今日、44歳の節目を迎えた。
30歳すぎてから自分の年齢に無頓着だったが、今日は日曜日ということもあり、黙々と作業場で一人仕事をしながら、今までの自分のことを少し思い返したりしてみた。
私の誕生日の記憶といえば「もちつき」
家族で参拝していた金光教の教会の秋季大祭が14日で、12日が「もちつき」。
ライトに照らされた教会広場で信者さんと一緒に、紅白餅をついて、丸めるのが誕生日の恒例行事であった。おそらく高校を卒業して宇部を離れるまでは、毎年、賑やかに11月12日を過ごしていたように思う。
今の仕事をはじめて教会との関わり方は少し変わったが、祖母が亡くなり、妹の嫁ぎ先である太秦教会のご霊前に奉っていただいたので、金光教教徒となり、我が家の柱は「金光教」となった。
物心がつく前から教会に参拝していたが「我が家の柱」と考えると、自分自身、金光教への心の向け方が少し変わってきたように感じる。
私なりに理解している「金光大神天地金乃神」というのは、氏子あっての神、神あっての氏子「あいよかけよ」で立ち行く神様だと頂いている。
子供たちは教会へ参拝する習慣はないが、いつかは伝えなければいけないと思い、祖母が他界してから、「天地は語る」という、み教えを現代語訳されたハンドブックを鞄に入れている。心を静めてページを開くと、心に「すぅー」っと浸みる教えの数々が並んでいる。
44歳の誕生日、世間でいうと「厄」の期間を通過してきた。心を静めて、昼休みにハンドブックを開き、パラパラとページをめくる。日柄方角を気にしない金光さまの、ある教えが胸に浸みる。
信心して神に取りすがっていたら、縁起を気にすることはない。四は死に通じると言うが、それは悪い方へ取るからである。四なら幸せの「し」に取れ、よいの「よ」に取れ。みな、よい方へ取って信心すれば、いっさいおかげにしてくださる。
一生に一度の「4」が二つ並ぶ誕生日、良い方にとると、最高の誕生日でもある。
まぁ、自分勝手な解釈である。しかし「良い方へとる」という習慣があると心が穏やかになるのは事実。
妹の嫁ぎ先の太秦教会では元日祭で、み教えを短冊状の和紙に筆書きし、おみくじの様に参拝された信者さんが頂いて帰られる習慣がある。何年前だったか忘れたが、正月に家族分の「ご神訓くじ」を送ってもらい、子供たちと一緒に開いてみた。
私は引き当てた「み教え」が、当時、自分の心に浸みて事務所のパソコンの前に貼り付けている。
「悪いことを言って待つなよ。先を楽しめ。」
少し問題を抱えると心に不平へ不満を抱えることが多い私だが「先を楽しめ」という気持ちで、今日という節目に感謝し、明日から、また前を向いていきたい。
あだちまさし。