月別アーカイブ: 2018年3月

チャボとインコのツガイ

農園での仕事を済ませ配達へ出掛ける前に電話が鳴った。

農園の近所に住むという女性からだったが失礼ながら名前もお顔も存じ上げない方からの問い合わせ。

長い間、チャボのツガイを飼育しており、数日前に友人から頂いた別のチャボのツガイを同じ小屋に入れたところ、雄同士が激しい喧嘩をし、一羽の雄が血を流してひどく傷ついたということ。

ご自分なりに観察し、小屋に間仕切りを入れ古いツガイと新しいツガイを隔離して喧嘩は収まったが今後どうすれば良いかの相談だった。

忙しい時間帯だったのが、出血した鶏冠に消毒をした方が良いか等、真剣かつ熱心に尋ねられるので勢いに押されて私が知っている範囲内で鶏の性質をお答えした。

その後、伝染病予防などに質問が移り、少々話が長くなるのが覚悟で、蚊やハエが高温多湿で産卵から孵化の速度をあげる事を例えに挙げながら、同様の鶏を吸血する害虫の繁殖を教え、
害虫が繁殖した時の鶏の症状を見つける方法を3つアドバイスした。

害虫駆除をどうしたら良いかと畳み掛けるように質問されたので

思わず「害虫が増えるようでしたら私が殺虫剤を持って駆除に行きますから」と電話を切った。

飼育しているチャボを心底心配している様子が電話口から伝わり、思わぬ長電話になったが同じ鶏の命を預かる立場として共感できる話しだった。

防府市内へ入って一軒目のお客さまのお宅では昨年からインコを3羽飼育され、玄関で毎日放鳥されている。

ご主人の体が不自由になり出掛ける機会が減ったので、ご家庭での「癒し」をもとめて飼育を始められ、はじめは2羽のツガイだったが、なかなかカップルにならないので後からメスを1羽購入され3羽になった。

玄関先で顔を合わせる度にインコの自慢と季節ごとの鶏の様子を尋ねられるが、相槌に少しだけ毛が生えたほどの会話で済ませ毎週先へ急ぐ。

昨年の秋ごろだったが餌以外に様々な緑餌(りょくじ)を与えるが、なかなかインコが口をつけないと頭を抱えておられたので、鳥には手も歯もないので嘴でひっぱり、喉まで運びやすいものが良いのではとアドバイスしたことがあった。

いろいろな野菜や野草で試され行き着いた先が「豆苗」。鳥カゴの中にインコの餌と豆苗がひと袋据えてありインコが好んで食べている。ちょっと不思議な光景ではあるが。

今朝、配達へ伺った際、ご主人が神妙な面持ちで「最近、後から飼ったメスの羽がたくさん抜ける」と相談を受けた。

カゴに顔を近づけジックリ覗き込んで様子を見たが、かゆみを訴えるような仕草はないのでハダニではないし、好物の豆苗もいつものように短くなっているので食欲も問題なし。

おそらく日長が延び春を感じて「換羽」をはじめたのではないかとお伝えした。ここでもご主人の熱心さに押され、農園での鶏の日長管理を例えに少し長話になった。

参考書などで勉強したことはないが、鶏との生活が長くなり知らず知らずのうちに身についた自分の知識に気付く。

知っているからと言って、すべてが出来ているかというと、そうでもなく。そんな自分の姿勢も反省した。

勢いよく桜も満開になった。桜が散ると気温も上がり、鶏がもっとも苦手な高温多湿の時期を迎える。

また、ひと仕事増えるが、躓かないよう先手、先手で手を打たなければいけない。

あだちまさし。

皇居で学んだ「引き算」

ちょっと充実した日々を通過しているが気になる新聞記事があったので入力し備忘録とする。

あだちまさし。

○皇居で学んだ「引き算」

背の高いコック帽をかぶりフライパンを手にした男性に参加者の視線が注がれていた。

福島県のホテルで開かれたイベント。男性は宮内庁大膳課主厨長として「天皇の料理番」を務めた高橋恒雄さん(75)だ。
作り始めたのは、国賓をもてなす宮中晩さん会で腕を振るい、手間ひまかけた料理ではない。

同じ分量のみりんとしょうゆ、砂糖を煮詰めるだけで完成したのは万能だれ。
煮物、焼き物、炒め物、何にでも使えて常温で1年保存できる。
地元産の豚肉を焼いて万能だれをからめ、盛ったご飯に乗せれば豚丼のできあがりだ。

参加者から「こんなに簡単なの」と声が上がった。

素材を生かしきるコツを伝えることも。
「大根を食べきれずだめにしたことはありませんか。新鮮なうちに干せば保存が利き甘みも増します」

群馬県出身。栄養士の学校を出た後、天皇の料理番とて小説のモデルにもなった秋山徳蔵氏に声をかけられ宮内庁に。
50代半ばで総料理長にあたる主厨長になり、定年後も嘱託で3年勤めた。

東京の真ん中にありながら皇居は自然豊かだ。
散策で野草を見つけられた天皇、皇后両陛下から連絡が届くとフキノトウを天ぷらに、ツクシをつくだ煮にした。
「食材は無駄を出さないでくださいね」。
皇后さまから伝えられた言葉を今でも大切に守っている。

両陛下は被災地に何度も足を運んで被災者に寄り添ってこられた。
「お姿から学ばせていただいたことはたくさんあります」。
宮内庁を離れた高橋さんはボランティアとして東北の被災地を飛び回り、料理教室を開いたり、地元食材を生かしたレシピを考えたりしている。

宮中晩さん会で提供したのはできるだけ手をかけて食材にもこだわる「足し算」の料理だった。
一方、日常の料理で究極のおいしさを求めると、素材そのものの持ち味を生かす「引き算」になる。
家庭料理の調味料は最小限、調理法もシンプルでいいー。
料理番の仕事を通じてたどり着いた考え方だ。

幼稚園で子どもたちとニンジンピラフを作った時のこと。
バターで炒めたニンジンを米に加え、炊きあがったら軽く塩を振ってよくまぜるだけ。

「野菜嫌いだからきっと食べない」という母親たちの予想を裏切り、子どもたちは「宝石ご飯だ」と平らげた。

素材のことを思い、食べる人のことを思う。
そんな料理の原点を学んだ皇居では、春を告げるツクシが背を伸ばしているだろう。

1時間をひねり出す

雨の祝日。シトシト、ザァザァとよぉ降りました。

職場へお届けするお客さまは昨日の夕方に配達を済ませたので出発時間に余裕があったが、いつもより30分早く出かけた。

厚東川より東側のお客さまを前日に終えていたので40分ほど配達時間を短縮でき、あわせて約1時間をひねり出した。

凍結の後遺症で送水管にわずかな亀裂がある鶏舎が一つあり、応急処置で済ませてきたが、この補修作業に手をつけたかった。

各鶏舎には降下する水の圧力で送水、減圧タンクのフロートで鶏舎内の水量を調整している。

減圧タンクに水が入る前に止水栓があるが、先月の凍結で、この2つの間に目視でも確認しずらい小さな亀裂が入った。

減圧タンクより後なら水が漏れるか、漏れないかの小さな亀裂だが、降下圧が直接かかるので「ジワァッ」と水が漏れ鶏舎の床が不衛生になる。

亀裂が入った箇所の塩ビだけ取り替えれば水漏れは止まるが、今度の冬に備えて根本的な修理がしたくて作業が後手後手になっていた。

配達を終え、昼過ぎに農園へ戻り、パック詰め作業などを後回しにして、ひねり出した一時間を有効に使いFさんと修理した。

予定時間は少しオーバーしたが初めて使う材料もキチンと収まり、何とかカタチになった。

ひとりで修理しても良かったが、Fさんにも手伝ってもらったことで、彼の「経験値」も積み重ねることができた。

あだちまさし。

捕獲

今週から草刈りをはじめた。春の柔らかい草を2日で4時間ほどの体慣らし。

今朝、薄明るくなった草刈り済みの場所にイノシシの荒らした痕を発見して大きなため息が漏れる。

軽く舌打ちをして、鶏舎の奥に設置した「箱ワナ」に目を向けるとフタが落ち、中で激しく動く物陰が・・・。

近づいて確認すると鼻息荒いイノシシが1頭。鉄格子に頭から突進しながら必死の抵抗中である。

私が近づくと背中の毛を逆立て鼻息を荒くして威嚇してくるが、よく見るとさほど大きくなく体長約1メートル、30キロ程度のメスのイノシシ。

おそらく昨晩、鶏舎のまわりを荒らした犯人ではなかろうか。

掘り返した場所は昨年の秋に荒らした場所と同じ、ウリ坊より少し大きめで、悪さをしながらも多少愛嬌があったイノシシが冬を越えて大きくなったと推測する。

「痩せ細った」とまではいかないもののが、お世辞にも丸々太ったとは言えない肉づき。厳しい冬を山で耐えてすごし、昨年の記憶を辿りながら空腹を満たすため鶏舎に近づいてきたのだろう。

長引く寒さの冬だった。私も厳しい寒さの中での仕事が続いたのでイノシシの気持ちも痛いほどわかったが、猟師さんに「獲物がかかりました」と連絡を入れた。

9時すぎに二人の猟師さんが来園。

イノシシが暴れる箱ワナの格子の隙間から足を括るワイヤーを垂らし入れ、まずは右後足、そして右前足を括ってワナの天井に吊り上げる。

ちょうど私たちの方に腹を見せる形で吊り上げられ、猟師さんが喉元と肋骨の間にある頚動脈を慎重に確認してメスを入れた。

心臓の鼓動で押し上げられる血液が傷口から噴出し、ほどなくイノシシは絶命する。

この後、猟師さんが持ち帰り、腹を開き内臓を抜く。一晩ほど荒滝山の山水に漬けられ血抜きし、明日の午後から解体されることになる。

イノシシが繁殖する一方で、駆除を担当する猟友会のメンバーは年々減少している。農地への被害も甚大。

様々な思いが胸の中を交錯するなか、駆除を依頼した立場から一部始終を目に焼き付けた。

あだちまさし。

はたらく仲間

春が一気に到来。今朝は冷え込みを感じることなく園内仕事も快適。タマゴを満載して配達に出掛ける足取りも軽かった。

農園から2号線へ出るまでは見通しが良い道路が続く、2軒目の配達先へ伺うため側道に入ると右手の「はなっこりー畑」に農作業中の男性の姿あり。

午前8時前、昨日までは霜がおりて手先が凍る寒さを感じる時間帯。黙々と収穫作業をする「KAVU」のパケットハットが見える。

いつもお洒落な百姓スタイル、元気印の「ムラオカさん」である。僅かな時間だったが車を止めて「はなっこりー畑」で彼の話に耳を傾けた。

ムラオカさんは異業種から農業を志し、ご夫婦で「万農塾」に入塾。2年間の農業研修を経て、今年2月から新規就農されモリモリ仕事に精を出されている。

私より2つ年下の2児の父。見た目は若く、お洒落だが農業に対する「熱量かなり多め」のおじさん。昨年から鶏糞を使って下さるようになって、次第にお付き合いが深くなった。

2月の就農と同時に「邑岡農園」と書かれた爽やかな緑のシールが張られた野菜が楠こもれびの郷に並ぶようになった。

私もお客として陳列された野菜を目で確かめて購入し、彼が丹精込めて育てた野菜を我が家の食卓で有り難く試食させて頂いた。

どれも美味しく子どもたちも喜んで食べたが、なかでも「頂花蕾(ちょうからい)」は初めて食べてファンになった。

頂花蕾とは、山口県特産「はなっこりー」の株の先についた蕾(つぼみ)のこと。ちなみにスーパーの店頭で目にする「はなっこりー」は頂花蕾を摘んだ後に伸びてくる側枝。

はなっこりーはJAの共販品種だが、蕾は共販されない部分。今までは生産者しか食べることはなかったが、ごく最近、楠こもれびの郷に限って出荷が認められ市販されるようになったそうだ。

我が家では「ごま和え」で美味しく味わったが、ムラオカさんは炒めた方が美味と勧めてくれ、とりわけ茎と葉が美味いと実物を片手に力説された。

圃場で作物を目の前に生産者から聞く話は多いに説得があり、自分がタマゴの配達中であることをウッカリ忘れるところだった。

ムラオカさんをはじめ、農園と同じ地域で、私と同じ世代の後継者、あるいは新規就農者として農業に携わる方々と鶏糞がキッカケで交流をはじめて5年ぐらいになる。

今まで近くにいながら接点がなかった農家さんとの「友達の輪」も次第に広がってきつつある。

それ以前は「不要な物を処分する」感覚で地域の先輩の方々に鶏糞を委ねていたが、同世代の農家さんに必要とされるようになりはじめて多くを学びがあり、

私自身も季節の移り変わりを圃場の作物から感じ取る感覚が少しずつ身についてきた。

それぞれ立場は違うものの、同じ地域で汗を流して働く喜びや苦労を共感できる「はたらく仲間」は大変心強く、ありがたい存在でしかない。

あだちまさし。

白飯300グラム

冷たい風と小雨、かなり肌寒い農園作業を終えて配達に出掛けた。

山口フジの配達を済ませてセルフスタンド。給油中に山から吹き降ろしてくる風が猛烈に冷たい。盆地なので山との間には遮るものがない。

スタンドの店員に「ぶち寒いねぇ」と話しかけると「このあたりでは鳳翩おろしと呼んでます」と初めて聞く単語で返答があった。

「鳳翩おろし」と言われると吹き付ける風が一層冷たく感じ、聞くんじゃなかったと後悔する。

湯田温泉街を抜けて、開店前の「野菜工房」へ納品。

県内各地から開店前に有機野菜が宅急便で届き、店内で陳列をする店員さん、こだわり食材を使った弁当づくりをする店員さんが忙しく働かれている。

慌しい店内を取り仕切るのは「野菜のソムリエ」山本店長。忙しそうだったが朝の挨拶と最近の話題。

「今日の弁当はボチボチだけど、明日の朝が大忙し」とソムリエ店長。

レノファ山口から試合遠征の移動中に選手が食べる弁当の受注が入っているようである。日曜日は栃木SCとアウェーゲーム。

栄養管理をするトレーナーから細かい注文が入り、一人当たりの分量なども指定があるそうだ。

選手一人あたりの白飯が300グラムらしく、いつもの容器では間に合わないので大きな弁当箱を用意して栄養満点の料理の数々が詰め込まれる。

「もちろん、しんあい農園のタマゴもゆで卵にして入れますよ」とのことで、意外なところでJリーガーと接点が出来た。

3月11日(日)。J2リーグ第3節 VS 栃木SC戦は栃木グリーンスタジアムで14時キックオフ。

山口県産こだわり食材をタップリと詰め込んだ「野菜工房特製弁当」で胃袋を満たした選手の方々が活躍する姿が楽しみである。

あだちまさし。

きんかんの砂糖煮

朝食のヨーグルトに「きんかんの砂糖煮」を2つ添えた。

昨日の配達途中に有帆朝市に立ち寄り野菜と一緒に購入したもの。ビタミンが豊富でのどや風邪に良いと商品を受け取りながらセールストークを聞いた。

有帆朝市会のメンバーにはパートのYさんや、長いお付き合いになるタマゴのお客さま、定期的に鶏糞を取り来園されるご婦人も多くおられる。

旬の野菜の話や、野菜の生育状況、メンバーの年齢構成など、Yさんが農園で仕事をはじめられてから耳にする機会も増えて、耳から入れた情報で理解も深まったと感じていた。

朝市の近所に住まいがあるタマゴのお客さまにも、やはり耳から仕入れたオススメ商品を配達の際に宣伝させてもらったこともある。

私が有帆朝市に立ち寄ったのは今まで2回ほど。いずれもYさんに業務連絡があり、配達途中の僅かな時間に車を止めただけ。

朝市メンバーの皆さんが無農薬で野菜を栽培されているのも知っている、循環型農業を勉強され、実践されているご婦人がいることも知っていた。

しかしながら私たちとは商業規模が違うので、何となく心の何処かで「一線引いて」お付き合いしてきた自分がいたように思う。

ここ最近「心のゆとり」のなさが原因で起きたマイナス事案が次々とあり、落ち着きなく仕事をしている自分に少々嫌気がさすこと多かった。

昨日、朝市に何か目当ての野菜があったわけではないが、そんな自分のトゲトゲした気持ちを静めようと車を止めて、残りわずかになった野菜を眺め、勧められるままに加工品の試食をして、流れにまかせて買い物もした。

今年の冬は厳しい寒さで野菜の生育不良が続き、並べる商品が少ないため店じまいをするのが早いとYさんから聞いていた。

そんな中でも週二回、12年間休まず朝市を開催されている。厳しい気象条件を悲観するわけでもなく、声を大きくしてこだわりを押し付けるような売り方はされない。

メンバーのご婦人方は愛情を込めて育てた野菜が売れるのが心から嬉しいといった表情をされ、お客さまへのアプローチも自然と熱をおびている。

そんな朝市のテントの中は笑顔と活気があって、良い気分転換になり心地よい刺激を受けた。

あだちまさし。

名残惜しい送別会

午前さま。春の嵐の中、辛い朝をむかえた。

昨日は長男の卒業式。13時の式にはじまり、部員総出のお別れサッカー大会、19時から防府グランドホテルに場所を移し保護者会主催の送別会。

家内が行事に参加したので、私は日曜日の仕事を終え、下の二人の子どもを連れてホテルまで迎えに行った。

久しぶりの家庭サービスなので、あらかじめ調べておいた場所で安価な外食を楽しみ、甘い物まで子どもにサービスして、ホテルに到着したのが21時すぎ。

長男が高校に通いはじめて多くの方にお世話になったが一度も行事などに参加したことなく、最初で最後なのでサッカー部の監督さんにお礼の気持ちを伝えたかったが、

熱く充実した部活3年間の送別会が終わったのは23時半ごろだった。

大勢の部員から囲まれた監督さんに挨拶することは叶わなかったが、長男も家内も充実した表情だったので○として岐路についた。

長男の高校生活も終わり、夕食時に顔を合わせる時間も少し増えたので、少しずつ思い出話を聞かせてもらいたいと思う。

良き指導者、友人や今まで支えて下った多くの方々のおかげで無事卒業できた。

本人は気付いてないかもしれないが多くの方々のお祈り添え、お力添えもあった。ただただ心から感謝である。

私たち家族の新たなスタートラインも見えはじめた。

あだちまさし。

そろそろ原木椎茸も

「おぉーさぶ。さぶいぞなぁ」

お昼すぎ、翌日の朝市で販売するタマゴを受け取りに来られたTさんのご挨拶。

今朝も大霜で冷え込んだ。8時すぎ頃から太陽に照らされポカポカ陽気になると期待したが、午後から曇り。雲が日差しを遮るとまだまだ「さぶい」。

齢80歳を越えられたが地元では「しょうちゃん」と愛されるTさん。週2回、キチンとご注文があり、ご自分で受け取りに来園される。

稲作の傍ら、ご自分では食べきれない量の様々な野菜を栽培されている。週2回の朝市「おいでませ吉部」の売場が賑わいを切らさないための営みである。

椎茸の原木も毎年更新されるのには頭が下がる。道の駅などで「原木椎茸」をチラホラ見かけるようになったので椎茸の生育状況を少し尋ねた。

「だいしょ椎茸が出てきたが日が照らんので寒くて大きく肥らんいぃの」とのこと。おそらくアチコチから顔を出してはいるが収穫するには小さすぎるのだろう。

明日は気温が一段あがり春本番の陽気が期待される。その後、月曜日の明け方から雨の予報になっている。

おそらく明日の夕方は降雨前の椎茸を収穫、雨上がりには、また収穫と忙しくされるであろう。

週明け水曜日の「おいでませ吉部」にはTさんの収穫された原木椎茸が並びそう。

少しずつ暖かくなり、売場の野菜が活気を取り戻しつつある。

あだちまさし。

二日前の新聞より

「ごはんつぶ残したら目がつぶれるの?」と聞く子がいた。

私たちはお米の国に住んでいるからね。お米は日本人にとって特に大切な食べもので、それを粗末にするなんて、バチが当たると言われてきたんじゃよ。

食べものはみんな生きている、命あるもの。肉や魚も、お米や野菜も、私たちは食べることで、その命をいただいて生きている。だから感謝して残さないようにいただかないと、もったいない。

目がつぶれるというのは、ごはんを残したり食べものを粗末にしたら、命や本当に大切なものが見えなくなるということじゃ。

・・・と言いながら思い出した。節分過ぎに、あちこちから「もったいない、もったいない」という声が聞こえてきたことを。

売れ残った恵方巻きが大量に捨てられるのはあまりにもったいないと多くの人が言っていた。その一方で、恵方巻きは一日だけど、おにぎりは毎日もっとたくさん捨てられているのだと言う人もいた。

食べものが捨てられるのは、おにぎりでも恵方巻きでもなんでも、本当に一番もったいない。

「一粒残さず食べるべし」と言いながら、売れ残った大量ののり巻きやおにぎりのごはんを捨てるなんて、まるで大人の方が命の大切さが見えなくなっているんじゃなかろうか。それでは子どもたちに合わせる顔がないよ。

食べものを捨てることがなくなるようにするにはどうしたらいいのか、考えないといけないね。もったいない。

(もったいないばあさん日記より)

頼りになるひとり親方

昨夜は暴風雨。5〜8メートルの風。強風は今日の夕方まで続いた。

朝6時すぎ農園への橋を渡る途中で鶏舎の照明が点灯していないことに気がついた。

暴風雨だったので、雨が吹き込み何かしら不具合が起きていると感じ、配電盤を確認すると鶏舎の照明全体の半分をまとめるブレーカーが落ちていた。

台風や湿度が高い梅雨時期などに、たまにあることだが、この時期にこんなことは珍しい。

自分で予想できる事を考えながら手早く採卵を済ませ、8時前に頼りになる近所の電気博士の田中さんに電話をかけた。

今回の故障では5棟の鶏舎、その鶏舎では10群を飼育し、照明は朝4時前にタイマーで自動点灯するようになっている。

田中さんは農園の施工業者ではないが、電気関係のトラブルを10年ちかくお世話になっているので、だいだいの事情を掻い摘んで説明しただけで理解して下さる。

私の仕事量も理解して下さり、私も「ひとり親方」で電気工事をされる田中さんの仕事量もよく理解している。

「16時ごろだったら伺えます」と電話で回答をいただいたので、それまで出来る限りの仕事を済ませて、田中さんの仕事が日没までの僅かな時間で効率よく進むよう、私は助手になった。

まずは漏電、もしくは断線の箇所を見つけることから。一旦、鶏舎をひとつずつ絶縁したところで、リレーを確認していく。

幸い40分ほどで原因箇所が断定でき、今度はその鶏舎の照明器具の確認。どうなることかと心配した一日だったが、日没までに何とか復旧にこぎつけた。

鶏舎を立てる時には想定していなかったことが年を追うごとに増える。自分の力だけでは、どうにもならないことも多い。

私ども仕事を理解して下さる近隣の業者さんにはお世話になることが多く、その殆どが緊急工事。

電気工事の田中さんは同世代。水道工事の杉本さんも同世代。

いつも、いつも心からありがたい。

あだちまさし。