月別アーカイブ: 2014年11月

11月無事おわり

日曜日の朝は「日曜討論」を聴きたい。今朝は母のようすをうかがいに行ったので断片的に聴いた。
わたしが腑に落ちないのは、突然の衆議院解散そして選挙。各党が国民に訴えるマニフェストも急いで整えられた。
つまり政策が十分に練れていないのではないかという心配と、与党と野党の争点がかみあっていない。
与党はアベノミクス、経済を争点におき、野党は集団的自衛権や原発稼働までの旗をあげているからほんとうに理解がむつかしい選挙だと感じた。
選挙と直接の関係はないが、広島市の人件費補正予算が大きな金額だったと記憶している。その理由は豪雨災害時の市職員時間外手当だった。すべての公務員はめぐまれた給与を受けながら、時間外勤務が発生したら民間とは比べものにならない報酬を受ける仕組みがあるのではないか。
さらに広島の災害でも行政はボランティアを募集した。税金で多額な時間外報酬を受ける立場の者が、ボランティア要請するおかしなことがある。
とにかく税金無駄遣いが多すぎる。
母はだいぶ弱ってきた。瞳が濁り目やにもでる。タンでゼイゼイ息をする。
会話もはずまないから帰ろうと思うがゼイゼイいう音が気になり帰れない。しかしわたしが付き添ってもなにもできない。
来年は母の干支。

宝くじ戦略

わたしが最後に韓国ナザレ園訪問団のお世話をしたのは、農園をはじめて1年後の2月だから15年前になる。井辻さん・林さん・熊本さんが広島県から参加。松村貴美さん河村隆子さんなど山口県総勢15名で海を渡った。お笑いの高山清君もいたのでとても楽しい旅をした。
美祢市から参加されたご婦人、Bさんはその後たくさん人生の波を越えてこられ、わたしは月曜日に毎週お会いしながら会話を交わしてきた。愛犬のゴールデン(名前はシルバー)が末期のがんになり苦渋の選択、安楽死を決断された。わたしはBさんに犬の話題は避けてきた。
ご主人が公務員を退職された直後に病にみまわれ現在も入退院を繰り返され、そのひとつ透析の日は待合室で半日が終わる生活をされていた。その疲労が言葉や顔色からうかがえていた。
昨夜「入院して開腹手術を受けました」と弱々しい声で電話があった。月曜日にBさんが近所に配達してくださっている卵の配り方を伝えてくださった。
気難しい人を山口弁で「へんくう」と呼ぶ。Bさんご主人は「へんくう」Bさんはほぼ毎日通院のご主人をおいての入院は心配だろう。
歳を重ねて、いつかは誰もが自分の老いを生きる現実に向き合わねばならない。
寒くない朝をむかえた。太郎さんは抗生物質2錠投与で目の下の化膿がずいぶん改善した。5錠で治れば財布が助かる。
ミニロト宝くじ週1000円を48週買い続けた。結果は4000円ぐらい当たった。これから先ずっとはかない夢を買い続けるのかと昨夜考えた結果。
毎週買うのはやめて、月はじめに私の1ヶ月予算限度額4000円をいちどに買う。これまで週5本の確率が20本の4倍になる。
けれども一回の発表で夢が消えたらさびしいから、当選発表を見るのは月末にすれば夢は持続できる。
来月1日の月曜日に、ささやかな「まとめ買い」をしょう。

骨休めができた

金曜日は正志が、これまでわたしが配達していたコースを走ってくれる。
いつもの3時すぎには目がさめたが、夜が明ける6時過ぎまで安心して寝た。7時まえに正志が農園に着き準備をしてスタートした。それを見送ってから、わたしは家内の軽四の2年の点検に下関トヨタに行った。家内は2年で約4万キロ走っており部品交換などと一緒にタイヤも冬用に交換した。散髪も下関で済ませてお昼に農園に戻った。正志の留守中の農園作業は仲間たちがやっている。わたしならもっとよい指示が出せるが、それは本人が経験のなかで身につけたほうがよい。わたしは言わない。
午後から録画していた番組を観て、本を読んで、昼寝もできた。
井上酒店で買った芋焼酎「明るい農村」は、店主が言うようにお湯割りが一番よい。なんといっても酔いざめがすっきり。
これからは、日本酒やウィスキーも熱燗派になろう。旨いビールは常温のほうが味がわかる。
午後3時まえ、雨の中を正志が戻った。

太郎さん化膿がはじまる

月末の1週間は集金がある。いつもより時間がきり、お昼にはいつもより30分ほど遅れていた。
最後の「よしの」に着くころには遅れがほぼなくなり定刻の3時すぎだった。
わたしがカウンター席に座ると店主は後始末の手をとめて隣に座る。奥さまは洗い物をしながら耳と口は井戸端会議に参加をされる。毎週恒例の40分。
この時間を何年も積み重ねて、あらゆるジャンル特に歴史は学者肌の読書家店主から、わたしの歴史観にたくさんの影響をあたえてくれた。
奥さまは飯舘村が故郷。わたさと店主が原発について議論していると鋭い意見をされる。
酒も飲まないのに下ネタ談義になると無視。
今週、ご夫妻は1年よく働いたことにケジメをつけようと、夕食をメインにしてビジネスホテルに泊まられた。その店が、料理も器も酒も、おもてなしも全部が、これまで夫妻で全国を食べ歩いた(店主は生保支店長)なかでも満足度が一番だった。その話題できょうは終始した。今月からその店の味を楽しみに行く積み立てをするらしい。
「よしの」から農園に戻る途中で獣医さんに立ち寄り化膿どめ内服薬を10日分買った。診察なしで、わたしの診断で買える。太郎さんの顔が昨夜から腫れはじめた。高齢で細菌の抵抗力がない。
美祢から農園までの山越えをした。バス停に農園で体力仕事をこなした「みゆき」ちゃんがバス停で帰りのバスを待っている。彼女の自宅までストレートに車で走れば農園から15分ぐらい。けれどもバスは過疎の地域をめぐる。みゆきちゃんは約1時間バスに揺られる。配達さきでいただいたお菓子などを、バス停で腰をおろしている彼女に渡した。聴力にハンディがあるから会話もできないが笑顔で「ありがとう」を伝えてくれた。

月曜日は今村先輩

3年まえ、岡本拓也さんのお母さんから「植えてごらん」とササゲ豆の苗を数本いただいた。鶏を放す運動場のフェンスにツルを伸ばしほったらかしで小豆によく似たササゲ豆が採れた。お米を炊くとき、前夜から水につけておいたササゲ豆を少し入れたら赤飯もどきになる。
簡単だから昨年は苗の数を増やした。その種を今村さんに伝授した。
同じように草むらで放置しても収穫できる「鶴くびカボチャ」の種は今村さんから授かった。今年もできた。
今朝は今村さんのササゲ豆談義を拝聴した。
小豆は煮たら割れる。それゆえに縁起をかつぐ人はササゲ豆を使う。つまり小豆よりササゲ豆のほうが格上で、それが証拠に「捧げる」の「ササゲ」に由来していると話され「なるほど」ではなく「ガッテン!」
ラジオリスナーがラジオネームで番組に参加する。わたしが一番笑ったネームは「背脂ちゃちゃちゃ」きょうは、それを越えたハンドルネームが登場「桜田門外の変態」大笑いで運転。
午後は山田まりあ。力士の肌がきれいという話題で、千代の富士は現役時代、女性の美容液を毎日2本身体につけた「ふーん。取り組みで薔薇のかおりがしたのだろうか」のお馬鹿トークも大笑い。
来月の農園日記に載せる一番候補は「しみず茶房」の奥さま。海峡マラソンのあとの配達で一枚撮っている。そのキャプションを100文字で完成。あすの配達で掲載の許可申請をする。

なるほどの議論

午前2時ごろから激しい雨になった。大雨注意の防災メールも着信した。
いま朝のやらねばならないことを考えても仕方がないから寝た。
若いとき「思い分け」ということを教えてもらった。それは、あることで悩んでいたとき「今、悩んでも解決しないだろう。それならば今は悩まないほうがよい」こんな処方箋だった。
こんな合点がいったとき発する言葉は3種類。午後のラジオで議論をふかめていた。
「なるほど」「おっしゃるとおり」「ごもっとも」
使い方がむつかしいと私が感じたのは「なるほど」目上と目下の関係で考えると。わたしの意見に高校生が「なるほど」と相づちで応えたら、わたしはよい気持ちがしない。
日本語をきわめることは至難だとあらためて思った。
糸賀社長とあった。拝借している小説に、社長が「なるほど」と合点できた箇所にマーカーがひかれていた。どうも読みづらくてしかたがない「読み終えるまで時間がかかりそうです」とマーカーの話をした。読書のとき片手にペンの癖があるらしい。
月末の週は集金があり、いつもより農園に戻る時間がおそくなった。やっと夕食や犬の世話をすませた。8時には布団にはいろう。

月曜日を終えた

月曜日、最初の配達先は岡本拓也さん。ご自宅近く春日神社前で行き違った「これから宇部の掃除に行きます」 と笑顔がよかった。
残間里江子さん(64歳)のインタビューは、相手の本音を引き出す力がありわたしの好きなプロデューサーであり司会をされる方。
午前のNHKラジオ。きょうは振替休日で残間さんの2時間番組になった。ゲストは中尾ミエ。人生の酸いも甘いも知り尽くしたおふたりの会話をうなずきながら聞きながら配達をした。
中尾ミエが白髪を染めないわけに残間さんが話題をむけた。
わたしの記憶では、中尾ミエがふたつの言葉を言った。
わたしは、そっちの(老化)方向に向いているから自然体がよい。
歳を重ねたら、鏡の自分に慣れること。
それから中尾ミエは水泳、俳句。中越地震の支援。東北を襲った津波の到達点にお地蔵さんを建立することなど多彩な活躍ぶりに刺激を受けた。わたしの身の丈にあったことをさがして、社会の役に立たねばならないと思った。
アルミ缶の回収でお手伝いしている厚狭の事業所に卵を届けた。明日のバザーで販売して少しの利益が出るよう卵でも協力している。休日ではあるが女性職員さんが卵を受け取りに出てくれた。アルミ缶をつぶして売りに行き年間約30万円ぐらいの収入になる。ハンディを持ち働くみなさんの給料の補てんと、慰安旅行の足しになりアルミ缶はありがたいとお礼を言われた。
ここで働く人の目的は、ここでわずかな収入を得ることではなく、社会に出て働いて自立すること。しかしたくさんハードルがある。そのひとつは過保護。薬でコントロールをするが、本人が薬を嫌がり親は味噌汁に薬を溶かしている。親がいなくなったらどうなるのか。など職員の悩みはたくさんあることの一端を知った。
美祢市でイノシンに人が襲われた。熊が目撃された。物騒な話題を聞きながら月曜日を終わった。
夕暮れのあと、早朝と懐中電灯を点けて犬と暗闇を歩くから気をつけなければ。

鳥田金から電話嬉しく

金曜日はまるまる1日休みをいただき、車の運転をまったくしない体験をした。
なにをしたか。おもに寝た。あとは読書。
きのう土曜日は爽快に朝をむかえた。昼に農園にもどり昼寝をした。
きょうは午後から3時間寝た。3日の合計昼寝時間は8時間をこえている。それだけ昼寝をしても夜は熟睡できるから不思議な気持ちになる。
腰のや肩のこりが治り、気分がよいし血圧もよい数値になっている。酒もうまいからよく飲める。
身体をしっかり休める大切さを感じている。
グレートトラバースが屋久島からはじまり利尻岳で最終をむかえた。それは昨夜の録画でまだ見ていない。

登山家で作家の深田久弥次が、品格・歴史・個性を基準に「日本100名山」をあらわした。その100座をプロアドベンチャーレーサー 田中陽希が移動は自らの脚と洋上はカヤックで踏破する驚きの挑戦。
先日、利尻岳をおえてNHKラジオに1時間、田中陽希がインタビューにこたえた。全行程7800キロを200日踏破。登った距離は10万キロと話された記憶がある。
新田次郎「劔岳」で、明治の時代、陸軍測量隊が踏破したルートを彼も選び山頂に立つまでの番組はみた。
うまれ持った筋力や体力はあるとしても、精神力は培わなければ備わらない。そういう意味で彼に拍手をした。
母の朝食がおわったころ着いた。4人部屋の介護病棟。みなさん介護5で寝たきり。母の夢のなかの出来事を聴いていたら隣のベッドのばあちゃんが「旦那さん」とかよわい声でわたしに聞いた「ここはどこですか?」ベッドに行き病院だと伝えた「病院ですか」と目をとじた。
昼寝からおきてトイレなど掃除。さきほど新倉敷駅前の焼き鳥「鳥田金」の趙さんから10年ぶりに電話をいただいた。74歳になり人生を振り返り感謝の毎日を過ごされているらしい。必ず会いに行きますと約束した。

テレビが面白い

先週土曜日。わたし夫婦は別府から松山に向かった。正志は、わたしが走る土曜日を無事に済ませてくれた。
きょう土曜日のお客さまから「病気かと心配しました」と何人かからお声かけをいただいた。
そのお一人。美祢市の黄正吉さん。先月、山口県韓国青年商工会が主宰して、第23回山口県韓国語弁論大会が開催され、一般の部に出場された。その長文の日本語とハングル文字の原稿を拝見した。よく挑戦されたと敬服した。
河村隆子さんは、第1回で出場されたと記憶している。

美祢市の魚屋さんに、仙崎で今朝あがった大きな鯖が数匹あった。そのうち一匹は口にコイワシをくわえていた。それを買い求めクーラーボックスで農園に持ち帰った。自宅に帰るまえ、家内が刺身などにしてくれ、明朝の煮物もつくってくれた。ちあいなどアラは今夜の犬たちご馳走になった。
Eテレ「100分de名著」を最近録画するようになった。
きっかけは「般若心経」のをみて、理解がすすんだ。つぎは「デジタル講座」これでタブレットの操作がサクサクになった。
今は「菜根潭(さいこんたん)」全4回のうち3回まで終わり面白い。
中国16世紀ごろの処世術。田中角栄・王貞治・川上哲治・吉川英治などが座右の銘とした。
人生を生きる深い心得がたくさんある。4回まで見てから本屋に行こうと思う。
23日午後9時。NHK総合テレビで。
高倉健という生き方。最後の密着映像100時間。
がある。多分、1年ぐらいまえ「あなたへ」を撮り終わったころ高倉健に密着取材したものが使われるのではないかと思う。
役づくりのため、プライベートは一切公開されていない。例えば高倉健が居酒屋で酔っている姿が公になると、役にはまらないという考え方だろうと思わされた。
あの映画の高倉健を生ききられたのだろう。

よく寝た金曜日

6時半ごろ正志が農園に着いた。
先週金曜日、はじめて山口市・防府市・新南陽市の配達をした。正志が農園をはなれている時間、農園の仕事が滞らないように段取りもした。
きょうも正志が金曜日をスタートした。おかげで私はゆっくり朝ごはんをいただき、犬もゆっくり散歩をさせた。
コーヒーを飲みながら本を読んでみたかった。糸賀社長から拝借している「村上海賊の娘」を読みはじめた。この本おもしろさは、しっかり瀬戸内海がわかる全体地図が冒頭にあり、次は主だった登場人物の紹介がずらりとされていた。
主人公「海賊の娘」村上景(きょう)は。悍婦にして醜女。嫁の貰い手がない当年二〇歳。本屋大賞受賞作でもあり、楽しみたいと読みはじめたら眠気がおきた。眠くて読めないから布団を出して寝た。約1時間も熟睡して目が覚めた。とにかく気分爽快。疲れが全部とれたような気分に嬉しくなた。
今度は本が読めた。上巻の半分ぐらいを読み終えたらお昼になった。家内が簡単な昼ごはんを作ってくれ缶ビールでいただいた。平日の昼ごはんを農園でいただくのは初めて。それから昼寝をした。
1時に起きた。やっぱり働かないと落ち着かない。作業服と麦わら帽子に長靴になり、日ごろ気になっている橋から農園まで傷んだ道を治すことにした。
ユンボと軽四ダンプにスコップを使い、砂利で道を補修した。しっかり汗をかいたから今夜も熟睡できるだろう。
河村隆子さんからメールが昨夜届いていた。
超党派国会議員5名と国会職員20時名で鍵山先生のご指導で国会掃除に学ぶ会を、河村建夫代議士主宰で、衆議院解散の前日にやれました。隆子さんも参加されたそう。朝日新聞20日版の4面にそるが記事になり載ったという内容。
河村建夫夫妻は、わたしが宇部掃除に学ぶ会をはじめたころ、学校がトイレ掃除を拒む雰囲気があり、便器の数が多い常盤公園トイレを勝手に拝借して磨いていたころ、公園近くにお住まいがあり「仲間に入れてください」と申し出られた記憶がある。トイレを磨くことだけでも異様に見られていたとき、それに国会議員夫妻がよくも仲間入りされたと驚いた。
三田市の香山さんから今朝のメールは転職。若くもない年齢の決断だろう。頑張れ!わたしも転機を計画している。

犬のニュースに思う

きのう中津市で、通学中の子供7人が首輪をつけた中型犬にかまれた。
わたしが犬と親しくかかわるなかで、このニュースをラジオで聞いて思うことがある。
たしかに犬を放してはいけない。これは飼い主の責任。
犬が突然子供にかみつくようなことは想像しがたい。
数年前、農園のちかくで飼われていた猟犬に子供が棒切れでいたずらをしてかまれた。犬は数日後に殺処分された。
今回、中津市の犬はどのようになったか。子供はかまれた意味を考えたのか。
とかく原因をつきとめないまま安易に幕がおろされる。
余分なことをあえて言うと。この犬が狂犬病予防接種を受けているのか否かをマスコミは騒ぐ。
わたしの犬は予防接種はしていない。愛犬家の義務違反。その理由はふたつある。
ひとつは、むかし「はなちゃん」を接種に連れて行き驚いた。注射液は何頭もの犬に同じ針でうたれる。その不衛生なリスク。
ひとつ。狂犬病は発症した犬にかまれて感染する。南米やアジアの一部に狂犬病はあるが日本国内にはまったく発症事例がない。接種の義務化はお役所仕事と薬品会社と獣医のなせること。
菊川の痒みでたまらない「はなちゃん」に薬を30粒の薬を届けた。ばあちゃんも愛犬もこの薬で助かる。
今年最後のフィラリア予防薬を配達の最後に買った。この月末に投与して今年はおわり。
明日は周南市の金曜日。正志が走ってくれるので、わたしはゆっくり朝寝坊ができるかどうか。日ごろ気になるができない仕事があるのでそれをやろう。温泉にも行きたいし。

母は元気で安心

今朝は冷え込む予報だったが、夜中に雲が出て放射冷却にならず7度で朝をむかえた。
朝参りをすませ境内で宝くじ確認の儀式。携帯電話で「みずほ銀行」アクセス前にくじをざっとみた。03と08が並ぶ1本を覚えた。昨夜の抽選ミニロトの1等は03・08ではじまった(やった!)と思ったが、そのあと3桁は外れた。
井上酒店に配達。店主の自家用に妊婦のステッカーを見つけた。確かに店主の腹は妊婦なみではあるが。もしかして若い嫁さんをもらっていたのか加藤茶のように。出てきた店主に「えらい元気じゃね」で会話をはじめた。お嬢さんが出産で里帰りされていることが判明した。
薩摩焼酎「明るい農村」の豪華なビンがあった。4000円ぐらいする。お歳暮によいかもしれないと、この酒の特徴を質問していたら「これより旨い、明るい農村がある」と奥から1本下げてきた。先月しぼった「蒸留仕立て」の「明るい農村」これをお湯割りにしたら甘い黄金千貫芋のかおりと味で「腰が抜けるいね」とジャパネット井上になった。しかし4000円より高いと困る。ところが、2570円と胸をはるところが、値段より味の満足度が売り物の時代遅れ。在庫数本らしい「買わせてください」と1本買い求めた。
小野田市内の住宅街。わたしの配達先に車をとめる場所は限られた路肩のスペースしかない。このスペースを生協の2トントラックがとまる。わたしの車と譲りあえば2台とめる広さはある。昨年、このトラックの茶髪の女性に声をかけた、わたしが着く前にどっかりスペースを占領駐車していた。くわえ煙草で伝票を確認中のするどい視線に「すみません、少し前に移動してくれませんか」返事もなくトラックを少し移動して私もとめることができた。以来、暗黙のルールができた。
きょうは私が早く着いた。彼女のトラックがとめるスペースをつくった。いつものように手をあげて笑顔の挨拶が余暇った。
水曜日の配達が終わり、農園にもどれば約10分。母のもとに行けば30分の場所。
過去は変えられないから、あとから悔いをのこさないように母のもとに行った。
母は夢の中。きょうは金光さんにお参りした。聞いていると岡山のご本部に参拝したらしい。夢でも岡山の旅ができてよかった。一緒に参った人を聞いたらすべて故人。

数年前、NHK「仕事の流儀」で、高倉健さんが紹介された数年前の録画がある。お線香の気持ちで観たい。

健さんの訃報

正午のNHKラジオニュースは、山口市内を移動しながら聞いた。総理の衆議院解散談話か国内景気判断がトップニュースと思っていたら高倉健さん訃報だった。このニュースあつかいこそ健さんへの花道だと思った。
健さん映画はほぼ全部をみていると思う。それぐらい任侠も不器用な生き方の健さんが好きだった。
とくに「ホタル」と「あなたへ」は、田中裕子とのめおと役がよかった。
中国大陸を舞台に「単騎・千里を走る」は中国人の子供とのシーン、寺島しのぶの役柄も忘れられない。
「あ・うん」は親友の妻にひそかに心をよせる役柄がよかった。妻役の寺島純子も健さんの心がわかっており絶妙だった。
寡黙でありながら、しっかり心を伝える健さんのご冥福を祈った。
糸賀社長から「村上海賊の娘(上・下巻)」をお借りした。今夜から読みはじめる。先日「しまなみ海道」の瀬戸内絶景が記憶にあるからよりおもしろく読めると思う。

メガネはチタンフレーム

ふた晩も温泉ざんまいと腹の皮がはちきれるほど食べて飲んだ。
けれども落ち着くのは、農園の寒い部屋で安い焼酎で暖をとり、ほどほどに食べて身体が冷えないうちに布団にもぐり込む。この生活リズムがちょうど良いことが外泊をしたらわかる。
月曜日のお客さまが2泊3日で大分県の温泉めぐりを、昔の同僚10数名とされた話をされた。
博多駅に集合して「ゆふいんの森号」で由布院。列車の車内で話し声がヒートアップしてほかの客からクレームがついたぐらい青春されたらしい。
混浴の風呂でも「みんなで入ればこわくない」を地でいったらしい。
昨夜メガネのフレームのネジが外れた。このメガネは10年ほど前に配達のとき拾った。ホコリで汚れていたが洗ってかけてみた。複数ある老眼鏡のなかで一番調子がよいので重宝していた。
わたしの時計を修理してもらった小野田市内の時計店(井上酒店の紹介)に修理にたち寄った。拾ったメガネだから「新品にされては」と言われたら安い品物を買う予定だった。これはよいメガネですねと言われた「拾いました」とは言えないから「そうでしょうか」とけんそんした。どこがよいメガネか知りたかった「フレームはチタンですから永く使えます。レンズに傷が少しあるが視野に影響はないから大切につかいなさい」と言われた。修理は無料だった。

さぁ!明日から頑張れる

夜9時過ぎから「道後温泉本館(坊っちゃんの湯)」付近で霧を舞い上がらせるイベントがあると夕食お給仕から教えてもらった。
この、私ら夫婦の部屋担当のお給仕さんは愉快だった。老舗の宿の部屋には創業者が遺した苦労話の自費出版が「読んでくれ」と言わんばかりに床の間に鎮座していた。わたしは装丁などに興味がありパラパラ見ながら「立派な方ですね」と社交辞令でお姉さんに声をかけたら「偉そうに」と吐いてすてるようにつぶやいた。その働く者の本音が愉快で焼酎を追加した。
坊っちゃんの湯は宿からすぐ近く。観光客でにぎわっていた。男湯は西と東、ふたつの湯船があり両方楽しんだ。若者や家族連れで本館近辺はたいそう賑わっていた。ドライアイスを使ったショーも観客うけがよかった。人力車や麦酒専門店などがあり楽しい温泉地だった。
今朝も4時前に起きた。朝風呂をゆっくり楽しんだ。
観光地松山はたくさん見るべきところがある。けれども、わたしの旅は旅番組とはちがい、わたしが一番行きたい場所を訪れることにしている。
初日は、九州国立博物館で開催中の故宮博物館の展示物を見に行こうと思って、作品を調べてみたら私には理解し難い「書」などがあり、限られた時間の1日で、背伸びをして台湾の展示物をみるより、大刀洗平和記念館を選んだ。
きょうは、松山市内の観光地はキャンセルして「しまなみ海道」1本に照準をあてた。
今治市から尾道市までの海道。その島を観光した。そのなかでも大三島の「大山祇(おおやまづみ)神社」は2600年の歴史があり国宝が数々あった。
村上水軍の歴史はあっても橋が開通するまでら観光客が立ち寄ることもなかったであろう島々には、観光バスや全国ナンバーの自家用が列をなして訪れていた。インフラ整備の重さを感じるなかで、地元お土産店の客引きにはうんざりした。
日常からはなれた2泊3日を過ごし、1年ぶんリフレッシュができた。
農園にもどる前に吉部八幡宮に、旅のあいだ母が健やかに日々をおくれたこと。農園の仕事が問題なく終えたことの御礼の参拝をした。
農園では正志がひとり黙々と作業をしていた。犬たちは尾がちぎれるぐらい喜んだ。
さぁ!明日から頑張れる。

道後温泉に着いた

別府市営「竹瓦温泉」が宿から歩いて近い場所にあった。たたずまいは古い日本建築でお寺を想像させる。何度も前を歩いたがお湯に入る機会がなかった。夕食あと、ほろ酔い機嫌で下駄をならして竹瓦温泉に行った。入湯料は100円。歴史がきざまれた黒光り板張りの床。大きな柱が何本も床から広い天井を受けとめている。
砂湯は1000円追加で楽しめるが飲酒客は厳しく断られる。
地域の人は安い料金で常連のよう。観光客も次々に来る。外国人も多い。番台の60歳ぐらいか?女性が英単語と身振り手振りと笑顔で入浴ルールを教える。その様子を見ているだけでも別府を感じる。
身体に染みついた習慣で今朝も3時に目が覚めた。宿の大浴場でゆったり朝湯をいただいた。
家内が正志に電話で「困っていることはないか」と聞いたら「全部順調」と答えたらしい。
別府港9時45分発の八幡浜行きフェリーに車をのせて道後温泉に向かった。航路は2時間半。佐賀関半島と佐田岬のあいだは関鯖や関鯵で有名な豊後水道。白波がたつ急流に漁船がたくさん揺られている近くをフェリーは通過した。
先日のテレビ番組「イッピン」で砥部焼が紹介された。松山ICから近いので砥部を訪ねた。
きょうの宿は、坊っちゃんの湯「道後温泉本館」のすぐ側。明朝6時の一番風呂に行きたい。

正志活躍しただろう

農園に正志が7時に着いた。金曜日から日曜日まで、農園作業と配達などすべてを任せてわたしら夫婦は別府から松山に向かう。
このために先日から山口市・防府市・周南市方面は2度にわけて早朝5時から配達ルートを教え、萩市から長門市に美祢市は、わたしの配達に動向させた。もちろん配達はいつもの宇部市内もある。
採卵・検査に仕分け。餌やりに鶏舎掃除など仕事のボリュームはある。犬の世話も朝夕ある。
わたしの心配は山ほどあるが、いつかは必ずやらねばならない私と正志の正念場。今回はその1回目。
細かい打ち合わせをして正志は農園から右に出た。私らは左に出た。八幡さまに参拝して、留守中の母のこと。農園全体のことを拍手にこめた。
甘木市近くの大刀洗平和記念館に10時まえに着いた。戦前から戦中ここには西日本最大の陸軍航空基地があった。多くの若者が沖縄などに特攻隊として散った場所。知覧ほどの知名度はなぜかない。
着いて入るとすぐ職員さんが「これからすぐに映画が始まります」と案内してくださった。よいタイミングに着いた。
映画のおかげで大刀洗基地のこと、基地で街がにぎやかだったことなどがよく理解できた。
記念館には、マーシャル諸島タロア島の密林で戦後発見された零式艦上戦闘機。
大刀洗基地から出撃して撃墜され博多湾の海底から引き揚げられた九七式戦闘機。
この2機が復元され展示されていた。ほんものから伝わる圧倒的迫力。
特攻にむかった若者が家族に遺した遺書・辞世の句・遺髪や爪が遺族から寄贈され展示され、幼い面影がのこる数多くの遺影には胸がくるしくなった。
この若者が命を散らしても守ろうとした国にならねばならない。また後世に語り継がねばならない。
昼は日田市の焼そば「想夫恋」昔から変わらない味を楽しんだ。
高速道路は使わないで秋の豊後路をゆっくり走った。2段の滝で景勝地、天ヶ瀬の「滋恩の滝」を撮っていたら背後の久大線を「ゆふいんの森号」が若くさ色の車体を超低速運転で、乗客が滝を撮影できるようサービス走行をした。車窓には外人などみなさんがカメラを向けていた。
山頂に雪をいただいた由布岳を左からまわり別府明礬温泉到着。今回は安くて湯の種類が多い「夢たまて箱」に立ち寄り湯。
海辺の北浜温泉の宿に着いた。
母の病院。正志からも連絡はなく安心して晩酌ができる。

選挙はいかがなものか

衆議院を解散の「風」がないとは言えない。自民党の幹部が語る。自民党が公約した、自らの身をけずる努力はまったくしないで、増税の風を巻き起こし、世間の景気はよくはならないで、財源を求めて今度は酒税。誰もがプレミアムビールを飲みたいが、財布と相談して発泡酒でこらえているのに発泡酒の酒税をあげようとしている。ならば禁酒すればよいか。そんなことではなく財源をすぐに酒と煙草にもとめる政治家こそが問題。安易な道を選び、国会議員の定数削減に手をそめない。政治と金の問題もなんとなく話題から消えた。
前山口県知事が辞めて県立美術館館長に天下りをした。退職金を2度いただかれるレールがある。
来月14日投票と言われているが、国民に何を問う選挙か、わたしには理解ができない。
木曜日の配達先で選挙を話題にされる方もおられた。解散を肯定される方はいない。つまり政治家は庶民感覚が麻痺しているように感じた。
痒みが辛い「はなちゃん」は、1日1錠の錠剤をばあちゃんが2錠にしていた。薬代を預かり獣医さんに「2錠でもええかね」と尋ねたら「それしかなかろう」と。たしかに、それしかない。来週30錠を届ける。
「よしの」は多忙を極めていると思う。奥さまが座ったまま寝ていた。月末は夫妻でおいしい料理を食べよう。泊まりで。ということになった。
寒い木曜日を終わることができた。

宝くじあ たらない

水曜日のスタートは神参り。抽選が昨夜あった宝くじ(千円分)を携帯電話で確認。それからウォーキング。今村さんのお宅。これが習慣になった。
今村さんご主人はこだわりの干し柿づくりをはじめられた。おおきな渋柿の皮をむいて、お湯にさっとくぐらせ表面を殺菌。あとは寒風にさらすが、その過程でさまざま工夫をされる。例えば暖かい日に雨がふると湿気でカビや雑菌がつくので冷蔵庫に入れる。完成までに手をかけてやわらかく甘味たっぷりの干し柿が完成する。
奥さまはいつものように携帯電話を片手に競技かるたの打ち合わせなど多忙。
隔週10個を届けるマンション。前回はご主人が玄関までエレベーターでおりて来て「取りに出るのが面倒だから宅配ボックスを使えないか」とぶっきらぼうに言われた。このマンションの宅配ボックスは子供のいたずらでロックされていることが頻繁にある。それは言わずに「1ヶ月で2回ですから、ご挨拶させてください」と話した。
きょうは奥さまがおりてこられたので「面倒ですか」と尋ねた。定年退職されたご主人はテレビの前で一日中ゴロゴロしているから、前回は「受け取りに行って」とテレビの前から離した。なにもやることを見いだせない主人に実は困っていると話された。
昨夜の「クローズアップ現代」は高齢者とペットがテーマだった。わたしに関係ありそうなので録画をして、今朝再生した。
この場合の問題は、溺愛するペットのため自身の病気治療に行かない。自分の食費をさいてペットの食費にあてるなど。
高齢化社会はさまざまな悩みがある。わたしはどう生きていくのだろうかと問われる場面が多くなった。
お客さまのなかで、わたしが存じ上げている山形県ご出身の奥さまが二人おられる。
NHKラジオ(すっぴん)で、山形弁の歌姫 朝倉さやさんを昨夜メールでお知らせした。山形から夜行バスに乗り、両親におくられて歌手を志して経つ場面を語られたとき、わたしは運転をしながら目頭があつくなった。さらにその場面を初めて曲にした「東京」配達をとめて、車をとめて彼女の世界を聴き、わたしの若いときの不安や頑張らなくてはと、親元を離れていた頃を思いだした。心が歌にできる彼女を1時間聴いた。
終わってしばらくして、ふるさと山形の空を思い出して胸があつくなりました。とメールをいただいた。
母を見舞いに行った。今朝、家内も立ち寄ったらしいことが会話からわかった。食事が待ち遠しい。夜はよく眠れる。それを聞いて安心した。

ラジオは面白い

脚本家の倉本聰さんが午後のラジオ番組「午後のまりやーじゅ」に1時間招かれて山田まりや嬢にもわかりやすく自身の主張を話された。
そのなかで「そうだ!」と相づちを打った場面はエネルギー問題。いまワイワイ「原発だ」やれ「自然エネルギーだ」すべてエネルギーをつくる側の視点で論じられている。
「北の国から」で、ほたるたち兄弟が北海道に行った日。ここは電気がないと父親がポツリと言ったとき「じゃあ夜はどうするの!」と兄弟が詰めよった場面。「暗くなれば寝たらいい」
これがエネルギーを「つくる側」と「使う側」の相違点になれば、この問題は簡単に解決できる。暗くなれば寝て、夜が明けたら動きはじめたらよい。

明日のラジオで期待しているのは、午前中の「すっぴん」山形弁の歌姫 朝倉さやさんが10時5分から1時間ご登場。

久しぶりに糸賀社長とお会いできた。会えたらお願いしたいことがふたつあった。
以前読んでおられた「村上海賊の娘?」2巻を貸して欲しい。
それと以前お借りした城山三郎「指揮官たちの特攻」をもう一度借りたいこと。
両方、来社の火曜日にOK。
日曜日のテレビ番組でイスラム国の脅威を軍事評論家が仮説をあげて話していた。
イスラム国に仲間入りしたアメリカ人が、アフリカのエボラ汚染地域にマスコミ取材を装い意図的に感染する。その後、母国にもどり都市で感染を拡大させて死ぬ。これもイスラム国のひとつのジハード。サリンなど科学兵器より強いと。
軍事専門家は、そこまでシュミレーションできることに驚いた。

配達のおもしろさ

犬たちは夕方に1食と決めた。昨夜、腹いっぱい食べたので朝は空腹を感じないのか落ち着いている。
月曜日は美祢市の山あい、谷ごとに集落を訪れる。高齢化とはいえ雨以外の日中は畑や山仕事に精を出しておりお宅は無人。長年ちなみを重ねてきて家の入りかた。冷蔵庫のどの棚に卵を入れておくとか、わたしを信頼してくださる。わたしの車が月曜日の定刻ごろ山あいを走る姿はみなさんどこかで見ておられる。
車検などで違う車(代車)でお宅に入ると畑から小走りで戻られる。わたしの愛車が地域のパスポートになっている。
きょうも卵を納めて、玄関の鍵をかけていたとき宅配さんが来た。わたしを家の者と思い荷物を渡そうとした。この場はなりゆきに任せて他人の受け取りサインをして荷物を受け取り、玄関に置いて施錠をしておいた。
山あいのお寺におおきな紀州犬の雑種が3ヶ月ぐらい前に来た。夜中に獣が徘徊するので番犬。
わたしを見ても吠えないがじっとにらんでいる。なんとか友達になれないかと近寄っても、その貫禄に圧倒されて触れない。
毎週「おい!」と声をかけながら距離を縮めた。先週は鎖が限界の場所で「おい!」と座って声をかけた。数十センチの距離で挨拶。きょうは怖いけれど鎖の範囲内に入り腰を落とした「おい!」と声をかけたら黙って静かに来た。わたしの体を鼻をつけてかいだ。背中をさわり、喉をなでてから頭に手をおいて撫でた。少し尾をふったので頭を抱いた。
やっと仲良くなれたので嬉しかった。来週からスキンシップが楽しめる。
埴生のお寺には身体の大きい柴犬がいる。勝手口の前で番犬体制。この柴犬は何度かパンを与えて仲良くなり、きょうもわたしを見たら尾をふり歓迎。パンはないけれど抱きしめてやった。
配達は、わたしのルールではなく、お客さまのあらゆるルールに気持ちよくあわせることが基本になる。
小野田市の大判焼きは売り切れたら看板。みゆきちゃんと家内の3時休憩に間に合うよう白あんを買い求め、タオルなどで保温をして3時に農園にもどった。みゆきちゃん、言葉は出ないが表情でわたしに「うまい」を伝えた。

母の機嫌がよく安心

4時半、小雨のなかを犬の散歩中に暗闇をひとすじ明るく照らして正志が来た。すでに洗面と食事は済ませていたので、散歩を済ませて周南市方面のお客さま宅を教えるスタートをした。
防府西ICまで高速道路移動。そこまでは先週日曜日に案内済み。そこをスタート地点にして国道2号線で椿峠を越えて周南市入りした。
まだ暗い住宅街の曲がり角の目印などを丁寧に教えた。
毎年11月、土曜日と日曜日を利用して家内と別府に行く。土日の配達は、お客さまにお願いして金曜日に済ませるか、1週お休みにしていただいた。つまり、その一泊で正志の負担は犬の世話ぐらいにしていた。
今回は、今週金曜日の朝から日曜日の夕方ま2泊で私ら夫婦は農園をあける。半年前に「いずれは正志がやる仕事だから」と計画を伝えた。
配達先を覚える正志も真剣。くわえて農園の仕事が円滑におわる段取りづくりもある。
わたしにすれば、金曜日と土曜日、日曜日の配達はさほど疲れない。月曜日から木曜日までは配達先の数と走行距離が、わたしの体力ほぼ限界になっている。それに比べたら。

正志に連日教えながら反省していることがある。
わたしが頑張り過ぎたこと。
配達が増えても、スタートを早め、帰りをどんどんおくらせ、休憩もとらない仕事をしていることが「良いこと」と錯覚していた反省である。
あとに続く者には驚くぐらいのボリュームになっている。つまり無理を強いることになっていた。
どこかで「もう限界」と手をあげて、人や車の補充を考えさせていたらよかった。
帰りは全線高速道路を使い9時前に農園に戻った。連日、余計に運転しているので腰が重たく、頭がぼんやりしていたが気をとりなおして母のもとに行った。
病院に着くと気が重くなり待合室の椅子に座る。母が「帰りたい」と哀願する場面がたまらない。
きょうは機嫌がよく「忙しいのによく来たね」と笑顔でむかえてくれた。会話が弾み「あんたがうまれたとき2500グラムで保育器に入れるかどうか医者が心配したけれど大きくなった」と、知らなかったことを話してくれた。
昼から布団を出して2時間寝た。

犬は1日1食にした

正志を7時に農園に来させて、土曜日の配達コースに同行させた。配達先の場所と納品ルールを覚えさせる目的がひとつ。
もうひとつは、正志が私に同行する半日。正志が農園でやる仕事を他の人たちで補うことによりみんなが新しい仕事を覚えるステップになる。
8時に山口市内の納品を済ませて、高速道路も利用して萩市の「常茂恵旅館」厨房で卵を納める場所。伝票を届ける場所。それから空の卵段ボールを回収すること。これは私が料理長に「回収しましょうか」とうかがったら「頼む」と返事をいただき卵の段ボールはすべて持ち帰る。違う業者の卵も使われるので、その段ボールもついでに持ち帰り焼却する。それを正志に教えた。
湯本温泉「大谷山荘」のルールも教えた。決まったプラスチックの箱と専用トレイが厨房の都合で使われる。卵の納入業者は他にもある。だから専用トレイや箱がたくさん洗われて出ていても、持ち込んだ数以上は持ち帰らないことを教えた。
他の業者は野菜などと一緒に仕入れた卵を納入されている。から箱があればおかまいなくすべて持ち帰る。私のほうは段ボールがあるので「すみません」と段ボール箱の納品をする。厨房の方にも事情を話し理解していただき、から箱争奪はやらない。
美祢市の個人(加奈ちゃん宅も)配達先も教えて農園に昼前に戻った。
ビールで昼ごはんを食べて昼寝。
1時から楽しみにしていた「海峡ランナーズストーリー」(なぜか録画失敗)をみた。
結婚33年目の「しみず茶房」夫妻が励ましあいながら5時間半で感動のゴール。奥さまはインタビューで自身の難病についても話されていた。
きょうまで私の愛犬たちは朝夕の2食だったが、きょうから夕方だけにした。理由は喜んで食べるそぶりがない。ハッピーは肥満体型になった。
明朝は5時に正志を来させて周南市の配達先を教える。

満月に照らされ散歩

昨夜は東からの月明かりで犬の散歩。今朝は西から明るく照らしてくれるお月さまで散歩ができた。
周南市を走り、さきほど農園に戻った。寒くなったので熱燗の日本酒がこいしくなり買ってきた。日本酒にするとてきめん体重が増えるからほどほどにしなければならない。
夕暮れどきに計トラ2台が農園側の川沿いにとまった。大きな話し声が聞こえて犬が吠える「どうされましたか」と歩みよった。
昨年8月。川上の集落で70歳認知症の男性が行方不明になった。最近、その集落の川から折れ曲がった自転車が発見された。行方不明の方の自転車らしい。それで川下まで捜索しているらしい。さすがに「見ませんでしたか」とは言わなかったが「なにかありましたら連絡ください」と電話番号を言われた。
なんと悠長な人たちもおるものだと驚いた。人が行方不明になり、大きな事件にもならない。警察に行きましたかと尋ねたら「事件性はないので」と。車にはねられたのかもわからないのに。田舎に監視カメラはない。
そのご老人がかわいそう。
明日は土曜日の配達コースを正志を連れて走る。

たくさんの嬉しい木曜日

京都大学への公安不法進入事件。が今朝のニュースでわたしは関心があった。というより大学自治と「不法」の構図がわからないというのが本音。
仮に、社会秩序を混乱させる計画をしており、それを自治の名を借りて公安から逃げるようなら「自治」はまったく成立しないのではないかと思った。
こんど藤野先生に、この場合の自治をご教授願おう。
嬉しい気持ちになることがたくさんの木曜日だった。
農園では猪が出てサツマイモが収穫できないことをご存じのお客さま二人から「どうぞ」とおすそ分けをいただいた。
唐戸の喫茶店「麦」のマダムから贅沢そうな飴を一袋いただいた。この飴は加奈ちゃんに「ダイエット飴」と説明して差し上げた。
ご長男が京都の大学に進学され、下宿先が太秦の私の長女に近い場所にあるお客さまから、週末に車で京都に行きますからお嬢さんに荷物があれば運びますよ。長女がご用をいただく金光教太秦教会は、先週が秋の大祭で家内がふた晩泊まりでご用奉仕に行ったばかり。ご親切なお電話をいただき疲れが吹き飛んだ。
痒みでたまらない「はなちゃん」に薬が効いて、愛犬ともども玄関で頭を下げられたばあちゃん。これから先も薬の宅配がわたしの役目。
牧君(神戸震災の避難所でご縁の宮崎弁)が、同郷の小月「茶房庵しみず」の奥さまが海峡マラソンを5時間半で完走されたお祝いをわたしが代理で持参した。
美祢の「よしの」は、盛況が続きご夫妻が疲れて火曜日と水曜日を休業されてリフレッシュされた。きょうも早い時間に完売になり、常連さんに申し訳なく思いましたとご夫妻。
加奈ちゃんは、先週は1日おきにイベント会場の販売依頼があり体力勝負の1週間だったらしい。小学生の長男がパンのラッピングを深夜まで手伝てくれた「拓ちゃんありがとうね」と夜中に声をかけたら「ボクの手伝いでもかね」と「ありがとうね」とウルウルしました足立さん!
いろいろお世話になっている獣医さんが欲しいものがあり、それはわたしが調達できるので夕方持参した。お金は要りません。たくさん助けてもらっていますから。
お金では得られないたくさんの嬉しい出来事の木曜日をぜんぶおわった。
KRYこの土曜日午後1時から1時間放送の「海峡マラソン・ランナーズストーリー」の清水さん夫妻タイトルは「一緒にゴールを目指す夫婦」

陶芸家の今村先生

観たい録画がたくさんたまっている。日がくれたら眠くなるのが原因かもわからない。

今朝は2時に起きたので、プレミアムシネマ「フライトプラン」を一気にみた。ストーリーはさほどとは思わなかったが、ラストシーンはよくつくられていて楽しめた。
朝ごはんにアジのひものを焼いた。換気扇を使うと部屋が寒くなるが干した魚は旨い。
西君の御霊様に参拝。私の配達を正志に段階的に移行する。そうしなければならないが、長距離の運転など心配がある「西君よ、御霊として農園を助けてくれよ」と頼んだ。
8時ごろ「加奈ちゃんがラジオに出た」と藤野先生からメール。加奈ちゃんから「原稿なしのインタビューで緊張しました」とメールが届いた。
今村さんの陶芸作品を販売する催しに木洩木(こもれぎ)がある。ここで今村さんの作品にほれ込んだ方が、今月13日に山口市佐山小学校前に蕎麦屋を開店する。お店の食器をすべて今村さんに任された。その話題で今朝は盛り上がった。今村さんは陶芸が生活の糧ではないから損得抜きの心意気で作品づくりに専念された。
わたしも、そのお蕎麦屋さんに行ってみよう。佐山小学校の前だからわかるだろう。
配達を全部すませて楠の温泉によった。40分つかり頭のさきから汗がでた。
農園にもどり、今夜は泊まりの家内に車をバックさせながらかけた言葉は「ビール!」

今朝は2度

今朝も3時まえに目がさめた。寒いので暖房をつけて布団で4時までまどろんだ。朝の気温は2度。

気になることがあり、確かめるために携帯電話のメモリー保存している文章を確認したら消えていた。長文の「自分史」入力も消えた。画像もすべて消えていた。画像は、前に使用していた携帯電話の画像もあり、元気な母や愛犬はなちゃんの画像もたくさんあった。大切な保存がすべてなくなり重たい気持ちの朝をむかえた。
それでも火曜日を元気に働き農園に戻った。もう一度、携帯電話のメモリーを確認したらすべて元どおりになっていた。不安定な気がするので今夜すべてタブレットに移しておこう。
眠りがあさい理由は、たくさんはない。母をとおして周囲に世話になりながらの命を、自分にあてはめて思うとき。
農園を去るときは、前の仕事もスッパリ辞めたようにする。
そのあとをどう生きるかを自分に問いかけるとき。
この二つ。
気ぜわしく1日が終わり、きょう初めてタブレットのニュース記事をこれから読む。

台風20号がお昼のラジオでは920ヘクトパスカル。6日ごろ小笠原諸島近くを北上するらしい。サンゴ密漁の中国人は港に避難するのだろうか。

宮崎物語

午後3時。小月の東行庵そば「しみず茶房(木曜日のお客さま)」に電話をした。木曜日までに尋ねておかなければならない理由が発生したから。
きのう海峡マラソンを完走されたかどうかを尋ねた「5時間半でゴールしましたよ!」タイムリミット6時間前に余裕のゴールをされた。

きのうの日記を牧君が読んで今朝メールが届いた「清水さんにプレゼントを頼みます」と。
実は、牧君の実家は宮崎市内で陶器店を以前は営んでおり、清水の奥さまはご近所だったらしい。といっても宮崎で互いの面識はなく、牧君が下関で仲間と仕事をしているとき私が「宮崎弁が通用する店がある」と「しみず」を教えた。それで同郷のご近所が判明した。
ある品物を牧君から預り農園で保管している。それをマラソン完走祝いに届けてくれとのメールだった。
だから、奥さまが完走されたかどうかを尋ねることが必要になった。

KRY山口放送。8日午後1時。
「下関海峡マラソン2014・海峡ランナーズストーリー」の1時間番組に清水さんの走りが紹介される。録画して牧君に届けよう。
満身創痍の太郎さん。内服薬の抗生物質10錠と、塗り薬の抗生物質で化膿と出血はとまり、食欲旺盛になり回復に向かってきた。わたしの愛犬だから傷口などは気にならないが、他人が見たら気持ちのよい顔ではなかろう。
明日の朝は3度まで冷え込む予報になった。作業場に入れると必ずシッコとウンチを太郎さんはするので外の小屋。敷物3枚を入れてビニールで入り口な風よけをつくった。

鯖と日本酒が楽しみ

2時半に起床。5時に正志が来るのでそれまでに済ませておくことがある。
最初は、昨夜の録画SONGS「中島みゆき」を見ることから。4時前に犬を起こして散歩に連れ出した「こんな時間に」と犬たちは眠そうに歩いてくれた。
パンを食べることはないが、今朝は忙しいのでトースト1枚と犬用の(安い)牛乳で済ませた。
いつまでもわたしが農園の仕事ができるわけでもなく、わたしの仕事を正志が引き継がなければならない。それは、わたしが病気や怪我などで引き継ぐことではなく、ランナーが走りながらバトンを渡すようでければならない。
金曜日の配達コース。山口市・防府市・周南市のお客さまを順番に従い、わたしが案内をする。日曜日の仕事に支障のないよう、5時に出て9時に農園に戻るように計画した。周南市は来週日曜日になる。
どこに車を停めるか。個々のお客さまとのルート。携帯電話番号やメールアドレスなどさまざま教え、わたしが危険を感じた場所なども加えた。
山口市から防府市に向かう国道沿い、栄作さんのカレー店は6時半に通過。すでに仕込みの最中らしかった。
9時に農園に戻り、正志は農園の仕事。わたしは母のもとに走った。
きのう長距離運転をして、今朝から4時間運転。母の往復は2時間。運転の疲れで腰が痛い。頭がぼんやり。
母はコンディションが悪く「帰りたい」と嗚咽した。眠くなるまで椅子に座り相手をした。
農園に戻るとき立ち寄った魚屋に萩の刺身にできるおおきな鯖がありクーラーに入れた。今夜、家内にしめ鯖をつくってもらおう。ならば酒。酒を買い紅乙(胡麻焼酎)の紙パック900ミリリットルが目についたので一緒に買った。
きょう関門海峡フルマラソンに「しみず茶房」の奥さまが走る(3度目)カメラが伴走して後日「熱血テレビ」で紹介される。走りやすい髪型になりやる気だった。来月は故郷の宮崎県青島フルマラソンも走られる。
明日からの仕事、わたしも頑張ろう。

宇部は宝くじ聖地

つい先日、オータムジャンボ宝くじ「3億円」が、大当たりレジェンドを更新している井筒屋そばの売り場から出た。
昨日、自宅近くで1年まえにジャンボの一等が出た売り場で「ロト6」1億円が出た。
まさに宇部市は宝くじ聖地となった。
つぎは、昨年末に7億円が出た阿知須の番かもわからない。

きょうは午前中に250キロ走った。山口・萩・長門・美祢から下関。さすがに疲れて、農園で缶を2本飲んで2時間寝た。明日は早朝5時から走る予定がある。

土曜日の楽しみは、山口から萩まで(8時から9時)まで聴くラジオ文芸館(短編小説の朗読)きょうは「本番スタート」
映画の撮影現場で小道具づくりで働く年輩の男が主人公。
若い俳優や監督から、小道具について叱りつけられながらの毎日。働く姿は、家族には見せられないと常々思っていた。
作品を聴きおえてふたつのことが心にわいた。
わたしの映画は、俳優が演じるストーリーばかりを観て良し悪しを感じていた。けれども小道具、大道具などスペシャリストの裏方があればこその名作だとわかった。

幸せいっぱいの主人公の作品があるのだろうか。
どこかで挫折したり、大きな困難に立ち向かうのが主人公。
そのなかで活路を見いだすストーリーが、わたしに勇気をあたえてくれる。
つまり、私は私の人生物語の主人公であり、一生懸命に生きなければならないと思った。

付録
宇部市は石炭で栄えた。小学生の頃は市の人口20万人以上。高校生の頃はすべて閉山して14万人ぐらい。栄華をきわめた炭鉱住宅(炭住)近くに、当時の芝居小屋が映画館(見初映劇)になり細々とやっていた。
部分カラー映画は、エロ映画のそのときだけ総天然色になる。他はモノクロ映像。
高校生に見られないように作業服を着て何度か社会見学をした。
芝居小屋の観客席にはだるまストーブがあり、酒を飲みながらおじさんたちがスルメを焼いて映画をみる「ええ乳せちょる!」とかけ声がかかる。
女性が子供を連れて入場していた。映画のタイトルは覚えている「いそぎんちゃく」カラー映像場面になったとき子供が声をあげた「母ちゃん、なんしよるんかね?」観客は母ちゃんの返事を待った「寝よってそ」大爆笑になったよき昭和。