月別アーカイブ: 2015年7月

白髪頭もなりゆき任せ

昨年の秋から、金曜日は仕事はしないときめている。母が存命のときは朝食時間に着き、ゆっくり時間を過ごす金曜日。いまは犬の数まで少なくなり朝がゆっくりになった。
梅雨明けで伸び放題の草が気になるので、薄暗い5時から草刈りをスタートした。約2時間しっかり汗をかいた。
汗をながして朝ごはん。愛犬と散歩。コーヒータイムまで贅沢ができた。
小郡まで片道30分。散髪に行った。最近どんどん白髪が増えてきた。これは年齢がそうさせるから特別気にならない「染めなくても、白髪ボカシがありますよ」と顔を剃りながらお嬢さんから言われた「またお願いします」と断った。
ハッピー推定7歳。農園に来たときは歯石はなく真っ白だったが奥歯に歯石がある。太郎さんはこの歯石から歯肉炎になった。きのう獣医を訪ねて麻酔をして歯石をとることを相談した。歯石を無理やりとるとエナメル質まで失うから、牛か豚の骨を噛ませたらよいと指導された。
散髪のあと豚スペアリブを買った。味付けなしで焼き、ざっくり肉をとり、肉はわたし骨は愛犬の夕食後のおやつ。マダニとノミ駆除のフロントラインも買い首筋につけた。
犬の数が多いと餌代とフィラリア予防薬半年が財布を窮屈にしていたが、これからはハッピーと自宅の黒柴だけだから人並みの飼育をしてやろう。今度はよい首輪を探してみよう。
農園は屋根と壁の断熱がしっかりしているのでクーラーなしでゴロゴロできた。

ギラギラ猛暑

梅雨明け宣言。これまでのジトジト空気が一変、猛暑の日照りになった。お米農家には恵みのギラギラ太陽。

母が生前には病室まで通った。身体がなくなり約50日が経った(仏教では49日)最近、農園の部屋で母を感じる(表現が難しい)。遺影に手をあわせ(カタチ)なくても、母が寄り添ってくれているような実感がわいてきた。
8月に入り家族が揃い、金光教の50日祭りを太秦から先生にお越しいただきお仕えする。
木曜日の配達先で「ご苦労さま」と冷たいお茶やジュース。栄養ドリンクなどをいただき、普段は口にしないジュースや栄養ドリンクなどを断らずにいただいた。
老夫婦のお宅。いつもの勝手口をあけたら、ばあちゃんが上半身裸で汗を拭いていた。ばあちゃんは恥ずかしい。わたしは見てはならない姿を見てしまった。60年前なら見たかった。
次々に仲間をうしない1頭だけになったハッピーが元気を失っている。

やっと梅雨明け

26日夕方、今村さんが菜園の野菜を届けてくださった。とにかく上機嫌にはわけがあった。
この日、高校野球地方大会。千葉で専修大学松戸が決勝戦で勝ち、甲子園初出場を決めた。数ヶ月前、監督にこわれて千葉まで野球を見に行き、詳細な評価監督にした。選手を集め「実力はある」などおおいに激励をとばした。
甲子園に応援に行きたいが、短パンにランニグン。ビーチサンダルでは知り合いが多く「監督」と挨拶されるから、そこそこの格好になる。それが暑い。
今村さん、この夏は熱くなる。

仲間(太郎さん・健太)の姿がなくなり、ハッピーが落胆したのか食欲が落ちた。わたしも朝夕の散歩が楽になりそれが寂しい。

吉部八幡宮の朝参り。祖霊殿の西君に「はなちゃん・太郎さん・健太を頼む」と手をあわせた。

健太が消えた

夜の暗闇で命のおわりを待つ健太がふびんで眠れない夜になった。健太の番犬任務に就いたハッピーが激しく吠えたのは8時過ぎ。車のライトを点けて健太まで走った。まだ呼吸はあったが痛みに苦しんでいる。地を這う虫が目や口、鼻に入らないよう木材を枕に頭を高くした。健太がわたしを見つめた。
断片的な浅い睡眠は、ハッピーが吠えたら飛び出す(金属バットを持って)緊張感と健太のまなざし。安楽死ができなくてよかったのか。わたしには、よかった。

薄暗い5時に健太。木材を枕に冷たくなっていた。たくさん涙がこぼれた。用意していた布に包んだ。
早く埋葬してやりたい気持ちで、朝食は簡単に済ませた。ユンボで太郎さんと、はなちゃんの中間に、深さ1メートル掘りほおずりして埋めた。線香をあげて自宅の家内に花を供えてくれるよう頼んだ。
1ヶ月と半月で、母と太郎さんに健太がいなくなった。
悲しくてしかたがないが立ち上がらなければ。

数楽の会ご案内

能楽師 安田登師。
私にはまったく無縁の幽玄の世界(能)を「数楽の会」を主宰されている藤野先生のご縁で安田登師から能(師弟関係が印象深かった)、甲骨文字(うどん吉野さん興奮)、奥の細道(少し理解)など、数回にわたり吉部八幡宮本殿で、お賽銭で聴講させていただいた。
最近は、吉部小学校(過疎)で話され、菊川画廊がオブザーバー聴講して感激。帰りに書店に立ち寄り「安田登先生の著書ならなんでもよい」と買われた。
その安田登師が来られる日程が藤野先生から届いた。
数楽の会 開催
8月5日(水)18時から19時半。
場所は、宇部市吉部ふれあいセンター
費用は無料で、どなたでも参加可。
このHPをご覧になり参加を希望の方は、HPからわたしに出席メールをください。

健太の患部は、飼い主のわたしだから正視できる。朝、介助してシッコはさせた。苦痛で目付きが違う。鎮痛剤を喉に入れようとした瞬間、左人差し指を噛んだ、瞬間に右手で上顎を力まかせに引っ張り指は大丈夫。健太の歯は鋭く顎の力もある。気が荒くなった。
作業場に寝かせて問題がおきたら困るので、慎重に抱いて屋外の定位置に寝かせた「戻ったら獣医に行く」と家内に告げて仕事に出た。
金曜日の夕方は鶏レバーをたくさん食べた。土曜日は豚肉を少し。日曜日と今朝は食べない。
さきほど農園にもどり冷たいペットボトルの水を口元に近づけたらボトルに噛みついた。形相が狂暴に変わった。
車に抱いて乗せるには危険だと判断。今夜はこの場所で寝かせる。キツネなど獣の番をハッピーにさせ、吠えたらわたしが出て行こう。今はこれより方法が見つからない。
いつでも涙がでるほど悲しい。

健太の命いよいよ

健太。朝の散歩は歩行が困難。倒れずにやっと戻れた。好物の豚肉とパンを与えたが食べない。手のひらにのせた豚肉は食べてくれた。
昼前に山口市内に買い物。豚スペアリブをカゴに入れたが、たぶん食べられないと思い直し、鶏レバーを買った。
さきほど歩かせようとしたが難しい。少しシッコは出た。もう何も食べず腹ばい。悲しいけれど手のほどこしようがない。

NHKラジオのリスナーで熊本県「ムラカミ・エイコ」さん。朝から夕方まで近況や感想に意見をファックスされ、それがよく読まれる常連さん。何年もお便りを聞いていると家族構成・お住まい地域・得意料理に趣味や年齢などがわかり身近に想像できる。
その「エイコ」さん。高校野球を5回も球場観戦された感想が今朝の投稿。
「エイコ」さんは、郡部から出場、名もない高校球児に声援をおくる。今年の応援で彼女が気がついて涙が出たらしい。バッターボックスに立った我が子に大声で声援をおくる母親。弁当を作り、洗濯におわれた母親もバッターボックスに立っていた。声援にそれに気がつき目頭をあつくされた。
努力すれば切り抜けられる困難なら全力を出す。けれども消えていく命には無力。
食べない。歩けない健太に解熱と鎮痛剤を喉に押し入れた。

西山さん・牧さんから便り

下関市内のお客さまから「萩市の知り合いが配達を希望している」と住所と名前のメモを一昨日いただいた。
新規のお客さまは、できるだけ事前に、余裕を持って自宅を確認してから、初めてのお届けを次週ぐらいからするように最近からしている。
目的地にたどり着けず焦ってトラブル寸前のことが年齢的に多くなったから。
今朝の萩行きは30分早く農園を出て、新規のお客さまお宅を確認した。来週からお届け。
長門市の漁村に配達。漁船の係留を見ながら漁港沿いを走った。
わたしの自宅から近い場所にも漁港がある。台風が接近すると、当時は現在ほど詳細な台風情報がなく、漁師の経験と勘から台風の危険を察知して漁船の係留方法(ロープの数なと)が変わり、わたしはそれで台風予測(判断)をしていた。
今朝、野波瀬漁港の風景に緊張感がなく、12号台風を占った。
午後から農園トイレ掃除と昼寝。

小野田市の西山将光さんから、長男2歳・長女100日の幸せ写真ハガキが届いた。わたしも嬉しい。
鹿児島県加治木の現場から牧さんメール「鹿児島弁がわかりません」牧さんの宮崎弁、家内は「わからん」を連発。牧さん元気に活躍に嬉しい。また立ち寄りを心待ち。

今朝の健太は両後ろ足つけねのリンパ腺が腫れて歩行が困難。シッコもウンチも出ない。ゆっくり長い距離を歩き両方が出た。食欲はなく豚軟骨をふたつ食べた。昼に鶏レバーを煮たら食べてくれた。
暑いが部屋ではクーラーを使わず過ごした。農園の早朝は涼しすぎる。

新ルート開拓

木曜日の配達(下関市内)先が徐々に増えている。
小月は最初の配達地域。お客さまにお願いして7時過ぎに玄関先や郵便受けに届けてスピードアップしてきた。金比羅交差点近くの「あの米店」東行庵近くの「茶房庵しみず」は、近隣のみなさんへの中継拠点。さらに湯本の大谷山荘も納品時間に制約がある。
この道を迂回すれば時間的ショートカットができそうな道が安岡にある。地図でも確認した。けれども道幅など地図情報では判断がつかない。きのう木曜日も走ってみようかと気持ちがゆれたが、もし時間オーバーになれば以後のお客さまに迷惑をかけるからいつもの道を急いだ。この「いつもの道」は交通量と信号機が多い。
今朝、金曜日の骨休めを返上して、あのルートを走ってみようと決めた。下関安岡まで片道1時間。迂回してみた。予想どおり菊川内日(うつい)に出た。時間的には20分近いショートカットになる。来週から少し気持ちの余裕になる。
昼前に農園に戻り、軽四トラックでパレット工場の廃材置き場に、焼却の薪を取りに行った。玉のような汗が出た。
シャワーで着替えてプリン体0を2本。昼寝が1時間。
健太はウンチもシッコも多少出た。

ヤクルトまつ毛の男の子

下関市内「浪花」のお届けが10時前、大将の荒川さんと会話の最中にメールが着信。京都の照美(長女)から「名古屋の友達(金光教)西田さんの子供、こまこちゃんがNHKラジオ、子供なんでも相談に10時から出るから聴いて」こまこちゃんのお母さん(奈可ちゃん)は私も知っている。
ニュースの直後に登場「植物は、植物が先か種が先にうまれたのですか」小学2年生の素朴な疑問。わたしも知らないから音量をあげて聴いた。回答者が回答に困るのも番組の面白さ。
南風泊魚市場にいつものまつ毛ヤクルトレディが保冷バックを担いで階段を上がっていた。きょうは子連れ。
次女(真砂恵さん)もいまごろヤクルトの保冷バックを担いでいるだろう。
何年生かと男の子に聞いたら「2年生です」わたしの配達を済ませて車に戻り、お客さまからいただいた下関銘菓のどら焼を、階段をかけ上がり2年生に渡した「お母さんと一緒でええの」と言葉をかけたら笑顔がうなずいた。
わたしも幼いころ夏休みなどは母の職場が居場所だった。母がモンペ姿で鎌を使い草刈りや便所掃除についていったこともあり、母の玉の汗を覚えている。まつ毛の子供がいとおしく思えた。
配達を終えて美祢の獣医師を訪ねた。健太を楽に往かせる相談。会話を交わしてわかったことは、獣医師は動物を生かす努力はやる。けれども命を断つことは、できればやりたくはない。
もし、その場面がきたら私が打つからお願いします。
さきほど農園に戻ったら健太が尾をふって喜んだ。

朝は牛スジ・夕方は豚軟骨

朝参りの水曜日。宮司が「よお、ふりますの(雨がたくさん降りますね)」と、雨模様を方言で挨拶された。方言は心の潤滑油。
今朝の今村談義。奥さまは世界ジャンボリーで「かるた」を世界の子供に発信する日が近くなり気力充実のご様子。
東都リーグで23年ぶりに専修大学が春に優勝。今村さんも先日祝賀会に状況された話を聞かせていただいた。今回の優勝監督は、今村さんが監督時代に東都リーグで優勝を果たしたときの選手。つまり600人も集まった祝賀会で今村監督は輝かれた。わたしも嬉しく会の盛り上がりを聞かせていただいた。とてもきれいな紫色の自家製「しそジュース」が登場「銀座なら何千円じゃね」とつぶやいたら監督がうなずいた。
遠近メガネができた。使用上の注意がレクチャーされてかけてみた。驚いたのは、時計の日付がハッキリ見えた。はやく慣れよう。
一日、雨にうたれて戻り作業をしていたら上田さん(わたしの仕事や私事によい刺激を与えていただいた、東洋大学元ラガー。松村御大と萩の中学で仲間)が来園。わたしの日記で母のことを知りご挨拶。わたしが初代富士通日本語ワードプロセッサ・オアシス100を買ったとき、営業に来られたのが上田さん。自宅が「株式会社ぎじろくセンター」だから住宅街でわからない「どこですか」と道を尋ねたのが買い物に行く母。わたしとワードプロセッサの縁結びは母。
きょうは家内が農園に泊まる。よく見えるメガネで食卓。
健太は、朝は牛スジ。夕方は豚軟骨をたっぷり食べた。大便がでない。

健太の容体悪化

健太は雑種の猟犬。銃声に怯えるから猟師から虐待を受けていた。一万円で買い「健太」と命名したのは15年ぐらい前。その当時の健太をご存知のかたは、人間不信の鋭く冷たい眼差しを覚えておられるだろう。排便の便の中にたくさん寄生虫が動いて驚いた。
年々おだやかな面構えになり、わたしに飛びついて甘える術も身につけた。
数ヶ月前に陰部に広がる腫瘍の手術をした。その傷口は完治したが下腹部全体が腫れてきた。今朝から排便も排尿も困難、もちろん歩行も。今朝は鶏レバーを煮てたくさん与えたら食べた。牛乳も。けれども出ない。
健太を思うと鉛を飲んだような気持ちになる火曜日。立てなくなり、食べられないようになる日は遠くはない。その時は楽に往かせてやる選択肢もある。さきほど夕食は特別豪華に与えた。
今朝の新聞記事。
安全保障法制について安倍総理がフジテレビ番組で考えを示されたとき、低迷する内閣支持率に言及され「支持率のために政治をやっているのではない。支持率のためにやれば、人気目当ての政権になる」
よく知らないがスイスは国家をあげて臨戦体制のなかで平和を維持している。一般住宅にも地下室をつくることが義務化されているらしい。北朝鮮や中国からの脅威を少しは具体的に国民に知らせることが必要だと思う。
支持率をあげる説明が欲しい。
きのう夕方、わたしに嬉しい鍵山先生からのメッセージとえり子さんカメラの写真などを「早いほうが」と届けてくださった拓也さん。えり子さんからは「降ろされた日の丸」冊子も拝受。仁川での終戦を体験した、当時子供だった筆者の回顧。今夜読ませていただこう。
お掃除の仲間に感謝。

今夜も一人乾杯

連休の配達は、日頃お会いするお客さまが留守だたり、日頃は会うことはない家族が在宅だったりで、わたしも臨機応変に会話をする。
美祢の山間地域。釣り道具を庭先で整理されているご年配。わたしも以前は釣りを趣味にしていたので道具を拝見すれば獲物は想像できる。しばらく釣り談義。青海島の突端に青物(ヒラマサなど)のポイントがある。そこに行く陸路は道路から山を越えて徒歩2時間。みなさん瀬渡し船で行く、けれども船酔いするのでリュックを背負い山を越える。美祢を朝ゆっくり出て、仙崎で餌を買い、青海島に渡り歩き始めたら午後3時ぐらいに目指すポイントに着く。その頃に瀬渡し客は引き揚げたっぷり撒き餌が効いている岩場で2時間ぐらい釣り、薄暗いうちに車に戻る。よく釣れるらしい。
いつもはばあちゃんが待っているお宅。2ヶ月前からばあちゃん入院。昼間は勤務の奥さまがクーラーボックスを日蔭に置いている。その奥さまが在宅。ばあちゃんの容体を聞いた。大正生まれでたくさん苦労したから気持ちが強い。足が不自由になり、それでも下の世話を拒み懸命にトイレに通うと目頭をおさえられた。
焼夷弾の宇部空襲のなかを逃げた母も大正生まれ。それは言わずに頷いた。
きょうの日記もビールと蕎麦焼酎を飲みながら。酔いが回ったが日記は終わらずテレビの相撲観戦中に階下の犬が激しく吠えた。階段をかけ上がる不審者の足音は岡本拓也さんだった。
布団は敷いていたが、夕飯の食器は洗い終わり、浴槽も洗っていたから掃除がお付き合いの拓也さんの奇襲にも安堵で応対できた。
農園奇襲の目的は、鍵山先生とわたしが先日、えり子さんのカメラにおさまったものを彼女がアルバムにしてくれ、太郎さん追悼の一文を鍵山先生がアルバムに書いてくださった品を、まだあたたかいうちに拓也さんが農園にお届けくださった。
とても嬉しい出来事だったからハイボールを開けた。

記憶の扉が開いた

3時に起きて天気予報を見たら「曇り」夜明けを待ち草刈りを決めた。3本足歩行になった健太を歩かせ、腫れが楽になるかもわからないから小便が出なくなるまでの散歩。
朝は野菜などで済ませるけれど、今朝は草刈りパワー用にご飯を食べた。
5時半からハンマーナイフ(草刈機)を動かし、農園の内側全部を刈り終えたのは9時半。汗をながし着替えて山口市内。買い物とガソリン給油。昼前に農園に戻ったら家内が自宅から来ていた。ロング缶が昼ごはんのお供。
昨夜、いまは横浜住まいのえり子さんからメールが届いていた。久しぶりにHPをご覧になり、母や太郎さんのことを読まれお悔やみと励ましのお便り。
乃木神社で母に抱かれている写真に「国鉄の長府駅から神社までは遠い」と疑問を日記にした。
えり子さん実家は長府。年齢も昔の長府が語れる。メールには、長府駅からチンチン電車が神社の方向に走っていた。と知らせてくれた。
チンチン電車にわたさの記憶の扉が開いた。下関に向かう、昔は水族館があった関門海峡沿いの国道にはチンチン電車の軌道があった。宇部中央バス停は、炭鉱黄金時代でいつも人混みだった。薄汚い宇部市営バスがたくさん往来するなか、ブルーの車体「関門特急バス」は豪華に輝いて見えていた。あのバスに乗ったのかもわからない。
福島の子供たちを夏休みに宇部に招く活動がある。松原酒店も当初からのメンバー。その団体から8月4日、子供たちと農園見学をしたいと連絡があった。もちろん歓迎の返事をした。

携帯電話いつも要るか

6時半、萩市に向けて農園を出てからしばらくして携帯電話を部屋で充電のまま置き忘れたことに気がついた。農園にもどるまでの約半日、電話がない解放感があった。
いろいろ農園の実務は正志がしているので、日常の打ち合わせ電話はほとんど着信しない。親しいお客さまや仲間からのメールが多い。半日ぐらい返信しなくても大丈夫。それより農園HPに表示しているわたしの携帯電話番号に「お取引願えませんか」の営業電話が頻繁に着信する。
ある大阪の老舗和菓子店の経営者が農園をはじめた頃にたずねて来られた。よいタマゴをさがして九州各地を訪れたようだった。
農園で一泊され「取り引きをお願いします」と言われて嬉しく思った。すぐにご要望の数が整うだけの若鶏を入れますから、タマゴをうみはじめるまで数ヶ月お待ちくださいと別れた。そして、いよいよ出荷できる体制になり「お待たせしました」と電話をしたら「おたくより安くてよい生産者がありました」と理不尽なキャンセルを告げられた。
農園では必要以上のタマゴを、必要以上の餌代を払うわけにはいかないから、しかたなく鶏の数(命)で調整した。
営業電話をかけてくる担当は、一度も農園の現場を見たこともなく「立派なタマゴですから都内のレストランや有名洋菓子店にご紹介できます」とマニュアルどおりの口調。
わたしは、大儲けも大損もしたくはない。煩わしい電話から解放された。戻ってみたら火曜日の追加注文メールが一件着信だった。
雨のあと日射しがもどり雑草の勢いがすごい。明朝は早起きして草刈りをやらなければ。健太の具合は悪く、後ろ足一本が不自由になった。少量は食べるが暑さに向かい心配はつのる。

太郎さん1週間

太郎さん1週間目の命日。
母は15日が1ヶ月。
松村貴美さん(御大奥さま)がお母さんを亡くされたとき「例え、わたしがわからない母でも、そこに行けば母にあえる幸せがあった」と話された。その言葉が実感としてわかる。

来月、母の区切りの行事をつかえる。京都の娘婿(金光教太秦教会長)が祭主。家族5人で一泊。あくる日は、県立美術館で開催中「世界大恐竜展」を計画している。パンフレットを手に入れたら前売り券が200円安くコンビニで手にはいると書かれていた。
決心して、コンビニのチケット画面をはじめて操作。何度もやり直して人数分の前売り券を手に入れた達成感があった。
酒屋の井上さんから紹介していただき、時計とメガネの相談があれば立ち寄る小野田市内の古い店。
遠近両用メガネの相談に行った。メガネは透明度が値打ちとわかった。車と部屋にふたつずつ計4本、ホームセンターで急場しのぎで買い求めた安い老眼鏡を愛用。それとお店の老眼レンズを比べたら新聞活字の鮮明度が違うことが理解できた。店主お勧めを注文した。計測したわたしの視力に応じたレンズが届くのは来週の半ばになる。
健太の具合がよくない。数種類の缶詰め、肉を冷凍、牛乳、パンなど少量与えて食べるものを探す。

嬉しいまつ毛ママ

いつもの木曜日よりタマゴの数が多く工夫して満載にした。
下関「ふく」の取扱高は日本一の南風泊(はえどまり)市場。毎週ヤクルト販売のまつ毛ママとあう。わたしの娘(真砂恵さん)もヤクルトおばさんだからまつ毛ママと気さくに会話を交わす仲。真砂恵さんが車で配達中に自転車と接触事故をした「運転気をつけて」と声をかけたら「お父さんもね」とバイバイされ気持ちがほっこり。
安全保障法案。わたしは賛成の立場から紙面を読んでいるが、まだ理解不足。
法案が通ればよいのではなく、その法律が運用される場面になったとき社会が混乱しないように説明をしたほうがよい。もちろん国民全体が賛成にはならないが「努力」が要る。地元選出の与党議員が地元の各地で法案の必要性を訴えるぐらいあったほうがよい。
FMラジオ。午後から1時間の歌番組に平山みき。電波事情の悪い山間部をその時間走るのでタブレット。電波受信は東京・名古屋・大阪の3ヶ所から選ぶ。東京を選択して、平山みきの懐かしいハスキーボイスを楽しみにしていたら、関東は豪雨で番組が防災アナウンスで度々中断した「真夏の出来事」は、なんとか楽しめた。
弁天池にご神水をいただきに着いたのは午後3時。風雨が強い。その中を自転車にポリタンクを積んだ男が着いた「近くかね」と声をかけたら「秋芳」つまり隣町から来たらしい「この強風と雨はなにが原因ですか」と聞いてきた「ボクは肝硬変を患い生活が苦しく、ラジオとテレビがないから」台風のことを知らせた「ボクは酒が好きで」と話も好きな男だったから「気をつけて帰りなさい」と会話を止めてその場を去った。
停電対策をして、トイレの水に困らないよう風呂に水を貯めて、早く寝よう。

うだるような暑さ

うだるような暑さの昼下がり、炎天下を下校する、いつもは元気いっぱいの小学生も足どりが重そう。
ふだんは盛況小野田市内のドコモ店の駐車場ががら空き。暑いと客足も鈍るのかもわからない「チャンス!」と思い立ち寄った。冷房のよく効いた店内にお客はいない「教えてください」とタブレットの操作を習った。
そのひとつは「Wi‐Fi」わたしのタブレットは農園で使う携帯電話のドコモ全部で9ギガバイト契約のなかで使用している。昨年の7月からタブレットを使いはじめて、毎月5ギガバイト以内の使用量だから「Wi‐Fi」を使う理由はない。けれども「Wi‐Fi使えます」の表示が多くなり、その仕組みと操作は覚えておきたいと思っていた。
もうひとつの疑問も解決できたから「暑い日も使いよう」そう思えた。
台風が接近している。昨年、愛媛県(道後温泉)を訪れたとき、真鯛などの養殖場がたくさんフェリーから望めた。台風の接近で漁業関係者は胃が痛むだろう。酒飲み仲間の林さん(広島県庄原市)の地域の基幹産業は農業だから台風は強敵だろう。各地の被害が少ないことを祈ろう。

Eテレ経済学を見て

30年ぐらい前、日本速記協会の会報「日本の速記」に 悪貨が良貨を駆逐する という見出しで、明治以降、速記者が速記符号で腕を磨きあい会議録調製のレベルをあげた業界に、ずぶの素人がワープロと録音機を抱えて乗り込んだ。わたしも、この時間単価の高い、利益がでる。しかもお客さまは地方自治体だから銀行の受けもよい「いまの単価より1時間あたり1万円安くなります」と言いながら容易く取り引きを拡げた。その風潮を憂いて「悪貨」と表現をした。わたしの会社の仕事は幼稚。けれども発注側にはできばえを判断するガイドラインはなく、あるとすれば唯一が単価。
その後、製品の内容をよくする努力をはじめ(社員研修など)たら、到底安価では納品できないことを知った。その頃、安値を旗印に各地で真似をする業者が雨後の竹の子状態であらわれ安値の営業に、今度はわたしが苦労した。
私の安ければ売れる。の姿勢と、安いほうが予算的に助かるという自治体の思惑「利益」が一致した。その結果は、単価は高いが品質の高い業者が排除された。いま思えば反省。
安い品物と高い品物が、消費者に比較できて判断できる社会の仕組みがあれば、もの作りで生きていける人の道があるように思ったのは、昨夜のEテレ経済学を観たから。
国力をあげるには価格より中身を歓迎する風土をつくることだと自戒をこめて思った。

台風の直撃予報。ビニールハウス農家や果樹農家。海で養殖を営む人たちは不安だろうと思う。農家も台風対策に着手をはじめている。

健太も危機

数ヶ月前、健太(15歳)の皮膚に拡がりはじめた腫瘍を切除した。獣医師は「ここは治るが転移があるかもわからない」と施術前に念を押した。それを承諾した。
母の葬儀の朝も心配で早朝農園に戻り健太を気づかった。どうも内部への転移と思われる。歩きづらいほど腫れてきた。食欲はおちる。一方、毛並みも悪くなった。さきほど好物の牛スジを煮込んだが食べない。散歩を長い間させて、やっと缶詰めを半分食べた。高齢だからもう手術はさせたくはない。

タブレットに「防災情報アプリ」をインストールしている。今朝3時前の大分県地震をサイレンアラームが告げた。すぐにテレビを点けて状況を知った。その後、農園地域は3回停電した。3時半ごろ家内が「水の音が聞こえる」とつぶやいて階段をおりて水道などを見た「わからない」と寝ようとした。異音は警告だから放置してはならない。懐中電灯を持ち長靴で音をさがした。
井戸からいったん高所の1トン水タンクに貯めているが、その水がオーバーフローしてタンクから滝のように溢れていた。この時間、修理もできないから汲み上げポンプの電源を切った。あとは日中に正志がなんとかする。
寝不足の月曜日。セブンイレブンでLサイズのホットコーヒーを2杯買った。
痛風で腫れた足の親指が治りはじめた。

牧さんたちと歓談

昨夜、大阪から4トンと2トン、軽四トラック。それぞれに満載の機材をシートでおおった鹿児島行きの「牧組」が着いた。NEXCO九州の受託業務で「工場が移動しています」と積み荷を表現した。この機材を現場で組み立て高速道路保全工事をするのだろう。
牧さん持参のオランダコニャックなど。農園からはビールと焼酎に瓦蕎麦などを桂子ちゃんお手伝い。2トンは夕食を済ませて宮崎に発った。桂子ちゃんは11時ごろ父親が心配するからと帰宅。今朝、家内にお礼のメールは「4年前に亡くなった母とお料理をしているようなひとときでした」と書かれていたと家内には嬉しい内容。しっかり朝ご飯を食べた「牧組」は小雨のなか九州を目指して7時に農園を発った。
神戸の震災で仲良くなった牧さんも47歳。トレーラーの運転手などを経て事業を興した。上海で夢を描いた飲食店経営は失敗。けれども、その失敗から学んだからこそ、いまの彼がある。
わたしには描ききれなかった大きな夢にむかうから偉いと思う。牧さんがいたからこそ、一緒に生きていける仲間がある。

マスコミ、特に新聞報道には「おかしい」と思うアンテナを張りながら読む癖がついている。
地元のローカル紙。例えたら数百円の食品を万引きした高齢者を、住所を添えて実名で報じる。万引きを肯定する気はないが、そこまで報道するのは、マスコミが制裁を下しているように感じてしまう。
一方、田代まさしが盗撮で捕まった毎日新聞記事は「田代まさしさん駅で盗撮の疑い」この「さん」と「疑い」をせめて、万引きの高齢者にも使えないものか。

昨夜は映画鑑賞

太郎さん突然の死。
健太とハッピーは階下作業場で夜を過ごすが、太郎さんだけは外寝。理由はいびきと小便。いびきは小屋から2階まで聞こえる音量。朝までもたない膀胱で夜中に撒き散らす。
外寝だから、冬は寒くないよう、今の季節は蚊取り線香と一年中、毎晩ご機嫌をうかがった。朝は一番先に「太郎さん」と声をかけた。
主をなくした小屋を見ると胸がいたむ。
眠れないまま録画の映画「バンテージ・ポイント」
スペインの国際会議場でアメリカン大統領が狙撃された。
大群衆の中から8名。一人ひとりを時系列で登場させて狙撃犯をあぶり出す手法で展開する。つまり8ストーリーで構成されたユニークな作品「えっ!」と思うような巧妙なトリックがあり見応え充分だった。
次は「消されたヘッドライン」を観なければ。

土曜日の萩コースを半日走った。
三隅の漁港「野波瀬(のばせ)」近くのお届けがあり大型漁船がたくさん並ぶ港を毎週散歩する。
かなり水深がある港の透明度はよく、小さい魚が群れて楽しい。昔はこの港近くの沖に浮かぶ養殖いかだに瀬渡しをしてもらい釣りをした。今は釣竿全部を人に譲り釣りはやめた。仕掛けに工夫をして本命を釣り上げたときの面白さは覚えている。
大阪から鹿児島の現場まで4トンのユニックつきトラックで移動する牧さんと仲間3人が今夜は農園泊まり。家内が料理あれこれ忙しい。メインは、この春に岡本拓也さんのお母さんが朝掘りしてくださったタケノコを湯がいて冷凍。それでタケノコご飯らしい。
とても実年を感じさせない桂子ちゃんも黄色い声で夕方から来園。今夜は泊まらないらしい。

さようなら太郎さん

きょうは太郎さんを日記で偲ぶことになった。

昨夜も今朝も、太郎さんは最後に食器を舐めまわすほど食欲旺盛。けれども鼻の穴と目頭から膿みが出る。頬からの膿みは抗生軟膏で完治させたが目と鼻はお手上げ。この夏は越せない予感はしていた。
今朝5時過ぎに太郎さんと歩いた。排尿・排便もできた。帰り道、突然前足がくずれて倒れた。抱き起こしたらボツボツ歩みを進めた。
缶詰めフード・生卵・ドッグフードを平らげてコンクリートに横になるいつもの朝。
小郡で散髪と買い物を済ませて農園に昼前にもどった。太郎さんの寝ている姿がおかしいから駆け寄った。舌をダラリと出し息が荒い。目を開けているが見えていない。家内に氷と水を持ってこさせて氷を口に含ませ、気をつけて口のなかを水で洗った(はなちゃん最後は、苦しくてわたしの手を噛んだ)
太郎さん!と何度も声をかけたら尾を振り、小便を出した。そして息がとまった。

宇部空港の近く、畳屋さんで5匹うまれたアメリカンビーグル犬。貰いてがなかったのは尾が下がり、ほとんど黒毛。つまりビーグル犬の特徴がない。知人のお世話で我が家に来たのは(家内の記憶・血統書はどこかにある)農園をはじめる2年前。つまり今年で18歳ぐらい。
人に吠えたり威嚇したことは一度もなかった。唯一反応するのはウサギ。冬にウサギを見つけて山に入りイノシンのワナに片方の前足がかかり、2日後にズタズタの足で戻ったとき獣医師は「切断」を口にしたが断り、その夜は一晩中足を撫でた。足は蘇った。
マムシに二度、スズメ蜂に一回やられたが耐えた。
かなり離れている地域唯一のガソリンスタンドで捕まり「しんあい農園の犬じゃ」とわかり、給油に立ち寄ったパトカーの後部座席に座り帰還したこともあった。
わたしは可愛いから「太郎さん」と呼んだ。この暑さだから、さきほど、太郎さんが大好きだった「はなちゃん」の側に好物の缶詰などを供えて深く埋めた。
楽に逝くことができたこと。最後に尾を揺らしたことを神様に御礼申し上げた。

乃木神社物語

むし暑い木曜日を終わり。汗をシャワーでながして「プリン体0」で一息しながらの日記。

決まった仕事を、決まったように運ぶのは、体力的にきつくても私は苦にしない。
きょうは下関市安岡に新規のお客さまがあった。お知らせいただいた住所で正確な場所がヒットしない。けれども自宅の長男が電話に出るからと言われ安心していた。新興開発地域でナビでは無理。電話をしたら息子さん。私の停車場所を知らせて「ここからどう行けばよいか」と聞いたが要領を得ない「出てみます」と電話が切れた。直後に違う用件の電話とメールが届いた。さらに「いつ頃来られますか」と、わたしの到着を待って外出したいお客さまからの電話。
わたしの車を探して走る青年を見つけて一段落した。彼を乗せるスペースはなく、彼の歩みにあわせて自宅まで行った。
いつもなら、周到に地図で探して行くが「自宅に息子がいる」の言葉に、地図でヒットさせないまま迷った。
わたしの失態で、初のお届けがうまくできなかった。そして決まったことができないロスタイムは後々の配達に支障になった。
一歳ぐらいの私を、こま犬の前で撮った一枚は、母が亡くなる数ヶ月前に「長府の乃木神社」と言った。すぐに乃木神社を訪ねたら、母が私を抱いて腰をおろして写真のこま犬があった。
昭和27年ごろ、宇部から長府までの交通機関は国鉄だったろう。長府駅から神社までの距離はかなりある。タクシーのような乗り物があったかのかどうか。
写真は、私の父親が撮していると思う。なぜ乃木神社なのか。
神社のご祭神は乃木希典大将。軍人としての一面と学習院初代院長。神社は学問の神として信仰されている。
つまり、わたしが学問でひいでる祈願に参拝したと思えないこともない。
一枚の写真が、たくさんの物語を描いてくれる。

まる星ラーメン?

NHK総合テレビ。10日(金曜日)午後10時55分 ドキュメント72時間「福岡・久留米とんこつラーメン」を録画予約した。番組案内で瞬間店内が映った。ほぼ間違いなく「まる星ラーメン」。わたしが20代の頃から50歳前まで、毎週九州で仕事をした。長距離トラックがはばをきかせる老朽化した店。広島掃除の会 井辻さんの家族が満州から引き揚げ、広島市でラーメン店を開業するため久留米のラーメン店に通った店も「まる星」
嘱託警察犬。テレビ番組に「刑事犬カール」そのシェパード犬もこの店で飼われていた。店内にはカールの勇姿と数々の表彰が壁にある。
この店は普通のラーメンしかない。チャーシュー・大盛・硬麺などない。3年前に食べに行ったときも一杯350円ぐらいだった。
若いころは2杯注文していた。あの豚骨プリン体が、今ごろ足の親指を攻撃しているのかもわからない「まる星」は、わたしが通ったラーメン店の回数と評価でトップ。
水曜日は八幡宮朝参りと今村談義が柱になる。
宮司は本殿ご神勤。けれども、わたしを見つけて安倍政権談義がはじまる。
今村さを裏口には、陶器の腰かけふたつが並び、間に小さい机。大学野球と競技かるたで日本一の夫妻と膝を交えて話ができる至福のひととき。ご主人は高校で地理の教師をされていた。当時の教師時代を聞かせていただいた。近くの禅寺、年に2回塔婆を書く奉仕は書道を研くよい機会だという話もよかった。
女医さんの診察。痛風なかなか手ごわいらしい。採血された。血圧は問題なし。

めざせ億の部屋!

昨夜は疲れているけれど寝つけない。ヒトラー暗殺映画を9時から11時まで観た。史実にもとづいた作品と字幕。
ユダヤ人大量虐殺は、ドイツ人として間違っているという一部の将校たちが命をかけて決起した。結果は計画失敗。けれども当時の日本で軍部内部から命をかけて終戦を唱えた人がいたのだろうか。
11時から眠れないままダラダラとテレビを見て寝不足の火曜日。
痛風の岡本先輩から拝受した本を読んだら、大量の水を飲み「尿酸」を出すこと。弁天池の御神水を1リットルと弁当を持って出発。夕方、農園に戻るまでに健太のマーキングぐらいトイレに立ち寄った。明日の午後3時に女医さんに診察予約。
県セミナーパークから以下の案内メールが届いた。
■夢トークinやまぐち講演会「おもてなしの心を大切に〜自分しかできないおもてなし〜」
【講師】元山形新幹線「つばさ」車内販売員 茂木久美子氏
【日時】9月10日(木)13:30〜15:00
【場所】山口県セミナーパーク 講堂
【定員】300名
【申込期間】7月23日(木)〜8月20日(木)必着
※定員を超えた場合は抽選とします

▼お申込みは山口県ひとづくり財団HPから
宝くじで高額当選して換金に行くと、カウンターではなく「奥(億)の部屋」に案内されるらしい。それを夢見て火曜日は売り場に通う。

痛風の岡本先輩

韓国が1本釘を打ち込み。明治日本の産業革命遺産が登録された。
長年(約30年)九州各地の市役所・町村役場議会事務所に通い続けたから、わたしの好きな場所がある。杵築市の酢屋の坂道は、そのたたずまいで近年有名になった。
この秋、もう一度訪れたい九州。2泊の旅を計画している。
宮崎県飫肥(石垣が立派な城がある)から飫肥杉を日南市の海まで搬出するための堀川運河。石橋や赤レンガづくり倉庫が、通過している私の車をとめさせた。
急ぎの出張で利用した宮崎空港。地元の旭化成がカラクリ時計をつくっていた。1時間ごと「天岩戸神話」をカラクリ人形が神楽舞いをするから、急いでいたのに立ち止まった。
宮崎地鶏店。わたしは「軍鶏(ぐんけい)」のもも焼きと20度の芋焼酎ストレートで感動した。
市内から市街地までフェニックスが異国情緒を演出してくれる。
南宮崎駅から阿蘇高森まで250キロを歩いたのは45歳の11月。あの道を車でたどりたい。
わたしの個人遺産をめぐる旅を計画中。

痛風の先輩 岡本拓也さんから「差し上げます」と今朝いただいた本は「痛風 治療と食事療法」通院しながら本まで買われた先輩の心境は「治りたい」の一心がそうさせた。ありがたく拝受。

今夜は熟睡

午後から約5時間ハンマーナイフ(草刈機)を操作して、草刈面積の全部を刈り終えた。
照りつける日射しのない曇天だから一気にやった。ゴム長靴で歩いたせいか、萩から歩いた50キロメートルより疲れを感じた。まだ痛風痛み止めの薬は続けているが、これなら大丈夫かもわからない。水曜日が診察予約日。
昨夜、兵庫県にお住まい母の一番下の妹(82歳ぐらい)に電話で葬儀を終えた報告をした。
8年まえ、母が「葬儀の話をしよう」と農園に来て、その基本的なことを話した。その中に兵庫県の妹「鶴子」には、落ち着いてからあんたが電話してくれと言われた。理由は、もし鶴子が先に亡くなることがあっても、自分は兵庫県まで行く体力はない。知らせて無理をさせたら鶴子に申し訳がない。
そのことも鶴子おばさんに話した「よう、最後まで大切にしてくれた。直江(実家)の墓参りもしてくれてありがとう」と嗚咽され、わたしも言葉がつまった。
約7年、日曜日は8時半に母に会いに行く。その前に1時間歩くコースも決めていた。帰り道に温泉にも寄れた。その日曜日、朝ごはんを済ませて考えた。鶏糞が欲しいと言われたお客さまが数人あるから、軽トラックに鶏糞を積んで小野田市から美祢市を走った。
生活のリズムを修正しなければ。
1日よく働いたから熟睡できる。

養老孟司先生面白い

一週間、楽しみに待った養老孟司先生のラジオ番組(10分)を聴いた。
6月4日は、語呂合わせで「虫の日」と先生は決めて、お寺で供養をされている。
針・魚・家畜など供養するのは日本だけの文化らしい。
子供の頃からたくさんの昆虫などを殺した。そして現在気になるのは車のフロントガラスに当たって死ぬ虫。タイヤにひかれて死ぬ虫たち。世界的規模で考えると、気がつかない環境破壊だと先生は警鐘を鳴らす。
田舎で虫や魚をとり、地域の人たちに育まれて子供は成長した。
都市に若者が集まる社会構造になり、都会で果たして育児に夢があるのか。故郷の自然のなかで働ける社会構造こそが少子化社会の歯止めになると一石を投じられた。

鳥取県境港に4千人の中国人を乗せた大型クルーズ船が寄港。
大型バス100台を連ねて大型商業施設で爆買いした報道があった。石破大臣の先祖が港湾整備に尽力された「先見性(笑)」が地元経済に貢献したと片山善博(鳥取県知事・総務大臣)さんが胸をはった。
バブルでお金だけは持った一部の中国人を相手に、商品が売れたぐらいが先見性とはあきれた。
中国製品より日本製品が安心・安全がわかっている富裕層といわれる人。
上海・北京・内蒙古自治区を数回にわけて訪れ、貧富の格差に驚いた。しかも断然「貧」の数が多い。経済もバランスがよくない中国。
長くは続かないだろう中国経済と一緒の泡風呂に入りたいとは私は思わない。

休養の金曜日

きのう加奈ちゃんパン教室。若い奥さまでおお賑わい。理由は加奈ちゃんフェイスブック(わたしはフェイスブック音痴)で「いいね」が1000人に達したらしい。加奈ちゃんは顔に喜びの落書きまでして、わたしと記念の一枚を撮られた。
森山良子コンサートは2回目。CD何枚か買っている私はファン。一曲目から客席を歌いながらハイタッチで駆け足。雰囲気をつくるベテランぶり。あなたが好きで・家族写真・さとうきび畑・子犬のワルツなど聴きたい歌が次々「涙そうそう」は母を思い浮かべた。アンコールは「悲しくてやりきれない」
帰り道、濃い目ハイボールをふた缶飲んだ。
仕事はしない金曜日。6時まで朝寝坊ができた。犬もゆっくり散歩。買い物で山口市内まで出かけて、昼はプリン体0。昼寝と読書がしっかりできた。
地元の市会議員さんが議長に就任された。今夜はそのお祝いパーティーがある。お歴々と名刺を交わすお付き合いは正志に任せた。

森山良子コンサート

ラジオからイングランド戦を聞きながらの下関市内。日本チームの得点、対向車から笑顔がたくさん見えた。
夕方6時半開演「森山良子コンサート」がきょうの山場。250キロ走行の配達を済ませて、シャワーと簡単な夕食を済ませて、また下関市(菊川アブニール)すぐ後ろの席に「しみず茶房」の奥さまとスタッフ元気印の杉本さんたちがおられた。観客の年齢層はそうとう高い。帰りは家内が運転、わたしはハイボールの予定。

7月のスタート朝参り

深夜は猛烈に雨がふっていた。ゴウゴウと濁流の音が聞こえた。
数日前から左足親指ではない指の関節が痛い。鎮痛剤を飲むほどではないが気になる。
痛風の発作(痛み)の理由をビールや肉類の食べ方で医者からひとくくりにされた「わかりました」と言うほど不摂生をしていない。以前と違う食習慣はチョコレート。パッケージに「95」と表示され、まったく甘さのないブラックチョコレート「ためしてガッテン」で身体に良いと教えられ、毎日4つぐらい食べはじめて半年。きょうから断ってみることにした。
健康といえば、ある美容室の先生(男性)豚骨ラーメン情報は県外まで語る。腹がつきだしてメタボの典型的体型。美容室で簡単に痩せるサプリの販売を始めた。けれども体型見本で売れない。そこで1ヶ月分の商品を開封して人体実験をはじめた。きのうで1ヶ月経過した。見た目にも痩せた「6キロのダイエットに成功」と自慢。痩せたことには拍手するが、それがサプリの効用かどうかは疑わしい。要は「痩せよう」と一念発起した意識改革だとわたしは思う。
本格的家庭菜園のお客さまからたくさんキュウリをいただいた。10人以上におすそ分けして喜んでいただいた。
ある方が「読まれませんか」と農園に二冊お届け(貸して)くださった。
朴裕河「帝国の慰安婦」・内藤陽介「朝鮮戦争」
今夜から読み始めよう。