月別アーカイブ: 2015年8月

元気に8月を終えた

最近では「みんなの党」や「国民新党」などが政党交付金(血税)を無駄にして、今度は橋本新党が誕生する。そのニュースにうんざり。

昨夜のテレビ番組。高齢の親のもとに職を失った子供がもどり、それまで親が受給していた生活保護費が、子供が同居した理由で打ち切られ、親のわずかな年金だけでで生きている現場が紹介された。元凶は非正規雇用が拡大した社会にあるように感じた。

小野田市で対向車のおんぼろトラックがわたしにライトをパッシングした。最近まで個人で青果卸売りをされていた卵のお客さま(65歳)。引退をしたいが年金だけでは生活が苦しいので、トラックが動くあいだは同業者に雇われて働いている。

選挙の投票率が悪いのは、政治に期待していない国民が増えているからだと思う。

8月。元気に働かせていただきありがたい。

コルヴィッツを知った

映画「日本のいちばん長い日」を観に行こうか、かけながし温泉に行こうか決まらなかった。
とりあえず歩くことに決めて1時間歩いた。歩きながら温泉に決めた。お湯が湯船からタイルにこぼれる場所に桶を枕に、タオルで隠してあお向け。うとうと夢を見た。

農園にもどり今朝の録画番組。こころの時代 宗教・人生「沖縄でコルヴィッツと出会う」を缶を飲みながら見た。
普天間基地の鉄条網に接して「佐喜眞(さきま)美術館」があり、館長の佐喜眞正夫さんと、作家・東京経済大学教授の徐 京植(ソ キョンシク)さんが、ドイツの木版画家コルヴィッツをテーマに対談をされた。
佐喜眞さん代々の土地は普天間基地軍用地としてアメリカ軍に接収され、土地面積が広大だから毎年多額の土地使用料が収入になる。
普天間基地は絶対反対の立場だから、この収入は生活に充てないでアートで平和を発信する場をつくられた。
とても高価なコルヴィッツ作品がたくさん常設されている。
コルヴィッツの作品は、薄暗い戦場で灯りをともしてたくさんの戦死者のなかから我が子をさがす母親の姿。子供を抱えて戦からまもる母親。
対談でそれを「苦難の中の真実が美しい」と館長が言葉にされた。
たくさんの作品が紹介されるなかで、わたしは香月康男の作品 シベリアシリーズと重なった。

今朝のラジオ「日曜討論」で前の防衛大臣 小野寺さんが安全保障法制化についての中身で「座して死を待つわけには」と発言され、わたしも「そうだ」と思った。
ところが佐喜眞さんは「沖縄の人は、戦わないで死んでも負けた気がしない」と言われた。こんなに強い意思をがあることをはじめて知った。

コルヴィッツの作品をネットでみた。わたしの視野がひろがった。
来週、日曜日午前5時からのEテレ こころの時代はアンコール「生死を超えるいのちを信じて」

村崎修二さん健在

JR東萩駅ちかくのお客さまが、市内の堀内という場所に来週転居される「変わらず配達可能か」と昨夜メールが届いた。地図で確認して、無理ではないと返信した。今朝、郵便受けに手描きの地図があった。
丁寧に配達先の「常茂恵旅館」を起点に描かれていたから便利。来週走る道順を手描きを見ながらゆっくり走った。
菊ヶ浜を右手に眺め、指月城の石垣を通過、遊覧船「萩八景」の船着き場ちかくが転居先だった。萩の萩らしいたたずまいを来週から走ることができる。

土曜日が配達の会社。事務員さんが8月末で定年退職。長年お世話になったお礼を申し上げた。まだその歳ではないが厚生年金が受給できる。けれども、それだけでは生活は困難だから、職種は選ばず就職活動をされると聞いた。

猿舞座の村崎修二さんから封書が届いた。猿まわしの協力要請かと思ったら、国会の憲法審査会で「法案は憲法違反」と指摘した、小林 節(慶應義塾大学名誉教授)さんを、安倍総理の故郷 長門市に招き来月5日に「新安保法制は、法的、政治的、経済的に愚作」というテーマの講演会案内だった。
平和についてを肴に、何度も村崎修二さんと農園で歓談した。お互いその信念はちがうけれど、いつも一途な活動にカンパで敬意をあらわしたい。

健太の1ヶ月命日

健太1ヶ月の命日。朝一番に線香を供えた。安楽死を決めたが、痛みで苦しみ車に乗せられなかった。一晩苦しかっただろう。医者に農園まで来てもらい処置する機転がきかなかった悔いがある。
明日から天気は下り坂予報。まだ暗い5時から草刈りをはじめた。6時半でいったんやめて、8時に散髪。小郡、山口市内で用事を済ませて農園にもどり早い昼ごはんを済ませて、3時まで草刈りに汗をかいた。他人の耕作放棄地。

寿司・割烹 浪花さんから毎月「すし屋のひとりごと」ハガキのお便りが届く。
今回、大将が43年間病気で仕事を休んだことは1日もどりなく、その奇跡のような健康を「健康な体を与えてくれた両親に感謝」と結ばれた。
なんとか健康方や食事にサプリメントで健康です。ではなく両親に感謝と思われた大将の人柄がよかった。
浪花ホームページは毎日更新「下関 浪花」 でご覧になれます。

岡本さんのガッツ体育館で、久しぶりに笑顔の杉本さんにあった。岡本さん指導で燃焼中。

残暑の木曜日おわり

8時間しっかり眠り、元気に4時起き。6時すぎに木曜日をスタートできるようテキパキ動いた。
小月・長府・下関市内・彦島・豊浦・菊川・小月・長門市・美祢市。約250キロの距離を月末の集金をしながら走った。

美容師でお客さま。結婚まえの姓で出身は沖縄とわかった。沖縄の話はわたしもできる。会話のなかでおばあさんが「ひめゆり学徒隊」の生存者だと知った。おばあさんは沖縄戦は語らないし「ひめゆり壕」の地域には行かないらしい。
火曜日。台風襲来で美容室は閑散としており彼女と立ち話ができた。わたしは、摩文仁で集骨した金城サチコ(セルロイドの三角定規に刻まれていた)さんの慰霊に、いつか機会を見つけて平和の礎にお参りしたいことを話した。沖縄フリープランで計画すればチケットが安いことがわかった。
彼女は沖縄戦のことはほとんど知らない。将来、子供や孫から聞かれてもわからないと言う。もし、おばあさんが話してくれるならば沖縄戦の体験を聞いたらどうかと提案した。彼女の反応がよかった。
わたしが録りためた沖縄戦のDVD5枚を次回差し上げよう。タイトルは。
摩文仁 沖縄戦それぞれの慰霊・沖縄戦全記録・沖縄・鉄血勤皇隊・戦場の真心チムグクル。

停電解消午前3時

お昼頃、ちびっこ遍路の桂子ちゃんからメールが届いた「今朝、台風停電が復旧した。徹夜で作業された人に感謝」と。
今朝2時。発電機に燃料満タン作業をした。手を洗い布団に横になりまどろんでいたら部屋にいつもの明かりがついた。復旧したが安定しているのか不安で4時まで発電機は動かした。
わたしも桂子ちゃんかと同じように、深夜の作業をされた方に感謝の気持ちがわいた。

朝参りまでに倒木など正志の手におえない作業を済ませるため、パンと野菜に牛乳。ユンボにワイヤーをかけて重たい倒木を引きずり処分しておいた。
八幡宮は桜の木が倒れたらしく宮司が慌ただしい。
小野田市の保育園。園庭の巨木が倒れていた。農園の栗は今年は期待できない。雨と風の台風一過、後始末がたいへん。
月曜日の夕方「熱血テレビ」は宇部市内の繁盛味噌ラーメン店が紹介された。食べ終えて店を出る客の数人に食後の感想レポート。そのなかに美人の水元さん。いきなりマイクを向けらた。

知り合いが・映り楽しい・ローカル放送

台風で睡眠不足と疲れがたまった。今夜はしっかり寝よう。

長い火曜日だった

熊本県荒尾市に台風上陸。940ヘクトパスカル。下関を中心が通過する予定時刻が刻々と早まる。
農園には5トンと2トンの飼料タンクがある。このタンクに飼料を詰め込み、その重量で風圧による横転を避ける。母家に隣り合わせにタンクは立っているから、倒れたら母家も壊れる。
今朝5時半、自宅の正志に確認したら2トンは空と言う。まだまだ未熟としか思えない。それを叱っても対策にはならないから、雨具を着込んでユンボで重い電柱をタンクの下にロープで吊るした。コンクリートブロックもタンクの脚にたくさん吊るした。途中から正志も手伝った。最善を尽くす努力が足りないと諭した。

火曜日の山口市内を、いつもより1時間早くスタート。風雨の少ないときに可能な限り配達して、荒れたらどこかで嵐をかわして、配達は完璧に済ませて帰ることにした。
9時半ごろ強風でまっすぐ走れないから風が避けられるコンビニにとめた。弁当を食べたりして約1時間近く。風向きが変化したので配達を続行。ビルのエレベーターや信号機がとまっておりはかどらない配達になった。
山口市内を流れる河川が氾濫危険水位になり、農園地域も河川増水で避難勧告になった。
配達を終えて農園に戻った。大きな栗の木が折れて無残。ほかにもたくさん木が折れて停電。
飼料タンクは無事だった。
発電機が活躍して井戸水と冷蔵庫などわずかなものは動く。停電復旧は街から順番に田舎になる。復旧現場の人は大変な仕事になろう。今夜は停電と思う。給湯器は使えないからタオルと水で身体を拭いて着替えた。
小さい灯りをひとつでラジオを楽しもう。

歴史の認識共有は困難

今朝のラジオ。歴史学者が「歴史認識は学者同士でズレがあるのは常識」と話した。
参議院予算委員会で、70年総理談話を共産党が持論を展開し総理に激しく詰め寄る。理路整然の議論とはほど遠く、さらに「安倍さん!」と呼ぶ姿勢にうんざりした。国会の場は紳士が国民の幸せを論じる場である。

22日毎日新聞「支配した国・強制の記憶」また長生炭鉱水没事故が載った。
長生海岸のそば、当時(昭和17年)炭鉱の食堂があった場所に、井上正人さんが発起人で「殉難の碑」が平成3年に建立された。
「支配した国」でこの碑がテーマで歴史の湾曲が活字でされている。
わたしが長生炭鉱に関わりだしたころは「殉難」ではなく「殉職」だから碑は間違いと一部市民から批判の声があがった。井上さんは弔う心があれば碑文にこだわらない。
「支配した国」では殉職した183名の氏名が刻まれていない。建立した者の名前は刻まれていることが問題。
約(今は正確な記録が手元にない)130名の朝鮮・中国・沖縄出身者の名前を刻んだご位牌は床波の西光寺に安置、供養されている。井上さんや鉱業主は弔いはされている。
さらに、殉難の碑除幕式には日本人だけの参加だったと批判的。
わたしは、15歳で当時の朝鮮から働きに来て事故の朝、海底から意識不明で坑口に海水で吹き上げらた秋順徳さんを筑豊で探しあてた。外国人関係者に案内をするのは至難と言える。
最後の結びは
「こうして、朝鮮人に目を閉ざし、日本人だけで追悼しようとすると、矛盾に陥っていく」
井上正人さんが、あえて183人と国籍は刻まなかった理由を聞いた。すでに故人。
当時30代で保安係のEさん。水没事故現場に向かった。とめる同僚に「責任上行きます」と殉職された。Eさんの奥さまが毎月17日に碑に献花されていた。

台風の接近。明日の火曜日は長い1日になる。自宅から通う家内は急遽今夜は泊まりに決めた。

草刈りざんまい

3時起床。5時過ぎから草刈りができるように朝食、台所掃除、犬の世話。今朝使う2種類の草刈機の準備を慌ただしくすすめた。アブやブトに刺されないように顔には網。長袖と長ズボンに長靴と軍手。ペットボトルの水。
農園隣接の広い耕作放棄地(草刈り3時間コース)以外、農園内の草刈りは全部済ませる気合いではじめた。はじめに大型草刈機で刈れない場所を、小型の草刈機を肩にかけて済ませてゴムキャタピラーの機械で効率よく刈った。約4時間で終わり、使った機械や道具類は水圧ポンプで洗浄。
今朝6時から録画した「こころの時代(仏に学ぶ悲しみの力)」を早く観たい気持ちでシャワーで着替え、冷えた缶を片手にテレビをつけた。
手塚山大学の西山という教授がテーマついて語られた。内容が深くじっくり消化したいので前半でとめた。
干ばつ・疫病・内乱の時代に奈良の大仏を建立した聖武天皇の、すべての生き物(人間も)や植物などが平穏に営みがおくれる世を祈願して大仏建立をはじめた。
おおきな力で造るな。たくさんの富で造るな。
その願いのなか、当時500万人の国民のうち250万人が建立に関わった記述が残っている。
民の苦しみや悲しみを天皇受け、助かってくれの願いが大仏建立。われわれも苦しみや悲しみのなかからしかうまれてこない大切なことがある。後半楽しみ。

昼ごはんにロング缶のおまけ。
昼寝のあとから、トイレと風呂掃除を済ませた。

毎日新聞斜め読み

安倍総理、戦後70年談話で「先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べた。わたしは全く同感の思いで聞いた。
例えば、わたしの先祖が犯した罪を、わたしが謝罪する気にはなれない。

当然、談話に違和感を感じた人もあったろう。毎日新聞21日「オピニオン」にそれが載っていた。
植民地支配、侵略、個人の尊厳を傷つけた行為を許してくれない人が一人でもいる限り、私たちは世代を超えてでも謝罪を続けなければならない。
まさに多様な考え方の人がバランスをとりながら歴史をいとなむ。
同じ毎日新聞の2面下段に連載「支配した国・強制の記憶」
14回は「長生炭鉱」を取り上げた。わたしが184名もの殉職者を出した昭和17年の海底炭鉱水没事故に関心をもち、当時を語れる人の証言を聞き取りしたとき、克明に当時の状況を教えてくれた井上正人さん(故人)の実名をあげて連載は記述されていた。
その井上さんが事故処理の過程で「支配した国」を「垣間見たのではないか」と結ばれている。
井上さんは久留米駐屯陸軍の憲兵。西岐波小学校の当時在校生名簿を調べたら、西岐波の地域に朝鮮の子供が受け入れられていたことがわかるとアドバイスをしてくれた。
「垣間見たのではないか」と故人を憶測で登場させている。

萩掃除に学ぶ会の佐々木資介(じんすけ)さんの近所の奥さまが、加奈ちゃんパン教室の生徒さん。今朝、8時にJR東萩駅で(彼女は片道30分)待ち合わせて卵のお届け。資介さんにひとパック届けてくれるよう彼女に頼んだ。
10時過ぎに彼から電話があった。きょうは掃除の会で漁港トイレに取り組んだと爽やかな大声。

午後、小野田市から卵のお客さま家族3人が来園。お茶で気持ちのよい時間になった。

温泉一番風呂

昨夜の予定では、今朝はハッピーとかなり歩き、その後は昼まで草刈りだった。それができる天気予報だったが雨。
母を見舞うとき毎週金曜日に通った持世寺温泉に一番風呂。小雨の露天風呂。かけ流しの湯。薬湯にサウナでゆっくりできた。
来月、来客(10名)は地元の仕出し屋(柳屋)に主な食べ物は頼み、家内は2〜3種類をつくることにした。
その料理の打ち合わせに温泉あがりに足を運んだ。田舎のおもてなし、自家製シソジュースとコーヒーと生菓子。土産に自家製キュウリのお漬物たくさん。小海老の揚げ物など惣菜まで袋いっぱい。腹もいっぱいで農園にもどった。
照美さんが買ってくれた本「都会も田舎も楽しめる理想の京都暮らし」がサブタイトル。メインは「京都トカイナカ暮らし」を読みはじめた。少し読んでは寝る繰り返し至福の時間。
台風15号が山口県直撃コースの予報になった(火曜日・水曜日)。ナシ・ブドウにリンゴ農家は心配されているだろう。
農園も対策を明日から始める。

加奈ちゃん雨でも元気

スポット注文のお客さま。料理講習会の都合で7時まえお届けがあり、いつもの木曜日より15分早く農園を出た。
国道2号線を下関方向に下っていたら事故。下っていた4トン トラックが上り線を越え、右端の一段落高い歩道に乗り上げ、横転せずに鉄パイプのガードレールを4〜5メートル押し倒し、側壁と車体の摩擦がブレーキになったのか停車。まだドライバーは車内におり、助手席がわドアを開けようと懸命の様子。
この歩道は船木中学の生徒の通学路。物損事故だけで幸いだった。わたしの通過後はレッカー作業で迂回になっただろう。
最近、漫然と交差点を通過したり、駐車のときアクセルを踏みすぎたりとヒヤリがある。他人事ではないと自分に言い聞かせた。

終日雨。とくに彦島を配達しているときが一番大雨。身体が濡れても卵は濡らせない。

加奈ちゃんは「子供パン教室」を自宅で催し幼稚園状態。はつらつとした加奈ちゃんスマイルで雨のジメジメ感が吹き飛んだ。

「よしの談義」1週間まえに貸し出した、小林よしのり「天皇論」を半分読み進んでおられて感想を交わした。吉野さんは、小林よしのりは嫌いだが言うことは同感できる。わたしは小林よしのり「ワシ」の言葉づかいが気になると言うた。

県セミナーパーク「山本一力」講演会。300人定員がきょうから受付。起きてすぐに携帯メールで申し込みをした。

予告なし検尿

月に一度の検診日。午後3時が予約。
遅れないよう水曜日を早足。けれども今村談義は楽しみ。靴を脱いだことはなく、裏口に腰掛けと椅子をテーブルにして奥さまがコーヒーをたてて仲間入り。中国の戦勝記念日、わたしがアメリカには負けたが支那には負けていなかったと言うと「こういう世代が亡くなれば平和になる」と奥さまがつぶやいた「食べてください」とご主人が丹精込めた重たいスイカをいただいた。

3時前に病院に着いて受付。トイレをすませて診察室。女医さんが聞いたのは血圧の様子ではなく痛風。前回の採血で薬の効果がみられないことが気になっていたよう。
血圧は問題なく「採血と検尿しましょう」で終わった。
採血は問題はないが検尿は無理。担当の女性に「出ません」と言うと「少しは出してください」と紙コップ。
便器の前で瞑想していると出た。
診療科目が増える歳となった。

心が整う神参り

脳科学者の茂木健一郎さんが、今朝の読売新聞に朝参りを書かれていた。
科学者として、合理的にものを考えるから、お参りをすることで、ご利益があるとは考えていないらしい。
けれども、毎朝のジョギングコースに神社がある。信仰心ではないが、そこで立ち止まりお参りをされる。そこでの実感は「心が整う」と脳科学者が言われた。
母の遺影と遺骨に朝夕手をあわせる。茂木さんが言われる「心が整う」清々しさを感じている。
明朝は水曜日。八幡宮の祭神さまに参拝と、西君の霊神さまに朝参り。

今朝、ハッピーを1日つなぐ場所に大きなアオダイショウがいた。野犬出身であるがヘビには怯えるお嬢様。
健太をつないだ場所に移動させて配達に出た。

お盆あけの山口市内。暑かった。

ギャーテーギャーテー

Eテレ番組「ギャーテー ギャーテー」は最近観た内容で一番ためになった。般若心経の一節が番組テーマになり、ユニークな説き方をする若い僧侶が「煩悩(儲けたい・モテたい・出世したい等)」を否定しないで、煩悩に悩む若者をガチで受け入れて、恋愛や家庭問題に悩んだ若者は元気な気持ちになる。
もう何度か観たら、煩悩人生のわたしの指針になりそうなぐらい。
美祢市の山奥、ばあちゃんがため息をついた。昨晩、電気柵でバリアを張ったコシヒカリの田んぼに猪が入り米になる前のミルクのような稲穂を食べた。腹を太らせ田んぼから出ようとしたら電気柵に感電して田んぼの中を走りまわり、最後は電線を切って逃げた。
田植えから流した汗が一晩で泡と化した。落胆と憤りのばあちゃんに元気を与える力はわたしにはない。ギャーテーの僧侶ならどう説くのか。
痛いとか痒いとかは医学。食えないなら社会制度がある日本。それでも助からない煩悩を導ける信仰の世界を感じた。

朝からお昼まで豪雨。スリップして紙一重の距離で前方の車の後ろで止まった。思わず神さまにお礼の拍手。

体力しっかり回復

この数日、猛暑を脱している。

パン・牛乳・玉子焼き(腕があがった)生野菜と納豆にバナナ1本・納豆を食べ、台所と食器を洗い。ハッピーとしっかり歩いた。

日ごろ気になるができていないトイレと風呂に部屋の掃除。ユンボの水洗いと注油。健太の小屋を洗い保管。鉢植えの植え替え。草刈りを10時までやった。

シャワーで着替えてロング缶。家内が来る昼間で寝た。網戸からの風が心地よい。
昼ごはんにロング缶。昼寝。
しっかり休養できた。ハッピーも暑くないから食欲もどった。明日から8月後半。

終戦記念日

玉音放送で天皇が軍人・国民に「休戦宣言」を発せられた15日を終戦記念日と日本では定めている。
9月2日の降伏調印式で第二次世界大戦は終わった。

3時過ぎ起床「朝まで生テレビ」をみた。
小池晃・辻元清美・古市憲寿・金慶珠・山本一太・小林よしのり・森本敏・猪瀬直樹・その他3名。
総理70年談話では、小池氏の批判に森本、猪瀬氏の反論は鋭く論破した。
安保法制で、わたしはホルムズ海峡機雷掃海が理解できないが、小林よしのり氏も、東アジアに地域限定を唱えた。
1時半からBSプレミアム「日本のいちばん長い日」を録画予約して、萩から長門に美祢の配達をした。10時15分にタブレットのアプリ「防災速報」が警告音を発した。桜島噴火警戒情報だった。明治の大噴火では宇部にも降灰記録がある。災害にならないことを祈る。

午後1時半から4時過ぎまで録画しながら「日本でいちばん長い日」をみた。何度みても阿陸軍大臣の割腹には、物事を終わらせる苦しさが伝わる。たくさんの命の礎で平和がある。
宇部は8回も空襲を受け。母はそのなかを生きてわたしがある。ありがたし。

平和を考えた1日。

磯村先生初盆

昨夜録画した従軍看護婦生存者の聞き取り番組を4時から見た。
日本赤十字で看護資格をもつ女性、約5万人に招集令状(赤紙)が届き、ビルマやフィリピンに派遣された。赤紙は絶対服従であり乳飲み子を預けてでも。
番組でわかったいくつかのなかに、デング熱やマラリアという南方の病気がまん延していたこと。理由はキネーニというマラリア病特効薬は国内生産はなく輸入に頼っていた。高熱で脳炎をおこし亡くなる兵士に治療方法がなかった。手足の切断治療などすべて麻酔薬はなく押さえつけ手術だった。負け戦で軍の敗走と共に移動。現地人の畑の作物や家畜を奪う毎日。ついに現地人からも攻撃された。最後は命令により、足手まといの負傷兵の静脈に注射器で空気を注入して殺す地獄を味わった。
終戦後、人の死に心が動かない後遺症がながく続いた。
「日本のいちばん長い日」で作者が作品で訴えたいことは、戦争を始めることは、終結させる苦難に比べたら簡単。そうわたしは理解している。
看護婦たち5万人のうち、何人が生還したかの記録さえない。

昨夜、大阪から鹿児島に移動中の牧さんが突然来園。わたし夫婦は食事を済ませていた。家内がありあわせで夕飯をつくるあいだ近況を交わした「卑怯者の島」の感想も交わせた。彼が持参した、小林よしのり「天皇論」は以前にわたしが貸したらしい。返してくれた。読み返したい。

今朝、散髪を済ませて磯村千代子先生の仏壇に手をあわせにいった。磯村先生のお宅は、母がお世話になった病院に近い。通いつめた国道を走りながら、母にあいに通っている錯覚がして胸が痛かった。
いつものように「先生!おはようございます」と玄関をあけた。わたしと同年代の娘さんが、足立さんが来てくれたよ!と仏間に通された。わたしが30番目のお参りで、このお盆は大勢教え子が来るらしい。

先週は、照美さん家族が泊まったので屋根いっぱい、お客さま布団を干した。

スイスイ木曜日

お盆で朝の国道2号線は渋滞がなくスイスイ。けれども今夜は関門花火大会。門司と下関で200万人集まるらしい。夕方から深夜まで渋滞するだろう。
一度は間近で大輪花火と迫力の音を体験したいが、交通機関の混雑を聞いて行けない。

「卑怯者の島」を何度も読んだ牧さんからお昼に感想がメールで届いた。運転しながら、その時間わたしも「卑怯者」を考えていた。舞台は南方の島。けれども舞台を今の社会で生きる「わたし」に置き換えてこそ生きる糧になる。牧さんの感想も、そのあたりだと解釈した。
わたしが、卑怯者の生き方になっていないか。

遠近メガネをつくったが、老眼鏡ぐらいの使い方をしていた。慣れないから、例えば階段は歩きにくい。運転は疲れる。とにかく慣れるよう、日中外さないことにして3日目。違和感がなくなった。遠くも近くもよく見えて疲れはない。

「よしの」に卑怯者の島と「鈴木貫太郎DVD」を置いてきた。

卑怯者の島力作

きのう委員会質疑で共産党 小池晃委員が防衛省機密文書を暴露した。
小池晃議員は嫌い。理由は共産党だからではなく、国会の場や日曜討論での言葉づかい。答弁者への挨拶はない。いきなり早口でまくし立て、答弁者の発言中に大声で野次る。それがカラーかもわからにが、わたしは嫌悪感がある政治家。
内部資料(国会機密)を漏洩した防衛省は責任を明確する必要がある。
法案審議の最中に、可決された場合を想定して立案するのは立派なこと。当たり前。小池委員のけんまくに押された防衛大臣は押し返してほしかった。

農園の井戸が渇水するぐらい雨がなく乾燥して、川の水を井戸周辺に汲み上げて散水しライフラインを維持していた。朝、4時過ぎから恵みの雨音。

今村さん。帰省のお孫さんを連れて「大和ミュージアム(呉市)」にこれからお出かけ。体力と精神力は壮年のまま。
世界ジャンボリーで「かるた」をPRできてご満悦のかるたクィーン。まるで蒸しぶろのような会場に連日通われ、アシスタント通訳は美人の水元さん。彼女も汗をながして頑張ったと聞いた。

昨夜から3回「卑怯者の島」を読んだ。小林よしのり 力作だと思う。戦場で白兵戦になったときの心理描写や、死にたくないが時代のながれのなかで敵地に斬り込みに行く兵士の心理が重く伝わる作品。「あとがき」も唸らせる。表紙カバーは、サイパン島大津部隊の奮戦。これも大作。「よしの」に明日レンタル。

パンツラインにアセモ

約半月、雨はなく暑い日々を過ごしてアセモになったのはパンツのゴムのところ。腰のまわりが痒い。農園生活ではじめてアセモを体験した。やはり猛暑。
代車の新型アクア。今朝、エンジンを始動するパワースイッチを押してもエンジンが動かない。押す指の力の関係でもなく江口店長に始動方法を電話で教えてもらった。もう時代の波に乗り遅れている。けれども近い将来、運転免許証は返そうと思っているからガラパゴスでOK。
小林よしのり「卑怯もの島」を手に入れた。農園にもどり一気に読み終えた。
これから何度も読み返す。今の読後感は「あの時代に生まれなくてよかった」国に命を捧げる決心を今はしなくてよい。日米安保の傘の下での平和。それが平和の担保かと、島で絶命した兵士が描いた命をかけた日本の姿なのかを考えた。

愛車がトラブル

薄暗い5時すぎ西君の墓参り。母に供えた生花の豪華版を二束家内が用意してくれた。
供えて墓を洗っていたら東の空が真っ赤な朝焼け。時計をみたら5時13分。朝焼けが溶けるまで数分、絶景を西君が演出してくれたと思い立ちすくみ拝むように眺めた。

猛暑の月曜日。配達を約半分終えた12時。厚狭の新幹線口を通過中にお尻の下のエンジンルームから激しく叩く異音が発生した。ラジオも聞こえないボリュームと振動。炎天下でエンジンを止めた。エンジンルームを点検したら、ベルトが切れかかりムチのように周囲を叩いている原因はわかった。カッターナイフで40センチぐらいぶらぶらしていたベルトを切ったが、エンジンを回せばまた傷が広がり異音がでる。
山口トヨタは月曜日が全県下休み。江口店長をコールしたら「はい江口です」この応答で江口店長の休日は終わった。
わたしが止まったすぐ近くの場所で朝からゴルフをしており終わった直後。20分ぐらいで到着。その間わたしは家内に来てくれるよう頼み、家内も到着。店長は故障車を運ぶトラックを長門市まで取りに行き、長門まで運んで、その後代車を農園まで運ぶことになった。
わたしは家内の小さい車に納品を満載して運転。
すべては金曜日。長門の山口トヨタですべての点検を済ませ「心配はありません」と胸をはった江口店長の責任になるが、そこは言わずに、店長は休日返上でベストの対応をしてくれた。
さきほど代車が来た。ブルーのハイブリッド乗用車(試乗車)この扱いがわからない。エンジンキーが無い。
きのうはレンタカー。ハンドルに数々のスイッチがあり、触らないよう注意した。
木曜日は雨予報。嬉しい。

山口市内暑い熱い!

照美さん家族と同じ屋根の下。娘や孫と交わる機会が少ないから騒がしさも幸せ。
母の50日祭は、葬儀と同じ近親者16名で真心をこめる内容になった。身体がなくなった母は毎日、孫やひ孫に寄り添っている実感がした。
賑やかに会食。料理は「一隅の里」にお願いして豪華に並んだ。真砂恵さん次男(五歳)が先日誕生日だったのでケーキも登場。花火を楽しみ、母は喜んだことだろう。
8時に、新山口駅前のトヨタレンタカー(江口店長お口添え)で8人乗りを借りて農園。県立美術館で開催の恐竜展。ザビエル記念聖堂。山口駅でSL山口合と記念写真。家内が予約したファミレスでランチ。
とにかく焼けるような暑さの山口市内を半日観光した。
娘家族を見送り、愛車の給油に馴染みの給油所に立ち寄ったらクラクラするほど暑い。大型商業施設の駐車場の一画にあり、その熱くなる条件下で気温は42度を指していた。
生花をたくさん供えたので、明日の朝、西君のお墓にお裾分け。犬3頭にも。
ひとつ区切りをつけた。

母の50日祭お仕え

この時期、あの戦争を様々な角度で、様々なメディアが報じる。
昨夜のテレビ番組でアメリカが国民に戦時国債を買わせるプロパガンダ映像が特集された。
衝撃を受けた映像は、サイパン島、いわゆるバンザイクリフから崖下に身を投じる、日本の民間人女性。あの映像はあの部分だけ切り取られており前後の映像があった。
女性は抱いていた赤ん坊を崖から投げ落とし、その次があの飛び降り映像。さらに崖下の海面に浮かぶ母と子の遺体まで撮られていた。

若いときモノクロ版「日本のいちばん長い日」を観た。終戦に命をかけた男たちの終戦前日からの行動を、2時間半もかけて作品となった。
阿南陸軍大臣が自宅で割腹され、10時間ちかく苦しみ、介錯を申し出る側近に「このままで」と軍刀を腹にあて血の海に座り続ける場面は、陸軍大臣としての責任のとりかたを感じた。重苦しい映画だったが観てよかったと当時思ったことを覚えている。

この度同じ作品がリメイクされ上映がはじまった。今月中に観に行こう。

長門市のトヨタ店に立ち寄り愛車のタイヤローテーション・エンジンオイルとギヤオイル交換・ショックアブソーバ2本交換・前輪ブレーキパット交換。すべてを約1時間で終えてくれ助かった。

さきほど京都の長女家族が農園に到着。夕方、家族全員が揃い母の50日祭お仕え。

冷房なしの金曜日

明日は母50日祭。「帰りたい」と言い続けた遺骨は自宅母の部屋に安置して、長男家族が揃って手をあわせてくれた。その遺骨が昨夜農園に到着。家内がしつらえた祭壇に鎮座していただいた。
今朝5時から草刈りに汗をかいた。佐伯桜並木も日照りで弱り、500リットル川の水を汲み上げて散水した。井戸の水位が下がり、きのうから川の水を井戸周辺に汲み上げて散水している。
午後からトイレと風呂掃除。草刈りも掃除も、きれいにする目的の前に、明日をむかえるわたしの心を整える意味がある。
4時まで冷房なしで過ごした。明日のお供え(母の妹)生花が立派に届き(湯田花園)冷房をつけた。
今夜は母と酒を酌み交わそう。

安田登師白熱教室

昨夜の「数楽の会」。能楽師 安田登先生はいつものように袴で登場された。片田舎のふれあいセンター。藤野先生の呼び掛けに参集した小学生・中学生を含めて男女14名に孔子や世阿弥の言葉や生き方を90分説かれた。額に汗をうかべて。
さらに文字の根元、甲骨文字にまで話題がひろがり「白熱教室」だった。
わたしは、そのなかで「初心の仕組み」を本気で聴いた。常々、もう歳をとったから。と物事に消極的な関わりだった。けれども高齢者の初心こそ大切だと理解ができた。まだ消化不足で、わたしの気持ちがあらわし難い。しばらく反芻しなければ。金光教の教祖がのこした言葉「日々(にちにち)がさら」とあわせて考えてみたい。
昨夜メールで、今夜の同窓生今村さんと荒川知恵さんから「初心」がよかった。きょう吉野さんも「初心がえかったね」

今朝、小月のレストラン。オーナーシェフが今年も日焼け(松崎しげる以上)。西長門リゾートホテル修行時代から、この時期はプライベートビーチで焼きそばと生ビール稼業。とにかく儲かる。儲けて秋にみなさんと旅行で使い果たす。これが本業ではないから楽しく浪費すればよい

隔週6個のばあちゃんに「お世話になりました。きょうで配達は止めます」と言った。
いつもは郵便受けに届けて、中の192円をいただくルールをばあちゃんが決めた。それが守れない。数年のうち4〜5回わたしが払って言わなかった。一度それを話題にしたら「わたしは、とくにお金には几帳面」と声が大きくなった。そのストレスをさけるためのポケットマネー。きょうは在宅だったから「前回のお金もください」と言ったら几帳面で言い返された。仕事は気持ちよく励みたいからご縁を解消した。初めての出来事。

加奈ちゃん不在。きょうは下関市内の高校に講演。どんどんステージがあがり嬉しい。

ぼつぼつバテそう

のら猫に 悩む宮司の 新兵器

かしわ手を打ったら神前からのら猫が猛ダッシュで逃げる。宮司は本殿正面の戸をたてて(閉めて)いたが、今朝は戸が開いて、本殿内部に猫対策の柵が置かれていた。

ラジオで知った。太陽の温度は6000度。広島・長崎上空600メートルで炸裂した原爆の温度は12000度と。

日本の安全保障。アメリカの軍事力の傘で担保されている。平和を唱える市民運動は、その傘のもとで声をあげている。
他国から10数分で到達するミサイル。
選択肢は3つ。

国民は座して死を待つ。
着弾して被害を確認して防衛(反撃)をはじめる。

明らかに日本へのミサイル攻撃のきざしと認めたら、その敵地を壊滅する。

きょうの小野田市内は工場の爆発事故で緊急車両がたくさん走り緊迫していた。
幸い重症の怪我人はなかった。わたしの配達さき近くが現場で、黒煙が1時間以上立ち上った。

これから汗をながして、吉部ふれあいセンター。6時半から「数楽の会」安田登師のお話し拝聴。

山本一力さん来山

児玉清さん。読書家でたくさんの書評をラジオで聞いた。そのなかでも一番評価がよかったと思えた作家を「彼は江戸を見てきた」とまで言わせた 山本一力。それならばと書店に立ち寄り「まとい大名」を買った。
江戸の火事場を火消しが走る。水の消火ではなく、風向きをみて、火を止める家屋のうち壊し。ここまで壊せと「まとい」持ちが屋根でまといを振り上げる。まとい持ちを炎で焼かないよう火消衆は腕力まかせで家を壊す。壊されたら困る住民との喧騒が活字から伝わり、臨場感あふれる江戸だった。
一力さんの故郷、高知県で現在もつくられる酒「司牡丹」も一気に読んだ。
たくさんの仕事を経験されて作家。その声は野太く惚れてしまう。
その一力さんが来山される案内が以下届いた。

■夢トークinやまぐち講演会「人の世の情けを描き続けて」
【講師】作家 山本一力氏
【日時】10月 11日(日)13:30〜15:00
【場所】山口県セミナーパーク 講堂
【定員】300名
【申込期間】8月20日(木)〜9月17日(木)必着
※定員を超えた場合は抽選とします

▼お申込みは山口県ひとづくり財団HPから
http://www.hito21.jp/kouza/index.html
▼携帯はこちらから
http://www.hito21.jp/kouza/mobile.html

暑い!暑い!

先日の参議院における安全保障法案審議を、配達しながら4日聞いた。法律解釈の議論はわたしには難しくてわからない。
納得できたいくつかのなかに「徴兵制」を理由に法案反対に対しての説明。
現在の戦闘はハイテク兵器を駆使しており、兵士は武器の扱いに習熟するため長期間訓練が必要になる。
召集令状(徴兵制)で男性民間人を集めて、銃剣を持たせて戦地に送り出すようなことにはならない。苦役に強制的に従事させることは法律でとめられている。
戦争ができる国。徴兵制復活の国をめざしての安全保障法案ではないことは理解できた。
きょうのラジオニュースで中国が海軍力増強(空母・潜水艦)予算に加え、空軍予算も飛躍的に増えたことを伝えた。
くわえて、安定していない北朝鮮国内事情。仮に軍部がクーデターをおこせば朝鮮半島が発火点になりノドンやテポドン(車輌や潜水艦)が発射される想定で邦人の安全、拉致被害者救出計画がつくられている。
平和をお題目のように唱えたら平和になるのだろうか。

とても暑い月曜日の配達を終えた。暑くて眠気がくるのか。Lサイズホットコーヒーを2杯買った。それでも眠くて車をとめて10分夢をみた。
先週の月曜日は、夕方に健太を安楽死させるかどうか悩みながら走った。安楽死を決断して農園に戻ったが健太が瀕死のなかで、痛みのせいで扱える状況ではなく、結果的に一晩放置して死なせた。
夕方、愛犬3頭の墓参り。

草刈り完了

3時起き。
農園はぐるりを厚東川と山が囲み、アスファルトやコンクリートがないから夜は網戸で涼しく、早朝は涼し過ぎるから窓をしめることもある。
この涼しい時間に草刈りをはじめるため朝食と愛犬の世話を5時までに終える。
薄暗い5時。強力草刈機ハンマーナイフに水を入れた飲み水のペットボトルをくくりつけてスタート。8時半までに予定の面積がきれいになった。機械で刈るから、刈り取る高さが一定になり見た目がよい。
エンジン動力噴霧機で汚れを洗い落とした。いつも使った直後に洗うから、10年ちかく経っているが汚れはない。注油はマニュアルどおりにしている。
シャワーで着替え山口市内にガソリン給油と買い物。宝くじも千円。
昼寝は1時間。明日から暑さに負けない休養ができた。

小林よしのり新刊

10年ぐらいまえ、牧さんが大量の本(中古)を段ボールで農園に届けてくれた。中身は全部「小林よしのり」戦争論の3部作・沖縄論・台湾論・東京裁判などは何度も読み返し栄養になった。その後「天皇論」や「靖国」など次々に新刊を買った。どれもわたしには読みやすく、小林よしのりを紹介してくれた牧さんに感謝している。
最近「卑怯者の島」が刊行された。激戦地ペリリュー島が舞台。日本兵一万人以上戦死、生還できた兵は34名。70日間も死闘を展開した兵がなぜ「卑怯者」と題されているのか疑問がわき、ネットでお試し読み(50ページ)をした。この本は読まなければならないと感じた。

いま「よしの」さんは、アメリカから出たペリリュー島戦記の翻訳を図書館リクエストされ、出雲市図書館から届き読まれている。

愛車の点検。トヨタ長門店に8時半に着いた。照りつける日差しのなか、江口店長が店舗周囲の清掃に汗をながしていた。店長赴任した数ヶ月前は雑草の花壇も今はきれいな花が咲いている。正面にカー用品店があり、店の周囲は雑草など雑然としており、どちらが気持ちがよいか判別しやすい。1時間の点検でアブソーバなど不具合が見つかり、日を改めて部品交換になる。毎月5千キロメートル走るから部品の消耗が早い。
土日で草刈りをやりたい。明日の1日では無理だから炎天下の3時から草刈りを始めたら。6時までやれば予定の面積が刈れるが、5時半ギブアップ。
明日の早朝からはじめよう。