にして好奇心でつついてみる。タマゴとわかれば、全部食べつくす。
けれども、お客さま曰く「足立さんとタマゴも覚えています」と言われた。確かに遠くの電柱から数羽のカラスがこちらを見ていた。まるでヒッチコックの世界。

下関のお客さまと親をみとる話題になった。お客さまの母は腰、両大腿骨を人工にされた。それから約5年、痛みなく歩くことができ亡くなられた。火葬場で人工骨をみたとき、思わず「ありがとうございました」と、痛みをから救ってくれた骨に手をあわせた。

わたしの母も70代で人工間接手術を受けた。10年で耐用年数。長生きしたが間接は16年経過している。
そのことに、わたしはお礼を申し上げることを忘れていた。

「よしの」で1週間、見たり読んだりした感想を述べあう、わたしの楽しみ。きょうも歴史に文化を語り、とくに「伝わる」が盛り上がった。落語や講演をライブ以外、録音再生や活字では伝わりにくい。音楽でも、やはりライブ。
今夜もしっかり眠れそう。

おお霜の朝

農園の建物は広島市の永本建設(お掃除仲間)に、書類申請から全部お任せした「住んでみたら良さがわかります」と細かい説明はされなかった。
今朝5時前の外気は2度。一面霜がおり車のガラスは凍っていた。けれども室温は18度で寒くはない。壁、天井に床。高気密高断熱とか言われたが、発泡スチロールのようなものを完成後、広島から業者が来て特殊な機械で注入した。窓ガラスはすべて二重になっているのは最近気がついた。
小野田市のお客さまが「今朝の室内温度は10度。暖房をいれましたいね」永本さんにお願いしてよかった。

八幡さま朝参り。本殿でいろいろ御礼。祖霊殿では西君に語りかけた。最後に「はなちゃん頼む」

水曜日の楽しみは今村夫妻との会話。今朝も30分ぐらい会話のキャッチボール。
前回の臨時社小屋に、今村ご主人と参加した女子高校生の話。
彼女はカルタで今村奥さまの弟子?学業は好きではない。あるときご主人がカルタ競技は1時間以上も集中力の維持が要る。授業の50分ぐらい集中する態度は、カルタの成果に必ず通じる。もと大学野球監督の一言が効いたのかどうかは不明。しかし、授業態度がよくなり成績もよくなり続けている。
18日の安田先生「臨時社小屋」にも監督同伴で参加らしい。
朝からよい話をうかがった。

古書店は楽しい

連休最終日の火曜日(山口市内)。配達お休みが多く、いつもより2時間以上早く戻れるが、わたしの定刻に合わせて外出をされるお客さまもあるので、いつもより会話の時間を増やして走り終えた。火曜日の定刻、4時前に農園着。
ブックオフで辞書や趣味の本をたくさん見る時間もあった。
山口県教育会発行「氏原大作全集」を発見。20代のころ出版に少し関わった思い出がある。狩猟に関する本もおもしろく、イノシン対策も豊富に見つけられた。ワナで仕留められた150キログラムのイノシンの巨体写真には驚いた。買う予定だった広辞苑は売れていた。
古書店は欲しいモノを決めて探せば宝の山。
明朝の農園地域は放射冷却が強まり4度の予報になった。

缶詰めフードに犬は喜び

消費税増税まえ、愛犬4頭に大量の缶詰フードを買われたお客さま。しかし犬たちはまったく食べないので、わたしに貰ってくださいと全部いただいた。
犬の朝ごはんは、夜に野菜と鶏肉を煮込んだスープを、ドッグフードにかける。夕方は、牛乳と生たまごを1個。これが農園犬の定食。
ひと缶を3頭にわけてドッグフードにかけたら大喜び。自宅の黒柴にもわけてやろう。

配達先の海上自衛官を退官された方に疑問を尋ねた。フェリー沈没直後、ダイバーが船内に救助に潜ったが、生存者があった場合救助できるのか。即座に「できます」ダイバーが酸素マスクを救助する者と交互に使いながら、潜水病にならぬよう時間をかけて浮上する。
この技術は並みの潜水士ではできない高度な技術が求められる。
軍艦は魚雷や機雷で船底に穴があくことを想定して、間仕切りがたくさんあり沈みにくいし、沈没しても空気はある可能性がたかい。つまり、広い客室のフェリーの場合には沈没したとき船内に空気がたまりにくい。
事故直後、浅い海域までフェリーを曳航することを最優先し、日本の海上保安庁に出動要請をしていたら事態はちがっていたと思う。と言われた。納得できた。

元気に草刈り日曜日

鳥越俊太郎さん(74歳)。直腸や肺に肝臓のがん手術を乗り越えて報道の現場に立たれている。
「人間は肉体を維持する食料だけでなく、情報という心の栄養素も必要だと思う」(毎日新聞)

今朝の母。朝食が運ばれベッドを少し起こしても食べようとはしない。30分かけてパン1枚だけをお茶で食べた。
ここ数年、何度もハードルを越えた母が「もうダメかもしれん」と弱気になっている。

山口市内の配達をすませて帰り道で高速道路を利用してみた。GWの高速道路は先を急ぐ車の洪水。美東SAに入る車は長い渋滞。農園で昼寝が一番と思った。

1時間昼寝して3時間草刈りして本日予定終了。

未完成の自分史紹介

萩市は連休中「萩焼き祭」常茂恵旅館、朝7時の厨房は従業員さん慌ただしくされていた。
大谷山荘8時の広い厨房も緊張感があった。
美祢市の黄正吉さんは9時。奥さまが紅茶を出してくださり、しばらく歓談。正吉さんは話せば話すほど多方面に造詣が深いことに驚くことがある。日韓の歴史・音楽・旅に食べ物・陶芸に園芸・絵画などなど相手にあわせるチャンネルが多い。加えて記憶力。
はじめて美祢でお会いしたとき、わたしが片親だと話したらしい。それが今朝のメインテーマになった。
片親は不幸か?両親が揃っても親で苦労する人もある。逆説的に幸福論を展開されるあたりが正吉さん節になる。面白い。帰りぎわ奥さまが「豆を煮ました」と土産にしてくださった。
午後から昼寝。なんと2時間も寝た。起きて先ほどまで自分史の入力。まだ「阪神淡路大震災」は未完成ではあるが、それを日記にアップしておく。

1月17日発災後の19日。金光教本部職員が現地入りするので、わたしは動向した。国道2号線は岡山県内から大渋滞。姫路教会で夕方になり、そこから東に向かう国道に高速道路は寸断されていた。
神戸に入るルートづくりにわたしは姫路教会を出た。三田市の香山益夫さんと連絡を取り合い三木市から三田市に入り、三田市到着は早朝だった。三田教会婦人部が総出でオニギリの炊き出しを大量につくり託された。消防団の制服を着た香山君の車を先に走らせ(消防団車両は優先)新六甲トンネルを越えた。黒煙の神戸市が眼下にひろがる。
電柱もビルも傾き、垂直にたつ構造物が少ない三ノ宮駅近くの金光教常盤木教会に着いた。教会は半壊状態でトイレは使用できなかった。大阪方面に向かって歩く人たちにオニギリを手渡した。
救急車ではなく自家用に「透析患者搬送中」と書いた段ボールをはり警笛を鳴らして街を出る光景。ガス漏れらしい場所。被災地のど真ん中に来た。
姫路から神戸までのルートを報告していったん宇部に戻った。
神戸市兵庫区浜山の金光教岬教会が全壊し、教会長の福原先生家族が地域の浜山小学校避難所で地域のお世話をされ、現場から手伝える人材派遣を金光教本部に要請された。その一報を受けて神戸行き準備をはじめた。オンボロ1トントラックで走りって浜山小学校避難所に赴いた。
到着した当時、千人ちかい地域の被災者が教室や体育館で身を寄せあっていた。運営委員と呼ばれる若者7〜8人がこの避難所を運営していた。
発災直後に学校関係者と自治会組織が運営にあたったが、満足に届かない水や食料品を配給する困難。夜中は半壊住宅を狙う窃盗団対策。トイレをどうするのかなどにお手上げとなり、日ごろは地域で厄介者扱いされた若葉が立ち上がり、緊急を要したトイレが使えるようにした。水はトイレを使う者がバケツでプールの水を持ち込み、紙は流さず袋に入れてゴミにするルールをつくった。
ボランティアという言葉はこの震災以後から使われるようになったのではないかと思う。
音楽教室を与えられ、赤十字から配られた毛布を二枚、運営委員から与えられた。
着いた夜。自衛隊携行缶詰(赤飯)をあたためる作業を手伝った。集められたカセットコンロを教室の床に並べ、湯が沸かせるあらゆる容器に飲料水をいれて缶詰をあたたかくして避難者に夜中まで配った。
深夜、音楽教室に女性ふたりが懐中電灯に導かれて来た。半壊住宅に居た母と娘が暴漢に襲われそうになり逃げてきたと聞いた。ここは秩序が機能しない場所だと感じた。
4月末、復興祭で避難所が閉鎖されるまで、様々なドラマを体験した。
避難所にペットを連れてくることは禁止されていた。小動物は三田市に預ける施設があった。
自宅生活が困難になったおばあさんが子犬を抱いて来た。犬は預けて来なさいとわたしは言った「家族ですから」と何度も頼まれたが犬は認めなかった。おばあさんは立ち去った。
震災の年にわが家に子犬の「はなちゃん」が仲間入りした「家族」の言葉の重さがやっとわかり、おばあさんは音楽教室に入れてあげればよかったと悔いた。
各地から支援物資が届くようになった。オニギリもたくさん届いた。塩で握ってあれば寒いから日持ちしただろうが、善意で昆布などが入っていたりすると腐っているものもあった。
その夜、配るオニギリがたくさん腐っていた。これしかないが配るには問題があり手をとめていた。花屋のKさん(その日から肝っ玉母さんと呼ばれる)が「ええから配り!」と指示を出した。
配りおえてしばらくして予想した光景に展開した「食えんじゃないか!」と男たちが来た。
花屋のおばさんが目を真っ赤にして言った「食えんけれど、握ってくれた人の気持ちは受けとってくれ」と。

ボンヤリ金曜日

連休は配達が変則的になる。今朝は、山口市内の火曜日お休みだった企業と学校が加わった。通勤混雑時に渋滞、けれども曜日がずれても「欲しい」と連絡をいただければ渋滞でも気持ち穏やか。
農園に今年もツバメが巣をかけている。防府市ペットクリニックの先生に、ヘビが苦手なものを尋ねたら即答「ニコチンです!」
以前、防府市にはタバコ産業の工場があり、グズで廃棄するタバコの葉を農家が競って買っていたらしい。田畑にマムシが出る農家が草むらやあぜにヘビ避けで使った。よいヒントをいただいた。ヒナがうぶ声をあげるまでに対策がとれる。
きょうの配達は、なんとなくボンヤリして、慣れた道を間違えたり、配達先を間違えたり、ラジオも聞かなかった。
母が下り坂をおりはじめたからだと思う。
元気なとき、農園で一緒に夕食をとり「葬儀はどうするかね」ときり出した。
家族だけでよい。祭主は長女の夫、金光教太秦教会長に頼んでくれ。ほか細々と終わりの儀式を言い。使う遺影もアルバムから本人が決めた。
一時、容態が悪くなったとき家内と式場に行き、そのときの段取りはわかっている。

5月がはじまった

朝5時があかるくなった。早起きして草刈ができる季節。
鶏も早朝から運動場に放し草取りをさせる。
毎年、ヒナがピィピィ鳴くほど成長したらヘビに襲われるけれど、今年もツバメが抱卵をはじめた。
たくさん実を落とす栗も若葉がグングン成長。
明日は、母が動けなくなり介護内容が変わるので打ち合わせに家内が行く。

「よしの」店主がはじめて草刈機を買うので、わたしにアドバイスを求めてくれた。先日ホームセンターで選んだ機種と金額を知らせた。宅地で使うので馬力は必要はない。提案の草刈機を買って農園に立ち寄ってもらい、使い方とメンテナンスを話すことにした。

新緑の5月がはじまった。