季節はずれの梅の花

今年、農園の梅の木もたくさん立派な実をつけた。

昨年末から徹底的な冬の寒さと水不足。もう春が来ないのではないかと心配したが、花を咲かせたのち、立派な実をつけた梅の木を見上げると多少の蒸し暑さも有り難いような気がしてくる。

毎年、農園で働く男性が裏山で収穫した梅の実を持参してくれるのが風物詩。口数が少なく、あまり感情を表に出さない彼は私と同じ年。働きはじめて7年目になる。

雨の合間をぬって母親と山で収穫した今年の梅は豊作で両手に抱えきれないほどの大きな袋入った梅の実と、昨年、母親が手作りした梅干しを添えて出勤してきた。社交辞令のような言葉はなく「どうぞ」と言って差し出す姿も例年どおり。

口数少ない彼と私たちの間を取り持つように母親が持たせる梅の実だが、彼が嫌々持って来ているかというと、そうではない様子で、両手を差し出す表情からは、今年も少しの明るさが窺える。

彼には心に感じた事を上手に言葉で伝えることが出来ない難がある。その分、様々な苦労と遠回りして農園で働くようになった。おそらく、母親も前になり、後になりながら同じ苦労を重ねてきたことだろう。

私は大きな袋に入った梅の実を受け取りながら、彼と母親の遠回りの時間に思いを重ね、いつもの会話より時間をかけて収穫の様子などをポツリポツリと聞かせてもらい、心から感謝の気持ちを伝えた。

彼は照れくさそうに「いえいえ」と顔の前で右手を振り、小さな笑顔の花を咲かせてくれる。こんな時の彼の笑顔は、満開の桜のような花ではなく、寒さに耐えながら蕾を膨らませ花を咲かせる梅の花のような笑顔だと私は感じる。

彼と共に辛抱の花を咲かせ、立派な実をつける事ができるよう心に願った。

あだちまさし