月別アーカイブ: 2015年5月

心豊かに出雲路を

昨夜の地震。松江市内9階も揺れた。
無料のバイキング朝食だけど松江らしくシジミ汁。炊き込みご飯と野菜をたくさんいただいた。
久しぶりに母の故郷を訪れて感じたこと。たしかに風景は日本中画一的なコンビニ、紳士服やメガネにファーストフード店が出雲路にもある。
けれども道を尋ねた理髪店のじいちゃん。温泉を「わたしなら」と選んでくれた八百屋のばあちゃん。「暑くないか」と気配り蕎麦屋のおじさん。お堀の船頭さん。まだまだたくさんの出雲人(びと)が、出雲弁でとても親切だった。心までは画一的ではなかった。
この出雲で育ち、わたしを産み育て上げてくれた母から、わたしも出雲の血を受けている。それが誇らしく思えた旅になった。

どうしても訪れたい「足立美術館」に8時半に着いた。とても広い駐車場に開館9時をめざしてマイカーや観光バスが入るのだろう。職員さんに「早いですが入れませんか」とわがままに尋ねた「掃除をまだしていますが、それでよければ」と笑顔。入館料金と音声ガイドで約3千円。京都国立博物館よりずいぶん高いと正直思った。けれども館内に入り、日本庭園の評価で12年連続日本一の庭がわたしの前に広がった瞬間、3千円を反省した。これだけの庭園を、隙ひとつ見せない手入れをされる裏方のみなさんに頭が下がる思いがした。所蔵の、代表的には横山大観コレクションを筆頭に数々の作品が大迫力だった。創設者の足立全康。5万坪の敷地に、日本文化を遺された偉業を堪能できた。

母のルーツ出雲

6時半。正志に明日の夕方までの全部を頼んで国道9号線で出雲市をめざした。
5時間で母の故郷「直江」に着いた。寺を探し、記憶を頼りに墓をさがした。山の斜面中ほどにあり、線香をあげ今日まで母の命の御礼をご先祖さまに申し上げた。母がみたら昔を思い出すであろう風景をたくさん撮った。
遅い昼ごはんは、この度国宝指定を受けた松江城近くで蕎麦。
船でお城お堀をめぐる「堀川めぐり」を楽しんだ。はじめは笑顔と歌声がきれいな女船頭さん。途中で下船してお城観光。霧雨で散策にはよい天気。また船に乗り、今度は民謡「安来節」がお得意の船頭さん。
松江温泉に立ち寄り湯で墓参りとプチ観光が終わった。
牧さんにネット予約してもらったホテルに着いた。
ホテル近くの郷土料理店が今夜の第一候補。

タイヤ8本交換

母の「墓に参ってくれないか」の願いを明日叶える。出雲市と松江市の真ん中、ヤマタノオロチ神話の斐伊川。その近くが母の実家。実家の主(母の弟)は40年ほど前に他界。以後、実家とは年賀状のお付き合い。
菩提寺はわかる。墓の場所は昔の記憶。わからなければ寺で聞けばよい。
家内の軽四で行く。タイヤが冬用を倹約してつけていた。
わたしの愛車も節約で冬タイヤ。
きょうは2台のタイヤを思いきって交換する準備をしていた。
わたしの車はトヨタ長門店。家内の車は山口市内のタイヤ専門店。
仕事をしない金曜日。けれども土曜日の全部を正志に頼むより、1日早めてわたしが土曜日を走った。途中に長門店でタイヤとオイル交換もできた。
お昼前に戻り、アルコール0の缶で昼ごはん。酔った錯覚で30分昼寝ができた。
山口市内のタイヤ交換には遠回りになるが母の顔をみに行った。
わたしが行っても、行かなくても母の1日は終わる。たかだか1時間を母に使えない私になりたくはない。
穏やかな午後を母はまどろんでいた。両腕は骨格標本しかも紫色。左手首の包帯を高級時計と自慢する。墓参りを言うと正気にもどり「運転は気をつけて」と。
先週からお届けがはじまった仙崎近くの漁村のお宅「食べてください」と近海「もずく」の冷凍をたくさんいただいた。

テレビで寝不足

BSドキュメンタリー「天国には行かせない・ISと戦うクルド人女性部隊」
ずいぶん前から見たいと思っていた番組が昨夜録画されている。
午前2時に目がさめたので1時間見た。
シリア、トルコ、イラクに約7千万人のクルド人が国を持たず迫害を受けながら生きてきた歴史がわかった。
シリアに端を発したISの台頭。IS掃討戦に欧米やアメリカから武器などの供与がある。クルドは最新兵器を手にできる。
わたしの見方は、この武器を使いISを壊滅させて悲願のクルド国家樹立を、この最新兵器でねらっている。つまり、ISを掃討したあと欧米やアメリカはクルドと新たな戦いになろう。
国家樹立が大義のクルドと寄せ集め兵士のISでは力の差がある。
クルドの女性。クルドのなかで人間的な扱いをされなかった。この混乱期に女性の地位をあげる働きができると、若い女性が志願して兵士になる。女性は女性として戦う大義を見いだした。
ISでは、戦いで殉死すれば天国で70数名の処女が神から与えられ幸せな日々が約束されると洗脳される。だから自爆も平気。ところが「女に殺された兵士は天国には行けない」の文言がある。
女性権利獲得の大義を抱いて勇猛果敢に戦場を走るクルドの女性兵士。この女性兵士の銃弾で死ねば地獄に落ちるISの兵士。戦争の構図は複雑だと感じた。
捕虜になったISの若者二人にクルド兵が「何人殺した」と聞いたら「70人以上。麻薬の力を借りて殺したから数はわからない。斬首は、痛みがあるように切れないナイフを使った」
平和安全法制が衆議院で審議されている。集団的自衛権で自衛隊員のリスクはあるか。の野党質問に防衛大臣も総理も「ない」
誰が想像しても、戦地に赴けば命のリスクはある「あります」と明言してから議論を深めてほしいとラジオを聞いた。
隔週木曜日。小月ホースパークにお届けしている。
寡黙な父親と息子が約10頭の美形の馬たちを早朝から世話をし、馬場というのだろうか、馬術の場をととのえている。わたしは、毛並みがピカピカの馬にあえる木曜日がウキウキ。
今朝、寡黙な父親が「宇部からトレーニングに来ている子供のお母さんは、英会話の先生で、うちの卵パックを見て、しんあい農園ですか話題になりました」と話された。
真砂恵さんの近い親戚で、彼女は宇部市長の通訳もされていると聞いている。
思いがけないご縁に驚いた朝7時。寝不足でコーヒーに頼った木曜日を終えた。

尿酸値が原因

農園日記、毎月更新の写真。6月は宇部で名物酒屋、一軒は時代おくれの松原酒店。もう一軒は頑固一徹の井上酒店。看板文字はちがっても、店主が味で納得した酒しか売らない。1本の酒で物語を語る。そのファンは多い。
例えば、魚・冷酒・3千円とキーワードを出せば「これじゃね」と出してくる。それが外れたことはない。
来月は井上酒店の店主が登場。昨夜、写真のキャプションを仕上げた。HPの制約で100文字以内。
水曜日の配達で井上酒店がある。載せる文章を点検していただきOKをいただいた。
ご長男は作曲家、井上トモノリ38歳。AKB48や乃木坂46のヒット曲を多数手がける売れっ子。ネットで顔をみたら美男子。
松原酒店のご長男は、モデル業(父親に似て)らしい。
その「しんあい農園日記」は、来年5月で千秋楽を決め、サーバーを管理していただく方に昨夜お知らせした。
痛風で採血されたのは先週の水曜日。結果を聞きに行った。尿酸値が少したかい。
その他、肝臓、腎臓に血糖値など全部合格。尿酸をさげる薬を処方された。
暑い水曜日を終わり、糖質とプリン体0のロング缶を飲みながら日記を書いた。

ホタルとムカデの季節

朝刊面白かった。それは、第28回サラリーマン川柳
1位
皮下脂肪 資源にできれば ノーベル賞

6位
増えていく 暗証番号 減る記憶

4時前から動きはじめ鶏と犬の世話。朝食の支度ができたのが6時前、テーブルのコップに水を足してひといきで飲んだら、昨夜の薩摩白波ストレートが残っており水割り焼酎。今年の初ムカデが台所に出た。季節だから想定内「出たか」とハエ叩きで一撃。なかなか大物。
朝酒は仕方がない。ウォーキングで両足にウェイトを巻いて山登りコースでアルコールを発散。
毎朝ウォーキングの場所は、配達の地域によりちがう。それで気がついたことはウグイスは地域により鳴きかたが異なる。人間ならば方言のように、同じ地域のウグイスはほぼ同じ鳴きかたをする。火曜日のウグイスは「ホー、(早口で)高橋源一郎!」山のウグイスが高橋源一郎を連呼しておかしい。
山口市は32度をこえて真夏日。夕方、農園に戻るころには疲れがピーク。
それでも、一晩で回復できる健康を、明朝の朝参りで御礼申し上げる。
ホタルが出たらムカデも出る。

クレームで育つ農園

今朝の受信メールは「中身に血液がある。心配はないか」の問い合わせではじまった。朝食の支度をされておられる途中だと判断して即答した。
殻の白い、いわゆる白玉は暗室でコンベアで通過する玉子に下から光を当てると中身が見える。血液もわかる。赤玉は光がとおらないから中身の検査ができない。
玉子が体内でつくられるとき、例えば落雷などで驚き、そのストレスで出血がある。ひどいときは卵白全体が血液の事例もあった。
朝から不愉快な思いをさせたお詫び。夕方に代品をわたしがお届けする旨の返信内容。
すぐに、わかりました代品は要りません。と丁寧な返信をいただいた。
なにか不都合があり、その理由はふせて「次回から休みます」と言われるより、問題があったことを伝えていただくほうがありがたい。
工業製品ではないから年間多種にわたり問い合わせがある。わたしどもではわからないから飼料メーカーなど関係機関を介して、原因と解決方法を手に入れる。お客さまの「なぜ?」の一報で農園は成長してきた。

萩市から農園まで歩いた。
路上で絶命している動物のなかでタヌキが多かった。車で通過すればわからないが、歩いているから目にはいる。気がついたことは、道路でひかれているタヌキのほとんどが皮膚病。病気のタヌキはカラスは食わない。
美祢の猟師さんが数年前から「タヌキの病気がひろがっている」と言っていた。
月曜日、その美祢の山奥で捨てネコの「ネコ屋敷」状態のお宅。捕獲は困難で増えていた。きょうはネコが見あたらない「ネコは」と聞いたら「なんか病気で全部死んだ」とじいちゃん。毛が抜けて皮膚病のようだったと。増えた数は自然が淘汰する。それならば良いのだが。

漁村は美しかった

長門市仙崎ちかくの、いわゆる漁村にお住まいの奥さまから「近所で数をまとめるから配達は可能か」と金曜日に問い合わせがあった。萩から長門を走る土曜日コースだから立ち寄ることは可能。しかし「200個」と数を言われ土曜日にその余裕はなく「今回は日曜日に届けましょう」
今朝の山口市内の納品を済ませて向かった。タブレットの地図情報でほぼちかくに着いたが、同じ姓のお宅が何軒かある。お子さんのサッカー引率の奥さまに電話をした「ふじはち」とたずねてもらえばわかります。屋号かと思いながら小さい商店のおばさんに「ふじはち」さんのお宅を聞いたら「あそこ」と指を指された。着いたお宅の表札当主の姓はじめの1文字は「ふじ」名のはじめの1文字は「はち」おばあさんから呼び名の由来を聞いた。
この集落では同姓の家をさすとき、当主の姓と名をセットにする。間違いない習慣で便利だと教えていただいた。自宅から数メートル前の岸壁に行くと海底が見える透明度の海に漁船が係留され、対岸は仙崎青海島。浜のおばさん達が元気な会話をしていた。

昼寝のあとトイレと風呂を掃除した。先週、あるお客さまと鍵山先生の掃除談義をした。
わたしは「宇部掃除に学ぶ会」を立ち上げ、毎月一回ペースで50回で代表を引退した。
その代表在任中、会の終わりに挨拶をするときいつも「月に一度の掃除の会は発表の場。つまりわが家、職場、地域での実践が大切です」と常に申し上げてきた。
いくら月に一度の会で汗をかいても、毎日の生活のなかでできなければ意味がない。
鍵山先生から「難しいトイレ掃除に行きませんか」とお誘いいただき伊勢神宮と京都清水寺のトイレ掃除に参加したことがある。
汚れた便器に2時間向かえば結果があきらかになり感動できる。しかし、ピカピカの便器に2時間向き合うときはやり方が見つからない。そのなかで2つ現場で教わった。
問題点に近づく。眼で見えない汚れは指の感触を頼りに便器の裏まで探す。
視点を変える。床に顔をつけるぐらいの位置から見たりすること。
この2つを鍵山先生から指導を受けた「この2つを家庭や職場に地域で応用しなさい」と。
今朝の健太は、4本足で散歩ができた。けれど1週間特別食だったから通常の餌は食べない。こんなときは断食させるのが一番。朝食は即座に抜きにした。

健太の復活!

夜中も早朝も健太の様子をみてきた。片方の後ろ足が丸太のように腫れ上がって、微熱が続き震えがとまらない。食べないから、食べそうな物を品をかえながら与える。鶏肉を食べなければ豚肉、それも食べなければパンや牛乳。少しでも食べてくれたらホッとする1週間を過ごした。
今朝、健太の足の腫れが半分になった。両方の排泄もできた。
大きな豚の軟骨を3つ煮て軟骨は健太。スープはほかの2頭にわけた。顔つきがしっかりしてきたから峠は越えた。今夜も健太は豚の軟骨。明日からは平常のドッグフードに戻す。
美祢市のプロパンガス店。農園のガスボンベ(5キロ)の充填に通っているうちに社員さんが卵のお客さまになり土曜日が配達日。
数週間まえからこの事務所にのら猫が居着いた。椅子の座布団で無防備に寝ている姿がかわいい。
夕方、事務所を閉めるときは外に出す。出された猫は道路向かいのタクシー事務所に朝まで滞在。
プロパンガスが始まる時間になると事務所のまえで戸が開くのを待つ。両方の事務所で餌にありつき優雅な生活をしており、わたしも猫にあうのが土曜日の楽しみだった。
数日まえから姿が見えなくなりみなさん心配していた。
犬も猫も情がうつる。
先日の宇部市議会選挙で、農園地元の現職議員が4期目の当選を果たし議長になった。
午前中、卵を買いにこられて議長が話題になったらしい。
議会会期中は公用車が送迎するしきたりらしい。けれども公用車は税金の無駄遣い。この先例を廃止されたらご立派。

大岡昇平「野火」を読み終えた。
フィリピン戦線で敗走する日本兵に軍規はない。自分の血を吸った蛭を食べるほどの飢餓のなかで「猿の干し肉」を食べて元気のよい敗残兵に密林で遭遇し、塩と干し肉を交換し、しばらく行動を共にした。この密林で猿を見たことはない。ある日「猿」を撃つところを目撃した。無防備でさまよう日本兵を撃ち、その尻肉を切りとる場面。
ある種、美化された戦記を読んだり見たりしてきたわたしだった。
ニューギニア野戦病院が舞台「指の骨」を次は読む。

ゆっくり金曜日

草刈り汗をかいて1時間。脚立にあがり木の余計な枝を切る作業を1時間。犬3頭の世話を済ませて朝食が7時。
持世寺温泉「上の湯」朝風呂は8時半から。30分ウォーキングをして風呂に行った。
上の湯には400円と1000円の二種類があり、どちらも源泉かけながし、ちがいはサウナと露天風呂に薬湯が1000円にはある。
サウナでプリン体が出るかも知れない期待もあり高いほうをきょうは選んだ。
わたし以外に客はなく貸し切り湯。洗い場にあふれるお湯に洗面器を枕にして、鳥のさえずりを聞きながらまどろむ至福の時間だった。
風呂から20分走れば母の病院。ふたり部屋で奥の海側が母のベッド。母とわたしの会話に入り口ベッドのばあちゃんが意味不明の反応で会話に仲間入りをはじめ、喜劇のような展開になった。
死ぬときは自宅で死にたいのが母の願い。けれども床擦れやさまざまな介護があるからご飯が楽しみ。入浴もできる。自宅ならそれはできない。
家内にアジの南蛮漬けとカレーをつくってもらう食材を小郡で買い、お昼前に農園に戻った。
痛風の薬を飲み、プリン体・糖質0の発泡酒を昼ごはんに1本。やはり暑くなれば缶は要る。
昼寝のあとは新聞と本を落ち着いて読めた。キスゴの唐揚げをつくり家内は帰る。アジの南蛮漬けは明日の昼ごはん。カレーは夕食の予定。

木曜日を走り終えた

1ヶ月半ほど前、松月院住職がわたしの留守中に来園された。すぐお寺に住職を訪ねた。10年以上ぶりの再会でお互い近況を話した。そのなかで4年前、1月14日、発作で川に転げおちて48年の人生を終えた西君を話した「わたしも回向(えこう・供養)しますから、名前を教えてください」と言われて「西正夫です」と頭を下げた。
菊川画廊の話のなかで住職の口から「西正夫さん」が出た。この住職は社交辞令を使い分けて生きてはいない。とあらためて腑に落ちた。
菊川画廊でご縁があった画家の石原忠幸さんが4月に亡くなられ、菊川さんご葬儀に参列された。身内から「食事だけはいただいてください」とひき止められ酒の席に身を置いた「兄とは特別縁が深かった菊川さんに一言ご挨拶をお願いします」と進行役がアナウンスしたとき、アルコールで賑わっていた会場がしずまった。
菊川さんは東京で画廊を興してひと儲けする夢が昔はあった。
しかし、宇部で芸術の発信をするのが、食うことより優先するミッションだとわかった時期があった。
日本を代表するような作品の展覧会が宇部で開かれるのは業界では異質。その宇部の菊川がこの会場で挨拶するのかという会場のしずまりを感じたと菊川さんが話した。
値札をつけたら高価で売れる作品をたくさん所蔵しながら、それはやらずに展覧会それが菊川さんの魂。
木曜日の楽しみは「よしの談義」お互い1週間ためた(読書など)話題に会話のベルトがかかる。きょうは、健太に肉を買いたいので早く切り上げた。
さきほど話し足りないことをメールした。

24日午前1時まえ。NHK総合テレビ再放送「幻の巨大潜水艦 伊400 日本海軍極秘プロジェクトの真実」

健太の食欲がない。

専修大学野球優勝!

今朝の今村さん顔つきがいつもとちがう。その理由は大学野球決勝戦が神宮球場で10時半から始まる。
専修大学は昨年まで2部。今年は今村さん監督時代の教え子が新監督就任。1部昇格を果たしてすぐの優勝戦に勝ちあがった。拓大に勝てば26年ぶり(今村監督時代)通算32回目の優勝。
奥さまは「なぜ神宮に行かないか」とそばでやかましい「必ず勝てる」福山でのキャンプに招かれ2日も夫妻で練習を見た。その実力はカルタ日本一を4年続けた勝負師の勘が言わせた。
配達中の午後1時半、今村さんからメールが届いた「1対0の完封勝利できました!」
最近、涙腺がゆるんでおられるから嬉し涙のメールにちがいない。

昨夜の菊川画廊。菊川さん、末次住職、藤野先生とわたし。約1時間半、主に日本人にとっての教育を論点としてすばらしい議論ができた。
それとは別の感動があった。画廊は今年で40年を経た。40年画廊と苦楽を歩み、これから歩むべき道が菊川さんは見えたと言われた「66歳。これから心機一転スタートします」
わたしも先細りしない道を元気を出して歩まねばならないと強く感じた。

足の親指がたいへん痛いから保険証を持って配達に出た。お昼に痛風の先輩、岡本拓也さんに電話をした。問診の結果、痛みをとることが先決とアドレスをいただいた。
来週の水曜日が血圧診察だけど、1週間早めた。女医さんが痛風の原因を問診。野菜中心で肉類は少ない。運動不足はない「お酒は?」と聞かれ「はい。少しだけ」と嘘をつく「やっぱり酒か」と思う。わたしの問診で生活習慣に特段問題はないから、消去法で考えると腎臓機能らしい。検査の採血があり、来週の水曜日に来院するようになった。
処方された鎮痛剤を車に戻り飲んだ。農園に戻るまでの約40分で痛みがゆるんでくる実感を体験できた。
岡本拓也先輩のご指導に感謝。
健太は再び悪化。電話で獣医から「食べさせてくれ」の指示。後ろ足が倍に腫れた。リンパに問題が考えられるらしい。

痛風?痛い!

左足の親指、つけねと指先の間の間接が熱をもち腫れた。靴を履くとき痛いが、朝のウォーキングに支障はない「痛風」「尿酸値」をネットで昨夜みた。わたしができる唯一の治療は、尿酸を出すためたくさん水分摂取することとわかった。
今朝、525ミリリットルのペットボトル3本に弁天池の水を入れて火曜日をスタートした。
痛風は指のつけねと書いてあり、もしかするとなにか雑菌がはいったのかもわからない。痛風。詳しいかたがおられたら教えてください。

大岡昇平、文庫本「野火」を入手できた。

夕方6時から、宇部市内「菊川画廊」で、菊川さん・松月院住職・数学の藤野先生と養鶏のわたし。4名が顔合わせをする。
テーマは別に決めていない。個性的面々がご縁を持つことも面白いだろう。
火曜日の配達を小郡で終わり、宇部への移動中に母のご機嫌をうかがいに立ち寄った。
ご機嫌の妄想に浸っており、声をあげて二人で笑った。廊下から職員さんが覗いたほど。
この日記は、画廊近くパチンコ店の駐車場からアップ。5時半。

人間だもの

先週木曜日の夕方から健太は体調をくずした。夜中に震えていたのは、昼間の落雷ではなく発熱からの悪寒だった。金曜日の夕方、ようすが悪いので(食べない・出さない・下腹部異常な腫れ)ひと山越えた美祢市の獣医に駆けつけた。原因(ムカデかマムシあるいはハチ)はわからないが明らかに毒素が原因。鎮痛と解熱の注射。あとは時間が解決する。きのうから少し食欲は出た。今朝の散歩で4日ぶりに便が出た。やわらかいチョコレート状だった。食べはじめて、出てくれたら治ると思った。
健太が食べないご飯を食べた(つまり2食)太郎さんは胴まわりが太った。健太の腫れはまだ治らないが安心している。
今朝、岡本拓也さんのお母さんが、わたしにハチク(破竹)をたくさん朝どりして待っておられた。朝どりだから米ぬか無しでした処理したらよいとレクチャー。
昨夜は農園泊まりの家内とハチクの中継場所と時間を打ち合わせた。
夕方、農園の食卓にハチク料理。あとは家内が自宅に持ち帰り、冷凍もしているらしい。旬のハチクでおいしい夕食になった。
野菜が主食で、1月から約5キロのダイエットをしたわたしの足の親指が痛い。プリン体や糖質0の発泡酒にかえても痛い。痛いが朝のウォーキングはまだできる。本格的な痛風にならないよう。今夜からビールはやめてお湯割りウィスキーと焼酎で月末まで経過観察。
酒をやめればよいことは知っている。よいことと知っているが、やれないたくさんの事がある。
人間だもの。

鍵山先生と鎌田社長

母の朝食に付き合う予定で向かっていたら岡本拓也さんから電話「鍵山相談役(イエローハット)が来られます」と山口市内のスケジュールを教えてくださった。午後3時半ごろがよいだろうと提案もあった。
母はいつまで生きておれるかをわたしに聞く。食事が欲しくなくなったらお迎えかもわからんね。なにか心配なことがあるかねと尋ねた。
なにも心配はない。幸せです。と返事をした。月末の墓参りのとき、母が乗り降りして人生を刻んだ「JR直江駅」も撮って見せてやろう。握手でわかれた。
山際から木が農園にせまってくる。この時期は一回ユンボのパケットで枝や幹をバリバリ折ったり、掘ったりして敷地内への進入を防ぐ。3時間その作業をした。だいぶ操作が上手くなり、それが嬉しい。
健太。腫れはよくならないが食欲は出た。今朝は生卵を2個と牛乳。肉などは食べない。アリナミンを1錠喉に押し込んだ。
老犬の太郎さんは、健太が食べない肉をとドッグフード缶詰めなどを余分に食べて胴まわりが太くなった。
3時半。鍵山先生がお掃除されている現場に行った。東京から大勢参加でお掃除研修。
えりちゃん・松原酒店に宮川さん(宇部掃除代表)も参加されていた。
鍵山先生は掃除の手をとめて親しく話をしてくださった。
鹿児島の鎌田建設社長も西郷どんのような巨漢で排水溝を掃除されていた。68歳、元気いっぱいの本番の鹿児島弁で話されても、わたしは理解できる。
わたしがお掃除の会とご縁ができたころ、名刺交換したとき、都城市議会の会議録を作っていますと添えたら「都城市から近い国分市に会社があるから来てください。必ず」と言われた。
半年ぐらいあと、都城市に出張した便で国分市の鎌田建設を訪ねた。銅板葺きの大きな社屋。アリーナもあり、会社の消防団もある鹿児島県屈指の建設業。他にも老人ホーム・旅行業・旅館経営・ガソリンスタンドにカー用品店など多角経営。
霧島妙見温泉、料理の宿に案内され、露天風呂で鍵山先生に惚れ込んでいるワケを裸の付き合いで聞かせていただき、わたしの鍵山像がふくらんだ。
夜9時頃まで酒をいただき「明朝、地域の掃除かまありますから」と、浴衣をたたみスーツに着替えて帰られた。初代トヨタのセンチュリーとサイドカー付き大型バイクが愛車。
農園をはじめたときセンチュリーで来てくださった。わたしが祝杯でベロベロに酔っているとき、鎌田社長は地域の家々を訪ねて「足立さんの保証人の鎌田です」と名刺を配って鹿児島に戻られた。
鎌田社長の大きな手を握れたことは嬉しいことだった。

昨夜はホタル見物

健太の食欲と食欲がない。太郎さんがマムシに咬まれた(2度も)ときは、約3日水は舐めたが餌は食べなかった。当日の太郎さんは若かった。獣医が心配するのは健太の年齢15歳?(不明)食べないことで体力が低下する。
鶏肉やパンなど与えても動かない。夜中に何度もようすを見に階段をおりた。
眠れないからプレミアムシネマ「ブラックホーク・ダウン(140分)」をみた。ソマリア内戦の事実が作品になっており、市街戦が気分が悪くなるぐらい臨場感たっぷりで、眠れぬ夜になった。
朝4時、食べない健太の喉にアリナミン錠をひとつ押し込んだ。幸い小便はでる。パンを置いて土曜日の配達に6時すぎに出た。わたしも食欲がない。
今年は蚊の発生が早いので、きのうの獣医さんにフィラリア予防薬を配達の最後に買いに行った。晩秋まで毎月4頭の薬代が要る。
健太に肉と牛乳を買って農園に戻った。自宅から来た家内が「健太が黄色いオシッコをした」それと「パンを少し食べた」と教えてくれた。黄色はアリナミン。パンは朗報。牛乳も少し舐めてくれた。
きのう高橋源一郎を日記に書いた。ほんとうは、彼の執筆は富士通ワードプロセッサ「オアシス」しかもキーボードは「親指シフト」わたしは、この「親指シフト」キーボードはブラインドタッチで相当早い入力をしていた。そこが話題の落としどころだったが忘れていた。
だいぶ前、宗教学者の山折哲雄さんも日記の話題にした。あのときは、山折さんがユダヤを例えにあげて「契約は契約書だけでは成立しない。義と情の裏付けが要る」そこにピントを合わせる予定がコースを外れていた。
最近、話の的が外れることが多発してきた。

健太の大冒険

きのう夕食を食べない健太。おどおどして落ち着かない。健太が食べなかったのは先日手術の晩ごはんだけ。今朝も落ち着きがなく食べない。
健太は猟犬でありながら銃声が苦手でわたしが保護した。
今回、わたしの診たところ、きのう午前中の落雷。かなり至近距離だったらしい。聴覚が鋭いのかもわからない。2食抜いたので今夜は食べさせようと鶏肉を買ってきたが食べない。歩き方がおかしい。4本の足を触っても大丈夫。ところが尿道付近が異常に腫れていることに気がついた。腫れているから歩き難い。
先日手術をした美祢の獣医さんに連れて行った。触診とわたしへの問診から導き出した診たては「毒」つまり、なにかの毒虫に刺された。時間が経過しているので痛み止めと解熱剤を注射。小便が出たら毒も出る。それで幕になった。
太郎さんは2度もマムシに咬まれた。はじめのとき、この獣医に電話をしたら70時間で毒は出るから、来なくてもよい。放置するのが薬と言われた。
健太。想像すればムカデ。いつも金たま。健太の大冒険。
母はおだやかな毎日を過ごしている。入浴のとき体重をはかるのだろう「太ったと言われた」と笑う。食べては眠る生活リズムが身についたよう感じた。
午前中の運転中はラジオ「すっぴん」が楽しみ。特に金曜日は高橋源一郎(作家)がパーソナリティー。5回の結婚。そこから出てくる会話は、結婚2度目のアンカーの藤井彩子さんとで面白い。藤井アナの艶のある声も好き。
来週金曜日(22日)の高橋源一郎「すっぴんインタビュー」は、作家の高橋弘希(30歳代)が登場。作品「指の骨」は、南方戦線の野戦病院。死が日常の戦地を帰還された元兵士にインタビューして作品になった。
美化された戦記物ではなく、現実を描いた活字から戦争をわからなければならないと思う。来週の金曜日が楽しみ。

ヤクルトレディ

火曜日(12日)の午前中、激しい雨の時間があった。ヤクルトを配達している真砂恵さんもこの雨にあっているだろうと心配だった。夕方、雨のなか仕事がたいへんだったろうとメールを出したら「バスタオルを用意してくれたり、あたたかいコーヒーで待ってくれたり、雨でも素敵な1日でした」と返信があり、みなさんのご親切に感謝した。
今朝8時半ごろから下関は落雷と豪雨がしばらくつづいた。わたしは長府を走っていた。雨もおさまりお昼前、南風泊市場の階段でまつ毛の長い金髪ヤクルトレディが、ずっしり重そうなバックを肩からさげてすれ違った「雨に遇ったか」と唐突に声をかけた「はい。でもヤクルトのお客さまは親切な人ばかりですから」と笑顔「えかったの」と手をあげた。
木曜日の朝は、小月ホースパーク(黄正吉さんご紹介)に届ける。馬はわからない。けれども輝く毛並みの馬たちは間違いなく手入れされている。馬術競技数々の栄冠が自宅の奥に見える。寡黙な主と長男が天候に関係なく働いている朝7時すぎ「鶏の食費は1日、約12円ですが馬はいくらかかりますか」と寡黙な主に声をかけた「800円ぐらいです」と、はじめて笑顔を見た。6〜7頭はいるから餌代も要るだろう。
農園をはじめた頃、松村御大のご紹介で、下関市内の証券会社支店長が卵を買いに黒塗り運転手の車で通われはじめた「配達しますから」で以後、支店長が替わっても社員さんの卵を届ける。裏口通用扉の「主」は守衛さん。配達当初から4代目「はじまりました」と言われた。裏口扉のロックは数日サイクルで変わる。それを昨日、なにかのはずみで4桁を忘れて、ご自分が中に入れない珍事(騒動)になった。その後遺症で元気がなかった。わたしの同じような事例で慰めた。
「よしの談義」読書家の主が読んでいるのは大岡昇平「ながい旅」映画「未来への遺言」原作。わたしが読みたい「野火」の作者だった。
「野火」は、火曜日のお客さまに頼んでアマゾンから手に入る。
久しぶりに「よしの談義」が白熱した。

海馬の衰え仲間

水曜日の配達さきおばあさん、数回前から玄関に出てこられない。今朝ご家族が、83歳です認知症のようですと出てこない(出さない)理由を言われた。わたしは半年以上前から薄々感じていた。代金の計算ができないとき、財布をわたしに出して「とってください」という場面が何度かあった。家族は入院を考えておられるようす。他人事だから意見は言わないが自宅のほうが幸せと思う。
木曜日の配達先でも認知に疑問を感じるお宅がある。先日火災で全焼。消防士が捜したとき押し入れの奥にばあちゃんがおられたらしい。サイレンと物音におびえて「火事ですよ!」と消防士が叫んだら「どこが火事ですか」と火事場の珍問答があったらしい。現在、市営住宅の仮住まい。卵の数と集金方法で毎回トラブルになる。行きたくないが、隣が卵のお客さまだからスルーできない。
小野田市で自動車修理店のご高齢。先日タバコを買いに行ったら出会った人から名前を呼ばれ「元気かね」その場でタバコを2本吸う時間ほども世間話をしたが、その間相手が誰かわからない。別れた相手が車に乗り込み走り出したとき、車を見て相手がわかった「情けない」とうつむいた。
井上酒店のお客さまにも財布をひろげて「とってくれ」がおられると聞いた。
わたしも日々、海馬の収縮を実感する場面が多発している。
井上酒店の友人が小野田市内で時計や眼鏡のお店をされている。家内の時計を買ったときの応対から実直な人柄を感じた。わたしの時計(防水仕様が特殊)も部品を手に入れて一週間で完璧修理してくれた。他の時計店に修理に出したら1ヶ月以上待たされ、一万数千円払ったがすぐ壊れた。
2日前、30年ちかく使っているサングラスのネジが外れたから修理に持参した「これはレイバン(商品名らしい)だから、アメリカ軍の規格でつくられ丈夫な物です。ネジは特殊ですがあります」とさがして修理してくれた。特殊なネジは300円。
雑談で今度、遠近両用眼鏡をこの店で買いたいと思った。この眼鏡は使いはじめに丁寧に使用方法を教える、そうしたら身体の一部になります。この言葉がよかった。
タブレットに「防災速報無料アプリ」を入れた。きのう朝からの豪雨では行政から出される豪雨情報をキャッチして頼もしく感じた。今朝の岩手県地震は緊急アラームで知らせてくれ、すぐにテレビをつけた。
情報の洪水をどう生活に生かすかは自分が決める。かなめは自分。

停電で熟睡できた

台風6号の影響で梅雨前線が刺激され、昨夜から朝まで、雨と風が窓ガラスを強くたたいた。昨夜、断続的に2度停電もあった。発電機を始動させるほど夜中の電力は不要。水洗トイレの水を井戸から汲み上げる電力は要るが、ヘッドライトをつけて雨具を着てまでして発電機を使い、トイレの水を確保する気になれない(傘をさして外でやればよい)むしろ真っ暗でよく眠れた。

3時半起床。まだ雨はふっていなかった。老犬の太郎さんは雨で濡らしたくないので散歩はトップバッター。暗闇を歩きながらいくつも排便。あとの2頭から大粒の雨になった。
配達に出る6時半頃は雨具が役にたたないぐらいの風雨。雨具は完全装備で走りはじめた。お昼前には小雨になった。
掃除で出会ったが酒飲み友達になった久仁夫(ゴルフ店)さん。あの頃はバブルの黄金時代。湯田で一次会をして新幹線で広島まで二次会に行った楽しい思い出もある。いまはお互い枯れてしまい、当時を懐かしむ会話しかない。彼は自転車をはじめた。先日は山口市の自宅から萩市三見の実家墓参りを自転車で挙行。往復120キロを8時間での快挙を聞いた「罪滅ぼしですか」と冷やかしたら「バカを言いなさんな」
今朝の豪雨で歩くことはあきらめて、両足に合計1キロのウェイトを巻いて火曜日の仕事をした。エレベーターは使わないからよい運動になった。
美祢「よしの」が長期休業。きのうから再開された。美容室の中井さんは月曜日は休みだから再開祝いに行った「いつもの繁盛でしたよ」と笑顔。
県内美容業界では大御所の糸賀社長に聞いた「いまは5ミリのバリカンでカットしているが、坊主頭は月に2度カットに通わないといけない不経済。どうすればよいでしょう」即座に「千円カットに行きんさい」わたしの問いに明確な返答。
火曜日を楽しく終えた。

佐伯桜の由来

月曜日は岡本拓也さんのお宅からはじまる。拓也さん、下関トヨタの店長時代にお掃除の会にご縁をいただかれ現在も掃除人。
拓也さんに感化され、佐伯工場長も掃除に参加され、たしかわたしと同い年でもあり仲良くした。がんで入院された。
今朝、拓也さんに「ご命日は、5月のいつでしたかね」と聞いた「9年前の5月7日でした」拓也さんは毎年仏壇献花に通われている。
亡くなられる少し前「なにがしたいかね」と病室で佐伯さんに尋ねたら「島原(長崎県)の寺にある墓に参りたい」と言われた。病院との交渉は佐伯夫妻がやり、わたしは仕事の調整をして島原日帰りを決行。
ルートは有明海をフェリーで往復した。涅槃像のある寺の墓地にゆかりの方の墓がある。佐伯さんは、そうとう長いお経を声をあげて唱えられた。一度きいたぐらいでは理解できない複雑な生い立ちがあり、奥さまも結婚のとき主人の履歴が記された謄本をみて驚いたと言われた。
幼少時代、この寺にあずけられ修行された。住職にかわり法事に何度か出向いたこともある。寺への布施と小坊主への駄賃をわざと間違えたふりをして、法事の帰り道で豪華な食事をした笑い話も聞いた。思い出深い旅だった。
一周忌の前、奥さまと長男が農園に生前のお礼に来られた「役立ててください」と封筒を置いて帰られた。その全額に少し足して桜の苗木を20本買った。農園そばの川土手にユンボで穴を掘り「佐伯桜」植樹の日を決めた。数名集まった仲間に佐伯さん長男もいた「母から頼まれた」と遺品の時計などを持参した。それも桜の根元に埋めた。
今年も川土手を桜が飾った。遺品のひとつ「表札」は埋めないでわたしの部屋にある。赤間神宮で挙式をされたとき宮司が書かれた佐伯義広の達筆。
今朝は岡本家での立ち話で佐伯さんを偲べた。
いつもは玄関に発泡スチロールの箱があり、なかに卵を届けるから雨など心配のないお宅に発泡スチロールがなかった。空は曇りだったので降雨予報を調べたら午後9時から降りはじめ。ならば安心と玄関に置いたのは1時。2時半ごろからワイパーを使う雨になった。もしも濡れたらがっかりされるだろうと思い引き返し、おおきなビニールで包んだ。

お掃除の聖地は大正村

岐阜県恵那市明智町「日本大正村」3代目村長に竹下景子。の新聞記事が目にとまった。わたしは、この村を訪れ村民登録を(寄付)している。
鍵山秀三郎先生が、ひとり会社のトイレ掃除をされていることを、明智町の町興しグループ、赤字路線で廃線の危機に直面もしていた明智線存続運動。
過疎で古いものしかないから、これを「大正村」として観光地にして、明智線の乗車率もあげて町の生き残りを模索するグループがあった。
古いからダメ。ではなく、古いから磨いて使おう。その議論のとき、鍵山先生を招いて講話をしていただく企画が決まった。
後日、講演がおわりその場で「日本を美しくする会」が発会した。お掃除の聖地。

今月末は、母の願いの墓参り。病室の母は、それがいま一番楽しみのよう。今朝も歩いて寺まで行く道を記憶をたどりながら教えてくれた。
病室の窓からキスゴのさし網がたくさん見えはじめた。この一帯は5月からキスゴがたくさん釣れた「100匹釣ったら帰ろう」小船で沖を流し釣りした昔を思い出す春の周防灘。
農園に戻る途中、持世寺温泉に立ち寄り湯。露天風呂でリフレッシュできた。

読みたい本二冊。
大岡昇平「野火」
高橋弘希「指の骨」

野火は。フィリピン戦線で負傷し、所属部隊や野戦病院から見捨てられ、食糧がなく人肉を食うかどうか。自分の信仰に照らし合わせた。著者の実体験。映画化されてもいるらしい。
体験者から聞き取り、本になった「指の骨」も同じような内容らしい。

戦争を美談のようにまとめる作品にわたしは浸かってきた。だから読まねばならないと思う。

沖縄戦没者遺骨収集の奉仕に何度も参加した。遺骨を布袋に入れながら、沖縄戦は4月から6月。20数万人の放置された遺体は腐り溶けたであろうと思った。

学者の発言あてにならん

今朝は台所を磨いてから配達に出た。

下関トヨタの江口店長が長門店に異動になり、わたしの愛車は、雇われママが店をかわり、一緒に次の店の客になったように長門店に移籍した。
土曜日は長門店の前を通過するので便利。今朝はオイル交換に立ち寄った。来年1月でまる3年になる愛車、今朝までの走行距離は15万キロ。消耗品は交換しているが、トラブルは1度もなく軽四とはいえ品質はたしかである。
明日は家内の車が定期点検。江口店長が農園まで片道1時間半かけて引き取りに来られ、夕方納車に来られる。
桜島と箱根の様子がとても気になっている。御岳が噴火する数日前、NHKテレビ特集があり「火山噴火」がテーマ。わたしは関心があるから見た。結論から言えば、さし迫って危険な山はないと火山学者が結んだ。
放映から数日あとの御岳噴火災害のとき、あの火山学者が会見をひらき「予知はきわめて難しい」と言うから驚いた。
おそらくたくさんの予算(税金)を使っているのだろう。それが、この程度の会見内容。
この度、箱根もこの学者が、わたしでも言えるぐらい自信のない会見しかできない。
クローズアップ現代も、あの「火山噴火」特集番組も内容精査が要ると思う。
土曜日の昼はもやしラーメン。やはり缶ビールは必要だから、美祢のスーパーマーケットに立ち寄り、プリン体と糖質「0」のロング缶を買った。
昼寝から起きてトイレと風呂掃除。

鶏糞サプライズ

録りためたテレビ録画を見る時間は、早く寝た夜は深夜に目が覚めるので、この時間が再生になるのがわたしのスタイル。
2時に目が覚めたので「ロビンフッド」を4時まで約半分みた。
十字軍を背景にイギリスとフランスの戦争。イギリスのロビンフッドが大活躍するわたし好み。
戦争といえば、先日の「歴史ヒストリア」は、日本海軍の「伊400潜水艦」だった。世界一(全長120メートル)の艦艇には3機の戦闘機が折りたたみ格納。アメリカ艦隊がドイツ・イタリアを破りパナマ運河から太平洋に出てくるのを阻止するため運河破壊の目的で建造された。制海権・制空権を失った日本は、海底から浮上して攻撃機を発艦させる技術を開発して、アメリカ本土空襲もやった。日本人の技術力に戦後の米ソが驚いた。

5時までに犬の世話をすませて草刈り開始。6時半に予定の面積は刈り終わり。エンジン高圧洗浄機の水圧で草刈機を洗い流した。
先日、今村さんが「鶏糞を買いに行く」と言われたので、軽四トラックに10袋積み、長野県カボチャの種を下関理髪店(鉛筆画の中山さん)からいただいたのが発芽していたのでそれも。農園スタートのとき、お掃除仲間からいただいた香りたかい朴(ほう)の花が咲いているので、それもお土産に今村さん宅に走った。
昨年の今ごろ、夕暮れに今村さんが農園に来られた。ご自宅に自生している(ぽぽ)木を「珍しいから植えてください」と、枯れることも想定して二株掘りあげてお持ちいただいた。そのお気持ちが嬉しく、いつかは嬉しい気持ちのお返しをしなければと思っていたから鶏糞はそのチャンス。片道約20分。これでお礼ができると嬉しかった。
思いがけない早朝の鶏糞サプライズにたいそう喜んでいただいた。
お付き合い(絆)は、やりとりする値段ではなく心で決まる。
この絆を軸にわたしは生きる。
散髪や母見舞いを終えて昼はプリン体0のロング缶で昼寝。
起きてから、普通の草刈機を肩に担いで2時間汗をかいた。
今夜よく眠れそう。

痛風が再発

朝6時半までに、農園基本的な作業をすませて週の山場(走行距離・配達軒数と数)の下関をスタートした。およそ250キロ走り4時にゴール。
やれやれとシャワーでビールにはならない。約2時間草刈りをした。やらなくても誰からも文句は言われないが、きれいになったほうが見る人も、働く人も、なによりわたしの気持ちがよいからやる。
農園をはじめた当時、焼き肉とビールが多く、靴をはくと足の親指が痛くなり痛風。ビールと肉を止めたらよいと診断され、薬は使わず治った。あの時の痛さが最近よみがえった。左足の親指が赤くなり痛い。
金曜日は仕事をしないことにしたのは昨年11月。母に会いに行き、温泉経由でお昼に農園に戻り、ロング缶を飲んでも、まだ飲める。新聞や本を読みながら昼酌が長くなった。寝るまえに「もう1本」も頻繁になり痛みが「ええかげんにせえよ」のサインを出した。今夜からウィスキーお湯わりでリラックスして、とどめは焼酎ストレートの健康生活をやろうと思う。
内蒙古大学で学び、日本で清貧暮らしをされていた「廣さん」は、松村御大からご縁をいただき、彼のガイドでホロンバエル草原を経てロシア国境の満州里(マンチュウリ)は、当時、唐戸魚市常務(今は市長)の中尾さんと旅をした。蒙古族のパオがホテルで、毎晩記憶を失う酔いかたをした(酒は60度でチェイサーはない)
次は、廣さんと二人でゴビ砂漠の内蒙古を旅をした。
広島掃除の大御所、井辻さんが「ハガキ道」を実践している廣さんの応援団長。広島掃除のお手伝いに行ったとき「終わったら廣さんの家に飲みに行こう」と誘われた。子供さんがうまれ家計が大変そうな自宅に行き、井辻さんの差し入れをたくさん。奥さまの水餃子や中国料理で騒いだ。あの頃の廣さんは「中国と日本の架け橋になる」と志しをあつく語った。井辻さんは北京や上海で現地の大学生を巻き込み、毎年お掃除の会をされている。自身が満州うまれで、とりわけ中国に想いがある。
その廣さんからさきほど電話を受けた。上海で上流階級暮らしらしい。カンボジアでたくさんビジネスチャンスがあるから行きましょう!
今は草刈りが忙しい。

家内はくじ運あり

8時に今村談義が楽しみ水曜日。
大型草刈機をきのう夕方使った。入念に掃除と手入れをして、約1ヶ月シートをかけて保管する。高圧洗浄する前に、この機械を使えば効率のよい場所(平地・広い面積・草の背丈が高い)をすべてやらないと掃除はやらない。
8時に今村さんのお宅に着く作戦は、4時から犬3頭の世話。基本的な鶏の世話を1時間でやる。5時から6時半まで草刈りタイム。それから味噌汁など朝食と食器を洗い、7時前に出て、八幡宮参拝。それでスケジュールをたてた。3時半に起きててきぱき動いた。
今朝は長袖シャツでは寒く、薄いジャンパーもはおって草刈りをした。暑いより寒いほうがよい。
定刻に今村談義がはじまった。裏口の立ち話ではあるが、お互い一週間考えたことを話し、それに意見を加える暗黙のルール。傍聴はカルタクィーン。会話の中に割り込みたくいつもウズウズ顔。今朝は連休でカルタ修行の女子高生が泊まっておりギャラリー。
彼女は藤野先生「数楽の会」にも参加している。カルタは好きだが勉強は嫌い。それを今村監督が「競技カルタは、約1時間の精神集中だろうが、授業を精神集中のトレーニングの場と考えて集中してみろ!」と指導したらしい。
彼女はカルタが強くなりたいから監督(元専修大学野球監督)の言うとおり、授業に集中した。成績がグングン伸びはじめた。今は医学部をめざしているらしい。
カルタ師匠の奥さまと同じように監督を師と仰ぎ「行くぞ」と誘われたら「数楽の会」にも顔出す。
大きな商いをご両親がされて、彼女は孤独だったらしい。監督は、ご両親はおまえのために身を粉にして働いているのがわからんのか。と言ったこともあるらしい。
30分、今村談義を済ませてわたしは走り出した。監督のあとから一輪車に農機具をのせ、畑に向かう彼女を見た。師弟とはこのような姿だと目に焼きつけた。
大型連休の変則的な仕事も終わった。今夜は家内が来てくれた。朝、病院の母を見舞ってくれた、その話を長々しながら「あっ!」は、1枚が200円のスクラッチくじで1万円が当たった嬉しい話し。
わたしは約7万円ぐらい買い続けて、獲得したのは4000円ぐらい。がく然とした。

草刈りであせをかいた

火曜日の山口市内は、学校や会社の配達が多いからGW中は個人のお宅になり、納品の数は減る。足早に配達すれば、いつもより2〜3時間早く農園に戻れる。その余裕の時間を、個人のお客さまとじっくり話ができたらよいのが「きょうのテーマ」
お留守のお宅もあったが在宅なら、年齢・性別をキーワードに話題のジャブを出す。そのどれか(旅・グルメ・温泉・家族・戦争・趣味など)に反応があれば、わたしの引き出しを開けて会話をはずませる。
前の仕事でも感じていたが、よいモノを売らなければならないのは原則として、売り手と買い手の人間関係が大切だと思う。
無駄口をたたきながら、いつもより1時間早い3時に戻った。尾を振りまくる犬たち3頭の排泄を済ませて、草刈り2時間。
この元気は、明日の朝参りで御礼。
糸賀社長(美容室経営・ニュースタイル)は70歳近いが、男のわたしから見てもダンディー格好いい。昔は日本酒をとことん飲んだ間柄。今はその元気はお互い枯れた。
けれども、維新の日本を興した歴史遺産認定にモノ申す国。便座も作れない国が虚勢をはるそれは不愉快ですね。でお茶をいただいた。
両足に1キロのウェイトを巻いて火曜日が終わった。心地よい疲れ。

リハビリは裏切らない

月曜日のお届け、厚狭のMさん(70歳ぐらい男性)。昨年末の忘年会から自宅に戻る途中、県道を横断するとき車にはねられた。
集中治療室で処置後、三日目に意識が戻った。骨折は複数ヵ所あるが内臓と頭にダメージはなかった。
奥さまは主人の回復も願いながら、加害者になってしまった若い女性のことも心配されていた。
きょう150日ぶりにご主人が在宅だった。わたしが長嶋茂雄さんの名言「リハビリは裏切らない」を奥さまに伝言した。それが支えになり、つらいリハビリに耐えた。ありがとう。
約10キロ痩せておられたが、好きな酒とコーヒーを強制的に断たれ、そのうえ病院食のおかげで持病の血糖値と血圧は改善されたらしい。

数学の藤野先生推薦番組を発見した。
7日午後11時すぎEテレ。
哲子の部屋「人生を楽しくする哲学(1)」
講師は國分功一郎。

今月の農園日記ミニアルバムに登場の菊川さん。開廊40周年「ありがとう」展のご案内葉書をいただいた。
期間は10日から22日。「ありがとう」の暑は故松田正平画伯。

昼寝たっぷり

ラジオ月曜日から金曜日の「午後のまりあーじゅ」は山田まりや軽妙なトーク番組でファンになっている。
4月から火曜日パーソナリティは、1988年宝塚雪組のトップスター「杜けあき」さん。サプライズの生歌と大人のトークはわたし好み。
その彼女が、初登場のとき父親を語った。仙台警察署の署長時代、職場の掃除は父親が一番早くからしていた。その理由を尋ねたら「官舎に住んでおり、職場に一番近いから」
父親が大切にしていた骨董品を、彼女が子供のころ壊した。母も姉も帰宅した父親が激怒する場面を想像した。彼女は押し入れの奥で震えて帰宅を待った。帰宅して事情を理解した父親は「出てきなさい」物は必ず壊れるから心配するなと諭した。
その父親に往復ビンタをあびたのは姉との姉妹喧嘩「二人しかいない姉妹が、なんで喧嘩するのか」と。

美祢の黄正吉さん。
杜けあきさんの父親話を感動をこめて、きのう話した。
「あのね」で黄節がはじまった。要点は、父親を受けとる本人の心の成熟度。美談もあるし、大酒呑みで妻に暴力をふるった父親もあるかもわからない。
美談にならない父親がいたとしても、それを反面教師として生きる人もある。体験したことのすべてを心の糧にできるのは、人としての成熟度と言い放った。さすがに正吉さんだと思った。
配達さきで、わたしの考え方を深めてもらえる。

こころの時代・宗教「生死(しょうじ)を生きる」。「納棺夫日記」著者で、冠婚葬祭会社顧問の青木新門さんに、金光寿郎さんがききてとなった番組がEテレ朝5時からアンコール放送があり録画できた。
3000人のご遺体を納棺した立場から、生きること、死ぬことを語られるようで興味深い。時間をみつけて落ち着いて観たい。

今朝も母は眠たいようすで会話にならない。枯れていくとは、こういう姿であり、これが自然だろうと思えた。
先週の疲れが、午後から2時間の昼寝でとれたように思う。

記憶力に問題あり

木曜日の加奈ちゃんパン教室。生徒さんが「萩市内です。10個の配達できますか」と尋ねてくれた。
萩市は土曜日に常茂恵旅館に毎週お届けするから、常茂恵から遠くないか、もしくは長門市に行く途中ならOKした。旅館の近くらしいのでメールで住所とお名前をいただいた。今朝、旅館が終わり助手席のタブレットに案内させて目的地にピタリ着いたら、ご本人が出迎えてくれた。
加奈ちゃん関係者は増えている。ありがたい。

今週は島原市の訃報があり、仕事は変則的になり走行距離も多くなった。目が疲れたのか片目が赤くている。
今週、がく然とした出来事があった。三回も。
ひとつは、月曜日の夜に火曜日のお客さまからメールで数の変更があり、了解の返信をした。そのメールを忘れて火曜日。幸い野菜工房に配達した卵を買いに行きつくろえた。
水曜日はふたつも出来事が発生。
井上酒店に配達すると電卓を置き忘れる「クセ」がある。ほかではないが、この店ではさいさいある。店主から「大丈夫かいの」と電話があった。
火曜日の夕方、水曜日のお客さまから電話を受けていたことを、水曜日の日中に着信履歴で知った。確かに着信しているが、電話を受けたこと、もちろん内容までわからない。
このまま済ませるわけにはいかないので電話をした「昨夜の電話内容の記憶がなくなりました」たいへん驚かれた様子が伝わった。数の変更を連絡されたらしい。
水曜日の夜、井上酒店に自己嫌悪の理由を電話したら「自分もたくさん記憶喪失の失敗はある。夕方から電話は切ること」とアドバイスを頂戴した。母の緊急があるかもわからないから切ることはできないが、テーブルと枕元にメモは置いておかねばならない。記憶力に自信がなくなった。
午後から、久しぶりにゆっくりゴロゴロできた。

歴史に学ぼう

ベトナム戦争終結40年。当時、小倉に行けばアメリカ軍放出品の店があり、大きな三角テントを買った。ストーブも使える構造で、ハンモックスタイル。数発の弾痕は補われていた。
BS放送で前後2回にわたり「サイゴン陥落 緊迫の脱出」をみた。北ベトナム軍が迫るなかアメリカ大使館や在アメリカ人数千人をヘリコプターで、海上の艦艇に移送作戦。あのアーミーテージは海兵隊の指揮にあたっていた。ヘリにはアメリカ人を乗せよ。の命令に大使館はヘリ1機にアメリカ人数名、他は大勢のベトナム人。大型ヘリの編隊は20時間以上往復を重ねて、収容できなかった現地人は数百名。その緊迫の映像が2夜にわたり番組になった。
昨夜は、ベトナム戦争当時は中立を掲げたラオスにおびただしい不発弾が現在もあり、農業が危険でできない映像があった「ラオス不発弾の大地」
ホーチミンは兵站ルートをアメリカの空爆から確保するため、クモの巣のように張り巡らした。ラオスのジャングルや耕作地の道路にも。日本の本土空襲より多い空爆がホーチミンルート寸断のため落とされ、そのクラスター爆弾などでラオスの営みは困難な状況。戦争が終わっても、傷跡は癒えない。
平和のために戦う大義はあるのか。五島の迫害を受けた無抵抗だったキリスト教信者が「あれだけもやられて、許す」その心の力こそが、集団的自衛権と同じレベルでテーブルにあげなければならなによう感じた。
正志のピンチヒッターで金曜日を走った。くりちゃん・あんちゃん・クッキーに盲目犬の葉月。みんなが私を覚えてくれており嬉しかった。半年ぶりの私にお客さまとも長談義になった。
この仕事はやりがいがあることが、よくわかった。