月別アーカイブ: 2015年10月

最高に冷えた朝

6時。冬の服装で萩市に向け走りはじめるとき農園ね気温4度。
萩市に下る雲雀峠は2度。明日から11月、いよいよ寒さが本格的になろう。
今月の農園ミニアルバムに1ヶ月登場した親友の牧さん。
3回前のメールは「鹿児島です。方言がきつくてわかりません」と自身の宮崎弁を棚に上げた。2回前は「舞鶴火力発電所の煙突です」きょうは宮崎県都城市から城下町飫肥までの車で移動する時間を尋ねていたら、実際に走行して食堂なども情報提供してくれた。
来月は、わたしが大好きな宮崎県を訪れる。45歳のとき、宮崎市から阿蘇高森町まで250キロを徒歩旅行。5日間、秋の宮崎を満喫した。
その同じ時期、同じ道を車でたどる旅を計画している。
旅の付録で飫肥城から太平洋にそそぐ飫肥杉の運搬で掘られた堀川運河のたたずまいも見たい。もう宮崎は最後になるかもわからない。
11月のミニアルバムは、トヨタ長門店の江口店長。

政府は、原子力発電所の再稼働を決めた県に対して、5年間にわたり毎年5億円の補助金交付を決めた。
辺野古では地域に直接補助金を出す。
この構図は、金で心を買い取る、犯罪で言えば贈賄罪と同じようにわたしには思える。

散歩人 秋を切り取るカメラ下げ

万歩計6000歩

温泉三昧

きのう下関市内の米店に余剰米の買い取りをお願いした。電話番号と略図を早く手渡したいので朝7時に農家を訪れた。まだ朝刊が郵便受けで朝寝をしていた。
ピンポンでご主人が出てこられ「なにかね?」と不思議そうな面もち。まさか米の買い取り話とは思いもしないサプライズ。
午前中に電話をすると言われ、たいそう喜んでいただいた。

金曜日は仕事をしない。正志は5時半から働き始めた。わたしは農家のあと山口市に移動して湯田温泉。昼前に館内の食べ処でビールと軽食。3時ごろまで休憩して農園に戻った。
太秦教会の大祭奉仕に2泊で行った家内も戻り仕事をしていた。

芋に栗 サンマ新米 人肥ゆる

万歩計7000歩

太秦教会の大祭

昨日、お客さまで米農家の方が「どこかお米を買う人がおらんだろうか」と顔をくもらせた。
毎年、一年分の新米を注文される家庭が数軒、この秋は注文されなかった。立ち入ったことではあるがコシヒカリの玄米値段を聞いた。高くはない「気にしておきます」と返事をした。
きょうの配達先、下関金比羅交差点近くの米店で話題にした「米をみて、お店で値段をつけます。それでよいなら」と前向きな返事をいただいた。
わたしの役目は、双方のご縁を結ぶまで。あとの事は知らないほうがよい。
木曜日の功山寺(長府)朝参りも続くようになった。少し歩いたら「万骨塔」を見つけた。昭和8年、長門尊攘堂(わたしはわからない)を創設の桂弥一という方が、日本各地から石を取り寄せ、有名・無名の勤王の士を当時の府県毎に祀っている。この「万骨」の由来は「一将功成って万骨枯る」と書かれ、明治天皇御製の立て札には

國の為 心も身をも 砕きつる ひとのいさをヽ たづねもらすな

全国の石のなかに、会津白虎隊士 山川健(このあと達筆で読めない)の霊さまの石を見つけた。
萩市にも、会津の志士を弔う場所があるらしい。
国のため命を捧げた霊さまを祀ることはあたりまえ。緒外国には、国を憂いて敵味方になった敵をも祀る心はわかるまいと思った。
きのうから家内は太秦教会のお手伝い奉仕。きょう午後1時から秋の大祭。わたしは下関から遥拝。

太秦の 秋の大祭うるわしく

万歩計9000歩

報道姿勢に思うこと

今朝の報道は中国が領海を主張する海域をアメリカ艦船が航行し、公海であると実力で示したことがトップ。
沖縄タイムズと琉球新報のトップ紙面は「辺野古」の問題。
沖縄から本土の報道姿勢をみたとき、アメリカや中国情勢がトップ紙面に違和感が当然あるだろう。わたしも報道姿勢に疑問を持った。
国内問題を優先報道しなければならない。国民意識は報道にコントロールされている。

昨夜の月は大きく明るかった。今朝は5時半、月が散歩道を照らしてくれ気持ちのよい散歩をハッピーと楽しんだ。

半月ぐらい前から落ちたギンナンを、手間隙かけて真っ白に洗いあげて天日干しをされている。
わたしも何度かそれをやった。臭うギンナンをビニール袋に閉じこめ、農園でビニール網袋に詰め替えて川に1週間ちかくつけて、ゴム手袋でしっかり洗い天日干し。とても手間がかかる。
その干したギンナンをひと袋「身体があたたまりますよ」と添え書きしてお客さまの玄関に置いてあり拝受。
数個を紙封筒に入れて電子レンジではじかせたら、濃い緑の指輪できそうなギンナンの実が出てくる。

手間かけた 銀杏ポンと頂戴し

万歩計13000歩

母がまわす私の舞台

人生の回り舞台は、1日や数ヶ月単位では測れない。そのぐらいジリジリとまわる、毎日の積み重ねが大舞台をまわす。
母と神さまに毎朝夕手をあわせる習慣が身についた。今朝、母と心の会話をしているとき気がついた。
20年ほど前に金光教の参拝をやめた。教会という組織とお供えということに我慢できない壁に当たったことが理由。
母は7年ほど前、農園に来てわが身の葬儀一式を決めた。その中心は「太秦の先生(長女の夫)に葬儀は頼んでくれ」
遺言に従い、金光教の神式で葬儀はお仕えされ、母は霊神さまとして私がお祀りしている。
つまり、毎朝夕に金光さまを拝み、母を拝むことになった。
わたしが20数年前に手がけた出版「神さまに噛みついた話」に再会。
来月は全国金光教信徒会長をされた、ハラダヤの原田社長からご自宅にお招きをいただいている。信心話になろう。
母は、わたしに迷わず歩めと「信心の道」に霊ながら導いてくれていることを実感した。俳句も「やってみなさい」といざなってくれた。
母が舞台をまわしてくれている確かな実感。母がありがたくて胸があつくなった。

秋晴れが続き、農園の井戸は水位が下がり、ポンプで川の水を汲み上げて、井戸まわりに散水しながらしのいできた。

秋雨が 井戸のピンチを安堵させ

万歩計11000歩

寒い朝だった

わたしより年輩が「寒いと身体にこたえる」この言葉を聞いても実感がわかなかったのは若い頃。近年それが実感できる。
布団に入るとき首を保温。真冬は腹巻きと靴下も加わる。今朝は寒さを感じて3時に目が覚めた。5時の屋外は5度。
長袖ヒートテック肌着。いろいろ重ね着して、毛糸の帽子も動員した。
太陽がのぼるにつれて、北風と太陽のようにどんどん気温があがり、午後3時にはヒートテックと長袖シャツそれでも暑い。歳をとると季節の境目にうろたえる。
美祢の山奥で猟師さんふたりが駆除で捕獲した猪を解体していた「まだ脂身は少ないが持って帰れ」と肉片3切れ。目分量で5キロ以上はある。家内は赤身は鹿も猪も竜田揚げ(唐揚げ)にしてくれ旨い。
年末ごろには「捕れたら、一番よい肉を頼みます」と何軒かの猟師さんに声をかけている。
岡本拓也さんのお母さんから、干し柿にできるよう枝を付けた渋柿を先般いただいた。それを干し柿にしてくれデザートになった。

つるし柿 期待に応え甘くなり

万歩計9000歩

大相撲に感激!

6時までにいろいろ済ませ、正志に仕事は頼んで家内と下関。
8月に買った「大相撲下関場所」マス席は正面席。観戦するのは初めて。8時から稽古が始まる。最初から楽しみたいから早めの出発。下関武道館にはすでに大勢の相撲ファンが、力士がバスやタクシーで到着する場所に集まり、力士が到着すると大歓声!とくに若い女性がカメラやスマホに色紙を持って走る。この臨場感に気分は盛り上がった。
ビール飲みながら弁当を食べながら、応援しながらの「ながら」一日。力のこもる取り組みがたくさんあり大満足。弓取り儀式もよかった。
帰り道、酒とつまみを買い、助手席で一日をふりかえりまた酔う。

寄せ太鼓 気持ち高鳴る秋巡業

万歩計8000歩

萩を楽しんだ

萩市に下りていく雲雀(ヒバリ)峠は、急勾配と急カーブそのカーブは山をまたぐ橋脚の上。左右が高い山だから冬場は日当たり悪く山口県随一の凍結難所。毎週早朝、もう何年もこの雲雀峠を下ってきた。
けれども、秋が深まると山のグラデーションは絶景。わたしは、散り落ちる前の深い色合いより、まだ緑も混在する今ごろの景色が好き。とくにカエデ。
下り終えたら旧旭村明木集落(いま萩市編入)。萩往還道の当時が偲べるような街道街。
土曜日は、この旧街道をウォーキングしている。
今朝は濃霧。ほんとうに視界が遮られた街並みを歩くと。耳にできるのは、わたしの足音と清流が川石にあたる心地よい音だけ。
「花燃ゆ」と世界遺産効果は絶大。萩市内の宿は、近隣各県の観光バスがずらり満車。経済効果を萩市周辺に及ぼすこと確実と感じた。
萩周辺道の駅。三見の道の駅「さんさん三見」などは、その観光バスを期待して朝からてきぱき働いていた。

秋並べ きょうも稼ぐぞ道の駅

万歩計8000歩

心豊かに金曜日

農園そばを流れる厚東川は、すぐ下流で宇部市の水がめ「小野湖」になり流れをとめる。湖面に朝霧が漂うそばの道をウォーキング。自然の景色しかない場所をそうそう歩けないから気持ちがよくなった。
小郡の散髪店、きょう最初の客になり頭すっきり。
持世寺温泉「上の湯」も一番乗り。サウナと屋上露天風呂を楽しみ身体も気分もさっぱり。
風呂上がり、隣の豆腐工房がのれんを出していたから一番客。できたて木綿豆腐を一丁買い、無料の卯の花ひと袋をいただいた。
まだあたたかい豆腐とロング缶で昼ごはん。昼寝は30分。

なんとなく心豊かな金曜日を過ごせた。

来週、太秦教会の大祭がある。乾物などお供え物を事前に宅配して、家内は二晩泊まりで先生方と信者さんの食べごと奉仕に行く。昨夜の家内はそのお供え物を段ボール2つに仕分けていた。

配達でお客さまから見事な愛宕梨(荒尾市)をいただいた。厳重に包んで神様お供え物にしていた。

いただきし 荒尾の梨を神前に

万歩計7000歩

神様にかみついた話

金光(こんこう)教の聖地は、JR山陽本線「金光駅」から徒歩10分にある。新幹線の福山駅と新倉敷駅のなかほど。
春と秋に御大祭がつかえられご信者さんが参拝される。
下関市内のお客さまは市内の金光教教会の信者さん。先日、聖地(ご霊地)に夫妻で参拝された。夫妻にお願いをした。ご霊地の書店に「神様にかみついた話(玉井光雄)」という本があれば一冊買ってください。
金光出版をご霊地に創業した。天理教には天理道友社(美術印刷もできる大規模)があり、文書布教の一翼を担っていた。金光教には文書布教の拠点がなく、微力ながら創業した。庄原市でダスキンと市会議員で金光教。わたしとはトイレ掃除で知り合った林さんに天理道友社や天理教のお掃除の案内をしていただいた。その後、彼と一燈園の修行も体験。
毎週、金曜日から日曜日は金光出版に車で通った(高速道路は部分開通)いま振り返ると、思いっきり働いたときだった。
1992年(23年前)玉井光雄という金光教教師が信者さんを導く姿に感銘して玉井師を訪ねた。
早島の小さな教会。囲炉裏の間で、長い時間じっくり師のお話を聴いた。わたしはお願いを切り出した。先生がお祭りなどで講話される内容を本にさせてください。費用は一切要りません。先生のご信心をたくさんの人に伝えたい。
その初版が「神様にかみついた話」
タイトルは内容を読み込みわたしが決めた。それは、内容で玉井師が神様に難儀を抱えた親子のことを「神様、このままほっとくつむりか。それではわしは承知せんぞ!」と談判する場面から決めた。表紙はデザイナー。わたしは「題字ははみ出る勢いがよい」と注文をつけた。
その本が手元にないので買っていただいた。
今夜は本を肴にのめる。読んでみたい方はご一報。

菊川の田舎道はコスモスの大海原。その間を走りながら。

コスモスの 大海原や田舎道

万歩計7000歩

体罰OKです

お客さまから農園「ゆうちょ銀行口座」にPC送金したいと連絡があった。口座は開設していない。その連絡を正志に、返事しておくよう対処を任せた。
しばらく経って、どうお返事したかを聞いたら「口座がないのでお断りしました」と。
「育つ」ということは、このタイミング。わたしなら口座を開設しますと返事をする。そのことで農園にひとつ力がつく。つまり、お客さまが農園を育てることが正志はまだわからない。

文部科学大臣の馳 浩(専修大学卒)さんが、教諭時代に体罰を与えたことをマスコミが報じる。
わたしが若いころ、お参りしていた金光教の教会で高校生が喫煙した。それを見た教会のおばあちゃんが、高校生の顔を本気で叩いた「わたしは、あんたを叱る権利がある」わたしはその迫力に驚いた「なんでかと言うと、あんたのことを毎日神さまに祈っておる」と噛みついた。その場面と大臣の過去問題を、専修大学野球監督をされた今村さんに「体罰問題なし」の思いで話した。
監督時代、合宿所で禁止のマージンをやっている部員たちを見つけた。外に出してひとり3発けつバットをやった。今村さんの腕力精一杯で。2発で内出血になり3発目で出血。野球はルール。そのルールが守れない者は退部せよ!翌朝、バットで教えられた生徒全員が5厘頭で謝りに来た。
けつバットのやり方は、今村さんが野球部員のころ先輩からやられて、コツは体得済み。
体罰をやる側の理屈があれば、体罰はよいと思う。

今村さんの庭に渋柿がたくさん干されていた。きょうは洗濯物より柿。

干し竿に 我が物顔の柿のれん

万歩計10000歩

川嘘ではないから

6時前はまだ薄暗い。食事と食器をおさめ、台所を磨きあげて愛犬の世話。
ハッピーはリードで歩くとき決して引っ張らない。わたしが歩みをとめたらピタリと座って呼吸を合わせる術を心得ている。
イノシンを脅す爆発音は深夜はやめて、早朝からドカーンと山あいに響く。今朝はこの音が若葉マーク俳句の琴線にふれた。
暗がりのなかで歩みを止め手帳とペンを探していたら、愛犬はどんどんモンローウォークしながら前方に歩を進めている。リードの金具が壊れていた「待て!」の号令で座った。野良犬だったとは思えないが、爆発音にピクリと身を縮める小心犬。

犬ピクリ 山に爆音シシ脅し

橋を渡っていたら右岸から反対にさざ波がたった。川面を尾を振りながら渡る(約30メートル)カワウソだった。川岸はコンクリート。また川の真ん中に出て上流に泳いで去った。
以前カワウソを発見したとき嬉しくて地元の市議(議長)に現場から電話した。まったく無関心が言葉のトーンでわかった。それと「見まちがい」と疑われたからガッカリ。
オシドリやホタルが地元の観光資源ならカワウソは四万十川並みの話題になる。
画廊の菊川さんが、その話題に「ものごとは見える人には見えるもの」とわたしの肩をたたいた。
群馬県桐生市 創作てぬぐい作家 長沢士郎展が菊川画廊で催される(11月2日から11月8日午前10時から午後6時)著名な作家らしい。それと画廊主の人柄にわたしは惚れ込んでいる。宇部の芸術文化を発信する心意気に。敷居は格段に低い画廊です。
JR東新川駅を背にして、信号をわたりすぐ右側。Pあり。

万歩計13000歩

宝くじが当たらないと嘆いたら「た」抜きですよ。と聡明なお客さま。

年老いる軌道

昔に聞いた「年をとれば歴史がおもしろくなる」まさに、その年老いる軌道を間違いなく歩みながら「句」までおもしろくなった。

痛風の岡本拓也先輩の母上は、わたしが知り得ているのは書道・花道に俳句に味噌づくり。わたしがたずねるコトぐらいは余裕で説いてくださる。月曜日のお届け先一番は岡本家。
道中にキンモクセイの花が散り、道ばたをオレンジに染めていた情景を17文字にこめた。それを評価いただいたら首をかしげられた。
それから目を皿のようにしながら朝と秋を発見しようと努力しながら運転。落ち葉を掃く商店街を走り。

竹ぼうき 朝の街角威勢よく

海上自衛官退官され俳句・時事川柳に短歌を趣味にされているご年配。わたしに俳句手帳をプレゼントしてくださった。
松江が故郷で、わたしの母が近くの直江という親近感で親しくしてくださる。
わたしの身辺にたくさん師匠がおられるから、年老いるレールを踏み外すことなく歩める。

万歩計8000歩。
夕方血圧140・85でわたしの健康値

八幡宮内を巡拝

早朝、吉部八幡宮近くを30分散策。水曜日の朝参りは本殿と西君の祖霊殿に参拝しているが、あと2ヶ所拝み所がある。そこも巡拝した。
1ヶ所は「地蔵大菩薩像」室町時代の作品でケヤキ。菩薩は仏教の位でありながら、その像が祀られている八百万の神を崇める日本らしさがうかがえた。
わたしも神仏問わず手をあわせる日本人。
もう1ヶ所は護霊舎とよぶのかどうか見落としたが、地域戦没者が祀られている。お名前を数えたら135名。日清・日露も含めているのかどうかは読み取れなかった。
航空機の木製プロペラが飾られ、プロペラに山本五十六と書かれた筆文字がある。達筆で判読不能。

午後から、母の遺稿整理に着手した。日記と俳句は誰かに読ませるためではないが、ひ孫にいたるまで、日々の想いが綴られている。

母詠し 秋の一首を指で撫で

万歩計10000歩

日本晴れ!

愛犬ハッピーは、来月で農園犬になり7年になる(防府市の草むらで、7匹の子犬に授乳中捕獲された)
捕獲直後は体重7キロ。痩せ細り毛並みは悪く、くわえて心臓はフィラリア感染。保護され紆余曲折の末に農園に来た。
フィラリアは発症しないまま推移したから心配はない。体重は16キロの豊満体型になった。
ここにきて問題が起きている。野犬時代に人間から虐待があったのか人間嫌い。わたしにはツンデレ犬。
散歩に出て、釣りびとが遠くに見えたら歩かない。車の音も恐怖。そこで午前中は作業場につなぎ、来園のお客さまと至近距離になるようにした。午後からは山だけ見える、孤独が満喫の場所につなぐ。対人恐怖を治すのが課題。

日本晴れ。と秋空を表現するけれど、きょうはその日本晴れ。
山口市を中心に「ねんりんピック」が開催される。
萩市内の旅館やホテル前には県外ナンバーの大型バスが勢揃いして、開会式場に向かう準備をしていた。経済効果は大きいだろう。
日本海と秋空のブルーを満喫しながら配達。野波瀬港のお客さまから、今朝釜あげのシラスを豪華にいただいた。

きのう一匹200円。青森の刺身用でっかいイワシを焼いた。近年まれに思うぐらい旨かった。いよいよ青魚の季節。

感謝する 天地の恵み秋の空

万歩計8000歩

ルーツをさがして

きのう長府 功山寺近くの配達を終え、静かな朝8時にお参りができた。
維新の舞台をまわしたお寺(曹洞宗)は、山門からゆるくあがる苔むした石段の奥にある。観光で行く神社仏閣の賑わいはよいが、お参りならば静寂がわたしは好き。

志士たちを 偲び落ち葉の功山寺

山門には血気盛んな志士が切りつけた刃の跡がたくさん刻まれている。山門横の掲示板

決起して 維新の扉こじあけし 晋作の霊 息吹く功山寺 と書かれていた。

母が最後のころ夢うつつで「○○に挨拶に寄ってくれ」と、わたしを認知した父親の名前を言うことがあった。
わたしの出生について語らない。父親の写真は一枚もない。わたしは、そのことを聞くことはしなかった。
けれども「寄ってくれ」と言うからたずねてわかったキーワード。住所・その家は本家・名前。
明治生まれだから墓のなかだろう。わたしが名乗り出たら先方の家庭に波がたつ。けれども墓参りをして母の気持ち(80歳後半、これで俳句をとめると記された句は、あなたを想う一首)を告げたい。
朝、地図情報から地域の名前を検索した。古い土地柄で約30軒あり、わたしがさがす名前は4軒あった。
母の霊前に、これから行くから導いてくださいと祈念した。
そこを歩くと、朝からよそ者は目立つから車で走りながらお寺か墓地を探した。くまなく地域をめぐって手がかりはなかった。もちろん誰かに尋ねたら一発でわかるが目的は言えない。
離れた場所に大きな霊園(廟)があるからそこに向かう途中、小高い所に墓石が見えた。かけ上がると、調べた地域の家々の名前が刻まれた地域のお墓が並んでいた。
ドキドキ心臓が鼓動をうつ。なにか息苦しくもあった。めざす4軒のうち3軒のお墓を確認できた。けれども○○家とだけで、どれがその墓かの特定はできなかった。
けれども、わたしにすれば血の縁故者たちに間違いない。写真に撮りきょうは失礼した。後日、お参りさせていただく。案内役の母に感謝。
持世寺温泉に寄り、身も心もさっぱりした。

万歩計9000歩

渡り鳥お いでませ

夜明け前に愛犬と散歩。カモが川に飛来していた。これから春になるまで鳥インフルエンザが心配になる。まして野鳥も原因に考えられているから、渡り鳥がたくさん集まる農園はリスクはたかい。
けれども歓迎してやらねばと思った。

おいでませ 朝の川面にカモ8羽

小月の乗馬倶楽部入り口には、消石灰が撒かれて道に白いバリア。尋ねたら、馬インフルエンザがアジアで発症しており防疫体制と言われた。サラブレッドが何頭もおり、近くの池に渡り鳥がたくさん飛来するから神経をとがらせておられた。

唐戸の散髪店カットイン・パラダイスの中山さん。鉛筆画教室も主宰。母の遺影もお世話になった。
客のいないお店で拡大鏡を使い、何本もの鉛筆を駆使して作品製作中。毛髪の輪郭だけが描かれていた「安倍総理ですね」と言ったら大当たり。
来年、鉛筆画教室の生徒さんと展覧会を企画されており、そのメインに安倍総理を出したいと安倍事務所に行き許可と写真をいただいた。
わたしから言わせたら、理髪店の視線で頭髪を描かれているから、頭髪で誰かわかりますいね。
店主は嬉しく形相くずして、石松の「寿司喰いねぇ」ではないが、商売の蒸しタオルを一枚差しだし「さっぱりするで」と顔を拭くように言われた。

「よしの」は完売札。先日、わたしには読みこなせない「ホツマツタエ」をかなり読みすすみ、その印象いろいろ聞いたなかで「岡潔とアインシュタイン」の類似を解説してくれたが、理解不能のわたしの前頭葉は萎縮した。

万歩計8000歩

見えない働き信じて

今朝は8度。4時前に布団から出るとき「よし!」と気合い。
一番先にすることは、ハッピーの食器にコップ一杯、冷蔵庫の牛乳を入れて、6時前まで常温にしておく。

マフラーなど冬支度で八幡宮参拝。宮司が「あなたを見たら元気になります」と山口弁イントネーション。声は祝詞で鍛えて大きい。

本殿の 日だまり選び朝参り

数ヶ月前、ある問題を抱えて家族で農園にこられた。卵のお客さまであり金光教信奉者でもある。わたしとの、それがご縁。
わたしに解決できるすべはない。山口市のブライダル「ハラダヤ」社長は長年お世話になり、屋久島酒飲みツアーにも参加された。金光教信徒会の会長など、ビジネスも信心でも要職を重ねておられる。
わたしの手に余る宿題を相談に行った。それが来月「飲みにおいでや」と、ご自宅での夕食ご招待になった。
そして昨日「糸口は見えた」と原田社長からお電話。今後どう推移するかは別として、問題を投げかけられた方。受けた原田社長の祈りが舞台をまわしているよう実感した。
先日、農園をはじめたとき小倉の卵家(らんや)さんのご縁で、卵の業界実力者とご縁がうまれ、それ以来15年ぶりに坂村真民先生の石碑(農園入り口建立)の撮影に立ち寄られた。農園世代交代を模索中にお知恵を拝借できる方が、必要なとき必要な人物があらわれる。このことは、母が御霊ながらに働いてくれていると実感。
目にはうつらないが神仏の働きはある。

万歩計11000歩

南京大虐殺

火曜日のウォーキングは山道を30分以上歩く。何年もこの道を歩いているが、風景を17文字にまとめるようになり景色が一変した。季節感を見つけるアンテナが高感度になりつつある。茂みのアケビやカラスウリも今朝は見えた。それが17文字のご褒美。

秋を詠む 十七文字やハイビジョン

福島県の小野賢二という方が、南京入城をした「会津若松歩兵第65聯隊」の兵士200名に27年前面談して証言を聞いて、31冊の陣中日記を寄贈してもらっている。それがテレビ番組で報道された。
その日記を検証(裏づけ)もしている。日本のどこの軍港から、なんという船名の船で行ったか。すべて符号。上海の邦人保護の目的で日本陸軍は上海を制圧。その後、松井石根陸軍大将の指揮で、当時の首都南京攻略作戦となる。いわゆる暴走。
南京までの行軍は、食料など補給はなく現地調達(徴用)。住民の食料や酒を盗る。
南京を囲む作戦で落城させたから城内の支那兵士も住民も投降。会津若松の聯隊だけでも1万人以上の捕虜を受け持った。国際法で捕虜の待遇は保証されなければならないが、それだけもの人数を養う食料も食器もなかった。
揚子江を正面にした場所に機関銃座をぐるり作り、夕方5000人ぐらいを2度にわけて撃ち殺した。人数が多いから弾が当たらない子供までも銃剣で刺した。死体は河に流した。南京のことは他言するなと上官から命令された。
ほぼ同様の内容が全部の日記に綴られている。
指揮した松井石根陸軍大将は、東京裁判で絞首刑になった。

中国が宣伝の30万人は眉唾にしても、数ではなく残忍性では日本は謝罪しなければならないと感じた。
これまで日本良しとする論調ばかりを見聞きしていたわたしにはショッキングなテレビ番組だった。
終戦直前、南京に関する日本軍の資料は焼却されているらしい。

万歩計12000歩

朝は寒かった

山本一力さん。還暦で運転免許証を返納理由。
誕生から還暦まで、実に多くの人から育てていただいた。
そして還暦を迎えても仕事の依頼がたくさん届く。視力をはじめ身体の衰えを知りながら、便利さを理由に運転を続けているとき加害者になれば、支えてくれているすべての人に申し訳がない。期待やご好意への裏切りにもなる。

例えば、私が酒気おび運転(二日酔い)で加害者になったとき猛反省しても償えない。その瞬間に家族は「なぜ」の言葉しかない。周囲も「あの程度か」と戸惑う。そのような意味合いかと解釈した。

政治家の常套句「法に照らして問題はない」そんな政治家は要らない。法律論争より、一個人として正しい生き方をすればよい。
鍵山先生が警察に問われることはない。それは悪いことはしないから。とシンプルに言われた。それと同様と受けとめた。

昨夜からタブレットの外部接続機能がダウン。日常の使い方をしているから故障の心当たりがない。設定をいくら点検しても正常。
さきほどドコモ店に行ったらシムカードにゴミが付着している原因が即座に判明した。
タブレットが生活に重要ではないから、この距離感でタブレットと付き合おうと思った。

カラスらも 喰い飽たわわ熟し柿

万歩計10000歩

松原さんと聴講

早朝、車で10分の宮尾八幡宮に参拝。周囲を40分散策。境内掲示板に「人はいつまでもふる里を身につけている」
参拝から戻り、今朝の宗教の時間。録画を半分みた。日本画家 堀文子さん(97歳)信条を自身の言葉で「一所不在」住居は転々とする。スケッチ現場も各地。その理由は、一ヶ所にとどまると目が慣れて、見るべきものが見えなくなる。

午後から県セミナーパークで催しの「山本一力」講演を聴講。現地で一力ファンの松原酒店と合流。
昭和23年生まれ。たくさんの職業を経験され、そこで身に付いた「人情」が作風の背骨になり、人情をテーマに90分。野太い声で丁寧な話ぶり。本題以外で気が付いたふたつ。
話し言葉でも、作品と同様に情景描写が巧み。聴き手にその情景を描かせる。
話に無駄がない。話された言葉を活字におこしたら、そのまま読み物になる。作家のなせる話術だと感じた。

会場に行くとき、農園で正志に諭す場面をつくった。わたしの話に手を休めないで聞くから「話を聞くときは、相手の顔をみろ」と強い口調。口にはしなかったが(お前の成長のために言う)と思いながらの苦言。
一力節の人情は、相手のことをおもう心情は、語気を強める。お前のためをおもうから言う。それらは嘘。
言う側の感情を露骨にするのではなく、言われた側の心に届く伝えかた。言葉を連ねたらよいのではない。

講演から戻り、これからゆっくり反芻する。一力さん作品の人情話を味わう視点が少しわかった。

農園と 自宅の柿を霊前に

万歩計9000歩

世界のお墨付き

ユネスコ世界記憶遺産に、日本が申請した「シベリア抑留資料」「東寺百合文書」のふたつが登録された。
いっぽう、中国が申請の「南京大虐殺文書」も登録された。
世界のお墨付きを得たともいえる。

日本軍が南京入城直後から市民生活は平穏に営まれたという日本びいきの証言。30万人もの市民を日本軍が虐殺したという中国の主張。

今回の遺産登録は、わたしの思うところはロビー外交に中国が日本より秀でていた結果と感じている。
明日(11日)の午前11時。BS日テレ「NNNドキュメント」の内容は、南京戦に参加した日本兵の陣中日記をもとに、その元兵士インタビュー(すでに故人)で構成されている。録画を予約した。

きのう夕方の来客。
小倉の「卵家(らんや)」女性オーナーは、鍵山先生を介してのお付き合いは前の仕事のときから。
わたしが採卵養鶏をはじめたとき、卵の業界で実力をもつ方を紹介くださり、その方は家族でホタル見物がてら農園に来てくださり、以来初心者のわたしに的確なアドバイスを続けてくださった恩人。
今回は、農園入り口の坂村真民先生「念ずれば 花ひらく」の石碑をカメラに収める目的で10年ぶりぐらいの再会。ご年齢は68歳になられたが、いまも卵の業界では顔役。
森信三先生の講演を拝聴されたことがあるとはじめて知った。
鍵山先生のご縁でわたしは、会うべき人には、会うべきときにご縁をいただいていることを実感した。

愛犬3頭の墓が農園入り口に並んでいる。4年前に18年パートナー「はなちゃん」の墓にキンモクセイを植えた。今朝、ハッピーと暗がりの散歩で、キンモクセイが薫った。

愛犬の 墓に薫るはキンモクセイ

万歩計6000歩。

大ぶりのイワシが二匹焼けた。300ミリメートル冷酒も冷えている。今夜も独り宴会。

ふるさと言葉姉さま

まだ月も星も白く輝く夜明け前、ハッピーのリードを握り長距離散歩に出た。
四方の山から川を目指してカワウやサギが舞い降り、カラスも上空で旋回している。鳥たちの朝は早い。
農園に通じる唯一の橋は50年の間に濁流で二度流され、平成に入りコンクリート橋になった。農園側の護岸はコンクリートで増水の浸食から保護され、対岸は岩肌、つまり天然の丈夫な護岸。
ハッピーが何かに反応して唸った。頭は川に向いている。護岸に立ったら足下の深い雑草の中を動物が音をたてて走った。雑草の倒れかたとスピードから判断すると大きなイノシンらしい。体当たりされたら命が危ない。

まだ刈り終えていない近くの田んぼにイノシンが昨夜も入り稲を踏み荒らしていた。
最近、メモ帳とペンを持ち歩く習慣が身に付いた。さっそく一句。

ケモノらが 田畑を荒らし冬じたく

餌があるうちに食べておかねばならない事情もある。

散髪とトイレに風呂掃除が午前中。
美祢から80歳も後半のおじいちゃんが軽トラックで卵を買いに来た。以前「配達するから」と言ったら。農園の往復で、景色を楽しみながら季節感あふれる俳句ができるから運転を楽しみにしていると話された。
手帳に書いた数々の句を見せてくれながら「姉さまが96で亡くなった」と、その一句を指さした。
句より、久しぶりに耳にした長州言葉「姉さま」がよかった。
爺さま・婆さま・兄さまに姉さま「さま」で敬う。男の子は、清は「きょん坊」・隆は「たか坊」・淳一は「じゅん坊」・健二は「けん坊」と「坊」づけで呼んでいた。
最近「ふつうに」とか「やばい」に「マジ」など、日本語が軽くなっていると思うから「姉さま」言葉がよかった。

万歩計8000歩

やかましいカーナビ

レストラン「うさぎ」に7時半に着いた。金刺オーナーシェフはコック服で忙しく動かれていた。手をとめて雑談。
鹿や猪を運びこみ衛生的に解体処理する施設が下関にできた。それが雑談テーマ。
山で仕留めた獣は、その場で放血するから、猪の真っ白な脂身がとれる。時間をおくと脂身に血がまわり紫色になり臭い。
獣の身体にはノミやダニがたくさんいる。内臓を出して川や池で冷やすと体温が下がりノミもダニも逃げる。肉も鮮度が保たれる。
農園で生活をはじめるまでは鹿や猪肉を食べることはなかったが、田舎ではそれらの肉が挨拶がわりにもなる。買うこともできる。
つまりシェフ曰く、処理センターの肉は旨くない。
鮮度のよい肉に火をとおせば問題はない。お役所仕事は無駄が多い。
わたしのお付き合い猟師さんをシェフに紹介することになった。

弁天池でトヨタの江口店長と待ち合わせ。先日の事故修理を明日の1日で完了してもらう。代車はライトバンの新しいタイプ。このカーナビがよくしゃべる「携帯電話をお忘れではありませんか」「ETCカードが挿入されておりません」まぁ明日までだからの辛抱。
昨夜、隆子さんから二首届いた。選者はわたしで選んだ一首

○どんぐりを拾って歩く下駄の音
(昨夜は熊本県山鹿市の平山温泉で詠まれた)

若葉マーク

子ら騒ぐ ギンナン地獄宮の前

神社の道端に落ちてつぶれたギンナン。子供は靴が臭くなるから騒いでいた。

万歩計7000歩

五感アンテナ感度よし

水曜日は今村さん。ご主人は不在で奥さまと裏口談義。数日前、西京ホテルで「ねんりん(60歳以上)競技かるた」が開催され、昨年は日本一だったが強敵あらわれ2位だったらしい。
奥さまは俳句も名人。しばし話題は俳句。
わたしは「農園日記」で1日1句宣言をしてから、これまで見えなかったものが見えはじめてきた。おおげさに言うならば、世界観がかわるぐらい。
目にとまるあらゆるものを17文字にあらわしたいから、特に季節感は敏感になった。例えば、キンモクセイはまだつぼみ。あの香りはこれから。コスモスは今が盛りという具合。
句の出来、不出来より自然を感じる五感のアンテナが敏感になったことが嬉しい。
酒屋の井上さんは以前から俳句の道を歩んでおられることを知った。酒とドラマー人生に俳句もあった。

今朝、隆子さんからメールの1首を無断転載。
松茸の香りは鼻に秋便り

若葉マーク

山道で 屋根に響いた秋の音

万歩計10000歩。

ホツマツタエ

農園をはじめたころ、北海道から下関か広島の掃除に参加されたご高齢の男性を一晩泊めた。
原子核と菊の御紋章の類似点。サンスクリット語と日本の「ひらがな」の関係。アインシュタインとノストラダムス。
とうてい理解できない話を聞かされた。後日本が老人から届いた「新説ホツマツタエ」ページをめくることなく蔵書。
鍵山先生と老人の話をしたとき「ご本が届きませんでしたか」と問われた。それでも読む気持ちにはならなかった。
藤野先生のご縁で、能楽師 安田先生のお話を何度も拝聴させていただき「あわいの力」というご著書を読んだ。「すずあかの道を歩め」とホツマツタエの裏表紙にある。
秋の夜長、難解な本に挑戦してみようか。

7月発売 井上陽水カヴァー・アルバムCDを手に入れた。
黄昏のビギン・夜霧よ今夜もありがとう・有楽町で逢いましょう・あの素晴らしい愛をもう一度 など、ささやくような歌声最高。

川戸手に 冬越す命枯れ草に

万歩計12000歩

パクリについて

オリンピックのエンブレム疑惑で思うのは。
会議録作成の本業で、文字入力、編集に印刷・製本の工程を揃えていたので出版もできると思い始めた。
本は1ページの行数、1行文字数に活字の大きさ。さらにノンブル(ページ)や柱に表紙デザインや帯。奥付け。目次にいたるまで、パテシェがゼロから売れるスイーツを作るがごとく、出版側の力量が問われる。その力量は持ち合わせていなかった。
それでも出版をたくさん手がけたのは「パクリ(盗作)」からはじめた。県の図書館に通い、たくさんサンプルをコピーして、わたしが練り出したような顔で次々に手がけた。
それを重ねるうちに、なんとなくセンスがみがかれてきたように振り返っている。盗作とは言わないまでも「参考」からのスタートはありだと思う。
けれどもエンブレムがそうならばやり過ぎ。
今朝、岡本拓也さんのお母さんと俳句談義になった。俳句に関する3冊の本を頂戴した「60歳からの 楽しい俳句入門」は特に参考になる。なるけれどパクリにならないよう気をつける。パクリが上手いから。

田舎道
秋の装いグラデーション

万歩計11000歩

石の墓紙 の墓

出版業のころつくづく思ったことは「石の墓より」「紙の墓」。

大きな墓石を積んでも、年月が経てば故人を偲べる手だてにならないが、故人が生きた足跡を紙に遺しておけば故人に会える。
私の母を知る人は家族以外では数人。わたしを育て上げることが母の人生だった。
昨夜も母の句を読み返し、生前の母の胸中に会うことができ、遺してくれた大学ノートは「紙の墓」だと思えた。

河村隆子さんから一首メールで頂戴した。日記でご披露の承諾は、句がよかったので免じていただくことにして。

■卒業後40年…クラス会で、長野県松本市安曇野に集まりました。

隆子の一首です

○梓川名もなき花の綿帽子
(あずさ川伝いに、ウォーキングしました…赤い実のなった花は、「ヘビの枕」だということでした!)

本日の若葉マーク

朝霧が
きょうの秋晴れ
太鼓判

万歩計9500歩

今朝は9度

今朝3時。寒くて目が覚めた。外気は9度。
ハッピーが防府市で捕獲され農園に来てから、この年末で7年になる。
それより前だから10年近く以前に、お母さんの入退院が繰り返し、卵を辞められた防府市のSさんからお電話をいただいた。
今年に入りお母さんが亡くなられ、また以前のように配達をしてほしいと電話をくださった。わたしの携帯電話番号を消さないでおられたお礼を申し上げた。

トヨタ長門店で先日事故の修理予定を決めた。江口店長にお世話になる。

母の遺した大学ノートが五冊。毎晩少しだけ読み返し、母が感性豊かに日々を過ごしていた足跡に出会いながら、いまごろ母を尊敬している。
19年前(96年)の宇部市芸術祭 俳句の部で宇部市文化連盟賞を受賞していた。
その当時のわたしは、仕事一筋で寝るためだけに自宅に戻り「忙しいね」「気をつけてね」の声かけにろくな返事もしていない。
母があったればこそのわたしがわからないで「俺がやっている」と親不孝だった。

杖なくて 町に行きたし 春日和

サーモンを サラダ仕立てに 秋の味

ツツジ燃ゆ 老いには少し 赤きかな

母の句にはおよばない初心者マーク

星たかく
今朝の散歩は
重ね着で

熟し柿
落ちて虫たち
バイキング

万歩計5000歩

草刈り納め

昨夜は落雷と雨。階下のハッピーは震えておりしばらくおりて抱いてやる。
天気予報どおり3時ごろ雨はあがり、夜明けを待って今年の草刈り納めに汗をかいた。終えてそのまま片道20分の持世寺温泉に直行。ぬるいお湯を楽しんだ。
中越地震の被災地に、下関から松村御大率いる「ふく鍋隊」が出た。わたしにもお声かけいただき新潟往復の宴会バス旅をした。
そのとき知り合った下関のKさんは金光教ご信者さんだった。以来、毎週木曜日に会社にたくさんの卵を届けている。
20年以上まえ、金光出版を岡山県金光町(金光教本部)に創業して、毎週土日は通いたくさん出版を手がけた。わたしのずぼらな性格で手がけた本のほとんどが手元に残っていない。
先日、家内が自宅で見つけてくれた本3冊を農園に届けてくれた。3冊とも岡山県早島教会 玉井光雄師が話された信心話。出版費用をいただく自費出版をしていたが、玉井師の出版は、わたしの企画(心意気)で、つまり費用はこちら負担で出版を重ねた。利益より玉井師のご信心を世に出したい気持ちで取り組んだ。

その1冊をKさんに先週「わたしの昔の仕事です」とお貸しした。
今週の木曜日。奥さまが「主人もわたしも感激して拝読しました。もうしばらく読ませてください」と言われた。来週残り2冊も持参することにした。
年数を経ても感動を伝える作品づくりができた喜びを感じた。

万歩計5000歩。

夜明け待ち
今年納めの
草刈り機

豪雨の木曜日

朝から断続的に豪雨に見舞われ、その都度ずぶ濡れになり、暖房と冷房をミックスで使い乾燥を早めた。

横浜山下公園特設桟橋に係留されているという氷川丸に感心がつのっている。
1930年が処女航海の大型貨客船。戦中は病院船。戦後は引揚船。そして貨客船として外洋航路の任に就いた。
ラジオは
その引揚船としてフィリピン方面を何度も往復して、6万人もの兵士を帰還させた。傷病兵が多く、船内に火葬施設をこしらえて航海した。その数奇な氷川丸の運命を紹介していた。

ラジオのスタジオにリスナーから続々とファックスが全国から届きはじめた。
氷川丸で引き揚げた兵士のご子息らしき内容や、山下公園の氷川丸で挙式した人など。そのなかで涙かでたファックス。
発信された方のお父さんはニューギニアで終戦。500名の部隊で氷川丸に乗船(生きていた)仲間は40人。帰国の航海中に亡くなられた。
横浜に氷川丸が入港して自宅に「ご遺骨を受け取りに来るよう」と連絡が届き母と横浜に行った。悲しみのどん底に落ちた僕に「坊や!散髪してあげよう」と船内理髪の乗員が声をかけてくれ、久しぶりの散髪になった。
引揚船は船長の判断で定員オーバーの航海を繰り返し。6万人の男は戦後の復興に汗をかき、散髪してもらった少年も力強く戦後を生きた。
「氷川丸ものがたり」が刊行され、アニメ映画も8月から上映されているらしい。わたしは本を買う。

河村隆子さんから以下のお知らせが昨夜。原文載せます。

10/24 13:30〜宇部ヒストリアで「東北復興支援講演会チャリティー音楽コンサート」開催されます!隆子は、癒しタイムーオカリナ演奏「花は咲く」他を演奏参加します(^_^)/当日大人1000円、中高生500円の参加費がーチャリティーとなります!しっかり練習して、コンサートに協力したいと存じます(^_^)V隆子

万歩計は6000歩

芸北の
松茸とどき
まず母に