月別アーカイブ: 2015年1月

母は1月の命をいただいた

母はみなさんの手厚いお世話で1月を過ごすことができた。昨年7月、容体が悪くなり現在の病院に入った。見た目も数値も悪く、京都の長女は「会話ができるときに」と急きょ見舞いに帰った。
年末まで、正月まではとわたしの神参りをした。
2月は母の誕生月。誕生日のお祝いができることを、わたしの祈りの内容にさせていただく。

8時からラジオ「耳で聴く短編小説」をタブレットで聞きながら山口市から萩市までの山越えルートを走った。
ラジオは、小学生のとき同級生の母がアメリカ人シングルマザー。泊まりに行った夜、ベッドの彼におやすみのキスを頬にした。それはアメリカでは日常であっても、ブルーの瞳で白い肌、奇跡のような美人からのキスで少年は「いつか結婚したい」と強く思った。
それから月日はながれ、彼は成りゆきで結婚した女性と離婚。会社は倒産して40歳。
いま何をしなければならないかを考え続けたあげく、60歳はこえた初恋の彼女に結婚を申し込みに仙台に行く。短編小説とはいえ男と女の心模様に聞き入った。
美東から秋吉、急な下り坂の難所「雲雀峠」の手前から、ラジオが聞き取れないほど大粒のアラレが車の屋根を叩き、車間距離をあけている前を走るトラックのわだちが雪で平らになるほど激しい降雪。
12月に冬タイヤを装置して、先日の木曜日に走行が一万キロを越えたのでタイヤローテーションをした。雪の下り坂は安定走行できた。

昼ごはんにロング缶を飲んで1時間昼寝ができた。
「朝まで生テレビ」を3時からみて(イスラム国)寝不足が解消した。
イラクに介入したアメリカ。その後のイラク統治が不安定だからの現在だと思った。フセインが健在なら安定していたのかもわからない。

汗をながした金曜日

金曜日は正志が周南方面を走ってくれるようになり昼寝で体力充電になっている。けれども、きょうは目的があった。
イノシンが農園内で土を掘り返してミミズを食べるようになり、夜中に水道管凍結対策で排水に鶏舎をまわるときは危険でもあり、なにより掘り返した地面を平らにしないと草刈りが春からできない。その整地作業だけでもユンボで相当な時間を費やす。
一昨年、下関市のお客さまかは使い古した漁網が手に入るところを教えていただき、軽トラック荷台に山盛りの漁網を手に入れ、昨年の秋に農園周囲に鉄筋を打ち込み漁網でバリアを築いた。その効果はあり、このシーズンイノシンの侵入はない。さらに強力な万里の長城を築くために漁網を獲得に軽トラックで下関に向かった。
長府の功山寺から山道をあがった山のなかで廃棄された漁網を集めて再生する場所がある。テントが事務所で電話はない。行ってみなければ目的が果たせない。9時過ぎに着いたら誰もいない。小雨だから仕事はできないからだろうと判断して長府に戻りコーヒー。雨は1時間であがり行ってみた。作業の人がおりお願いしてOKをもらった。
雨で重くなった網を手繰り寄せて荷台に積む作業は重労働。腰が痛くてたまらない作業を約1時間続けて、数キロメートル分を積み終えた。
このまま農園に戻りビールで昼寝をしたらよいと思いながら、やっぱり母の顔は見て帰ろうと農園を飛び越えて病院に行った。
昼ごはんを済ませて、窓越しの陽射しにまどろんでいた。
霜降山の温泉に立ち寄り疲れを流し、温泉側のお豆腐屋でできたておぼろ豆腐を買った。
よく働いた金曜日が終わった。

木曜日は気合いで

木曜日の配達は約10時間で250キロを走る長丁場。6時半に満載の卵を積んで走りはじめる。小月のレストラン「卯(うさぎ)」から配達が始まる。
今朝の到着は7時半。スタッフ勢ぞろいで忙しく動いておられた。
長府の近道、JR踏切工事が終わり、通勤渋滞の2号線から迂回できるようになり渋滞ストレスから解放された。
散髪が生業。鉛筆画教室はボランティアで主宰。百姓もやる。中山さんが安納芋を、ヤカンの底に小石を敷いて石油ストーブで石焼き芋を「足立さん」に、と朝から焼いて下さり、運転しがら食べたその甘さは疲れが癒された。
ギャルソン美容室に着いたら若い女性スタッフが「足立さん見たよ!いいね!をしましたよ」は、加奈ちゃんフエィスブックに私が先日登場したらしい。午後から配達の加奈ちゃん「足立さん。いいね!が150以上あったよ」と加奈ちゃんスマイル。その意味が理解できないわたしは困った。
フエィスブック・ブログにツイッターを加奈ちゃんに教えてもらいたい。

勝負をわける心理戦

八幡宮の参拝をおえて、水曜日の最初の配達は今村夫妻宅。
月曜日のラジオ番組「競技かるた」が話題になった。
名門かるた強豪高校が劣勢に追い込まれたとき、試合を見守る部員が「私たちは○○高校だ」と小さくつぶやいた。相手の心が乱れて勝負の空気が変わった場面が番組で紹介された。

美智子奥さまもカルタクィーン時代、現在もかるた名人との名勝負。その最後の場面で名人が小さい声でなにやらつぶやいた。そのつぶやきに平常心が乱れて負けた思い出があると話された。
専修大学野球監督をされたご主人も、ここ一番の場面でコーチボックスから相手バッターの心がさわぐような一声、たとえば次の投球について声を出す。応援席からも「がんばれ」ではなく、相手チームが「?」と思うような声援で一瞬構えを揺さぶる。
野村監督のぼやきは試合の空気を変えた。とぼやき肯定をご主人がされてよい勉強をした。

まさに心理戦も勝つための条件のひとつになる。

その心理戦。イスラム国人質。事件が報じられたとき「自己責任」と日記に記した。今もわたしはそう思う。
無事に解放されたほうが勿論よいが、そのことで日本政府が、危険地域と知りつつ自分の目的を果たす(ビジネス)ため赴いた人に労力をはらわなければならないのかが私には理解できない。
マスコミも、なぜそうなったかのほうを報じる責任が大切だと思う。
時差でシリアやヨルダンで動きが出るのは日本の深夜になる。日本国民にとり大切な国会開会中でもあり政府関係者の疲れが心配になる。

農園の木々に物語

JR湯田駅に近いおばあちゃん。広い庭で一年いつも草木の世話が生き甲斐。わたしは、草木は人の手をいれない自然が一番美しいと思い、草木も生きるのに都合のよい形になると思っている。見栄えを求めるのは人間の感性でしかない。
ハナミズキが庭の隅で育っており、落ちた種が数年で1メートルぐらい大きくなり「掘ってかえりんさい」と毎週言われるのでスコップを持参した。
マッカーサーが本国帰国を命令され、日本を離れるとき赤坂の乃木邸にアメリカハナミズキを植えた。それが巨木に育っているらしい。マッカーサーは幼少の頃、乃木大将の二百三高地攻めを父親と滞在して見た。明治天皇崩御で腹を切り夫妻で殉死。尊敬する日本人の一人だったらしい。
夕方、移植したハナミズキの周囲はサザンカやツバキにサツキがある。これらは市町村合併で小郡町役場周辺が大規模に整備されるとき、それまでは手入れされていたがユンボで掘られゴミになる運命になった。その植木の命を守ろうと数名が工事現場に入り植木を自分のトラックに積みはじめた。わたしにも「来い」と電話があり軽四トラックで行った。どんどん捨てなければ工期に影響を心配する若い現場監督が我々を排除しようと怒鳴る。そのとき作業のおばさんが「捨てに行く手間より、持って帰りたい人にあげたほうが早く片付くとは思わんかね」と監督と我々の間に割って入った。おばさんが利に叶っている。30分の停戦協定が成立した。
ユンボオペレーターがみなさんのトラックにどんどん掘ってのせた。わたしは軽四だからたくさんは積めなかった。あれから10数年、ほったらかしで元気に育っている。ハナミズキも、あとは自力で育てばよい。
昨年の今ごろ、今村さんの自宅で育っている「ぽぽう」の苗木を2本掘って農園に「実がなったらヨーグルト味だから」と持参された。1本は枯れたがあとの1本はついた。
農園スタートのときお祝いでいただいた「朴」は巨木になった。
お掃除仲間と川土手に植えた約20本の佐伯桜も成長している。
10年後の成長は見ることができないかもわからないが、育ちたいように枝を張ればよい。

立ち寄り湯でポカポカ

昨夜は楽しい時間だった。西山君夫婦は3月に二人目のお子さん(姫)が誕生の話題。
ぎじろくセンター退職された熟女お二人もそれぞれ目標に向かっておられる様子を聞かせていただいた。
猪肉は脂身がしっかりついたばら肉。鍋も焼き肉も旨かった。最後は牡蠣の炊き込みご飯。
農園生活をはじめて数年経ったとき、台所から浄化槽につながる溜めマスの蓋が押し上げられた。押し上げたのは得体がわからないチーズのようなかたまり。それは脂肪や油が着いた食器などを洗剤で洗いおとしたら、油・脂が洗剤と結合して固まることを知った。
いまは油は洗う前にペーパーで拭き取ってから洗剤で洗っている。みなさんを見送り、私が猪肉の脂をペーパーでまず拭き取る。家内が洗う分業。終わって飲みなおし。風呂は入らず寝た。
息子年代の西山君。会社を辞めてもおつきあいできる元の社員さん。うれしい夜だった。
今朝のラジオ「すっぴん」10時から1時間、競技かるたがテーマと8時過ぎの番組案内で知った。車を路肩に停めて今村カルタクィーンにお知らせメールをした。
クィーンからすぐに返信が届いた。
自由学園でかるた授業があり上京中。田口くんから「ラジオ出演」と聞いていたが詳細わからずありがとう。

その田口くん。高校生にかるた指導をして、連続日本一に導いた指導者とラジオを聞いて知った。畳の格闘技クィーンはそれ以上の貫禄だと理解できた。水曜日の朝はペコペコしておこう。
雨の月曜日。配達を終えて帰り道「くすくすの湯」に立ち寄り湯をした。

今夜はシシ料理

ガソリン価格がどんどん安くなる。
いつものガソリンスタンドは価格競争に加えて、給油が終わるとスロット抽選がはじまり1日数人の確率で当選がありガソリン単価が自動的に3円安くなる。そのスロット抽選が今朝で連続3回当選した。単価は119円。このツキが去らないうちに宝くじを買った。
母は介護病棟で細やかな介護を受けている。お茶や水をあまり口にしないので、水分が補える少し甘いゼリーを孫のような女子職員さんがスプーンで口に運んでくれ、喜んでカップに一杯のゼリーが喉をとおった。
今夜は小野田から西山君夫婦が来てくれることになった。
前の会社女子社員さん二人も偶然来てくれる。
1週間前、美祢でわけてもらった猪肉2キロを鍋と焼き肉に家内が料理中。

土曜日は萩

萩市から長門市に向かうとき、山陰自動車道の一部開通区間がある。旧道は山越えの難所で冬は特に凍結の厳しい「鎖峠」を越えなければならない。部分開通とはいえ時間短縮と安全面に貢献している。
「道の駅 萩・さんさん三見」はこの道路にある。日本海に浮かぶ島々。漁をしている漁船などパノラマ絶景ポイントで、きれいなトイレと地元の食材売店もあり立ち寄る人は多い。
今朝、車をおりて日本海を眺めていると葬儀参列らしき人が、数台の乗用車からおりてきた。何人もが携帯電話で話していた。ご婦人が歩きながら「三見の家に着いたら電波が届かないかもわからんからね」
河村建夫先生のご生家はこの三見と聞いている。えらい山奥で育たれた。
Eテレで福祉がテーマの番組があり先日見た。
被災地神戸で「NPOよろず相談室」に関わる、高校で数学を教えておられた方が、東北の女川で建設が始まった復興住宅を視察されている場面から番組は始まった。
神戸では自宅再建ができない高齢者約7千人のために「HAT神戸」なんの略称か忘れた。を入居させるために鉄筋コンクリートの公営住宅がつくられ、老人たちは以前の住所は考慮されない抽選で入居した。
玄関(鉄の扉)を閉じて孤独な生活がはじまり、人生の終わりも日にちが過ぎて発見されることもある。そこにNPOが介在して、訪問見回りをしている。東北被災地の復興住宅でも同じ課題が出てくる。
いま神戸NPOは、空室を大学生に貸し出すよう市に働きかけをしている。月額は約3万円と安い。入居した学生には「自治会活動」に参加の条件はつける。老人の生活環境がかわると数学者は考えていた。
建物が整備されたら復興を遂げたのではない1面を勉強できた。

土曜日。早朝の冷え込みから働いたが、お昼には仕事を終えてゆっくりできた。
正志が力をつけるには私は後ろ姿を見ておること。

骨休め金 曜日

金曜日は、昨年11月から正志が走ってくれる。金曜日と日曜日の朝はゆっくり犬たちと歩き、コーヒーを飲みながら朝刊各紙を指先でめくる。
タブレットの写真は、以前の携帯電話メモリーなど撮りためた画像が未整理のまま雑多に入っている。
フォルダーで分類すれば、母に見せて楽しませることができる。
その画像整理が容易にできるアプリを見つけて、数日前から仕分けた。
看護師詰所で椅子を借りて母のまくら元に腰をおろした。
数年前、いまより元気な頃の母を携帯電話カメラで撮った画像をスライドショーで解説しながら見せた。電子紙芝居に母は上機嫌になった。
部屋の窓から、大型船舶が行き交う周防灘の向こうに、国東半島や耶馬溪の山々が間近に眺めることができる。
けれども、ベッドの母の視線には窓枠下のコンクリートの壁が見えるだけ。もう数十センチ窓枠が下がるかベッドが高くなれば毎日が楽しいだろう。椅子に座り母の目線になってみてはじめてわかった。
霜降山温泉「上の湯」に立ち寄り、かけ流しのお湯をゆっくり楽しんだ。
午後は布団を敷いて昼寝もできた。

木曜日を元気におわり

きのう水曜日は吉部八幡さまの朝参り。
金光教は戦後、神社神道から独立した。終戦まで国家の神道に名を連ねていないと認められなかったのかもわかならい。詳しいことは知らない。
20年ぐらい前までは、金光教の儀式も神道の作法が踏襲されており、私も神前に大祓詞や天津祝詞を祭主(教会長)先唱にあわせて唱えていた。長文の大祓詞もほぼ丸暗記しているが、同じような詞のヵ所があり、その部分で間違えたら延々と終わらないエンドレス。その笑える体験もある。
水曜日は、短い天津祝詞を朝参りで無難に唱える。藤野先生のおかげで、大祓詞や天津祝詞の内容は古事記であることが最近わかった。
天津祝詞を唱えて神様に向かう心が整い、わたしの1週間ぶんの御礼を申し上げる。
母の1週間、命の御礼を申し上げ続けて母は今日までの命をいただいてきた。その実感はある。
愛犬「はなちゃん」21日が3年の命日。墓に線香を供えたあと、祖霊殿の神様になられた西君に「はなちゃんを頼みます」と手を合わせた。西君のことだから大丈夫の実感。

木曜日の下関。風邪引きのお客さまが多かった。
老夫婦(松村御大ご近所)のばあちゃんが、健康体操で足を骨折してなんとか治った。2日前、じいちゃんが朝の起床で「痛い!」と悲鳴をあげた。救急搬送した結果は、骨盤の圧迫骨折で入院になった。自宅は坂道。ばあちゃんは病院に通うためタクシーの料金が生活費に加算される。きょうの卵代を払う財布がどこにあるのかわからない気持ちは混乱。
加奈ちゃんは元気いっぱい。自宅でパン教室。若い奥さまたちが生徒さん。若さはまぶしく感じる。
完売御礼の札「よしの」でいろいろ談義。イスラム国人質の日本人は、スキー場の越えてはいけないエリアで遭難した人と同じ。というわたしの気持ちに「よしの談義」が長引いた。

血圧はほぼよし

水曜日の最後、きょうは定期的な血圧診察日。この時期にすればまぁまぁの点数をいただいた。
先日の神戸で香山さんが「ボクは米は食べずに菜食にしました」その効能をテレビショッピングのように話してくれた。年末から飲み過ぎて体重が増えたので、酒はウィスキーお湯割りのみ。ご飯は弁当だけ。肉はやめて魚と野菜にしていた。香山さん力説のとおりかもわからない、徐々に数値はよくなっている。わたしのことだから出されたら肉も日本酒もOK。
県セミナーパークで著名な講師がテーマ別に県民を対象に講座「人づくり」が催される。抽選だから受講をのがしたこともあるけれど著名な講師、幕末から維新など、関心のある講座をたくさん受講した。半月ぐらい前講座の案内メールが届いたが講座名を見ても「ふうーん」ぐらいで申し込みはしなかった。
きょう数学の藤野先生から、その講座の講師を「僕は好きです」と短いメールが届き、申し込む理由ができたので受講抽選に申し込みメールを出した。以下がその内容。

■環境学習講演会「ほんとうの環境問題」
【講師】生物学者・早稲田大学教授 池田清彦氏
【日時】平成27年3月8日(日)14:00〜15:30
【場所】山口県セミナーパーク 講堂
【定員】300名
【申込期間】平成27年1月19日(月)〜2月20日(金)必着
【問合せ先】環境学習推進センター 083-987-1110

▼お申込みは山口県ひとづくり財団HPから

大寒の火曜日

1時過ぎに目がさめた。4時間ほどしか寝ていないので早く寝ようと思うほど目がさえてくる。
最近、1週間配達するお客さまの中でご不幸が続く。配達とはいえ長年のお付き合いで、ご家族がその悲しみや悔いをわたしに語られる場面がある。そんなときは時間を気にしないで聞かせてもらうことにしている。
老夫妻のご主人が、近くの店で久しぶりの同窓会があり「帰りはタクシーで帰るのよ」と奥さまに言われて、歩いて会場のお店に行った。毎日1万歩以上歩く日課で足は達者。同窓会が終わり酔い醒ましと思い歩いて帰宅の途中、国道を渡るとき27歳女性が運転する車にはねられた。足・骨盤に肋骨を損傷して集中治療室に搬送され「奥さん。数日は携帯電話を持っていてください」と医師から告げられた。奥さまは「あれだけタクシーと言ったのに」と嘆かれた。意識が回復した本人は動けないベッドで事故の顛末を聞かされ「すまんことをした」と27歳を気遣う。
ご主人は運転免許を取得したことはなく、夜道を運転する立場がわからなかった。ご自分の過失を100パーセント認めているから、女性の過失は少なくなるかもわからない。そうあってほしい。
そのうえでご主人が歩いて帰宅した気持ちも推し量れる。年金生活のなかで同窓会、30分で歩いて帰れるなら節約しよう。わたしならそう思うだろう。
2週間まえご高齢のおばあさんが亡くなられた。ご葬儀の時間に配達に行きご不幸がわかり配達しなかった。きのう奥さまにお悔やみを申し上げたら「尊敬していた母(義母)でした」と涙をこぼされた。嫁いでこられて、さまざまな葛藤のなかで「尊敬する」とまでの関係になられた人生は楽ではなかったろう。
お客さまの事故や葬儀の出来事を、わたしなりの思いかたで想像しながら朝を迎えた。こんな夜もある。濃いめのコーヒーで元気に火曜日をスタートした。
火曜日は糸賀社長がわたしを待っていてくれる。鹿肉を持参で定刻に着いた。美容業のため、特にヨーロッパを頻繁に歩いておられるからフランス・イギリスにドイツなどのイスラム教について考え方をもっておられる。その理由を聞かせていただくわたしの耳学問。
睡眠不足は仕事も血圧にも影響なく大寒の1日を終えた。

下関掃除に学ぶ会200回

月曜日は岡本拓也さんのお宅から配達が始まる。
今朝も私のために玄関に暖房機が置かれて暖かい。拓也さんが「きのう下関掃除があり、200回目でした」と教えてくださった。
確か第1回は桜の名所、戦場ヶ原(忠霊搭)の便所だった。それに参加をさせていただいた。あの頃は、鍵山先生から「清掃十訓」を習い参加者で唱和して始めた。特に掃除の手順や道具はゆるやかなルールはあったが、リーダーの心構えは「人の心は、目に見えたとおりに整う」だった。だから「揃える」ことは徹底した。
掃除の道具を揃える。長靴など履き物を揃える。揃えたら心までも揃うことがわかった。
下関を主宰された松村御大は、たくさん心磨きの研修や読書もされたあげく、便器を磨き自らの心を磨く鍵山先生の弟子に加わられた。毎月1回のペースで200回。
神道は教義がなく、見方によれば頼りない。国宝級建物は釘が使われないからゆるゆる。それが免震建築になる。
下関は御大の「ゆるゆる」精神が真柱にあり、それゆえに誰もが楽な気持ちで参加できる。私はそう思っている。
糸賀社長から「鹿肉と猪肉が手に入らないか」と頼まれ、先日猪肉は手に入れてお届けした。きょうは鹿肉を美祢で手に入れた。明日の朝お届け。
京都・神戸の疲れ。たぶん人混み疲れがきょうから出てきた。

母にほめてもらった

映画「一枚のハガキ」が先日BSであり、内容を知らないまま出演(大竹しのぶ)が理由で録画をした。
岡山県の山奥、その日の食べ物に困るような貧しい農家の長男が、売られていく定めの女を、一枚しかない田を売り嫁にした。直後に赤紙(召集令状)が届き南方で戦死。老夫婦と若い嫁が残された。生きていくために、町に出ていた次男を老夫婦が説き伏せて長男嫁と再婚させて、田を借りて生きる糧を作り始めた。そこに召集令状が届き次男は沖縄で戦死。老夫婦は相次いで他界(婆さんは自殺)。
どん底に落ちた嫁(大竹しのぶ)が絶叫する場面は圧巻だった。
このような場面が戦争で日本の各地であったろう。
戦死の報が届き、兄弟と再婚した嫁。戦後数年して戦死したはずの夫が復員し悲劇がおきた話は実際に聞いたことがある。
戦争はすべての人に不幸をもたらす。

きのう岡山市内で泊まり、お参りしたい金光教の教会があった。もう20年ちかく先生にお会いしていない。岡山駅から宇野線早島駅からの行き方も調べた。
けれども、金曜日と日曜日の朝は母に会いに行くと決めていた。母は曜日はわからないから1回とばしてもわからない。親のことをおろそかにして神参りしても意味がないと思い農園に戻った。
今朝の母は相変わらず妄想の話に終始したが、別れ際に「あんたは親孝行してくれる」とつぶやいた。

20年神 戸

牧君と朝4時半にホテルロビーで待ち合わせてJRで三ノ宮駅に向かった。始発電車の車内は通勤時間ぐらいの混みぐあいで、そのほとんどが三ノ宮駅で降り、寒くて暗い歩道を東遊園地に向け静かに移動する。歩道橋もぎっしり人の波が動く。幼い子供、車イスの人、ご高齢の人、これだけの人々が5時46分の時報をめざして、心をひとつにして歩みをすすめる姿には鳥肌がたつぐらい感動をおぼえた。
路上で使い捨てカイロを無料で配る心遣いのグループもあり気持ちがあたたまった。公園のどこがメイン会場なのか人混みでわからないまま、人々の頭が向いているほうに向かって立った。これだけの人々が静かに放送される時を刻む音に耳をすませていた。時計の音がその時間を告げたとき「黙祷」と静かにアナウンスされ群衆は脱帽し合掌をした。周囲からすすり泣きや、小さく嗚咽される声も聞こえた。
厳粛なこの時間、この場所に立ち会えてほんとうによかった。
わたしは、兵庫区浜山小学校避難所で、発災直後19日から避難所が解散された4月末、区切りの復興祭まで地域のみなさんと生活を共にして、困難をきわめるなかで、被災された人たちが生き抜く精神力を目の当たりで学ばせていただいた。それがわたしの背骨になった。
その浜山小学校避難所ボランティアの拠点となった場所は、倒壊した金光教岬教会。教会長の福原師が教会家族の世話と地域避難所の運営に尽力された。
きょうはその金光教岬教会で午前10時から震災後20年、お亡くなりになられた全霊様の追悼。命が助かり、今日まで生活の営みができたことを神様に御礼の祭典が仕えられ香山君も三田市から参拝され再会が叶った。
京都から神戸。わたしの人生、ひとつの区切りができた。

京都から神戸

新山口駅から「のぞみ」に乗車。約2時間で京都駅に着いた。新幹線に乗ることがない私が驚いたのはスピードと座席の下にパソコンや携帯電話の電源が備わっていたこと。揺れも騒音も少なく快適だった。
長女の照美さん夫婦がご用をしている金光教太秦教会に初参拝。毎日、私の母や家族に農園を祈念してくださる先生(照美さんの主人)に御礼を申し上げた。子供3人は学校などで留守。照美さん夫妻と昼ごはんをいただき、わたしの念願、三十三間堂拝観が照美さんと二人でできた。想像どおりの厳粛なたたずまいに背筋がのびた。
ここで照美さんと別れ、京都国立博物館を訪ねた。彫刻・絵画・陶器・刀剣など目を見はる展示物をゆっくり観賞できた。
明日の早朝、天皇陛下ご臨席。神戸三宮の行事に参加するため神戸に着いた。今夜は宮崎弁の牧君と合流予定。
何年も前から、20年目の神戸に行きたいと願いをたてており、その前に神参りも叶い、充実した1日になった。

よしの談義

長府駅近くの山陽本線踏切工事がはじまり約1年。そこが通過できないから通勤ラッシュの国道2号線で時間を消耗する。今朝は雨も手伝い少しの距離が40分もかかった。踏切工事は今年3月終了。毎週木曜日、この渋滞がストレスだから踏切工事を見に行った。なんのことはない、工事は完成して通過できる。歩行者に聞いたら11月に早くできたらしい。それを知らなかった落胆と、来週からスイスイ走れる嬉しさを感じた。
レストラン「卯」の金刺オーナーシェフが厨房におられた。少し会話ができた。同業の店や同業者の悪口は言わない。同感の相づちをうった。
先週「もう長くはない」と愛犬「はなちゃん(18歳)」のようすをばあちゃんが話された。わたしは1年ぐらい犬の数々の病気に、わたしの愛犬と同じ名前と年齢が理由で付き合った。皮膚病の原因を確定するために、セロテープで患部の皮膚をとり獣医さんに判断してもらい、痒みをなくす薬も処方してもらい届けたりもした。痒みはなくなり出血するほど噛む自虐行為は治まった。
配達に行きばあちゃんに「どうかね」と尋ねたら、先週わたしが立ち去ってほどなく眠るように息をひきとった「足立さんの声を聞いて安堵して逝きました」それは偶然と内心思ったが、ばあちゃんの気持ちにうなずいた。庭に埋めて毎日お経をあげている「主人が亡くなったときは、これほど涙はでなかった」と笑顔がもどった。
長寿をまっとうしたから「はなちゃん」幸せでしたね。とばあちゃんをはげました。
加奈ちゃんに配達「笑顔の足立さんを一枚!」とスマホで撮られた。彼女のフェイスブックに一枚を使うらしい。
毎週楽しみは「よしの談義」1時間ちかくカウンターで1週間ぶんのニュース(世相)の感想を交わす。異なる視点が勉強になる。フランスに関わる言論や表現の自由にはじまり、被害者と加害者の報道や法廷での人権について教えられた。
裁判は敵討ちの場ではない。遺影を抱いて傍聴する被害者の姿は本来の裁判からはちがうと、具体的に教えていただいた。
唐戸の理髪店「カットインパラダイス」中山さん栽培の安納芋を、ヤカンに小石を敷いて石油ストーブで焼いて待ってくださった。まるでスイーツのように濃い甘さにおどろいた。

西君4年の命日

4年まえ、1月14日は朝から吹雪きだった。防府市の配達を済ませた1時半すぎに「西君が川に落ちて、いま救急車が農園に着いた」と電話で家内が叫んだ。
いまは吉部八幡宮祖霊殿に神様になり祀られている。毎週水曜日の朝は西君に会いにお宮に参る。手をあわせると西君の笑顔がうかんでくる。仕事を怠けることも、人を悪く言うこともない彼から教えられたことはたくさんある。
今朝もお宮に参拝し、本殿では母の命の御礼。祖霊殿では、4年になりましたね。農園を護ってくださいと手をあわせ。墓前にもお参りした。

風刺画がフランスの文化ということは理解したうえで、心につかえるものがあった。
風刺画にイスラム教を表現すること。北朝鮮のトップを暗殺するシナリオ映画。そのふたつは果たして「言論の自由」の範疇にあるのか。わたしは嫌である。
今回のフランステロで亡くなった1人は、日本の原発事故で放射能影響で相撲力士の腕が3本になった風刺画を書いた人らしい。
うんざりするヘイトスピーチもある。
言論の自由がどこかで歪んでいる。はき違えている。

天気予報が外れてよかった

2時に目が覚めた。予報の早朝氷点下4度で洗面所に風呂と台所を排水していた。冷え込む夜に気をつけなければならない理由がある。
部屋は二階。何本かある給水菅は北側の外壁からのぼっている。保温材は巻いてあるが排水をしておかないと凍結して必ず割れる。まだ菅を破裂させたことはない。深夜から朝まで定期的に排水の量をザーッと一時的に増やすと凍らない。今年は雨量が多く井戸水がたっぷりあるから排水ができる。
起きて窓枠のサッシを指でなでてみたら結露が少ない。予報は外れて外気は下がっていない。安堵して眠りにおちた。
4時の外気は0度。雲が出て放射冷却にはならなかった。
火曜日をスタートするまで配達準備・犬の世話・朝食と弁当など慌ただしい。
年末から正月にかけて酒太りを1週間で解消する目標を達成した。ご飯を極力食べないで野菜。酒はウィスキーお湯割り。配達ではエレベーターは使わない。犬の散歩距離を長くする。朝の散歩は雨でも休まない。これを1週間実行してベルトの穴が戻った。

平山先生(85歳)から年賀状。今年も教えられた。

歳を重ねただけでは人は老いない。
理想を失うとき 初めて老いる。
青春とは人生のある期間ではなく 心の持ち方をいう。

明朝は極寒予報

月曜日の配達。車が少なく快適に走れるワケは祭日だった。
フランスの風刺画が大きな事件に発展した。確かに風刺画で批判されたら腹がたつだろうと思っていたら、フランスは風刺画の文化があり、あの程度はふつうらしい。
パリ市民が約150万人。フランス全土では370万人もの国民がテロに異を唱えてデモをした。フランス国旗と国歌で国民は連帯した。
日本は沖縄が唯一地上戦を経験したが、ヨーロッパは幾度も隣国との壮絶な戦いが続いたパルチザンやレジスタンスなど市民が戦った。国家の敵には国民が国旗と国歌でまとまる強さを今回わかった。
食品異物混入。わたしは過去3回経験した。松江市の喫茶店でコーヒー。飲み終えたらカップの底にハエ。柳井市のドライブインで鍋焼うどん。最後にアブラムシ。防府市でチャンポンは金属タワシの破片。
鍋焼うどんとコーヒーは店主が平謝りされ許した。チャンポンは平謝りして、もう一杯お詫びの特製をテーブルに置かれて、食べ初めてから腹が一杯になり苦痛になり拷問状態で食べたことがある。
よく見れば異物があるかもわからないが、老眼がすすみよく見えない。
明朝は氷点下4度の予報が出た。水道管の破裂を防ぐ排水をしなければ。

映画の日曜日

2時に起きた。録画した映画「セントラル・ステーション(ブラジル)」120分を見た。

リオデジャネイロの下町で、文字が書けない人の代書業を路上でする、たまには悪どいこともやる高齢の女性が、ふとした縁で小学生ぐらいの男の子。その父親探しの旅に付き合うストーリー。
ラストシーン。寝ている子供を残して立ち去る彼女が、揺れるバスの車内で男の子に手紙を書いた
「いつかあなたが私のことを忘れるのが辛い」

命に限りがあるから人は懸命に生きる。大切な記憶は命を終えるまで心の引きだしにある。

母は朝食を「今朝が一番おいしかった」と満足した。椅子に座り親子の会話を長くできた。
今週、照美さんの京都に行くと話すと「京都」とつぶやいた。
母が公務員の当時、退職時に「出張」と称して、行きたいところに旅ができる暗黙の仕組みがあったらしい。母は山大工学部だったから京大に研修という命令を受けられる。私は京都に行ってみたかった。けれども静代さん(家内)のお母さんが予定の日に亡くなり京都は行っていない。
よほど行きたい京都の旅に行くことができなかった残念が記憶の引きだしから出てきて驚いた。
午後から菅原文太追悼「仁義なき戦い」番組を見た。

アプリに苦戦した

半月ほどまえ、タブレットのアプリ「ツィッター」ソフトの更新を促すメッセージが届いたので更新した。
するとこれまでのアカウントがクリアされて新たにアカウントを作成しなければならない画面になった。
ツィッターをインストールした理由は、広島豪雨災害時に最新情報を確認するために活躍したと知って使いこなしたいと思った。ふだんは関心がある報道をみなさんがどう受けとめているのかを読みながらツィッターになじんでいた。
アカウント作成になぜかつまずき、見られないようになったが、まぁ差し支えはないから放置していた。ところが山口県内で鶏インフルエンザが発生したとき、せっかくの情報をとれないもどかしさを感じた。
きのうドコモ店を訪ねて解決方法を尋ねたら「アプリ」はドコモとは関係ないからと断られ、遠隔サポートセンターの電話番号を教えられた。
たしかにアプリに付き合う義務はお店にはなかろうが、わたしのタブレットはすべてアプリで動いている。紋切り型の対応に落胆した。
毎月500円支払い、遠隔サポートセンターを利用する権利はある。困ったときのサポートセンターに電話をしてさらに困った。
問題解決窓口にたどり着くまでガイダンスに従い、あれこれ携帯電話のボタン操作を指示されて途中でやめた。
ドコモ店の宮川さん(宇部掃除主宰)に尋ねたらインターネットでツィッターのアカウント作成を検索すればヒントがあると教えていただいた。
昨夜、メモをとりながら疑問点を解決した。そして復活ができた。
つくづく頭も老化していると認識した。
空気乾燥と風が続き、山火事が心配。鶏舎で糞を受ける新聞紙が焼けない。夕方、風が止んだので火をつけた。季節や気象に注意しながら農園の営みがある。

朝は氷点下4度

この時期、毎朝の日課に結露を拭くことがある。
新聞紙を1日ぶんぐらい使い、ガラスとサッシの水気をとる。今朝はシャッターの無い窓の水滴が、室内で氷になっていた。星空の夜、放射冷却で5時の外気は氷点下4度。
年末に痒み止めの薬40錠を届けた菊川の「はなちゃん(18歳室内犬)」きのう新年はじめてタマゴを配達したらばあちゃん元気が萎えていた。あの薬は2錠飲ませただけ、痒がる元気も食欲もなく痩せてしまったらしい。楽に逝くことを願って横たわる愛犬にお経を唱えていたらしい。18年「はなちゃん」幸せでしたね。とばあちゃんに言葉をかけた。
きのう日暮れどき、犬たちが激しく吠えた。農園入り口の坂村真民先生石碑のそばに若い男がスマートホン片手に立っていた。昨年から入り口に早朝や夜中でも来る者がおりスマートホンを持っている。犬を朝の散歩に出かけるとき来た若者に挨拶をしたら無視をしたので注意をしたこともある。
きのうは来た理由を尋ねた。なにやら石碑をめぐるゲームのようなものに農園の石碑が位置情報として示されているらしい。仏教詩人としての坂村真民先生にまったく関心はないらしい。石碑とスマートホンのミステリーは解けた。
今朝、太郎さん(20歳)が散歩中に後ろ足がくずれた。動けない。抱いて戻ったら後ろ足を震わせながら立つことができた。
母を見舞いに行った。朝ごはんのあとで眠そう「わたしは死ぬんかね」と言う。誰でも死ぬんじゃろうが。と答えたらため息で返信をした。

1月17日をむかえる

愛車の車検が終わり、次の車検を表示するシールが貼られた。
「平成29年1月17日」
ながめて、この期日から二つ考えさせられた。
来週は阪神淡路大震災から20年の17日を迎える。直後から約4ヶ月滞在した兵庫区浜山小学校避難所。すぐ近くに全壊した金光教岬教会。このご縁のなかで失望・悲しみ・怒り・喜びなど凝縮された時間を過ごした。火も水も電気もない暗雲の毎日だった。
その仲間、牧君(宮崎)と香山君(兵庫)と金光教岬教会で来週20年慰霊の祭典で再会の約束ができた。
漠然と神戸行きは意味がない。わたしの神戸の意味を問い続けた。その答えが見えてきた。
神戸に奉仕に行ったころ参っていた金光教に疑問があった。信心を学ぶ場であるはずの教会。そこには信徒会(他にもたくさん会がある)があり、信者は組織に組み入れられる。年間たくさんの教会行事に出席することになる。それは信奉者同士の親睦をはかると教えられた。
さらに教会を維持するためにさまざまな財のご用といわれる献納が強制ではないがある。
まだ他にもあるが、信仰するにはいろいろ手続きが見えて、それが気持ちの壁だった。私と神様。シンプルでありたいと感じていた。
神戸で泣いたり笑ったり怒ったりした。下関ふく鍋隊の松村社長ともご縁ができた。
神戸が終わり鍵山先生とご縁がうまれた。
その新天地にわたしは向かった。つまり約20年、金光教とは距離をおいた。けれども長女の照美さんは、金光教教師に嫁ぎ太秦教会でご用をしている。
子供に信心の種をまいた親が挫折している。ここを20年の神戸であらためて向き合うことにした。16日、太秦教会初参拝をさせていただく。ここから一歩がはじまる。
車検切れになる2年後の1月17日。
この日までに農園を離れて次の展開をしたい。次といっても引き算の人生だから華々しくはならないが、納得できるレールを求めたい。それが正志が飛躍できることになると信じて。
木曜日を元気に終えた。ニュースはマクドナルド。良いものが、安く、大量につくれるわけがない。

市民力について

正月の3日。松村御大ご自宅でビールをいただきながら話題になった。
御大は下関市が毎年催す海峡ウォーク・海峡フルマラソン・自転車のツールド下関。三冠を達成されている。その挑戦をされた印象をひとくちで表すと「市民力」競技には下関市内、ルートの沿道のみなさんがボランティアで大会運営が円滑に進行するように参加される。横断歩道で選手の誘導。道沿いの会社はドリンクや果物など無料お接待。小学生から高校生までは平家踊りを踊ったり。乃木さん通りは高校生の吹奏楽。小月海上自衛隊はマーチ演奏に太鼓を叩いて参加者応援歌を腹から叫ぶ。消防団は木屋川に放水でアーチを描いて応援等々。雨でもボランティアはやる。
昨年、わたしが海峡ウォークに参加した日は小雨。楽しくないからやめようと当日思った。けれども雨靴を履いて傘をさして行こうと決めた理由は、沿道で奉仕される地域の人たちが「雨で参加が少ないね」と落胆されないよう。わたしは30キロ、沿道の人たちにお礼を言いながら歩こうと決めた。
旗を持って歩道に立つ人は、参加者が通りすぎるまで何時間も笑顔で「お疲れさま」「頑張って」と寒くてもやる。
これを松村御大は「下関市の力」と言われた「おもてなし力」とも言われた。四国遍路道のお接待が下関市に根付いている。この力が下関市を支えていく。
地方の創世はお上主導ではなく市民の盛り上がり。そこを言われた松村御大。
水曜日。配達を済ませて「くすのき温泉」に立ち寄り湯。農園の風呂ではシャワーで洗うから身体中から汗が出ることはない。ぬるいお湯を楽しみ、山口弁で「ほとびる」指がほとびる(お湯でしわしわ)になるまで。
体重計は正月2キロ太りました。

鶴瓶と加奈ちゃん

昨夜、NHKテレビ「鶴瓶の家族に乾杯」を見た。
きょう火曜日の配達コース、後河原の一の坂沿いのお店が紹介された。
加奈ちゃんがパンを販売する「サンポヤ」だと直感した。主人は犬や猫の生活用品販売。奥さまは美容室と加奈ちゃんから聞いていたから。
番組では大人びた夫妻の長男(中学生)が鶴瓶を「アヒル口の男」と称したのには驚いた。
今朝から配達の先々で「鶴瓶をみたかね」と大勢のお客さまから声をかけられた。そのなかの多くの人が加奈ちゃんのパンを求めて、長い方は1時間ちかく行列したこともあると聞いた。思わず「ありがとうございます」とお礼を申し上げたら、その理由を聞く人もあった「娘と同じですから」と答えた。
味で支持されるパンを焼けばよい。
農園をはじめた当初「卵の営業は卵がする」とお掃除仲間の大先輩から激励された。
火曜日。朝から夕方まで加奈ちゃんの話題だった。

農園のブランド力

テレビ通販番組で「顧客満足度98,3パーセント」などと信頼感のないCMがある。
けれども顧客、つまりお客さま満足度の方が「なんぼ売れた」という数字より優先されたほうがよいと思う。
前の仕事をしていたとき、宮崎県清武町に印刷製本が終わった会議録を車に載せて走っていた。当時は高速道路はなく片道12時間。携帯電話もなかった。わたしが清武をめざしているとき、会社では納品する会議録に誤植が発見された。清武町議会の職員さんが気づかなければ問題なし。仮に発覚したら「そうでございますか」と謝り、正誤表1枚をつくり済ませる。
ところが会社事務所の女性が清武町議会事務局に電話をした「いま納品に社長が向かっています。そのなかに文字の間違いがひとつ見つかりました。どうさせていただきましょうか」わたし抜きで善後策が決まっていた。納品に到着したとき「あなたの会社に任せてよかった」とお礼を言われてびっくり。
先日、納品さきのお店の什器などを不注意で壊したとき、その場でできる、わたしの全力を出して掃除をした。それが店内監視カメラで録画されており、店主から「ありがとうございました」と酒1本を頂戴した。
安心・安全・新鮮なタマゴをお届けすることは基本。わたしの配達にはいろいろ工夫をしている。その一例は、配達時間が正確。朝から夕方まで走るけれど夕方はいつも同じ時間で終わる。
だいたいお昼は30分近く休憩する。天候などで遅れた日は休まなければよい。近道や迂回路を知っていても通常は走らない。遅れた日は走る。早く走れた日はお客さまと長話ができる。
時間どおりにタマゴ屋が来る。それも農園ブランド力。
年末から不規則な仕事に対応するため農園に滞在した家内が自宅に戻った。やっと通常モードになり、火曜日の朝ご飯と弁当をつくらねばならない。

酒太りかもしれない

永久保存版「ふく」サブタイトル(下関ふく文化読本)を唐戸魚市場会長・下関ふく連盟理事長の松村御大から頂戴した。安倍総理や前農林水産大臣の林代議士も巻頭に登場。冊子の題字は林代議士。その冊子には、唐戸商店街の車道ど真ん中に、濃紺スーツのズボンに両手を入れてカメラに笑顔の松村御大、1ページぶち抜きカラー写真。野球で鍛えた肩幅が広い。このページだけ見たら、なんとか組の組長とみえるかもわからない。
冊子をいただくとき「この本ができたから、自分史になる」と言われた。だから昨夜何度も読んだ。
インタビューの視点がよい。そしてほぼ御大の話し言葉が活字になり飾らないお人柄が表されている。
わたしは、子孫が石の墓に参っても身近に感じない先祖。しかし活字で残した紙の墓は、先祖の息づかいまでもが伝わると思っている。そういう理由で、この冊子は下関の「ふく」を日本一ブランドにした御大紙の墓にふさわしいと感じた。
山口市内の配達を済ませて母のご機嫌をうかがいに行った。朝ごはんを済ませ、窓からさしこむ日射しにまどろんでいた「わたしは、ここで化石になる」と真顔で言う「博物館に寄贈しょうか」と返事をしたら、母は入れ歯が外れそうに大笑いした。しかし「化石」とは面白い例えを考えた。
下関、寿司割烹浪花に新年のお届け。荒川大将から毎年恒例の縁起物「お年玉」を頂戴した。
昼前にもどりビールと泡盛お湯割り。昼寝を1時間。
目が覚めて農園内の仕事をした。明日から通常ペースに戻る。年末から少しベルトの穴が広がった。1週間ぐらいでリセットしなければ。

みなさんに支えられ正月

日本一「ふく」の南風泊(はえどまり)魚市場は明日が初競り。その関係者に縁起物として、農園元気タマゴをご採用していただき久しい。その数は多い。
搬入先は踊り場のある急な階段を上がってその先にある。ずっと一人で運んできたが昨年から家内に手伝ってもらう。それでも何度も階段の往復に息があがる。足が震える。
明日は、月曜日が開店初日の寿司割烹浪花にお届け。来店のお客さまに縁起物として「お年玉子」をお配りいただき、明日はお店用と縁起物をたくさんお届けさせていただく。
お正月はタマゴの配達や発送あるいは買いにこられる方は少なく、しかし鶏はマゴをうみ続ける。農園に在庫がたまらないようにみなさんご配慮いただき、本当にありがたい。
亀山八幡宮下の大和交通、中山理髪店、村上棟梁に山岸さん、金剛住機(中越地震ふく鍋隊仲間)。ほかにもたくさんの配達ができた。
南風泊市場でお昼前に納品は終わり、松村御大ご自宅に納品お礼と新年のご挨拶に行った。ご挨拶を済ませて玄関でおいとまする予定が奥さまがお料理を出され、お酒もいただき歓談になった。
松村御大からは20年以上お世話になりっぱなし。それでもご夫妻で歓待していただき、約2時間もお酒をいただいた。今年も春の海峡ウォークご一緒することになった。
美味しい料理と旨い酒が3日の出来事。奥さま(貴美さん)の写真をガラ携で撮った。来月の農園日記にご登場!

映画グリーンマイル

3時前に起きた。昨夜の録画「グリーンマイル(190分)」をみた。電気椅子による死刑執行を待つ囚人と看守の物語。牢獄から刑場にまでの廊下の色がグリーン。少女をふたり殺害した罪で処刑される大男の黒人は無実だと看守は気がついたが、それを知りつつ刑を執行するストーリー。感動の余韻が残ったら。
心に残る映画「パピヨン」「ショーシャンクの空に」も刑務所が舞台。自由のない鉄格子のなかでも心は人間として自由に振る舞える勇気が素晴らしい。
きょうは山口市内・長門市・三隅を走りお昼前に戻った。
昼はビールと冷酒に昼寝で新年気分になった。
金光教教師の玉井先生(岡山県早島)から年賀状を頂戴した。
先生の教会では元旦祭が執り行われない。ご信者さんに「元旦の参拝は家族でお参りしんさい。時間は家族のみんなが都合のええ時でよいからな」と言われる。先生は早朝から夜中まで参拝された家族と神様を拝まれる。
その姿を拝見して私が感じたことは。元旦の参拝を「元旦祭」という名で教会行事にすれば、その時間に信者は参れよと号令がかけられる。教師は行事が終われば酒も飲む。
都合のよいとき参りんさい。に私は本物に出会った実感をおぼえた。

元旦は寒かった

雪道を7時に正志が到着。家内と八幡宮初詣。西君墓前も参拝。
わたしは山口市内スーパーマーケットに納品。開店1時間前、小雪が吹雪くなか福袋をもとめる人の列に驚いた。ガソリン給油をしたかったが、寒さにたえられない気がして給油をやめたぐらい寒い。
次は山越えして大谷山荘。予想したほどの凍結はなかった。10数年走る道だから凍結危険の場所はわかっている。案の定そのカーブはアイスバーンだった。
納品を済ませて帰り道。わたしも含めて数台が慎重に走行していると、後方からスピードをあげて迫ってくる乗用車が2台。無謀な追い越しをして走り去った。案の定あのアイスバーンで2台ともスピンしてガードレールと側壁に衝突していた。男女の若者たちが茫然と立っていた。怪我はないようだった。高額の学習を元旦にした。
介護病棟は食べ物は持ち込み禁止。元旦だけ母がいつも所望する「茶碗蒸し」を食べさせたいと職員さんにお願いしていた。いつも塩分制限があるが、しっかり味付け茶碗蒸しを家内がつくり保温して持参。
食べさせるには、職員二人が茶碗蒸しをかき回して食道につまるものはないかをチェック。さらにお茶を飲ませて喉にうるおいを与えて「お正月ですからね」と特別許可を暗に口にされた。慌ただしい介護のなかお二人の手をわずらわせた。母は機嫌がすこぶる悪い「殺してください」と会話にならない。干支のヒツジ歳を迎えられた。母はそのことを神さまにお礼を申し上げることはできない。初詣でそのことも御礼申し上げることができて親孝行。