月別アーカイブ: 2016年2月

2月も元気に終わり

朝はさほど寒くはなかった。けれども岡本さん玄関には、わたし用の暖房ヒーターが赤々ついていた。お母さんと俳句談義。いまお題「春」に頭を駆使されていた。わたしの昨日「ウグイス初音」を披露したら疑問符顔。
お昼前に電話で「あのね。初音はウグイスのことだから、初音とウグイスは季語が重なりますよ」とご指導いただいた。感謝。
昨年末に前足を1本、イノシン猟の最中に失った犬が、飼い主とわたしの会話に反応して甘えた声を出した。何度か様子をうかがいに犬舎に行ったが包帯で横になっていた。
「元気になったか」と犬舎に行くと3本足で駆け寄り甘えてくれた。この回復力に飼い主も驚いていた。
今年の秋からの猟期は山に連れて行くらしい。それが猟犬にたいする愛情だと感じた。
2月を元気に終えたことを神様に御礼申し上げた。
雪が降りつづく。

ウグイス初音

長府にスポット配達があり早朝スタートした。侍町など風情を楽しみながら気持ちのよいウォーキングができた。
4月3日「萩堀内散策」をじっくり立案して案内を済ませた。20人ぐらいお集まりになると思う。
以前のわたしは、計画を進めるチームをつくり分業してすすめていた。組織をつくることが若いときから好きだった。
けれども人が集めれば、集まらない人を責めようとする私があった。あるとき参加できない理由を手紙でいただいた「自分の歩幅ですすみます」と。
その意味が、組織の人間関係や様々なしがらみで組織からはみ出た私が長年かかり理解できはじめた。
なにかを計画するとき、自力でできないことはやらない。
萩散策は、なにも無理なくすすめてきた。あとはお天気だけ。

午後から農園でスコップ仕事。どこからか上手なウグイスの初音がボリュームアップで聞こえた。

ウグイスの 初音とどきて 手がとまり

万歩計9000歩

萩ウォーキング

6時半。萩のスーパーマーケット「アトラス」に着いた。常茂恵旅館に7時半までに納める。さっそく着込んでウォーキング開始。冷たい風が吹き抜けるパチンコ店には、すでに10名以上が9時の開店待ち行列。消防署近くの魚屋も行列。雨や風の日は田町商店街アーケードを何度か往復する。
萩バスセンターに隣接したアーケード商店街は、バスが交通手段の時代が黄金期。宇部も炭鉱時代は「ちまきや前バス停」「中央バス停」はアーケード商店街の入り口だった。
バスの時代からマイカー時代に移りアーケード街は賑わいを失った。
田町アーケードから路地に入ると小さい酒場がたくさん。そのなかに金光教萩教会があった。外から手をあわせて遥拝。
昨夜の「新日本風土記」は、天孫降臨神話の宮崎県高千穂が舞台だった。わたしが大好きな場所のひとつがここ高千穂。昨年秋も高千穂神社参拝ができた。
番組のなかで農家の方が、秋の稲刈りの前に八百万の神様に御礼申し上げておられる姿があった。
農家の主「お米ができるまでは、太陽・水・気温など様々な神様のおかげで収穫ができます」
農家地域のお宅には、立派な仏壇と、火や水のなど神様のお札がある。
わたしも、先々のお寺や神社に手をあわせることが少しはできるようになった。
午後からやっぱり雨。やりたい仕事はあきらめて2時間の昼寝。

今朝はマイナス4度

金曜日は休養日ではあるが、土日にスコップ作業をするには天候に不安があり、午前中は飛び入りの配達をして、午後からミニユンボと軽四ダンプにスコップを使い農園内で汗をかいた。

配達を終えて農園に帰る途中、スーパーで今夜の魚などを買う。近くに酒ディスカウントがあったので立ち寄り。お客が空いたリットル・ボトル持ち込み「麦」とか「芋」と店員に空きボトルを手渡す。店員は重さの計量器を使い樽から入れる。店員に聞いてみた「ペットボトル持参したら一升いくらかね」店員は「空きボトルは店にある(無料)一升は1300円」それは安いと思った。芋や麦の銘柄を質問したら「わからん」と冷たくなった。
薩摩の白い波 という銘柄は「薩摩」と「白」「波」が大文字で表記され大特価「薩摩白波」と間違う人もあろう。社会勉強になった。
万歩計11000歩

花が好きになり

長府功山寺に車をおいて約20分歩くことにした。
功山寺から少し下った左に「笑山寺」がありお参りした。山門に寺の由緒が書いてあった。境内にはまだ新しい納骨堂がそびえて、側にペットの納骨堂も立派にそびえていた。
丸い石を13個積み上げた(韓国のお寺で見た)石塔が立派だった。

小野田市の西山君家族が農園を訪ねてくれるとき花がお土産。
昨年11月にいただいた立派なシクラメンはまだ勢いよく咲き誇っている。毎日の水やり、たまに液肥で世話をすることが楽しい。1年前にいただいたバラも新芽が出始めた。
大きな鉢を買い求めたとき、バラの土と腐葉土をあわせて買おうと思ったら、土も腐葉土も少量販売がない。
思いついたことは、農園のケヤキの下は腐葉土。おまけに鶏も糞をしている。
土も一緒に「ふるい」にかけたら鉢に使う最高のものができた。
シクラメンは来年も咲かせるよう作戦もできている。
岡本拓也さん宅でいただいた「エヒメアヤメ」も春に向かい元気がよい。
趣味に変化があらわれてきた。
木曜日を元気に終えた。今夜は冷えそう。

万歩計9000歩

善友通信休刊

鍵山先生が掃除で心を磨く運動を提唱されていることを知ったのは20年以上前。
広島市では、その会が発足しているとの情報を得て広島に行った。主宰されている人物は井辻栄輔(「広島のキムタク」検索で)さん。ウクレレ漫談・大男・大喰い・大酒飲み・ギャルが好き。本音で生きながら会社経営と掃除も真剣。
井辻さんの大きな尻について北京や上海まで掃除のお供。当時は先駆けのパソコン通信も習って身につけた。
以後「善友通信」が広島から届き続けていた。
今号(242号)で休刊の知らせが同封されていた。
平成11年12月。胡子大祭で暴走行為を続ける少年少女を集めて、市内の袋町公園トイレ掃除が催された。その運営は井辻さんと広島県警の岸本さん。わたしも参加した。この掃除で市内の暴走行為は終わった。
あの日の掃除は、掃除を妨害に来る者を想定して警備もあった。少年たちは不真面目だったが、本気で便器に向き合う大人たちに驚いていた。
「善友通信」は、井辻さん秘書が作成していたから、今でもそうだろうと思っていた。
それが、県警を退官された岸本さんがずっと引き継いで編集されて、事務所もされていたことを知った。
昨年末に、広島掃除に学ぶ会「400回」を終えて体調をくずされ先月他界された。
すぐに事務局と通信発行のめどが立たず「休刊」
「掃除に学ぶ会」の歴史を築いた方が、また一人去っていった。

万歩計13000歩

人間だもの過ちある

桂文枝師匠スキャンダル。最近は不倫や覚醒剤などの報道が多い。悪いことは悪いとしても、わたしはマスコミ報道姿勢に疑問がある。
人格を「悪」としてレッテルを貼る。本人更正の余地がないほど裁く。世論は踊らされて賑やかになる。家族を含め関係者までもが。大人の過ちは子供のように寛大にわたしも許せない。けれども、やり直せる道を残しておかなければならない。そう感じている。

昨夜は9時間熟睡できた。4時、元気に起床。朝のウォーキングもいつもと同じ内容。
いつか下関から長門市まで、海岸線100キロメートルを歩くことが目標。途中、野宿も楽しそう。
万歩計12000歩

眠気の午後

月曜日の弁天池水汲み(名水100選)は10数年続いている。
農園は5メートル掘れば岩盤に当たる。川底の荒々しい岩肌が地下の様子を見せている。農園設立時に水道を希望したが、農園は宇部市で水道管がある川向こうは当時は楠町。行政区をまたがる個人の計画は困難。
岩盤に井戸を掘る大事業になった。120メートルまで掘ったが水量はわずか。あと50メートル掘らしてくれと業者は言うが、支払いは300万円をこえており中断した。
近くの造園業者を呼んで、岩盤まで5メートル掘り、その半径を5メートルの穴をユンボで掘らせ、井がわ(井戸のセメント内径)を入れ周囲に砂や砂利で濾過装置にした。
山から大量の地下水が来る。この水をわたしと鶏の生活水にした。焼酎水割り、二日酔いの朝は何杯も生水を飲んだ。
あるとき「水質検査」に出したら飲み水不適格の通知が来た。大量の大腸菌がいた。以来、弁天池通いが恒例になった。
最近、美祢市長ヶ坪という場所に「長命水」と命名された地域で愛飲されている井戸にご縁ができた。
まろやかな舌触りで気にいっている。美祢市の水道水は秋吉台の石灰分が多かったり、カルキ臭が強いなどと、市民は好みの水を求めている。

きのう歩いた筋肉痛はない。けれども午後から眠気がつよかった。配達の帰りに楠温泉立ち寄り湯。
今夜は熟睡できそう。
万歩計8000歩

62000歩

美祢線、厚狭駅始発の長門市駅行き。美祢駅で6時58分に乗車、長門市駅に7時半到着。農園に向け歩き始めた。

昨年は東萩駅から農園まで10時間。4月に歩いた。
今回も50キロメートルぐらいの距離がある。誰のためでもなく、この距離に挑戦する気力と体力がまだあるかどうか。
長門市と美祢市の境にある「大ヶ峠トンネル(延長1100メートル・標高213メートル)」を10時半に通過した。
お昼前にコンビニに立ち寄り弁当を食べた以外、ほとんど止まらず歩いた。
農園到着は4時半。万歩計62000歩。
神さまと母に元気な命をいただいている御礼を申し上げた。

真砂恵さん長男は高校入試の日。

節こえて 大きく育て 孫入試

無情を教えてもらった

先日、若いママが一歳の女の子と農園見学に立ち寄ってくれた。話してみると加奈ちゃんパンのファンで農園を訪ねてくれたことがわかった。
加奈ちゃんにお礼メールを出しておいた。
今朝4時のメール着信は、徹夜でパンを焼いた加奈ちゃん「おいちゃーん」ではじまった。仮眠してからパンを門司まで届けに行くらしい。活躍が頼もしく嬉しい。

菊川画廊の主が松田正平先生に「また台風が接近して被害が心配ですね」と話すと「人間には迷惑でも、地球の営みとして大切なこと。台風で海がかき回され資源が再生する」
「けれども人命まで被害もある」と菊川さんが言うと「それを無情という」

きょう新聞に東北津波のがれきが海底に散乱しており、海中資源がたいへん豊かになっているという記事が目についた。

雨の配達を終わった。

ゆっくり金曜日

藤野先生の催し。3月13日 耕心の里を会場に「数楽の会」

わたしの企画。4月3日「萩 堀内散策」

この2件を具体的にしておきたい金曜日。
8時に岡本拓也さん訪問。両方の催しについてご協力をお願い。快諾いただいた。
宇部市内に走り菊川画廊。両方参加と今月中に松月院ご住職に「数楽」を誘いたいとお返事をいただく。
松原酒店訪問。両方参加のお返事をいただいた。

わたしも歩けば棒にあたる

3ヶ所で内容のある会話ができた。
特に菊川画廊は、10年以上、どんな日でも続けておられる常盤湖ウォーキング(6キロ)から戻られた直後だった。酒とタバコもウォーキング開始から絶って顔つきがとても穏やかに感じた。
わたしは、大好きな風景など「場所」がある。例えたら大分県にたくさんある石橋や、萩市三見の石橋。観光名称ではないが。
菊川さんが相づちを打った。彼は最近、国東半島と臼杵の石仏にあいに行った。作者は不明でも感激した。
画家の松田正平先生と運慶を見に行ったとき、運慶の名前つまりブランドで作品を見るようではつまらんと帰りに諭された。
名のある学者や評論家が推薦するから「よい」ではない。
わたしにとっての価値を見いだそうと、朝から会話が熱くなった。
よき仲間がたくさんあり幸せ者の私を感じた。
昼は缶2本で1時間の熟睡。

催し2件に関心あるかたは問い合わせください。

今夜は熱燗熟睡

今村さんご主人(70歳)に弟子のような女子高生がいた。もう進学されたのか最近はお目にかかることはない。
彼女は、今村奥さまの競技かるた修行生。集中力をどう養うかを模索していた時期に、野球監督だった今村さんが「授業に集中して、その力をつけたらどうか」彼女は力をつけたいから授業でトレーニングを重ねた。結果、成績が格段によくなった。以来、監督の弟子のように「この会は、ためになるから」と誘われたら来ていた。
人を育てることは監督の使命であり、的確な指導をされ、人が育っ場面を見せていただいた。

物忘れが多くなった。運転しながら「信号でとまったらメモ書き」と思いながら、それも忘れるから始末が悪い。
タブレットはラジオを聴いたり天気を調べたり助手席で活躍している。
「音声メモ」のアプリを使ってみたら便利。この頃は音声メモを駆使している。

木曜日を終えた。木曜日の新規お客さまが増えている。
わたしの体力いっぱい働いた。

今村談義は楽しい

BS番組(NHK)司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち「島国日本の叡知」「武士700年の遺産」二部構成で放映された。
坂の上雲 では近代化にむけて日本がひとつになり短い期間で成し遂げた。その原動力を司馬遼太郎が思索し「島国・叡知・武士」に答えを見いだした番組構成。わたしは「公に生きる」という明治の精神に深く共感した。
今村さんも番組をご覧になっていたので、寒風のなか裏口で感想を語りあった。
アサヒビール名誉顧問 中條さん著者「おじいちゃん戦争のことを教えて」をお借りした。著者は昭和2年生まれ。陸軍士官学校・学習院大学、大学では法律を専攻されていたと書かれていたので、極東軍事裁判についての持論を、お孫さんに宛てた文面から読んだ。早く読みたかったから配達途中で。
あの東京裁判は、裁判といえない理由が孫にわかるよう書かれていた。
北方四島もソ連だけではなくヤルタ会談に問題の緒はあると述べておられた。
歴史を正しく子供たちに伝える大切さを痛感した。

母の句 ノートの2月をあけてみた。わたしが農園生活で自宅に戻らないさびしさ。

仕事ゆえ 子と別離なり きょう大雪

万歩計11000歩

母の誕生日

おばあちゃん(母)誕生日。
大正生まれは、男も女も激動の歴史のなかを懸命に生きることを強いられた。
中国語ができた母は、大陸でなにをしたのか、陸軍獣医のわたしを認知した男性(明治生まれ)との思い出も合わせて一言も話さなかった。
焼夷弾の雨。宇部空襲のとき宇部港、保健所側にあった自宅(母20代で)は焼失。
33歳(1951年)わたしを出産、シングルマザー。山口大学工学部に奉職、わたしを育てあげるだけの人生を歩んだことは知っている。
大学にわたしを進学させるゆとりはなく、兵庫県の親戚(妹の主人)が役員をしていた松下電器下請け工場に母が就職を決めた。わたしが辛抱して働き、母は晩年に移住する気持ちを話してくれた「だから頑張ってくれ」と。母のレールを生きることが決められた。
母の夢を果たせないまま宇部に舞い戻った。
生活の見通しがないまま結婚。母は市営式場で一番安い(両家で50名)挙式になったがわたしは一円も蓄えがなかった。

事業を興して資金繰りの保証人はいつも母。黙って実印を預けてくれた。

昨年、息をひきとるまで驚くほど懸命に生きる姿を見せてくれた。施設と病院生活7年。がんも克服(がん保険受け取り)
誕生日や時々の節目に家内が農園御膳を冷めないよう工夫してくれた。
母がわたしを育てた苦労に報いたとはとうてい思えないが、精一杯の親孝行はできた。

母の誕生日。母を思いだした。母の俳句には到底およばない、母の句には心が描写されている。

息子の本日

襟たてた ふっくらスズメに 雪が舞い

万歩計12000歩

壬生神社に参拝

気象予報が少し外れて極寒にはならなかった朝。弁天池の水道も凍結を免れ勢いよく出た。水をいただいたあと、小雪が舞う寒風をついて、壬生神社まで徒歩参拝。

ぼつぼつ農園を引退したほうが正志に力がつくと思い、正志にはできれば年内に。と告げている。けれども具体的な動きはない。それを静観しながら「正志に力がつきますよう」神様にお願いする毎日。
きのう働いているF君が3月いっぱいで辞めますと告げた。
正志に力がつくように神様がお働きくださっている。
農園にとっては節目になる。この節目を越えて正志に力がつく。

美祢の猟師さんがひとりでイノシンを解体されていた。年末、猟で前足を一本失った犬を毎週見舞う。きょうは寒いのか小屋から出てこない「少ないが持って帰らんか」と生の脂身のよい部位をラップにくるんでくれた。クーラーボックスに頂戴した。
農園に戻るまえ楠温泉に立ち寄り温まり、着替えもした。

明日は母の誕生日。生きておれば97歳。農園祭壇に供える生花と果物を買った。

万歩計10000歩

春一番の日曜日

今朝の強い風が春一番。風に向かい川面すれすれを銀色に近い大型の鳥がグングン滑空したヤマセミと直感。橋の近くの木にとまった。橋を静かに歩きながら観察したら銀色の冠ヤマセミ。ハトに近い大きさが貫禄。
明朝の路面凍結が心配で岡本拓也さんに1日早く、午前中に配達させていただいた。

午後から機械類メンテナンス。4月から半年間大活躍する強力草刈機ハンマーナイフのエンジンオイル交換。ミニユンボのキャタピラーたるみの調整。
トイレと部屋など掃除で半日かかった。

明日から寒波がやってくる。

万歩計9000歩

恵みの雨

昨夜は雨音が激しい時間帯があり時おり眠りから覚めた。川の音もゴゥゴゥと聞こえた。
来週の早朝氷点下は木曜日まで続く、特に火曜日は最高気温1度と雪マーク予報。
農園内の水回りを凍結から守る排水には相当な井戸水が必要になる。水位があがる今回の雨はありがたい。
萩市と長門市の配達中は雨量が多かったが、美祢市に戻るころには小雨になった。

今夜は6時スタートの懇親会。15名の参加者になった。座長は松村御大。
家内の軽四に今村夫妻が往復同乗。農園はハッピーが警備?

万歩計9000歩

温泉ひさしぶり

木曜日の疲れを感じながら、祝日でお届けできなかった下関のお客さまに配達に向かった。
新下関近くの会社から始まるので、今朝も乃木神社参拝。今朝もガンゼキで境内を清掃される男性が二人。元気に挨拶を交わした。
その掃き清められたガンゼキ跡を歩くことはためらわれ、敷石を歩いて散策した。
大きな「さざれ石」が鎮座。旅順203高地から持ち帰った松。多くの戦死者(日露両軍)の血で染まった203高地の土など展示物がある。
地域の子供たちが武術の稽古ができる施設も境内横にある。

境内の ガンゼキ跡に 鳩の群れ

きれいなガンゼキの目に足を踏み入れることができないが、鳩の群れは平気で歩きまわり糞をする。

山口トヨタで配達が終わり、小月で散髪、船木の温泉立ち寄り。
ヘトヘトで戻った。
今夜はしっかり休み、明朝は萩。そして夕方は3連チャンで下関(交流会)

ねぇ、おいちゃん

建国記念日の木曜日。会社や商店など休みが多く、きょうのお届けができないお客さまは明日の金曜日に走る。きょう早く配達できればよい。そういう話しにはならない。長年わたしの配達時間は定刻を心がけている。
時間調整は、話しができそうなお客さまとゆっくり会話をはずませる。
加奈ちゃんは2時ごろご主人が子供サービスで小倉行き「ねぇ、おいちゃん」と加奈ちゃんが話題をきり出した。
最近テレビは見ないことにしている。報道番組を漫然と見ていたら、世の中の大切なことを見失うような気がする「最近の日本はおかしい」と。
きのう今村さんからお借りした本「おじいちゃん日本のことを教えて」を中途半端に読んだ理解を話した。
戦前の日本は、国があり国民があった。その国のルールの中で個人の自由があった。
戦後は、人権や自由が大手をふり「国」が見失われている。
本の受け売りをしてしまった。次回は、わたしの言葉で加奈ちゃんに向き合えるようにしたい。

朝、長府「乃木神社」にお参りした。ご祭神は乃木希典、当地では「乃木さん」の愛称で親しまれ乃木さん通りアーケードもある。学習院初代院長を明治天皇から仰せつかり学問の神様。
高校受験らしい男子二人が参道をすすみ、神殿に柏手を打った。

柏手に 力を込めて 受験生

明日も下関行き。
万歩計8000歩

寝坊したのは泡盛

昨夜は琉球泡盛をお湯割り飲みすぎた。起床が1時間遅れの5時になり、緊急時のチキンラーメンが朝ごはんになった。
冷え込みがきびしく、台所の水回りが凍結寸前でシャーベットが押し出された。

気持ちをしずめて八幡宮朝参り。早朝ウォーキングは15分で時間切れ。
今村夫妻と会話が楽しい水曜日。裏口で寒いけれどホットコーヒーで手もあたためながら。
ご主人から「読まれませんか」と一冊「おじいちゃん日本のことを教えて」
「おじいちゃん戦争のことを教えて」の2弾作品。
読みたいと思っていたからお借りした。万倉の護国神社にも書き物があった。敗戦国の日本を立ち上がれないように歴史を国民が学べない仕組みを連合国がつくった(憲法も)そういう意味からも読みたい。

小野田市名物「甘太郎」の大判焼きをお客さまからたくさん頂戴した。

万歩計10000歩

寒風の火曜日

体温を吹き飛ばす北風が一日止まなかった。
山口市内の山間地。寒風のなか、押し車で畑に来てクワを大地におろす老婆の姿は神々しくも見えた。

着ぶくれの 畑で老婆が 背をまるめ

一日走り終え農園に戻ると、愛犬が全身で喜びを伝えてくれる。とにかくキスをする。
昨年は、4月に東萩駅から農園まで50キロを歩いた。
長門市駅から農園まで計ってみたら同じ距離のコースがあった。今月中に10時間ウォーキングをやりたい。

万歩計11000歩

護国神社参拝

農園の土手に植えた桜は、数年前から「てんぐ巣病」が拡がりはじめた。対策は患部の枝を切ること。放置すれば木が枯れるらしい。きのう思いきって脚立を使ったり登ったり(高所恐怖症)してきれいにした。
川土手は砂利で造成されているから、木にとっては栄養分の少ない場所になる。毎年2月は寒肥えの鶏糞を根元なまく。

春を待つ 土手の桜に 寒肥えを

配達を済ませて戻り道、農園隣の集落「万倉(まぐら)」を歩いた。前から小高い場所に見える神社が気になり参拝した。
万倉護国神社だった。禁門の変19名・四境役12名・佐賀役2名・西南役4名・日清役6名・北清役1名・日露役11名・シベリア役2名・満州匪族討伐2名・日支事変13名・大東亜戦争132名。合計204名の御霊さまが祀られていた。この小さな集落で戦に倒れた人の多いことがわかった。おそらく一家に何人かはおられるだろう。
あらためて平和を生きているありがたさを感じた。
万歩計10000歩

作業の日曜日

愛犬は2階下足箱の(玄関)隅にマットを敷いて寝かしている。のら犬生活をしたわりには寒がり、農園が寒いのかもわからない。
午前2時。愛犬の大いびきで目が覚めた。
母が入院中は携帯電話の電源を切ることはなかったが、夜9時に自動で電源オフにセットしている。目が覚めたので電源を入れたら電話の着信履歴とメール。
メールは牧君。カトマンズのお寺で犬が数頭寝ている写真が添付されていた。日本だけでなく世界は彼の尺度では広くはないようだ。
早朝はうっすら雪。日ごろは気になりながら手をつけていない農園内の作業をやった。
午前中はユンボを使い、午後からはノコギリを使った。
ウォーキングはしていないが、長靴を履いて万歩計。
13000歩

酒屋が終わった

6時半。萩のスーパーマーケット「アトラス」から歩きはじめた。最近は40分コースが決まっている。最初は長州と会津を祭るお堂のお地蔵さま。
バスセンターからアーケードを歩くと挨拶をするお馴染みさんもできた。

立春初搾り91本を2日で配り終えた。
何人かの人から電話やメールで美味かったとお礼を頂戴した。
わたしは、配達した人全員が代金を用意されていたことが印象的だった。
酒をご案内して、配達して代金をいただくなかで、たくさん会話がはずむ。タマゴとはちがうベルトがかかり親近感が増した。儲けにはならないが。それでよい。

昼ごはんのあと、布団を敷いて本格的昼寝。2時間寝た。3時からゆっくり湯船で運転疲れを癒すことができた。
明日は農園で動くガソリン・ディーゼルエンジンのオイル交換をやる。

万歩計10000歩

きょうは酒屋に変身

日の出前から酒の配達に出た。きのうタマゴの配達で走った下関からまわることにした。
朝の渋滞。スマホを片手にニコニコしながら歩道を歩く女子高生。スカートの丈が相当短くおみ足がまぶしい。歩道の向こうに生徒指導らしき大きなホタテマン風の男がコート姿で仁王立ち。
画面を見ながら、笑いながのミニスカートは仁王立ちに衝突した「キャー!」と黄色い悲鳴。仁王立ちはミニスカートに形相険しく説教しているが、彼女はずっと笑顔で反省はない「行け」とばかりに道をあけたら、またスマホの画面をニコニコしながら見て歩いた。若さの勝利。

下関・小野田・宇部に山口市を走りほぼ全部の立春初搾りをお届けできた。

立春を 待って搾られ 縁起酒

万歩計7000歩

日本酒ヌーボー

今朝の長府住宅街。鳩や山鳥がたくさん路上で忙しい。よく見たら節分の豆が「鬼は外!」でばらまかれ食べ放題。

鳩たちが 豆食べ過ぎの 立春や

木曜日はウォーキングの時間がとれないハードスケジュール。功山寺と万骨塔の参拝で石段の登り降りぐらい。
酒屋の井上さんが「五橋 立春朝搾り」岩国の蔵元が今朝から搾る限定酒を手に入れるため、深夜から蔵元に行きラベル貼りを手伝い、神主のお祓いを受けた酒を運んでくる日本酒ヌーボー。
昨年、味わったら美味かった。タマゴのお客さまにご紹介したら91本の注文があり、井上さんが農園まで運んでくれた。
明日は仕事をしない金曜日。下関・小野田に山口市にお届けをする。
土曜日に長門市と美祢市。

家内が鯖をシメ鯖にしてくれたから、今夜は日本酒ヌーボー解禁。

万歩計8000歩

神様に気づかされた

八幡宮朝参り。だいたい6時半に境内下に車をとめて石段を上がり鳥居をくぐる。何年も前から地域のばあちゃんを石段で追い抜くことがある「おはようございます」と追い越しながら声をかけても、頭を少し下げるだけ。なんとなく気まずい相手と思っている。
今朝もばあちゃんが石段をよちよち手すりを頼りに上がっていた。案の定、わたしの挨拶に頭を下げた。
本殿参拝中に思った。いや神様から思わされた実感。それは、ばあちゃんは本日の第一声を神様にお供えされているのではないか。

ばあちゃんが 黙して会釈 朝参り

タマゴ代を支払いながら「ちょっきり(丁度)あるけぇ(から)」

先日は
「そねえな(そんな)ことしてもろうては、いけんだい(困る)」と。
わたしは地元言葉が大好きだから連発しながら配達をしている。
牧君の宮崎弁や林さんの広島弁もバリバリ。方言にはソフトに伝える力がある。

万歩計10000歩

萩観光が整う

山口市内の小学校。校門にはレールを走る重い門扉がある。わたしの用件は所定の場所に届けてすぐ出るから、開けた門扉をそのままにして出るときに閉めればよいかもわからないが、重い門扉を2度開閉している。それがルールだから。
今朝、小雨のなか門扉を開けていたら後続の車が1台来た。わたしが門を通過して、当然後続のドライバーが閉めるかと思ったら、わたしを追い越して校内に入った。ルール無視に気分はよくないが、降りて門扉を閉めに歩いた。所定の場所にタマゴを置いてエンジンをかけたら、若い奥さんが「子供の忘れ物を事務室に持ってきました。閉めずにごめんなさい」と頭を下げられた。
あの場面でクラクションを鳴らして「閉めなさい」と言わなくて良かった。このコツを身につけていこうと爽やかな気持ちになった。
4月3日。萩市の堀内界隈散策を計画している。観光ボランティアの方と打ち合わせが整った。
10時に萩博物館パーキング集合。約2時間歩いて武家屋敷などを案内していただく。周遊舟「萩八景」も運航しているから、解散後にオプション。田中邸などもオプション企画をする。
3日は、例年ならば桜が見ごろ、今年は早いかもわからない。
関心あるかたは案内状を請求してください。もちろん無料です。

万歩計12000歩

ツルの北帰行はじまる

この2〜3日で「戦場カメラマン」についての番組が複数あり興味深くみた。
過去に新潟の報道カメラマンがSNSで「シリア取材に行く」と発信して世論を騒がせた。わたしは「自己責任で行けばよい」と思い、政府は彼の旅券をおさえて止めた。
番組をみて感じたことは、身を挺して現場報道をする人があればこそ現場を身近に受け止めることができる。そこから世論がおきる。特に政治家は世論は無視できないから現場が動く。
日本人の中に戦争体験者が少なくなるなか、戦争を身近に引き寄せてくれるのは報道カメラマンだと感じた。

東北の災害では、たくさんの民間人も現地入りした。その人たちから被災地の生の様子が伝えられた。
たしかに自己責任ではあるが、それは赴く人の心構えで、まわりの人は感謝しなければならない。

ラジオで鹿児島県出水市で越冬を終えたツルたち一万数千羽が北帰行をはじめたと報じた。

春ちかし 出水のツルが 北帰行

タケノコが出た。やぶ椿が咲いたと早すぎる春の話題を耳にする。
万歩計8000歩