心が慣れない仕事

私の仕事は鶏を飼育する畜産農家である。

たくさんのお客さまに支えられている鶏との営みで愛情を持って関わっているが、それはペットを可愛がるような愛情とは別である。

畜産農家で飼育される家畜は産業動物あるいは経済動物と言われる。

タマゴを産む鶏と、食肉になる鶏の飼育期間はそれぞれ違うが、いずれも費用対効果を計算された人間の生活を支えるための「命」。

日々、私たち人間のくらしを支えるために命を燃やしてもらい、その鶏の「寿命」を決めるのも生産者の仕事。

私たちの農園で生産し販売するタマゴの8割以上は対面販売。

気候条件による産卵状況をお客さまにご配慮いただきながらお届けさせていただいているので、需給バランスによって、私が鶏の「寿命」決める。

今日は鶏の出荷。様々な事情を勘案しながら、この群の「寿命」を切った。

また、淘汰される鶏を受け入れる食肉処理場を取り巻く環境も厳しくなっている。

必要に迫られて捕鳥作業を見直し、以前より随分短い時間で作業を終えられるようになったが、

「やったぁ終わった」という爽快感は余り伴わない、だからと言って涙ながらにお別れするような気分でもない複雑な「命」をいただく心境は未だに慣れない。

お客さまに喜んでいただけるタマゴを生産し、鮮度の良いタマゴをお届けするには、切っても切れない畜産農家である私たちの仕事なのである。

出荷作業は、かなり体力を使うので他人に丸投げしたいが、それはでは申し訳がないと常々感じている。

鶏の「寿命」を切ることには未だ慣れないが、この仕事に携わった以上、慣れない方が良いと最近は感じる。

どれだけ作業の効率が上がっても「命」をいただくことで生計を立てているのだから。

あだちまさし