心配するココロ

先週、農園のちかくに住むご婦人が亡くなられたとの噂を耳にした。

家族ぐるみで付き合いがあり、私も子供たちも年齢が近いので、高齢者が多い過疎地域においては最も若いグループに入る奥さまである。驚きを隠せず、動揺する心を落ち着かせながら一つひとつの事柄を聞くのが精一杯だったが、近親者のみで葬儀を済ませたということだけが妙に気にかかる。

顔見知りだった方が知らぬ間に亡くなっていたという話も少なくなく、高齢世帯が多くなってきた地域の「思いやり」で後になって知らせ受けることは今までにもあった。ただ今回は間柄からいって別である。つい先日も、長い立ち話で子供たちの近況をやりとりしたばかりだ。急いでお悔やみに掛け付けたいが、思春期の子供さんを抱えたご主人が閉門して喪に服される気持ちも痛いほど理解できた。

なにより職務上、聞き知った噂である。逸る気持ちを抑えて正式な知らせ待つことにしたが、寝ても覚めても奥さまの笑顔や、今までのあんな事こんな事が頭に浮ぶ。知らせが入るのを辛抱しきれずに、意を決めて弔問に伺おうとしたタイミングで、間違いだったことがわかった。不幸中の幸いの少し安堵と、数日間にわたって心配した心の余韻だけが胸の奥に残った。

結果的に取り越し苦労におわったが、もっと心に寄り添うような会話ができなかったかと後悔したり、何とか前向きな気持ちをつくって、出来るかぎりの励ましの言葉を考えたり、そして、残されたご家族のことを何度も自分と重ね合わせたりもした。ナントカなると思っていることが、一瞬でナントカならなくものだと、どうにもならない事までも深く考え込んだ。日頃、曇って見えにくくなっていた心の奥底を覗き込むような作業は、年末の「心の大そうじ」とでも言うべきか・・・。

日常の中で自分が頭で考えている一生懸命さや、家族への感謝の気持ちは、心の底にあるフタをはぐってみると、案外、まだまだ真剣さが足らない、独りよがりだったかもしれない、そう思えるキッカケをいただいた。この出来事をとおして感じた「心配するココロ」は今後も大切にしていきたい。

2019.12.24 あだちまさし

夏越し

山口市、湯田温泉の生花店「湯田花園」は中原中也記念館のすぐ近くにある。十年来のタマゴをお届けさせて頂くお客さまだ。

昨年の今ごろ、その生花店で店先に並んだシクラメンを購入した。花の名前と実物が私の頭で一致したのは四十歳をすぎてから。その程度の関心しかなかったが、あるお客さまが「やっぱり生きた花はいいわねぇ」と花を眺められる姿を見て、自分にも「いいわねぇ」という潤いが欲しいという衝動から発作的に買い求めた。

十二月の我が家は特に慌しさが増す。鶏に一日二つずつタマゴを産んで欲しいと無理な願望を抱きつつ、大晦日に向けて一気に時が過ぎる。一服の清涼剤になればと、白地にピンクの縁取りが美しい花が咲くシクラメンを選んで自宅に置いてみた。が、残念ながら、昨年の師走も潤いを感じる余裕がなかった。

底面給水鉢に水をやり、花がら摘みをして、あまり大きな感動や落胆もなく、ただ淡々と花と過ごし春が過ぎた。開花の勢いが落ちてきたが、葉は元気に茂らせているので、花屋の店主に尋ねたところ、「夏越しさせて、また花を咲かせてあげて下さい」と、休眠させずに夏越しさせる方法を教えて頂いた。

午前中の日差しがやさしくあたる、風の通る大きな木の下で育てるようとのことだったので、自宅から農園へ引越しさせ、大きなイチョウの根元、その東側に置いた。なんとか枯らさず無事に夏がすぎ、九月下旬あたりから葉を勢いよく茂らせるようなり、二十日ばかり前から霜がおりるようになったので夜は作業場に入れるようした。

日照不足の梅雨、猛暑の夏も、暴雨風を心配した台風の日も一緒に過ごした。農園で心が晴れたり、曇ったりした時も、私の側で、黙って小さな命の息づかいを感じさせてくれたシクラメンである。

本格的な冬の足音が聞こえる。露地で育ててきたので開花はまだ先になるという。毎日、茂らせていく葉にうつる葉脈からも、命の力強さを次第に感じるようになった。もしかすると、これが花と暮らす潤いかもしれないと思う。

2019.11.26 あだちまさし

共に生きる

嬉しいときや悲しいとき、壁にぶつかったときや、目の前に道が開けたときなど、心がグッと熱くなる瞬間に、今は亡き恩師の温かい眼差しとやさしい言葉を思い出す。

島原市で障害者福祉に生涯を捧げられた原留男先生の今日が一年祭である。農園で仕事をはじめてからは直接ご指導いただく機会はなかったが、最近、すぐ近くにおられるような錯覚を時々感じる。

普賢岳噴火が縁で18歳の冬に初めて先生とお会いした。漠然と将来に不安を抱き、何に対しても自信がなかったが、目線を合わせて語りかけられる先生の言葉が何故か心に浸みた。誰に対しても同じ姿勢でやさしく語りかけられる独特の「あたたかい間合い」の魅力に惹かれたからだと思う。

先日、偶然というか、必然というタイミングで、20年前に発行された機関紙の中から先生の講演録を見つけた。当時、原先生は70歳。障害児教育、障害者福祉に携わって48年目であったが、講演の中で、「共に生きる」とは易しいようで難しいと語られているのが印象的だった。分け隔てなく子どもたちと真摯に向き合われる先生のお人柄と現場での姿勢が思い出された。

難しいと前置きしたうえで、共に生きるには(共感・共有)を通じて得た信頼関係が必要と述べられている。相手の思いを自分の思いとして共に感じる「共感」する力。同じ悩みを共に持ち合う「共有」する力。共に感じあい、分かち合う中から生まれてくる信頼関係を築かなければ、障害がある人たちと共に生きることは難しいと述べられる。

「共に生きる」と言葉にすると簡単なようだが、本当の意味で心に寄り添い、心を通い合わせるには、常に求め続ける姿勢が大切だと感じた。人と人が繋がりあい、喜び助けあう福祉の原点であり、本来の姿かもしれないとも。

時を経ても、色褪せることなく変わらない原先生の想いに触れることができたことに感謝し、今後ともお導き下さるよう心から祈った。

2019.10.26 あだちまさし

台風一過

「台風ヨウジョウが忙しいけぇ、土曜は無理じゃぁ」
先週、木曜日の夜、来月でハタチになる長男がスマホ片手に大きな声で友人に断りを入れていた。台風接近で休日だったはずの土曜日が養生作業なったようだ。社会人2年目。現場の強風対策があるようだが、友人と話す声には張りがあり良い緊張感を持って仕事をしている様子が伺えた。

私は、聞き耳を立てながら新聞に視線を落とし、半人前のクセに偉そうなことを言うと「やや上から目線」で見下しつつも、そんな彼を少しだけ頼もしく感じた。

通り魔的に千葉県を通過し、甚大な被害をもたらした台風15号が記憶に新しいなか、17号の発生で警戒感が増した。農園でも鶏の産卵は止める事は出来ないので、風雨の中での日常業務に加え、台風養生が増える。大きな自然の力と、止まることない営みの狭間でジタバタしても始まらないので、淡々と台風情報を収集し、いつものように気持ちを落ち着けた。

最近、台風の進路や速度が以前と少し変わってきているのは温暖化の影響も無関係ではないようだ。気象予報が速く正確にキャッチでき、被害状況もリアルタイムで把握できるようになったが、今までの経験が当てにならなくなったのも事実である。

地球環境を守るため世界各国が足並みを揃える難しさを伝えるニュースや、異常な気象が常態化しつつあることを、日々、肌で感じてはいるものの、不自由なく便利な生活を送りながら、自分に出来ることを考えた時、いまの暮らしを制約していくことには戸惑いと、少しの気後れを感じる。

今日は移動性高気圧に覆われ、台風一過の爽やかな秋晴れ。
田んぼの畔にたくさんの彼岸花が咲く。青い空と黄色の稲穂に囲まれたコントラストに赤い曼珠沙華が映える。自然の営みを美しく「ありがたい」と感じる心は、小さな自分にも出来る事に、一歩を踏み出す勇気を与えてくれるように思う。

2019.09.24 あだちまさし

失敗は成功のもと

台風通過にともない秋雨前線が刺激され、まとまった雨が降り続いている。来園される農家さんからは、収穫が迫った稲穂の生育状況や、降り続く雨でコンバインを水田に入れられるか心配する声をよく耳にするようになった。

農繁期に入る農家さんと共に忙しくなるのが吉部農協で農機の販売や修理を一人で請け負われる営農担当者。普段は閑散とした倉庫に修理を待つ農機具が搬入され、稲刈り作業の途中で止まったコンバインの出張修理などで大忙しになる。一斉にはじまる収穫時期の不測の事態に備えて戦々恐々といった感じだ。

農園で鶏との営みを生業とする私たちも不測の事態はたくさん経験して、当然、たくさんモノも壊してきた。経験が浅い私が予測できないことを、縁あって共に働く障害がある人たちが理解し予測することは不可能で、突然おこるトラブルに動揺し、感情を抑えきれず叱責したこともある。後悔ばかりが先に立ち、お互いに心が壊れかけた苦い経験もした。

自然と隣り合わせの農園で、言葉の通じない鶏との営みには、未だ分からないこともあるが、彼らと失敗を重ねるうちに身につけた知識も少しずつ増えたように感じる。

モノが壊れる時には、いくつかパターンがあって、モノの道理が分からずに壊してしまう場合と、分かっているのに不注意から壊してしまう場合がある。前者は私の取扱い説明不十分。後者は仕事に対する「焦り」や「欲」が絡むことが多い。

仕事に対する焦りは、昼食前や終業間際などの仕事を早く終わらせたい時間帯に自分の能力以上の仕事を抱えた時に起こるトラブル。彼らの能力を超える仕事を不用意に与えてしまった責任は私にもあるので、共に反省しながら、いくつか失敗を乗り越えてきた。

一方、仕事を重ねてつけた自信から、もっとたくさんの仕事をしたいと欲が出てきた時の見極めが不十分で起きた失敗は、見逃すと大きな心の傷となり、こればかりは営農に頼んでも修理が不可能である。彼らが日常の仕事を通じて、少しずつ積み重ねた自信を見逃さず、自発的協力関係を失わないような言葉かけと、失敗を受け止める心の寛容さを持ちたいと常々思う。「失敗は成功のもと」だから。

2019.08.26 あだちまさし

こころの泡立ち

梅雨明け。これからが夏本番である。

例年、3月初旬ごろから、仕事の合間をみつけながら園内の草刈りはじめる。一日平均にすると一時間程度の肉体労働。農園の側を流れる厚東川の川土手までが私たちの責任範囲と決めている。

梅雨入りまでは農園全体の工程を2週間程度で刈り終える。この頃までは、刈り終えた農園の姿を見ると結構な充実感と達成感で心にゆとりも生まれ、やりきった仕事に自画自賛したい気持ちを抑えながらも、近隣の農家さんと「草刈り談義」に花をさかせる余裕もある。

心にゆとりがある時期は、少し高めに草刈りコードを走らせ、クローバーやカタバミを残しながら作業をする。花が弾けて、種を飛ばしながら横に広がるクローバーの白い花やカタバミの黄色や薄紫の花に目を細め、多少の疲れはあるが「こんな暮らしも悪くない」と、心の奥の方で喜んでいるのが自分でもわかる。

ある詩人が「楽天的な人はバラを見てトゲは見ない。悲観的な人はトゲばかりじっと見つめて、美しいバラの咲いていることに気づかない」と言ったそうだが、梅雨入り前と後では気持ちが一変する。

雑草がわずかに咲かせる小さな花がグングンと丈の長い緑に覆われ、元の荒れた休耕地の姿に逆戻りするのではないかという不安と悲壮感につつまれる。ブクブク、ザワザワと心が泡立ち、梅雨空の合間に日が射したりすると「また草が伸びる」とため息が漏れるのだ。

いくら刈っても振り向けば迫ってくる雑草に、草刈り機のアクセルも吹かし気味で大きな音を立てる。山に囲まれた農園を疎ましく感じ、高い湿度なかで緑の景色も滲んで見える。

そんなジメジメと汗がまとわりつく梅雨も明けた。ギラギラと輝く太陽の下で、仕事の合間の草刈りか、草刈りの合間の仕事かという作業も後半戦である。心の泡立ちを押さえて、心地よい汗を流したい。

日々、元気に働ける体に感謝しながら「コレもまたヨシ」と口笛まじりに夏を乗り切りたいものだ。

2019.07.25 あだちまさし

「なつぞら」と開拓精神

いつもより早起きして、パソコンのキーボードをたたく。

NHK連続テレビ小説「なつぞら」の放送にあわせて、農業新聞で「北の酪農ヒストリー」という週一回の連載が始まった。内容はドラマの舞台である北海道の開拓や酪農の歴史について。この記事を入力してパートさんへ毎週配布している。

農園で10年来働いて下さっているパートさんのご長男がドラマの制作に携わっていると聞き、放送は見ていない私も興味を持った。ご長男はアニメーターとして活躍中。撮影ではアニメ制作の立場から出演者への演技指導をサポートされたようだ。

農業新聞の連載を通じて、ドラマのテーマにもなっている「開拓精神」について、脚本担当の大森氏は「目の前のことをやっていくのが開拓。それが積み重なって形になる。そんな未来へのつながりを書いてみたい」と述べている。開拓者の生き様に触れることは、私にとっても大変刺激になる

ドラマの舞台である北海道は酪農王国として有名ですが、その種が蒔かれたのは明治初期で一人の米国人が政府から招かれ100頭余りの牛で牧場をスタートさせました。ここでバターやチーズ、ハム作りも指導します。この牧場に牧夫として雇われた日本人が二人の仲間と共に酪農普及の先駆者となりました。

普及の契機となったのは大正2年の大冷害です。3人は開拓者救済のため「どんな寒い年でも草だけは生える。草があれば牛が飼える。牛を飼えば排せつ物を土に戻し、良い土ができる。これを繰り返す酪農を取り入れなければ、冷害は克服できない」と、道庁に提言します。先駆者の3人はキリスト教徒で「神を愛し、人を愛し、土を愛する」という三愛精神が源にあるようです。

現在の優雅な酪農風景は、開拓者たちが北海道の厳しい自然と共生してきた歴史の証だと胸が熱くなり感動します。今朝、11枚目の「北の酪農ヒストリー」をプリントしながら、また一つ、開拓精神を学んだ。

2019.06.24 あだちまさし

親先生

「祈って下さっている先生がいる」私は、この安心感のうえに今日までお育ていただいた。

私を含め、多くの信者さんの立ち行きを一心に祈り続けられた金光教宇部東教会の立川和正先生が5月9日ご帰幽された。

心の準備はしてきたつもりだが、ご祈念される和正先生の後姿を思い出すと寂しさが募る。

我が家は金光教を信心させていだいている。ご神縁を頂いたのは宇部東教会で、私は母親の胎内に命を授かった時から先生に祈られてきた。

教会のご神前と広前の間にはつい立で仕切った小さな机がある。これを、神と人とをつなぐ「お結界」といい、教祖さまのお手代わりである先生は、日々、そこに座り、参拝者の悩みや、さまざまな願いを聞き取り、参拝者の心に寄り添い祈られ、「み教え」に基づいた生き方、ご理解をわかりやすく説いて下さる。これが金光教の営みの中心である「お取次」という。

身の上相談やカウンセリングと似ているようで少し違い、祈祷で痛いところが治るのとも違う。語弊があるかもしれないが、静かに心を神様に向け、先生と共に祈り、天地の摂理や有り難さを気付かせて頂くのが「お取次を頂く」ことだと、自分なり解釈している。

私は、和正先生のお取次から「生きるヒント」を数多く与えていただいた。それは「こうしなさい」という押し付けではなく、いつも温かく見守り、一心に助かりを祈る後姿で教え導いて下さった。

和正先生への感謝の気持ちを忘れることなく、「育てられた」という自覚を強く持ち続けることで、私にできる働きが見えてくると思う。御霊さまになられてもお導き頂けるよう、これからも祈りすがっていきたい。

2019.05.26 あだちまさし。

アニマルウェルフェア

太陽の光が明るさと強さを増す。初夏も近い。

季節の変わり目は鶏の飼育にとって注意が必要だ。特に、春と秋の入口にあたる時期に「悪癖(あくへき)」が発生しやすい。鶏は群の中で順列をつけたがる性格あるので、ちょっとしたストレスから力関係が崩れると「尻つつき」という問題行動が起こる。

産卵中の鶏の尻を別の鶏が嘴(くちばし)で突き、出血する。血液に反応するように行動がエスカレートし、群の中で、その悪癖が伝播して事故が広がるのだ。ストレスの原因は様々だが、寒暖差と日長変化で個々の鶏に生じる体調の差が引き金となることが多い。

農園の鶏は行動に制限を設けない平飼い飼育のため、一旦、この悪癖が広がりはじめると収拾するのに時間がかかる。最近は、経験を通してストレスの芽を摘んできたが、先月あたりから所々で尻つつきを見かけて頭を抱える。おそらく、今年の「春の入口」を見極める観察不足だろう。何が原因だったのか、鶏の声なき声に耳を澄ませ、黙考する日々が続いている。

「アニマルウェルフェア(Animal Welfare )」という欧州発の概念がある。家畜福祉や動物福祉と訳される。感受性を持つ生き物としての家畜に心を寄り添わせ、誕生から死を迎えるまでの間、ストレスをできる限り少なく、行動要求が満たされた、健康的な生活ができる飼育方法を目指す畜産の考え方である。

私たちも、この考え方に近い想いでストレスフリーの環境を整えてきたが、すべてのストレスを回避するためには、まだ配慮が足りないことがあるのだろう。日々の仕事に追われ、鶏に心を寄り添わせることをおろそかにしていなかったか、もう一度、自問しなければならない。経済動物だからと心の中で切り捨ててはいないか。日々、心を改まる必要がある。

鶏は共に働く同僚であり、大切な仲間だから。

2019.04.21 あだちまさし

桜でんぶ

宇部市北部にあたる吉部は船木街道に沿って発達した宿場町で、今でも街なみに昔の面影が残る。その一角にあるのが「仕出し 柳屋」

農園も開園当初から大変有り難いお取引を頂いている。というのも、規格外のタマゴを365日快く引き受けて下さり、毎日の仕事終りに不揃いタマゴをトレーにのせて運ぶのが私の日課である。

そんな仕事柄から、目に映る宴席、慶弔事の仕出し料理から季節の移り変わりを楽しませてもらっている。特に繁忙を極めるのが年末年始。元日からおせち料理の受取で賑わう店内と、活気溢れる板場の空気から元気のお裾分けをいただけるのが嬉しい。

板場は女将さんの家族と近隣から通う従業員の主婦の方々で切り盛りされるが、ご高齢になられた今も現役で板場を支える女将さんの細かな気配りが、地域に安心感を与え、愛される理由と思う。

柳屋の仕出しに付き物なのが「巻き寿司」。これが、ことのほか美味い。「おふくろの味」とか「昔ながらの味」というフレーズがしっくりくる。頬張ると口の中にホッと安心感が広がるのだ。

見た目は普通の巻き寿司。寿司飯に具材をはさみ、米ひと粒ずつの空気を適度にキュッと抜きながら海苔で巻いたもの。具材は玉子、きゅうり、かんぴょう、しいたけ煮、あと「おぼろ」。柳屋でいう「おぼろ」とはエソのすり身、いわゆる「桜でんぶ」のこと。これが昔から女将さんの手作りで良い旨みになっていると馴染みのお客さまに評判が良い。

トロ箱で運ばれてきたエソを蒸して、砂糖と塩で味を整えながら炒り煮し、食紅で桜色に染め、出来上がったそぼろを冷ましながら小骨を取り除き仕上げる。これが結構な手間がかかる作業。タマゴを届けた際に、桜色のおぼろをバットに広げ、従業員総出で小骨に目を凝らす姿を何度も見せてもらった。

安価な市販食材を使わず、手間隙を惜しまない「桜でんぶ」作りには、女将さんの心意気が光る。昔ながらの細かな気配りがギュッと巻かれた「柳屋の巻き寿司」を、多くの人に胸を張ってお勧めしたい。

2019.03.24 あだちまさし。

命を食に変える

猟師が設置した箱罠のフタが落ち、大きな猪が御用となった。

体重80キロ、繁殖期の肥えたメス。これぐらいの大きさになると人間を威嚇して暴れるとガシャンガシャンと罠が軋み壊れそうで近寄り難い。

日頃、大きく口を開けて存在感がある箱罠だが、それが小さく見えるほどの大きな猪に私の鼻息も荒くなり、体の芯がグッと熱くなる。

一昨年の秋に罠を設置してから25頭目。昨年、柿の実が落ち始める時期に小物が一気に頭数を稼ぎ、今回が一番の大物だ。

農園の周辺を荒らされる頻度と範囲が多くなり、以前は猟師に任せきりの捕獲だったが積極的に協力するようになった。とはいえ、私に出来ることは早朝に確認した足あとや荒らされた場所から行動範囲を進言するぐらいの子供の使い程度だが。

以前より、猪の行動を深く考察するようになり、私の心境にも多少の変化がある。猪に荒らされて苛立ちや落胆するだけだった感情に「哀れむ」という感情が混じるようになった。

人が手を加えた自然の影響で腹を満たすことが出来ない猪を哀れむ気持ちと、天敵がない猪の頭数バランスを取るには人が捕獲するしか方法がないという現実。

自然と隣り合わせに農園を営んでいるので、共存するには、半ば諦めのような「開き直り」と「小さな覚悟」が心の中に生まれた。

本来、野山を駆け回る猪は「大地の豊かさ」の象徴のような動物で、昔から人の命を支えてきた。そして、全ての食べ物は生き物の命であり、それを恵みに変えるには、常に人の営みがある。

猟師の到着を待つ捕獲された大きな猪を前にして、命を食に変える尊さと食べることへの責任を考えた。

2019.02.20 あだちまさし

寒たまご

寒晴。天気が良いと空がとても青く、そして深く見えた。

昨夜は大きな満月で穏やかに晴れた。暖冬とはいえ、今は寒中。今朝の気温-1℃。地表の温度は更に下がり真っ白な霜に覆われた。足の裏から体温が奪われ、ジンジンと手の指先が冷える。

寒さが厳しく春に向う時期は早朝から鶏の産卵が活発だが、追われるように採卵をすすめる手が冷えて動かず思うように仕事がはかどらない。やり場のない寒さに耐えかねて、すぐそばの鶏を抱き寄せ、羽根の下に両手を入れて鶏の体温で指先をほぐす。

鶏の脇の温もりで次第に感覚を取り戻す指の先に鶏の小さな鼓動を感じると、寒さと忙しさで押し潰されそうだった心にも、鶏の恩恵に感謝する気持ちも取り戻しながら、寒中の朝、採卵作業を続ける。

小寒から立春の前日までに産まれた卵を「寒たまご」といい、昔は鶏が寒さに耐えて産み落とす卵が滋養に富んでいると喜ばれ、特に大寒の朝に産まれた卵を食べると無病息災で一年間、過ごせると珍重されたようだ。最近では、風水占いで運気が上がり、金運にも恵まれると宣伝されることもあって、私たちの農園にも早くから予約注文をいただく。

日々、鶏の息づかいを肌で感じると、寒たまごが滋養に富んでいるというのはよく理解できる。卵の中身もグッと引き締まり、濃厚卵白の盛り上がりと、黄身の張りや弾力も増すので、味わいもより一層、濃厚に感じることができる。今が「タマゴの旬」なのである。

金運に恵まれるかは定かではないが、生産者である私たちにとって、寒さに耐えながら変わらず恩恵を与えてくれる鶏たちへの感謝を絶えず忘れないことが、案外、運気を上げる近道かもしれないと感じる。

2019.01.23 あだちまさし。

黒豆

冬至が過ぎた。この日を境に一陽来復で日脚が少しずつ伸び、鶏の産卵活動が上向きになってくる。

本格的な寒さの訪れもこの時期から。鶏は寒さで消耗する体力を取り戻そうと食欲が増す。つまり給餌量も増える。これから春まで厳しい寒さの早朝仕事。私たちにとっては、ちょっとした「寒行期間」になる。

鶏のことを何も知らずにはじめた仕事なので、年を重ね、経験で学びながら前へ進んできた。しかし、四季は一年に一度。わずかな積み重ねでしかない。

この少ない経験から得た知識を根底からひっくり返すような異常気象に今年は多く見舞われた。特に年明けからの厳寒に加えての少雨による水不足が私たちにとっては深刻だった。

気力と体力の限界を感じるなか、私生活を見直そうと考えて、思い切って「酒」をやめた。日々の改まりを大事にする習慣を大切にして、晩酌への執着を「朝食」へ切り替えてみた。

毎朝、味噌汁をつくり、前日に用意したおかずを小さな皿に盛りつけ、それにヨーグルト。その上に「黒豆」をひとさじのせる。昨年末に知人から頂いた黒豆煮の瓶詰めが正月をすぎて、家族から忘れられようとしていたが、これを毎日の朝食に添えることにした。

以前は正月にしか口に運ばなかった「黒豆」を「心のスイッチ」にして毎朝いただく。休みなく続く営みを正月のような気持ちで嬉しく迎えられるよう願いを込めて。

明日も朝食の「黒豆」とともに、また新しい朝がくる。

あだちまさし。

鐘と撞木

「まぁだ若かかけん。がんばらにゃあ」そう言って原留男先生が励まして下さったのは2年前。以前と変わらぬ少し擦れた声の、やさしく包み込まれるような島原訛りが耳から離れない。私にとっては、これが先生との最後の会話になった。島原市で障害者福祉に生涯を捧げられ、先月末、91歳で静かにお国替えされた。まだまだ学ばせて頂きたかったが、その術がなくなった。

昭和27年、原先生が赴任された島原第三小学校の3年1組で偶然出会った二人の知的障害がある生徒がライフワークの始まりである。子どもたちの持つ不思議な魅力に引きつけられ歩みを共にされてきた。昭和41年、現在の「島原市手をつなぐ育成会」の前身である育成会を組織される。障害者やその家族へ対する差別や偏見が平然とまかり通る時代、真っ暗な夜道の中を、小さなあかりを手に携えながら、前になり、後になりながら歩まれた活動の功績は、半世紀経った現在の育成会の姿を見れば一目瞭然である。

私は普賢岳の噴火と共に島原とご縁が出来、原先生とはじめて出会った。平成4年2月、育成会の大きな願いであった通所厚生施設「松光学園」の設立認可が得られた日と重なる。原先生が長年貫かれてきた「共に生きる」姿勢と、身にまとわれている積陰徳の不思議な魔法の虜になり、共に働く仲間に加えていただいた。

原先生が松光学園の園長として発行された機関紙に、こう書かれている。

― 鐘、しゅ木。この二つのうち、どちらが欠けても鐘はなりません。
施設利用者(子ども達)と職員は鐘としゅ木の関係ではないかと思います。どちらが欠けても鐘は鳴らない。響き合うことは出来ません。私達は、利用者と共に、鐘になったり、しゅ木になったりして、常に響き合える毎日を過ごすことが大切だと思います。響き合える毎日こそが、共生(共に生きる)であり、共育(共に育つ)ではないかと思います。又、それは共働(共に働く)であり、共汗(共に汗する)ではないでしょうか。
このような鐘、しゅ木になりたい。―

原先生の現場での立ち振る舞い、一緒に酒を酌み交わしながら「嬉しゅうして」と笑顔で語られる子どもたちへの愛情が思い出される。共に鐘となり、撞木となって命を響かせあった時間、その鐘の音の余韻を見失わないよう、これからも私は前を向いていきたい。
原留男先生、ありがとうございます。

あだちまさし。

地域に根をはる

1億8195万羽。最新の畜産統計による国内の採卵鶏の総羽数だ。前年比で3%増加している。年々、養鶏場が減少するのに対し、飼育規模の大型化が加速している。全体のうち10万羽以上の養鶏場が8割を占める。その要因は定かだが、あえて触れないでおく。

養鶏には孵卵・育雛・採卵・食肉処理の流れがある。鶏卵を生産するには不可欠な連携で、一見すると工業的だが「命と鮮度」を無駄にしないための流れ作業になっているが。自分たちの利益だけで採卵だけが大型化することで前後の流れを悪化させている。

特に採卵鶏専用の食肉処理場に大きな負担がかかる。一度に押し寄せる廃鶏の羽数も膨大になり、現場で働く人たちの苦労は増すばかりで、「働き方改革」という聞こえが良い言葉が人手不足に追い討ちをかけている。

私たちは「新鮮・安全」をモットーに独自のルートでタマゴを販売しているが、こうした大型化の流れに押し潰されないように気を使うのが常に悩みの種になっている。少し暗い話になった。

最近、この大型化の流れに難渋する一方で、平飼い特有である「糞」が好循環の明るい兆しを見せつつある。

ケージ飼いでは糞がポタポタと生で落ちるが、農園の鶏舎では鶏が歩きまわり、遊ぶことで、糠床を掻き混ぜるようして微生物の力でバランスを保っている。鶏を出荷すると、糠床のような糞に米ぬかを混ぜ込み、水分をあたえて耕運機で発酵させて堆肥にする。完熟ではないが割と良質な堆肥が出来、好んで利用して下さる農家さんが少しずつ増えてきた。

良いお取り計らいを頂き、足を運んで下さる農家さんの顔ぶれが自然と若返りをしているのも嬉しいかぎりで元気が出る。

先日、熱心な方が持ち帰った堆肥を「成分分析」に出したと知らせてくれた。結果がどうであれ、一歩踏み込んだ取り組みをして下さる姿勢が心強い。農園で行う発酵作業は自分たちの経験と勘だけを頼りにしてきたので、まだまだ良い堆肥にする伸び代がありそうだ。

化成肥料と違い、成果がでるまで時間がかかるが、農家さんが四季の作物を丹精込めて育てるのと、鶏を平飼いで飼育するのは営みに通じるものがある。ゆっくりと時間をかけて良い作物をつくってもらいたい。

堆肥で農家さんとつながるのは畜産の本来の姿だ。健康な鶏は良いタマゴを産み、立派な糞もする。堆肥を通じて地域に根をはる。これは大型養鶏には真似できない強みだと信じて取り組みを深めていきたい。

あだちまさし。

秋思

ハッピーマンデーの夜。数日前、大きなスーツケースを抱えて出かけた長男が未だに帰宅せず。金曜日の夜に宇部空港から飛び立ち連休を満喫中だ。帰りを待ちながら、自分の連休の思い出にボンヤリふける。

いまの生活に「慣れた」というと多少強がりになるかもしれない。休日の家族サービスとは無縁で子どもたちには随分と迷惑をかけた。知らぬ間に大きく成長してしまい後ろめたさと、自分の甲斐性のなさに時折、嫌気がさす。

3人の子どもたちは、こんな父親に早々から愛想をつかし、スポーツにのめり込んだ。長男、次男はサッカー。長女はテニス。サッカーの練習や試合は時々足を運び、息子たちがボールを蹴る姿を見たが、長女がプレーをする姿は一度も見たことがない。これが後ろめたさに一層拍車をかける。

夕食時に部活や試合の様子を話してくれるが、私にはスポーツに打ち込んだ経験がなくアドバイスする言葉が見当たらないので、ただ黙って耳を傾ける。中学生になるとスポーツを語る内容が深くなり、話についていけてないのが正直なところ。それに加え、子どもたちを少しは唸らせたいという「父親の変なプライド」が邪魔をして口を開くのを躊躇してしまうことも多々あるからだ。

こんな気持ちを抱え、子どもたちが未読であろうスポーツ記事を新聞やネットで拾い読みし、家族の知らないところで予備知識を仕入れることに心血を注ぐ。父親としての涙ぐましい努力・・・と、私はそう思っている。

そんな中、最近、気になっているのが全米OPを制覇した大阪なおみ選手。純粋無垢で愛嬌あるコメントの中には刺激が多くある。昨年10月、彼女が自分の弱さついて語っている記事が目にとまった。

「私はテニスをするうえでは自分に厳しすぎるって指摘されるんです。試合中、もっといいプレーが出来たのに、ってイライラしてしまう。気分を切り替えてプレーした方がいいんだよってアドバイスもらっています」

テニスでは、こと試合中に限って言えば自分に厳しいことはプラスに働くとは限らないそうだ。くよくよしていると次のポイントに影響してしまうからだ。全米OPの決勝戦。20歳の彼女がブーイング渦巻くコートでも終始落ち着き、自分のプレーに集中する姿は1年間の「心の成長」の証だろうと感動した。

私も秋思に浸ってばかりではいけないと眠たい目をこする。

あだちまさし。

心に聴診器をあてる

終日、強い北風が吹いた。風見鶏が勢いよく回り、Tシャツ一枚では肌寒かった。先週の降雨で貯水の心配が消えて、季節が一気にすすむ。

季節の移り変わりが急激に訪れるのは今年に始まったことではないので、自分の力ではどうにも出来ないことは静かに受け止め、自然の恵みに感謝して毎日を送りたい。

今年、予想外の暑さで大きく生産を落とした。予約がこなせるか不安な毎日を送りながら、少しでも早く産卵低下を把握しようと鶏舎に入る時間を増やした。

もともと余るほどの時間がないわけで、何の時間を削り、どう時間を捻出するか、日々考えながら、焦りを抑えて夕方にゆっくり各鶏舎をまわる。

自分のリズムは未だ掴めずにいるが、鶏の息遣いを感じ、午前中では気付けない新しい発見がいくつかあった。

このことは時間が経つにつれ農園にとってプラスになってくるはずだが、私が鶏舎に入る時間を増やしたことがFさんにとってはプレッシャーになっているようだ。

私が行う確認作業を「荒探し」に感じて心が締め付けられるようである。8月中旬からショートメールを送ってくる回数が増えてきたのは心が不安定な表れからだろう。

彼が残してしまう仕事があるのは以前から知っていた。そこは咎めずに付き合ってきたので、いまさら指摘するつもりはなかった。

ただ、そこに居心地の悪さを感じるということは痛い脛があるということだろう。彼のこういう正直さは実を言うと嫌いではない。

鶏舎の中で鶏と向き合うものとして、よく理解できるし、多分に私もそういった弱さを持っているからだろう。

何度も着信するショートメールに丁寧に返信をする。彼の心に聴診器をあてるように言葉を選びながら聞き取り作業をし、彼が感じる「嫌な仕事」に共に向き合っていく。

同じ鶏舎で仕事をする彼の「嫌」と感じることは、私にとっても悩みの種でもある。「嫌」に向き合うのはお互いに辛い。

上手な言葉を使って彼の気持ちを搾取しないように心を配りながらメールのやりとり。出来る限り彼の気持ちを汲み上げて自分の弱さにも向き合いたい。

きっと大きな収穫があると信じているから。

あだちまさし。

朝食を楽しみに寝る秋白し

朝食を楽しみに寝る秋白し  冨士眞奈美
(2018.08.18 毎日新聞 季語刻々)

「高温注意情報」着信なし。連日続いた最高気温35度以上となる注意喚起を促すメールが今日はなかった。

明日の夜から雨の予報である。今回は空振りなしと祈りたい。

高温で一気に下がった産卵率がお盆明けの数日間の涼しさで少し上昇し、先週末から低空飛行に戻った。

ものを言わない鶏の体調は息遣いや食欲、その結果である産卵などから観察するが、涼しさで上昇の兆しが見えたことで信じていたことに自信が持て、気持ちが幾分か楽になる。

あと一息の辛抱といったところか。そうであって欲しい。

朝食を食べたり食べなかったりしていたが、半年ほど前から決まった時間に同じ量を食べるようなった。

「楽しみ」とまではいかないが、朝の決まったことを淡々とこなし飯を口に運んでいる。

白飯、みそ汁、ヨーグルト、梅干し1個、らっきょう3つ、黒豆小さじ1、高野豆腐ふくめ煮。このメニューを毎朝繰り返す。

夕食後、小鍋に「いりこと昆布」をつけて就寝、朝から弱火にかけてだしをとりながら配膳して朝食を食う。

みそ汁の具は豆腐、油あげ、干ししいたけ。椀に刻み葱と干し海苔を入れ、これに出来上がった汁を注ぐ。

それほど楽しみという訳ではないが、椀から湯気と一緒に海苔の良い香りがたつと、自然と腹が「ぐぅ」となる。

頭では淡々とこなしているつもりだが、なぜか腹の虫が反応するのだ。最近、この習慣が朝の楽しみになりつつあると感じている。

秋の兆しが待ち遠しい。

あだちまさし。

釜焚き塩

久しぶりに雨が降った。雷鳴が遠くから聞こえ、真っ黒い雲に覆われ短い時間にザッときた。

恵みの雨ほどではないが砂埃が雨で洗われて山の緑と空の青さがクッキリして雨上がりの匂いに心地よさを感じた。

今年は梅雨明けが早く厳しい暑さが長く続いている。最高気温が体温を上回る日も少なくなく「酷暑」とか「災害」という単語で暑さを表現された。

鶏は暑さに弱いので食欲不振から体力を落とし産卵率が下がる。命をつなぐ最低限の栄養を採るのが精一杯で排卵活動である産卵を止めるからだ。

産卵量の落ち込みに備えて考えられる調整はしているが、例年、これが思うようにならずお客さまにご迷惑をおかけしている。

タマゴは鮮度が一番なので、高温が続く時期には過剰な在庫は持たずに出来るだけ早くお客さまへお届けしたい。

そんな私たちの思いと、暑さに耐えて産卵する鶏の間に溝が生じるのだが、7月中旬以降の猛烈な暑さは想定の範囲を大きく超えた。

いつも以上に遅配やお断りの電話をする回数も増え、途方に暮れていたが、ここ数日は産卵数が回復傾向にあり少し安堵している。

鶏の産卵には「日長」が大切。夏至の日長時間が産卵活動に最適とされているので、日没が早くなる分、起床を早くして活動時間を確保する。

したがって夜明け前の涼しい時間に餌をコツコツと食べて産卵に必要な体力を取り戻しつつあるからだろう。

目立った死鶏は出さずに酷暑の山は越えたので、ここから鶏の底力を信じて辛抱強く回復を待ちたい。

先日、作業を労って下さるお客さまから、熱中症予防に役立てて下さいと「塩」をいただいた。

長門市油谷湾の海水でつくった「釜焚き塩」で、袋には「春塩」とあり、3月〜5月の海水の塩で出来上がりまで1カ月を要すると書かれている。

「天日」とか「釜焚き」というフレーズが如何にも暑そうで、この時期の作業が過酷なことは容易に想像できる。

四季の塩がある事と、同じ県内で塩づくりにこだわる方の存在を知り、心が元気になる。

素材の味を引き立てるシンプルな料理で味わって欲しいと書き添えてあり、「塩むすび」や「ゆでたまご」にと勧めて下さった。

まだ口にしてないが、残りの暑さを乗り越えられるように祈り、神棚に「釜焚きの塩」を供えた。

あだちまさし。

台風12号迷走

異例のコースを進む台風12号。明日は屋久島付近で回転するという。

日本列島を東から西へ縦断するとの予報を受け、二日前から台風対策。鶏舎の雨戸を閉めたり、暴風養生などを施す。

台風通過をうけ、今朝は養生解除をしながらの採卵作業をスタート。

雨戸を開けた鶏舎には緑陰から風が吹き込み、運動場に放した鶏たちは夜の冷気が残る場所で地面に穴を掘りながら砂浴びをし体を冷やす。

二日前の夕方から気温が少し下がったので幾分か食欲が増したようだ。産卵の回復を祈るばかり。

気温が上昇する前にと、いつもより早めに仕事に取り掛かったが、農園をひと周りした頃、私を照りつける日差しはジリジリムシムシと容赦がない。

日差しに加えて湿度が高い一日で、やはり今日も汗にまみれた。

温暖化の影響なのか、これまでの常識を超えた異常気象が頻発している。

地球規模で起きる気候変動を抑えることは大変難しい。

体が資本なので、健康を維持し、明日に備えたいと思う。

あだちまさし。

猛暑がつづく

最高気温36.7度。晴れ。猛暑日。

連日、危険な暑さが続いている。さすがに鶏たちも限界を超えたという感じである。

先週19日(木)は37度を記録した。県内の最高気温を更新したとか、しないとか。配達先でも暑さの話題でもちきり。

木曜日の夜から金曜日の朝にかけて、熱中症と見られる死鶏が出た。

予報では暑さがしばらく続きそうだったので、毎朝、不安な気持ちで鶏舎に入るが、その後は落ち着いている。今朝は死鶏ゼロ。

ただ元気一杯かというと、そうではなく、暑さを必死で堪えているといったところだろう。

食欲が落ち、命をつなぐ最低限の餌しか体が受け付けていないようなので、当然、産卵率も落ちる。梅雨明けに下降したラインから、更に一段下がったようだ。

今夜は多少、風が吹いているので少しは持ち直してくれると思う。

鶏の体調も心配だが、農園で働く私たちの体力も日々、暑さに奪われていくのがわかる。

日々、最低限の仕事をこなすのが精一杯だが気持ちを切らさず乗り切りたい。

日頃、テレビは見ないが、この暑さで新聞もパラパラと虚ろにめくるだけという日が続いている。

そんな中、携帯でチェックする猛暑に関する天気ニュースが日ごとに増えるのが不気

今年が特別であって欲しいという願いを込めて、チェックしたニュースの見出しを備忘録とする。

あだちまさし。

07.15 18:12 日本気象協会
7月前半で猛暑日180地点越え。24年ぶり。

0716 07:11 日本気象協会
16日 海の日 命を奪う猛暑続く

0717 19:12 日本気象協会
あす40度近い暑さも 7月末にかけ高温

0718 17:11 日本気象協会
国内最高気温41度に迫る 危険な暑さ長期戦

0719 19:12 日本気象協会
猛暑の峠越えるも雷雨増加? 1カ月予報

0720 12:12 日本気象協会
週間天気 続く危険な暑さ 沖縄には台風

0721 07:08 朝日新聞デジタル
各地で猛暑、原因は重なる高気圧 8月上旬にかけ警戒を

※猛暑のメカニズム 二つの高気圧の強まりで暖かい空気が地上へ圧縮される。
上空15000m付近「チベット高気圧の張り出し。上空5000m付近「太平洋高気圧の強まり」

0721 15:00 時事通信社
続く猛暑、熱中症に懸念「今まさに注意を」 死者一千人越えの年も

0722 18:12 日本気象協会
猛暑のトンネル 出口はまだ

0723 07:11 日本気象協会
23日「大暑」東京都心で今年最高の暑さか

0723 11:11 日本気象協会
東海 40度越えの所も 熱中症最大級の警戒

0723 14:55 朝日新聞デジタル
埼玉・熊谷で史上最高41.1度 気象庁「災害と認識」

0723 18:25 朝日新聞デジタル
「悪名高い高温多湿」日本の猛暑、海外メディアも速報

0723 21:43 毎日新聞
猛暑:気象庁「災害と認識」熱中症死の疑い6日で90人超

0723 21:43 毎日新聞
猛暑:キャベツ、レタスなど葉物野菜が値上がり

0724 07:11 日本気象協会
24日 猛烈な暑さに加え、湿気タップリ

0724 11:33 毎日新聞
熱中症:搬送者2万2647人 16日〜22日 消防庁

0724 15:11 日本気象協会
この暑さ、災害級 熱中症搬送者が激増

0724 17:11 日本気象協会
福岡・久留米 猛暑日16日連続!

※7月としては1977年の統計開始以来、最長の猛暑日連続記録を更新中

0724 18:23 毎日新聞
猛暑:熱中症、救急搬送「屋内」最多死者最高の65人

0724 19:21 朝日新聞デジタル
猛暑、農業も被害 畑のレタス腐敗、キャベツ小さいまま

※斉藤健・農水相は24日の閣議後会見で「今後、高温、干ばつによる農作物への影響が懸念される」と話した。

いくつになりますか?

週明けに聴覚障害があるミユキさんが持ってきた「交換ノート」に休日の様子が3行ほど書かれてあった。

叔母の運転で家族4人とともに「しまむら」で洋服を買い、回転寿司を食べたようだ。最後の行に「7月19日はミユキの誕生日だからです」と理由が付け加えられている。

私は所々にアンダーラインを入れ返信しながら、最後に理由が書いてあるところが、自分がメモ書きする仕事指示に似ていることに後で気がついた。

彼女に指示を出すときに、はじめに理由を書くと仕事内容が正確に伝わらないことがあり、一日の仕事を箇条書きした最後に「暑さで鶏の食欲がないので」とか「明日は雨ですから」など理由を添えて渡している。

本来なら理由から教えた方が良いのかもしれないが、今のような習慣がついてしまったのは私の「伝えよう」という姿勢の弱さかもしれない。

その良し悪しは別にして、彼女が精一杯の内容で誕生日を迎えることの喜びを表現してくれたので、お祝いの言葉と「今年でいくつになりますか?」と尋ねてノートを返却する。

翌日、彼女からの返信に「今年で36いくつになります」と強い筆圧で書かれている。「何歳になりますか」と尋ねるべきだったが、前後の内容から彼女なりに尋ねられていること察して、このような答え方になったのだろう。

二人だけのノートなので伝えたいことを理解してもらえば良く、あえて間違いは指摘しないまま「よくわかりました」と返信したが、数日間、このやりとりが心の中で引っかかった。

もう少し踏み込んで間違いを訂正するべきだったか。それとも、仕事上は問題ないので、このままで良かったのか。

農園で共に働く時間が長くなるにつれ、彼女がひた向きに生きる姿を感じることが増えてきた。今回のノートからも、何気なく書いている文字を、彼女が感じとり、理解しようという姿勢がよく伝わってくる。

仕事に追われる毎日ではあるが、私の「伝えよう」という姿勢を見直し、もう一歩踏み込む勇気とやさしさを持つべきだったと反省した。

あだちまさし。

溶けるような暑さ

農園の東側にある岩郷山から太陽がのぼり、午前中の東側から斜めにあたる日差しが一番体に堪える。

今日は祝日なのでIさんが給餌をはじめる9時すぎは全身に灼熱の太陽が斜めからあたり少し体を動かすだけで汗が滝のように流れ出す。

終日ほぼ無風。溶けるような暑さ。

私は一番遠くの鶏舎で採卵をしていたので、大きく右手振って彼女に挨拶をし、ゼスチャーで「給餌は少なめ」と伝え、ウンウンと頭を縦に下げて「了解」したの合図。

暑さで鶏の食欲も落ち、餌箱に食べ残しが目立ち始めた。当然、産卵も下がり気味。適正量を食べて何とか暑さ乗り切らせたい。

早朝の涼しい時間帯にしっかり摂取できるよう、今朝から15分程度、照明の点灯時間早めた。

想像以上の暑さが一週間先まで続きそうなので、不安をかきたてられるような感覚が常に付き纏うが汗を流しながら辛抱するしかない。

祝日運行のバスは農園の作業時間と少々ズレを生じる。少し前倒しに仕事を済まさせ帰宅するIさんを助手席に乗せて農園を配達へ出る。

配達途中、船木のセブンに立ち寄り、好きなアイスを選ぶように促し彼女が選んだものは「プレミアム」と冠のつく300円のソフトクリーム。

小さく頭を下げ、そそくさと助手席にもどった彼女は美味しそうにアイスを舐めはじめる。

私はドリップコーヒーがカップに落ちるまで、その様子を店内から眺めた。

あだちまさし。

つめあと

最高気温33度。うだるような暑さの一日。

梅雨明けから一気に気温が上昇し、3日前から生産が下がる。先月まで朝夕が涼しく過ごしやすかったため急降下。

おそらく今が底だと思いたいが、生産の把握に神経を使う日々が続きそうだ。

今朝は近隣の農家のご婦人方が鶏糞を取りに来園された。夏野菜の追肥と冬野菜の元肥に使われるとのことである。

積込み作業を終えられたご婦人方と木陰で畑の作物の様子を聞かせて頂き、私は鶏の暑さ対策などの話しをさせて頂く。

お互いに猛暑でも日々の作業があり、次の季節への準備がある。農家さんの話は、いつも私の肥やしになる。

連日伝えられる「豪雨被害」を新聞から吸収する。小さな記事ではあるが農産物の被害状況はかなり深刻。

猛暑で生産量が下がる中、被害状況の正確な把握は困難を極めるだろう思う。

昨日、金曜日の定期便で光市まで走った。

快晴の188号線。右手には笠戸島が見える。普段は海岸線を走る片側2車線の道路は流れもよく気持ちが良いが、一週間前の豪雨の大きな爪痕を目の当りにする。

虹ヶ浜の手前「下松市恋ヶ浜」付近、左の山が土砂崩れで崩落。山陽本線と道路に流れた土砂は取り除かれていたが、本格的な復旧には時間がかかりそうだった。

島田川沿いを上流へ向う際、所々で川が越水した痕や小さな土砂崩れをいくつも見かけた。

束荷(つかり)のテニスクラブへは通行止めを迂回しながら配達。

小川に架かる小さな橋のガードレールには流れてきた枝や草が引っかかり、その様子から氾濫水位がよくわかった。

氾濫した川は護岸が崩れたところもあり、水田に水没した形跡がある。被害の大きい水田は畔が流されて干上がっているところもあった。

毎週、目にしていた光景に残る災害の爪痕から想像以上の豪雨の恐ろしさに胸が痛み、自分の生活も災害と隣り合わせにあることを強く感じた。

あだちまさし。

雨あがる

「平成30年7月豪雨」と命名された雨が上がった。

6月末から梅雨前線の停滞がはじまり、7月3日には台風7号が接近、昨日までの長雨で土砂災害の不安を強く感じた。

夕方「梅雨明け」が発表されたが、報道される豪雨被害の状況を見ると心は晴れない。

先週金曜日、7月6日は予定どおり県内東部へ車を走らせた。

農園を出発する前に聴覚障害があるIさんの通勤途中の安全確保をして、いつも通りの最低限の作業指示だけ。

運転中、ラジオは着けず、宇部市役所から入る防災メールとFさんが送信してくる農園の状況だけを頼りに大雨の中、足早に配達をこなす。

前日からの降水予報は殆ど当たっていた。夕方にかけて大雨を降らせる雨雲がかかる予報が気がかりだったが、活発な活動をする前線がわずか東に逸れたので大きな被害が出ずに済んだ。

正午ごろから14時まで、下松、周南市内で降り始めの大雨にあっていただけに、自分だけ安堵することに後ろめたさを感じた。

明日予定していた鶏の出荷も予定どおり。出荷先の福岡県久留米市の工場と週末に連絡がとれず心配したが、さきほど段取りを済ませた。

小倉東〜門司が通行止めだが、ほぼ定刻どおりに出荷出来そうだ。

豪雨被害の状況によっては、今後、どんな支障があるか不安だが、何とか日常が取り戻せそうな気がしてきた。

止まることがない農園の日常が、どれだけ多くの方に支えられているか実感した今回の豪雨。

梅雨明けとともに、しっかりと胸に刻んでおきたい。被害があった地域の方々が一日も早く日常が取り戻せることを心から祈りたいと思う。

あだちまさし。

外は雨、内は汗

梅雨末期の豪雨、2日目。昨日は終日カッパ。夜干しして本日も朝からカッパ。

Fさんが出勤して来るまでの一時間、外は雨、内は汗で水分をカッパが水分を含んでグッタリ。

ちょうど産卵ピーク時間と激しい雨を降らせる雨雲の通過時間が重なり9時ごろまでは大変な仕事になる。

昨日から雨の影響で給餌を止めたので鶏舎内の餌も底をつきはじめ、鶏が嘴で空の餌箱をつつく、コツコツという音が雨音に混じる。

台風7号の通過にともない、来週はじめまで雨が続きそうなので、自分の仕事は後回しにして給餌の手伝いを1時間ほど。

Fさんが車に餌を入れたバケツを15個積み込み、Iさんが鶏舎内の餌箱へ運ぶ。飼料タンクから鶏舎までの往復作業である。

私は二人の中間で作業が早く進むようバケツリレーの手伝い。久しぶりの給餌作業だ。

一人で進める作業の3倍のスピードで進むので、二日分の給餌を50分ほどで終えることができた。

自分が作業のペースを作るつもりでリレーの真ん中に入ったが、顔色一つ変えずに淡々と進める二人に対し、私ひとりだけ息があがる。

二人に作業を教えたのは私だが、日々の積み重ねでつけた体力と要領の差ができてしまった。

コツコツと積み重ねる時間の大切さを改めて感じ、そんな二人に感謝しながら息を切らした。

朝6時30分に防災メールが入りはじめ、大雨、洪水、竜巻、避難勧告など10件。先ほど全て解除になった。

外は雨、内は汗の一日。ありがたい気持ちで作業を無事終えることができました。

あだちまさし。

曲がったキュウリ

夏を感じさせる一日。最高気温30度。

汗をかきながら農園の作業を終えて、配達の途中「栽培屋さと」のサトちゃん宅へ立ち寄った。

収穫したキュウリが並べられた作業場で冷たい炭酸水をご馳走になりながら30分ほど実のある会話をさせてもらった。

自家消費用と前置きして「曲がったきゅうり」のお裾分けを頂き、野菜とタマゴの規格外の話題。

味や鮮度には問題ないものの、店頭で販売が難しい規格外はつきもので、何かと生産者の頭を悩まさせるものだ。

規格外を販売する先を確保するのも大事だが、これを減少させていく努力は絶えず必要だと感じている。

野菜の場合もそうだと思うが、その答えは生産現場にあり、私の場合、鶏に聞いてみるしかないが鶏には言葉はない。

変化する季節のなか、ひとつひとつ問題点を手探りで探す仕事は大変だが、結果が少し見えはじめると作業意欲も増すものだと思う。

生産者の目線だと、味や鮮度に問題がないことをキチンと説明して販売すれば良いと錯覚しがちだが、日々、台所に立つ主婦の目線に立つと不揃いな野菜やタマゴは少々厄介モノであるに違いない。

野菜や生き物の恵みを商売とする私たちにとっては、ありがたく恵みを頂くこととは少々の矛盾を感じる規格外の商品だが、

生産者としての、こだわりを大事にしつつ、お客さまの立場を考え規格を安定させる努力は大事だと再確認した。

帰り際、20本ほどある不揃いキュウリの中から、小さくて曲がっているが艶の良いキュウリをサトちゃんが指さしながら「これ美味しいっすよ」と教えてくれた。

コレは、コレで、生産者でしか味わえない醍醐味(ちょっとオーバー?)で、ちょっとした優越感もあったりする。

あだちまさし

季節はずれの梅の花

今年、農園の梅の木もたくさん立派な実をつけた。

昨年末から徹底的な冬の寒さと水不足。もう春が来ないのではないかと心配したが、花を咲かせたのち、立派な実をつけた梅の木を見上げると多少の蒸し暑さも有り難いような気がしてくる。

毎年、農園で働く男性が裏山で収穫した梅の実を持参してくれるのが風物詩。口数が少なく、あまり感情を表に出さない彼は私と同じ年。働きはじめて7年目になる。

雨の合間をぬって母親と山で収穫した今年の梅は豊作で両手に抱えきれないほどの大きな袋入った梅の実と、昨年、母親が手作りした梅干しを添えて出勤してきた。社交辞令のような言葉はなく「どうぞ」と言って差し出す姿も例年どおり。

口数少ない彼と私たちの間を取り持つように母親が持たせる梅の実だが、彼が嫌々持って来ているかというと、そうではない様子で、両手を差し出す表情からは、今年も少しの明るさが窺える。

彼には心に感じた事を上手に言葉で伝えることが出来ない難がある。その分、様々な苦労と遠回りして農園で働くようになった。おそらく、母親も前になり、後になりながら同じ苦労を重ねてきたことだろう。

私は大きな袋に入った梅の実を受け取りながら、彼と母親の遠回りの時間に思いを重ね、いつもの会話より時間をかけて収穫の様子などをポツリポツリと聞かせてもらい、心から感謝の気持ちを伝えた。

彼は照れくさそうに「いえいえ」と顔の前で右手を振り、小さな笑顔の花を咲かせてくれる。こんな時の彼の笑顔は、満開の桜のような花ではなく、寒さに耐えながら蕾を膨らませ花を咲かせる梅の花のような笑顔だと私は感じる。

彼と共に辛抱の花を咲かせ、立派な実をつける事ができるよう心に願った。

あだちまさし

菖蒲の花をひとくちで

朝5時前、朝食と新聞を並べてカーテンを開ける。

朝日が差し込み、照明をつけずに新聞が読める季節になった。

照明を必要とせずに新聞の活字が読める明るさというのが、鶏の活動時間のひとつの目安である。

鶏は視野が確保できる明るさになると活動をはじめ、この明るさがなくなると体を休め睡眠する。

夏至まであと一時間ほど活動時間が長くなり、この時間を基準に日長管理をして産卵活動を促すのが生産者の仕事。

早朝の涼しい時間に農園作業を手伝い、小野田市内の配達へ出かけ、いつも暖かく出迎えて下さるウエスギのおばあちゃんから和菓子を土産に頂いた。

菖蒲の花を形どった和菓子を丁寧に紙に包み手渡して下さった。

農園へ戻り、翌日の出荷準備を終えて、草刈り機を担ぐ前に、その「菖蒲の花」をパクッと口に入れてから草刈りを始める。

運動場で鶏が遊ぶ姿を横目で確認しながら、日没近くまでアクセルを握って園内を移動しながら草刈り。

日没間近の19時半ごろ、名残惜しそうに運動場で遊んでいた数羽を竹箒で鶏舎に入れて本日の作業を終えた。

珍しく口にした和菓子の甘さが夕食まで腹の虫をおさえてくれて感謝した。

あだちまさし。

残したくないもの

昨日、一頭のイノシシを駆除した。体長50センチのウリボウなので一匹というべきか。

数日前に逃がしてやったウリボウが土曜日の日中、農園内で闊歩した。

追い払ってもきりがなかったので午後から覚悟を決めて、ネットまで追い詰めて止めを刺そうと棒切れを振り下ろしたがケツにあたり仕損じた。

すぐ手の届くところだったのに、なぜか気後れのようなもので手元が言うことを聞かなかった。

日曜日も早朝からウリボウが闊歩。見た目は愛くるしいが、ここまま居座られては困るので前日同様、ネットまで追い込み棒切れを用意する。

取り逃がしては厄介なので、Fさんにカゴを持たせ、私が叩いたところを生け捕りにして猟師に引き渡そうと作戦を変更して獲物に近づく。

生け捕りにするので、前日より肩の力を抜いて棒切れを振り下ろしたのだが、幸か不幸かウリボウの眉間にゴッツと当たり一発で絶命してしまった。

厄介な存在ではあるが棒切れを握る私の手には後味の悪さだけが残る。

昨年、本来、農園を担当していた猟友会の方から、近所の猟師に担当を引き継いでもらう際、役所の害獣担当者にも一役買ってもらいスムーズにことが運んだ。

当初は、これで大丈夫と安堵したが、野生動物が境界線を越えて人里に下りてくる理由を詳しく調べていくうちに駆除以外にも見直さなければいけないことに多々行き当たった。

山林の荒廃は私ひとりの力では何とも出来ないかもしれないが、意識しながら自然と付き合うことで、私に出来る何かがあるはずとも感じる。

駆除される動物も本望ではないだろう。そして、駆除の後味の悪さは後の人へは残したくないものある。

あだちまさし。

おいとま頂く

今日は終日、梅雨空。日照時間ほぼゼロ。

梅雨入りしてから中休みが続いていたが、ようやく梅雨らしい天気。湿度はやや高めだが気温20度前後と比較的過ごしやすかった。

この時期、厄介なのが雑草と鶏舎の害虫。どちらも自然に絶えることはない。

鶏につく害虫は2月ころから予防駆除をして繁殖を防ぐ。湿度と気温が上がってくると孵化速度が上がり手に負えなくなるから。

ケージ飼いと違い、日中は鶏自身も砂あびや毛づくろい等するので爆発的に増えることはないが放っておくことはできない。

雨が上がると蒸し暑くストレスが多い時間が増えるので、朝から作業のポイントを伝えてから配達に出掛けた。

配達と翌日の段取りを終え、鶏舎周りの草刈りを始めると草むらに茶色い陰がある。

何かの拍子で鶏が外へ出たのだろうと近づくとウリボウだった。鶏の2倍くらいでサッカーボールより少し大きめのイノシシの子どもだ。

警戒心がなく近づいても逃げない。手の届くところまで距離を縮めると私に気付き、ゆっくりと逃げ出した。

足元がフラフラ、かなり弱っているようだったので、ひと思いに撲殺しようか迷ったが、ウリボウが逃げるのに任せて、しばらく後をつけることに。

そのうち防獣ネットに足が絡まり倒れ込んだので、ネットをハサミで切って「おいとま」してもらった。

衰弱いたので長くはないだろうが、仮に大きく成長したとしても今日の恩は忘れないで欲しい・・・が無理な話だろう。

あだちまさし。

伐採される竹を見ながら

農園のご近所に竹を伐採する業者が入り出して一ヶ月がたった。

仲良くお付き合いさせて頂いている60代の農家さんが先代から相続された2?の裏山に重機が入り、伐採した竹を大きなトラックが搬出している。

一ヶ月作業をして、やっと半分程度の伐採が終わったそうだ。

一年前に「竹を資源に変える」という業者の説明会があり、伐採を希望された。時間をかけて測量や業者との打ち合わせ済ませて、ようやく作業開始。

伐採と聞くとチェーンソーでブンブン倒していくかと思いきや、そう簡単にはいかないものである。

もともと、先代が杉を植林して財産とする予定が、時代の移り変わりと共に木材の値段が変わり、農家の働き手の価値観も変わった。

手付かずになった人工林が竹に占領され、10年前からはイノシシも出没するように。必死で守ってこられた水田の被害も深刻化してきている。

農業が好きで後継者として吉部に残られたわけで、山が荒れてゆく景色に一番心を痛めておられるのはご本人だろう。

子育て、親の介護をしながらの稲作だけでは生計が立てられず、兼業農家という選択をするしか方法がなかったはずだ。

幸い、先代が後継者の間伐を助けるために山道をつくっていたのと、土地に関する書類を整備されていたことで、他の伐採希望者より作業の取り掛かりがスムーズに進んだとお聞きした。

伐採されて運び出される竹を見ながら、自然と暮らすことを自分の事として深く考える。

2日前の投書欄に下関市在住の60代女性の記事があり、目の前の風景と重なった。

あだちまさし。

「好きな里山なのに」

先日、熊が鹿のわなに入ったと聞き驚いた。その4、5日前、隣家のクリの木のそばを熊が歩いていたと聞いていた。

夫はタヌキだろうと言うので安心していたら、現実に熊がいたのでびっくり。熊はこの数年、近隣の町で出没したことがあったが、我が家の近くに出てくるとは思いもしなかった。

翌朝、隣の奥さんと見に行った。初めて見る野生の熊は興奮し、鋭い手のツメで土を掘り、わなの柵にかみついて逃げ出そうと必死の様子だ。鹿のわなだけに暴れた勢いで逃げられそうに感じた。怖いので少し離れた所から見ていた。

わなの持ち主が県に早く来てくれるよう連絡し、県の要請で猟友会の人が殺処分し、調査のため持ち帰った。ツキノワグマの雄だった。

我が家の周辺は、山の獣が何でもいる野生の王国になったような気がする。生きるだめに食べ物を探し回って出没した熊の最後に考えさせられた。

私が小学生の時代から杉、ヒノキの植林が盛んになった。両親が県林の植樹作業に度々、出掛けていたことを覚えている。

雑木林が少なくなって今、杉、ヒノキ林は大きく育っても手入れする人がいなくなり、山は荒れている。全て人がしてきたことだ。

新緑に染まったきれいな山を見つめていたら、ため息が出る。里山で育ち、里山に嫁いだ。私が大好きな里山なのになぜか悲しい。

今年の新緑の山は、私の心に反して特別な色合いをしている。

下関市・農業S・67歳

(2018.6.3 毎日新聞 女の気持ち)

野菜工房のレノファ弁当

昨日のJ2試合結果。山口2−2千葉。引き分け。レノファ山口、第17節を終わって順位を一つ下げ3位。

今シーズン開幕からお取引先の「野菜工房さま」がレノファ選手の弁当を受注されている。毎回ではないようだが、金曜日の朝、配達に伺った際に「今日もレノファ」という言葉をよく耳にするようになった。

八百屋と玉子屋が朝から交わす会話に「レノファ」という単語が入り、サッカーで地域が活性化していることを体感している。

一昨日、開店前の店舗で店長さんが一人で「レノファ弁当」を盛り付け中だった。キッチンに所狭しと並んだ弁当箱は完成間近。我が農園のタマゴも「ゆでタマゴ」にて左隅に鎮座している。

先ほどまで、早朝アルバイトで大学生の娘さんが手伝いに来ていたと聞き、親子の連携プレーで奮闘される姿が目に浮かぶ。

チームから質、量とも細かい指定がある弁当なので、家庭でも試作や作戦会議があったのではないだろうか。

野菜工房の弁当は、この春から予約販売に切り替えられた。ロスがない分、予算額いっぱいで「こだわり食材」を使った弁当づくりをされている。

レノファの予算額は存知あげないが、味とボリュームは間違いないはず。それに加えて「レノファ、レノファ」と笑顔でキッチンに立たれる店長さんの愛情もたっぷり詰まっている。

こんなカタチでJリーグと接点が出来るとは考えていなかったが、以前より選手やチームを身近に感じるようになった。

活性化していく地域の一員であることが嬉しい。

あだちまさし。

ちいさな自信

今朝、予定通りヒナが届き、飲水器の取替え作業を済ませた鶏舎に新しい群を入れた。

鶏舎への止水栓の取替え、10メートルの配管をL字状に壁沿って固定及び、排水口の取替え。

床への水漏れ防止に雨どいを配水管の下へ取り付けて、配管の上には鶏が上がらないような細工をする。

はじめて自分たちの手で、業者に依頼ぜず取り替えたのが3月末。今回が2回目の作業になる。

残り10鶏舎は取り替えなくてはいけないので、順番に進めていくと来年までかかるだろう。

目的は経費の削減と水漏れ事故防止。

自分の手で市販される材料を加工し取り替えることでのコストカット。事故防止については、今まで水漏れ事故で床が水浸しになった経験を踏まえた上で細工を施した。

まだまだ改善の余地はありそうだが、前回より作業時間は格段に早くなり、先が見えない作業の見通しが少しつかめた。

今回もFさんと一緒に進める作業。7割を二人で、残りの詰めは私が担当した。

経費削減、事故防止に加え、私の願いは一緒に作業をするFさんに「達成感」を味わってもらい、仕事に対する自信をつけて欲しかった。

焦る気持ちを抑えながら、私は助手に徹し、今、考えられること、出来ることは全て彼に任せながら作業を進める。

昨日は日没まで完成した配管を確認した。ひとりで終えた仕事以上に神経を使い確認作業をし、一晩、水圧がかかった状態で水漏れがないか早朝から再度確認。

そのことを悟られないよう、出勤してきた彼に確認作業をお願いする。

かなり入念に時間をかけて確認作業をした彼が「いまのところ完璧です」と気持ち良く報告してくれた。

彼の表情が明るかったので、私の心も晴れた。

達成感を感じてくれたか分からないが、多少の自信はつけてくれたと思う。

この作業を通じて生まれた芽を枯らさないよう自発的協力関係を育てていきたい。

遠回りで歩みが遅いかもしれないが、きっとお互いの力になると信じて。

あだちまさし。

梅雨入り

今朝、ひとりで採卵中にタマゴを落とした。

ひとトレー30個が勢いよく割れた。はじめてのことではないが、よくあることでもない。

汗がにじむほど体を動かしていたので気を抜いていたわけではなかったので、トレーを落とした自分が一番驚いた。

先週の中ごろ、遠くで暮らす知人が施設に入所したと知った。知人とはご高齢になられた恩師のことだ。

私に出来ることはなさそうだが、何とか面会に行く時間がとれないか、そんなことを数日考え続けていた。

お会いしたら何を話そうか。どんな話を喜ばれるか。何か食べたい物はあるだろうか。

あれこれと想いをめぐらせてはみたが、目の前の仕事と予定を見比べると時間をつくる余裕などなく数日かけて諦めた。

今まで離れていた時間を巻き戻すことはできないし、恩師が年老いて時間を止めることもできない。

わずかな時間をつくることができない自分の不甲斐無さに気持ちの折り合いをつけるのにも時間がかかった。

足元に落ちて割れたタマゴを見ながら、そんな思いも重なって心が締め付けられた。

夕方、防災から「梅雨入り」のメールが入る。

今日は雨の予報だったが、にわか雨。仕事に差し支えなかったことだけが有り難かった。

あだちまさし。

明日はシトシト

明日は終日シトシト雨になりそう。

近隣の水田では田植え準備のトラクターが忙しく働いていた。今週末が田植えのピークになりそうだ。

農園でも明日に備えてIさんに給餌の指示をメモして渡す。

「明日の雨は9時からお昼までがピークになりそうです。鶏舎の餌を切らさないようお願いします」

あとは「自分で考えて」というような彼女任せの簡単な指示をして、終日、自分の作業をすすめた。

昨日、彼女はバナナを2房抱えて出勤。一房が10本ほどある重そうなバナナを大事そうに持ってきた。

毎年楽しみにしている地域の祭りがあったようで「バナナの叩き売り」で買ったそうだ。ひと房500円だったと教えてくれた。

同じ聴覚障害がある兄も楽しみにしている様子で、彼は神輿を担いで祭りを盛り上げるのが恒例行事。

バナナの叩き売りがどんなものか私は見たことがないが、これを家族4人で楽しんでいるに違いない。

そんな光景を想像しただけで、何か私まで面白く、愉快な気持ちになる。

今朝、ありがたくバナナを食べようとしたところ、下側が黒くなり傷みかけているのに気がついた。

祭りから自宅へ持ち帰り、それを翌日、バスに乗ってわざわざ持参してくれたので無理もない。おまけに昨日も一昨日も良い天気だった。

夕食後、ミキサーでバナナジュースにして家族て無駄なく美味しくいただいた。

彼女がみんなを想って買ってきたバナナは格別な味でありがたかった。

あだちまさし。

たまご焼き弁当

12時45分。下松市「花岡八幡宮」で昼食。

金曜日は山口市から光市までのお得意さまへタマゴをお届けして、ここで一旦エンジンをとめる。だいたい今日も定刻どおり。

石段坂の参道の先には鎮守の森に囲まれたお宮が見えるが、私は正面の鳥居を右に曲がり車参道から参拝口近くの駐車場まで上がる。

疲労と空腹で頭が真っ白だが、歴史的にも由諸ある本殿で二つ拍手して拝礼を済ませて、左後方にある「願かけの御神馬」の顔を撫で、お手洗いを借用し一息つくのが最近の日課。

駐車場の側には、室町中期に建立された立派な多宝塔があり、その横には吉田松陰先生の坐像と辞世の句が二句添えられているが、このあたりは省いて弁当のフタを開ける。

弁当箱は手のひらサイズの黄色い2段式。子どもたち3人が保育園で使っていたものでフタのキャラクターは使い込んで擦れてしまった。

箸を握りながら一瞬だけ感慨のようなものが頭の中を過ぎるが、何しろ空腹なので一心不乱に飯を口に運ぶ。

朝が早い日は前日の夜におかず等を用意してもらい、出掛ける前に弁当箱へ自分で詰める。

上の段には白飯をサクッと入れ、真ん中に梅干をギュッと押し込む。下の段はおかず。今日はニンジンサラダ、ほうれん草のごま和え、ひじき煮、あと定番の「たまご焼き」。

それぞれを口に運びながら、真っ白だった頭の中が次第に活力を取り戻してくるのがわかる。これが金曜日のリフレッシュタイム。

今の仕事をはじめて、慌しく毎日を送っているようだが、自分自身が生産者となって初めて得る知識というのがたくさんある。

農園の営みを通じて様々な農家さんとご縁もいただき、お米や野菜などを生産する苦労にも知らず知らずのうちに触れてきた。

日頃、自分が口にしているものを生産者が作るには、どれほどの手間や知識、そしてお金が必要か。

そのことを理解して食物と向きあえるということは、今までの人生とくらべてグンと豊かなものかもしれない。きっとそうだ。

白飯とたまご焼きを頬張りながら「悪くない」とボンヤリ考えたりする。

あだちまさし。

ホオズキを食べた

「食用ホオズキ」の最後の一粒を名残惜しくほおばった。

沖縄県読谷村在住の同級生「ジュンコちゃん」がおみやげに持参してくれた珍しい代物である。

沖縄では道の駅で手ごろな価格で購入できるらしく生まれて初めて「ホオズキ」を口にした。

観賞用と違い殻がカサカサして、中にあるオレンジ色の果実を食用とする。大きさは丁度プチトマトほど、味も食感もトマトに似て酸味があり甘酸っぱい。

トマトとの大きな違いは「香り」。口に入れた時に優しい香りに包まれるのだ。味も香りも美味で癖になる。

ジュンコちゃんは6歳と3歳の二児の母親。ご主人は陶芸家のタマゴ。

大学時代、ワーキングホリデーで多くの国を渡り歩いて、日本の素晴らしさを再認識したという。そんな彼女が行き着いた先が沖縄の読谷村。

中学時代は親しくなかったが、スマホが普及する10年ほど前にSMSが同級生の間で流行り、それを通じて再開した。

年に数回帰省した際には、タマゴを買いに我が家を訪れて「ゆいまーるな風」と珍しいおみやげを持参してくれる。

食に深い関心があるようで、読谷村のおばぁの豆知識などをおみやげに添えてくれるのが嬉しい。

今回は急な連絡で会うことは出来なかったが、ホオズキのお礼に阿知須特産「くりまさるのピクルス」をあげた。

ジュンコちゃんが運んでくれる風に触れる度、いつか夫婦で読谷村へ孝行旅行に行きたいと夢が膨らむ。

あだちまさし。

豊かな森の恵みを守るには

ここ1週間くらいイノシシが鶏舎の周りを荒らしていない。

この間の鶏舎周辺の変化を思い返してみると、多少思いあたることもあるが、勝手な先入観で理解すると後で落胆するので今後も気長に観察したい。

昨年、イノシシが頻繁に出没するようになって、地元の方を中心に駆除や防獣の相談にあちこち足を運んだ。

駆除に関しては、従来お願いしていた猟師さんから、更に近所の猟師さんにバトンタッチしてもらい、今年に入って1頭捕獲できた。

捕獲できた頭数が多いか少ないかは別にして、今回から役所の駆除係にも相談できるようになったので一歩前進といったところだと感じる。

駆除や防獣の相談をしていくなか、小野の炭焼きさんから「森林の保全」について興味深い話を聞き大変勉強になった。

どれも短期間で結果が出るものではないが、先を見据えて取り組むべき大事なことだろう。

一週間前、この事に関する記事が掲載してあったので、指の運動も兼ねて備忘録とする。

あだちまさし。

2018.05.04 毎日新聞 社説 「みどりの日に考える 豊かな森の恵みを守るには」

群馬県みなかみ町の利根川源流域に「赤谷の森」呼ばれる面積約1万?の国有林がある。
林野庁と日本自然保護協会、地域の住民団体の3者が協働し、生物多様性の回復と持続可能な地域づくりに挑戦中だ。

その一環として、3000?ある人工林のうち、林道から遠いなど木材生産に適さない2000?を自然林に戻す取り組みが進む。

2015年と17年には、森に生息する絶滅危惧種のイヌワシの餌場にするため、スギの人工林計約3?を皆伐した。
伐採地は再植林せず、自然林に戻るのを待つことにした。

伐採地には狙い通り、ノウサギなどイヌワシの獲物が顔を出すようになった。
ミズナラなど地域本来の広葉樹の稚樹も生え始めている。

林業に向かない他の人工林も、間伐して広葉樹が入り込みやすい環境をつくるなどして、徐々に自然林に近づけていく計画だ。

(人工林を自然林に戻す)

木材の生産を前提に植林された人工林は、成長の過程で間伐などの適切な維持管理が欠かせない。

一方、地域本来の自然林が再生すれば生態系の回復につながり、間伐などをせずとも治山や水源涵養などの公益的機能も保てる。
今後の森林整備の一つのあり方だろう。

日本は国土面積の約3分の2(2500万?)を森林が占める。

ところが、1950年代半ばからの拡大造林政策で造られた私有人工林を中心に荒廃が懸念されている。

拡大造林では建材用などとしてスギやヒノキなどの針葉樹を植えた。
たが、木材の輸入自由化などの影響で国産材の価格や需要は低迷し、伐採期を迎えても手入れが行き届かないままの人工林が多い。
これでは公益的機能の発揮もおぼつかない。

そんな現状を踏まえ、政府が今国会で成立を目指しているのが、森林経営管理法案だ。

同法案は、森林の所有者に森林を育て、伐採し、造林する経営管理の責務があることを明記した。
所有者が適切に管理できていない森林は、一定の手続きを経て、所在地の市町村に経営管理を設定する。

林野庁によれば、経営管理権の設定が必要な私有人工林は400万?を超えるとみられているという。

このうち林業経営が成り立つとみられる私有林については、市町村が「意欲と能力のある林業経営者」に経営管理を委託する。
それ以外の私有林は市町村の管理下におき、将来的には自然林に戻していく。

市町村が管理する私有林の費用については、24年度から一人当たり1000円を住民税に上乗せして徴収する予定の森林環境税をあてる。

森林の公益的機能を考慮すれば、林業経営に適さない私有林の管理を市町村に委ねるという方向性は理解できる。
だが、課題は多い。

森林問題に熱心な市町村は多くない。
総務省の調査では、林業専従職員が不在か1人の市町村が全体の3分の2を占める。
実際の管理作業は森林組合などに委託することになるだろうが、林業従事者数は全国で5万人を割り、減少傾向が続く。

森林環境税の税収は年間620億円に上る。森林管理以外の使途について、国民的な議論が欠かせない。
多くの府県が森林整備などのための地方税を独自に課しており、役割分担を明確にする必要もある。

(川と海も一体で再生を)

こうした点を踏まえれば、森から発した川が海へと続くように、流域の自治体が連携して新税を有効活用し、森林再生に取り組むべきだ。

相互交流により、森林の重要性の理解が深まるし、山間部の自治体の人員不足を補う効果も期待できる。

宮城県気仙沼市でカキの養殖業を営む畠山重篤さんらは、気仙沼湾に注ぐ川の上流部でミズナラやブナなどの植樹を続けている。
鉄分を含む森林土壌の養分が川から海に運ばれ、植物プランクトンを増やし豊かな漁場を育むと考えられている。

「森は海の恋人」が合言葉の取り組みは今年で30周年。
東日本大震災で気仙沼の養殖業は大きな被害を受けたが、森の力のおかげもあり、よみがえることができたという。

さまざまな公益的機能を持つ日本の森林は、国民の共有財産だ。
豊かな森の恵みを守るには、その多面的な価値を再認識し、木材としての利用にばかりに偏らずに保全、活用を図っていかなければならない。

今日はみどりの日。
50年、100年先を見すえた森林政策が、今こそ求められている。

日本農業新聞

一昨日、美祢のM老人来園。月に数回タマゴをまとめて購入されるお客さま。

ご近所に、ゲートボールの友達にとタマゴを配って下さる有り難いお客さまで、来園される際には自家製の野菜と鶏舎の清掃に使う古新聞を持参される。

その古新聞が一般紙と「日本農業新聞」。農業新聞は我が家でも以前、定期購読していたが随分前に辞めた。

毎日届く時は、それほど熱心に目を通さなかったが、M老人が持参される古新聞は、いつもパラパラと目を通す。

一昨日も気になる見出し記事があり、農園でパラパラしたかったが、時間がなく自宅まで持ち帰ることにした。

せっかく持ち帰るので4月26日から5月4日をまとめて。

耳から仕入れて頭にストックしていた情報が、実際に読み込んで理解を深めることができた。

記事は切り抜きせず、気になる単語や文を手帳に書き出し、あとは必要な時にネットで検索したり、知人に尋ねたりしてみようと思う。

記事以外に、読者の投稿欄、書籍の紹介も意外に新鮮だった。

いつも購読している一般紙も日曜日には書籍の紹介があり、本屋に立ち寄る時間がないので楽しみにしているが、

農業新聞の週末に紹介される書籍は興味深いものが多かった。

3日かけて古新聞に隅々まで目を通したのち、倉庫の古新聞の定位置に保管。

定期購読している時は、これほど新聞に手垢をつけることはなかったと思うが、昨日から降り続く雨のおかげで手帳に貴重なメモがたくさん出来た。

満足した雨仕事。

あだちまさし。

若葉が茂る季節の雨

連休明け。野にも山にも若葉が茂る季節の雨。昨日から思いのほかよく降った。

連休中、通常の仕事に加えて鶏の出荷作業をした。3日の祝日に九州から業者を手配し出荷。

粘り強く交渉して処理の空きが出来たのが3日しかなく、ある程度の予想はしていたが体に少し疲れが残る。

朝から肩、腰、膝が重く痛い。

週3日の選別パートさん。月曜から水曜日まで3時間ほど選別の手伝いをしてもらう。

年齢も60半ばに差し掛かり、稲作と農園での作業の掛け持ちがお体には堪える時期に差し掛かっていると常々感じている。

例年5月の連休あたりから苗箱の準備をはじめられるので、月曜日の仕事効率が多少下がり気味だが口には出さない。

一緒に仕事をはじめて長くなるので、自分で目標を立てて選別作業をされている姿は私が一番よく知っている。

私は朝6時から採卵し作業場へタマゴを運ぶ、9時に選別パートさんが出勤し、10時ころから作業場に加わり選別とパック詰め。

農繁期を迎える時期の月曜日は朝の挨拶を済ませて、作業の手を動かしながら少し長めの「言葉のキャッチボール」をしながら作業のペースを上げていく。

効率が悪いようであるが、目の前に山積みしたタマゴを選別しながら手を動かし、言葉を投げ、相手の返す言葉に耳を傾ける。

休日の様子などを聞きながら、徐々に作業のペースを上げてもらい水曜日まで根気良くタマゴと向き合ってもらう。

昨日はご主人の運転でSLを追いかけながら島根までドライブをされたようだ。

パートさんの話を聞き、蒸気機関車が音をたて、煙を上げて走る光景を一緒に想像しながら作業の手を動かした。

私の疲れた体も癒されるようだった。

あだちまさし

ソフトクリーム日和

4月最終日。日中の気温上昇。晴れ。

好天続きの4月。日照時間も多かったようで、昨年の秋口から高騰が続いていた野菜の値段も落ち着きを取り戻し、

手軽に買えるようになった野菜たちで我が家の食卓と胃袋も潤った。

一方で気温は不安定に感じたのは私だけだろうか。朝晩の冷え込みがやけに厳しく、先週木曜日の朝は仕事中に息が白くなった。

そのせいか、鶏の食欲が例年以上に旺盛。4月中旬あたりの冷え込みで「秋」を感じ、寒い季節へ備えての食い込みだったのか?

先週末あたりから食欲も落ち着きを取り戻し胸を撫で下ろす。いくら野菜が安くなったとはいえ、あのペースで鶏が餌を食べると私たちが食えなくなるのである。

今日は祝日でバスの運行が変則的。Iさんの仕事終わりにバスが来ないので自宅まで送って行った。

いつものように助手席に彼女を座らせ、仕出し「柳屋」から配達をスタートし、こもれびの郷でソフトクリームをご馳走する。

これも、いつものパターン。助手席でコーンのお尻をシャリシャリと口の中に入れたところで彼女の自宅へ到着となる。

女性なので覗き込むわけにはいかないが、うまそうにソフトクリームを舐める彼女の姿を時々横目に見ながら運転。

いつものようにコーンを左手でクルクルと回しながらクリームの山をキレイに小さくしていく。夢中で口に運ぶ姿が微笑ましい。

自宅でお母さんに挨拶しようと車を降りたが仕事で留守。

彼女のお母さんも休日の仕事人である。今日も一日お疲れ様です。

あだちまさし。

心地よい余韻に浸った

慌しさと心地よさが入り混じる一週間をすごした。

連休前の慌しさ。月末と重なり資材や飼料などの発注作業。いつものことだが連休に入る業者に合わせて鶏の顔色を窺う気忙しさが続いた。

日長が延びていく時期はヒナの初産から産卵ピークに達する期間が短いため、作業が押し気味で突入した週明けから生産をつかまえるのに苦心する。

今月産卵をはじめる群が産卵ピークに達する前、生産と受注のバランスで少し時間が取れそうだったので家内と島原へ帰省する予定を立てていた。

本来なら4月15日あたりが生産的には都合が良かったが、子どもたちの都合が合わず見送った。

義父の命日も近いので何とか墓参りだけでもと思いたち、諦めかけていたが心と体に気合を入れて先週末、家内と長男の3人で出かけてきた。

土曜日の午後と日曜日の早朝出勤、休日出勤などをパートさんにお願いして、ほとんど日帰りではあるが車で往復。

年に一度あるかないかの帰省、それも瞬間移動のような弾丸日程である。

家内や実家のご家族には大変心苦しいが、日没前に何とか島原入りして墓参り。家内のご先祖さまに日頃のご無礼を心から詫びた。

島原には会いたい人、尋ねたい所がたくさんあるが家内を辛抱させているので私の都合を優先させることもできず、いつも辛抱修行のような往復になる。

有明海を渡り島原半島に入ると、窓から潮風入り磯の香りが車に充満して。この香りが心の奥の方をチクチクと刺激する。

なつかしい場所をいくつも通り過ぎながら家内の実家へ急ぐなか、有明町の国道沿いで大変お世話になった上司のお母さま「ヨツエさん」をお見かけした。

公私ともに大変お世話になったが15年以上もお会いしていないので、ちょっと車を止めて世間話というわけにはいかず後ろ髪を引かれる思いで通過。

夕暮れ時、足取りはゆっくりだったが、しっかりされていたようにお見受けした。おそらくお元気だろうと感じ安堵する。

往復、睡眠時間を除く、島原での滞在は5時間。とても短い時間だが、大変ありがたい充実したリフレッシュタイムをいただいた。

心地よい余韻に浸りながら慌しい一週間を乗り越えることができたことに感謝。

あだちまさし。

根気よく

新緑が美しく農園を彩る季節になった。小さな緑の点だった葉が少しずつ広がってきて緑の天井が出来上がる。

毎日の作業場で私の立ち位置から見えるのはウメ、カキ、サクラ、クリ、カエデ、ケヤキ、イチョウ、そしてホオ。

それぞれの木が次第に緑で覆われるようになり、木陰が出来始めるころにホオの高木に大きく美しい白い花が「パカッ」と開く。

朴の花が言葉に出来ないくらいの良い香りを放ちながら、新緑の風景が完成し、これを合図に雑草の生育も盛んになる。

そして「草刈り」が作業に加わる。

仕事の合間をみつけ草刈り機を担ぎ、園内を西へ東へと汗をかきながら草を刈っていき、刈り終わって振り向くと、また草が伸びるという時期が秋口まで続く。

農園での作業はシンプルな単純作業が多い。自分自身の能力を客観的に評価するのは難しいが、5年、10年と共に働く従業員が身につけてきた能力は少しずつ増えた。

それは歯を食いしばり根性と瞬発力で身に着けた能力ではなく、同じ作業の繰り返しの中、コツコツと根気よく続けることで身につけた熟練の能力だと思う。

こう書くと全てが完璧に出来ているようだが、私も含め、まだまだ行き届いてないところはたくさんある。

根気よく身につけた熟練した能力は決して折れることはないと信じて、まだまだ磨きをかけていきたい。

あだちまさし。

心暖まる筍のお裾分け

筍が有名な吉部。今年は豊作という話をよく耳にする。農園近くの筍加工場も今が最盛期。

普段は出入りのない加工場だが、この時期になると季節労働される方の車がたくさん並び、

工場の外に設置してある大きなダストボックスには次から次にベルトコンベアで運ばれる筍の皮がドッサリ山積みになる。

以前は小分けした真空パックで販売されていたが安価な中国産に押され、現在は一斗缶での業務用出荷が主になっているようだ。

昭和40年代の前半に筍加工場ができた当時は子どもが小遣い稼ぎに筍掘りをしたり、筍を収穫するため竹を植林する家もあったと教えてもらう。

こんな吉部の昔話をして下さるのはパートのF井さん。生まれも育ちも吉部で60年以上地域の移り変わりを肌で感じてこられた。

このF井さんが毎年「筍」のお裾分けを下さる。手間のかかる下茹でを済ませた状態で頂くので、すぐに「旬」を味わうことができる。

ご自宅の裏に竹林があるので自分で収穫されたものかと思いきや、お裾分け下さる筍は徳島県産である。

娘さんのご主人が徳島県出身。毎年、ご両親が掘りたての筍を吉部のF井さんへ宅配して下さる。ちょっと不思議な話。

両家顔合わせの会食で筍の話題になり、「私どもの口に入る前にイノシシが食べてしまいます」とF井さんが嘆いたところ、

イノシシ被害をひどく同情された主人のご両親が筍が一番美味しい時期に届けて下さるようになったそうだ。

今の時期、吉部で筍は珍しくないのだが、F井さんは徳島からの心遣いが嬉しく、荷物が届くと早速手間がかかる下茹でまで済ませて、ご近所に配られる。

毎年、こんな心温まる「筍」のお裾分けを頂き「旬」に触れる。

我が家でも、昨日はイイダコと一緒に炊いてもらい、今夜は筍ごはん。家族全員、笑顔でいただきました。

あだちまさし

耐性と泰然

休日明けのIさんとの交換ノートを開く。

いつものように家族とショッピングを楽しみ、夕食は「すきやき」と書かれている。アンダーラインを引き「いつもご馳走ですね」と返信した。

ノートには3日先までの天気予報とプロ野球の結果。昨日まで彼女が愛する巨人と我らが「広島カープ」が3連戦。2勝1敗で広島勝ち越し。

土曜日はテレビ中継があったので私も久しぶりに途中から試合観戦した。見ごたえのある好ゲームで手に汗握りながら。

ネットや新聞では「巨人連敗」が大きく取り上げれられるが「広島カープ」の強さをもっと賞賛してもらいたいと感じるのは私だけではないと思う。

しかしながら、今年のセリーグは混戦模様でノートのコメントにも力が入る。

プロ野球の結果とともにスポーツ面を賑わしているのが「二刀流」で大リーグ挑戦中の大谷選手。様々な角度から取り上げれる姿は脱帽することばかりである。

ネットやIさんのノートでスポーツニュースをチェックするのが忙しい日々。そんな中、私が一番興味があるのは「イチロー選手」の動向や言動。

昨年末から去就が取り沙汰され、3月にマリナーズ入団が発表されてからのコメントには興味深いものが多い。

経験を積み重ねてきたイチロー選手ならではコメントは深く心に響く言葉の力がある。とりわけ入団会見でのコメントは心に響いた。

あだちまさし。

以下、イチロー選手のコメントに関する記事抜粋。

「いろんなことを経験しました、この5年半。また(耐性)が強くなった、(耐性)とはいろんなことに耐える能力、これが明らかに強くなったと言うことです」

控え外野手の立場がそうさせたのだと言う。また、124日間にも及んだ「無職の日々」には、この言葉を使った。

「いろんなことを考えました。周りも心配してくれることはたくさん聞いたんですけど、僕自身としては(泰然)とした状態であったと思います。

(泰然)と言う状態はプレーヤーとしても、人間としても、常にそうでありたいと思う目指すべき状態であったので、そう言う自分に出会えたことはとても嬉しかったです」

身につけた「耐性」が「泰然」を生む。世界最多の4358安打を放つ孤高の天才は(経験が人を育てる)と言っているのだと感じた。

文殊の知恵のおかげ

県道230号線伊佐吉部山口線。

アクトビレッジおのを通過し小野湖へ注ぐ厚東川を右手に見ながら吉部に抜ける県道。ここが私の通勤路。

吉部稲荷手前の夫婦岩付近まで大型車が通行困難な狭い県道だが6時前には決まった車しか通行しない吉部への抜け道になっている。

今の時期は自生する藤が点在し紫色の花が目を楽しませてくれる。運転中、イノシシ、タヌキ、キジなど野生動物が出没するが、最近はなぜか野ウサギをよく見かける。

私が通勤中にすれ違うのは新聞配達。吉部側からは毎日新聞。小野側からは読売新聞。週末は釣り人の土地勘のない不慣れな車、あと小野の老人Nさん。

この老人、顎髭を蓄えた中々強面な風貌でノラリクラリと軽トラで早朝から付近を巡回する。

以前は農園にも度々遊びにきたが、地域の住人からは滅法評判が悪い。罠にかかった獲物を横取りするとか、畑の作物を持っていくなど噂話をアチコチで耳にする。

私はそれほど嫌悪感は持っていないが、農園へ顔を出すと作業場にドッカリと座り長話をはじめるので深い付き合いはしていない。

積雪が多い日も軽トラでの巡回は欠かさないので、狭い県道で離合する際に愛想笑いで朝の挨拶をするのが私の日課になっている。

今朝5時半ごろ、前方よりボートを牽引した四輪駆動が二台連なって走ってくるので左側に寄せて道を譲ったが、相手の車幅が広く、さらに左側へハンドルを切ると私の車の後輪が溝にはまった。

日頃なら自力で脱出できる浅い溝だが、昨日の大雨で溝に溜まった水分たっぷりの落ち葉でスリップし前輪までスッポリはまり身動きが取れなくなった。

四駆の釣り人2人が責任を感じ、精一杯の力で手伝ってくれたが私の車はビクとせず、付近で釣りをしている仲間を呼んでくれ応援をまつ。

この間、強面老人Nさんが通りかかり「こんな大きな車が入って来ると迷惑するいぃのぉ」とダミ声を張り上げ、釣り人を一瞥しながら車から降りてくる。

軽トラの荷台からゴソゴソと自然薯掘り用のスコップを取り出し老人も作業に加わった。内心、この人には借りを作りたくなったかがしょうがない。

そうこうする内に応援の釣り人8人が到着し、全員で車を持ち上げてもらい難なく脱出することができた。この間15分ほど。

自分のことの様に喜ぶ釣り人たちに丁寧にお礼し、老人には「すまんかったね」と小さく頭を下げた。

善意の集まりのような釣り人たちの盛り上がりに圧倒された強面老人は自然薯スコップを肩に担ぎ「文殊の知恵のおかげじゃ」と言い残しノラリクラリと帰っていかれた。

みなさんのおかげで今日一日の仕事を滞りなく終えることが出来ました。

ありがとうございます。

あだちまさし。

狭い出口

昨日、鶏の出荷を終えたので生産を掴まえる。減少した羽数に対して産卵がどうなのか。

一日の作業を終え、数日前からの冷え込みで少々マイナス傾向にあるが概ね順調な産卵。

ホッと胸を撫で下ろすと共に次の出荷のタイミングを考えはじめると頭が重たくなる。出口となる出荷業者との調整に神経を使う日がはじまるから。

ケージ飼いと違うので、朝から鶏を整列させて一羽ずつ産んだか、産んでないか点呼を取ることは出来ない。

「産卵率」でザックリ把握し「出来高」で予想した数が整っているか判断するが、ここで大事なのが「歩留まり」。

この歩留まりを強く意識しはじめ、それをコントロールする力がつきはじめたところで廃鶏出荷先の環境が激変した。

悩みの種の一つは出荷業者との距離の問題。近隣の業者が相次いで廃業している。持ち込み処理か、集荷処理かの交渉で頭を痛める。

もう一つは養鶏業の大規模化に伴う問題。養鶏業者は減少しているが、一戸あたりの飼育羽数が年々増加している。

これには様々な事情が関係しているので私の思いだけでは解決できない大きな問題を含んでいる。

大規模養鶏場とのタマゴの販売先や販売方法で住み分けは出来ているが、出口となる廃鶏業者は同じ。

膨大な廃鶏が集中する業者の繁忙期を窺いなが出荷サイクルを整えていく苦労は、これから先も楽になることはないだろう。

タマゴからはじまる「生産関係」の流れ。その速くて大きな波にのまれて、進むべき道を見失わないようにしなければならない。

あだちまさし。

みぞれが降った

昨夜から強風。寒がもどり(この時期に適切な表現か?)。

夕方の走行中、フロントガラスをビシャビシャとみぞれが音をたてた。

二ヶ月ほど前から懸案だった仕事が先週と今週で片付いた。ひとつは給水器の工事、もうひとつは鶏の出荷。

どちらも従来の方法と異なる手順と作業だったので、頭でイメージしたことがカタチになるか不安だったが、ほぼイメージどおりに終わった。

止まることがない毎日の中で、仕事にちょっと工夫をしたり、一歩踏み込んだりするのは少々苦痛を伴うが、

無事終わった達成感と充実感は踏み込まなければ味わうことが出来ないと今更ながら感じている。

一緒に仕事をすすめてくれた仲間が同じ気持ちを心から共有してくれていれが嬉しい。

農園の仕事を一つ一つ見ると同じ作業の繰り返しのようだが、簡単な作業を繰り返し続けることが出来る人にしか

忍耐力と熟練は身につかないように思う。

寒い一日だったが、充実感と疲労で心と体があたたまった。

あだちまさし。

捕って食うわけではない

昨日の日没前、鶏舎の近くでイノシシと鉢合わせ。正確に言うと昨日「も」。

私の想像が間違っていなければ先日捕獲したイノシシの兄弟。昨年、連れ立って姿を現していた2頭のうちの1頭だと思う。

体も大きくなり多少警戒心が強くなったのか鶏舎周辺を荒らした痕も玄人っぽく、そこら中にという訳ではなくなった。

防獣ネットから入る足あと、歩くパターン、あと逃げるパターン、そして目があった時の驚き方は秋口に出会ったウリボウと同じ。

昨年はネットをくぐる場所を補修してまわったが今回は少し対策を変えてみた。

現在、ネットの外側に箱ワナが仕掛けてあるのは3本の獣道が交差する場所。先日の1頭は、ここで捕獲した。

先週末、ワナの付近を丹念に草刈りをして、獣道や防獣ネット付近からワナに誘導するように小米を散布しイノシシの行動を観察する。

自分なりに仮説を立て、もしも小米を食べるようならワナへの誘導が可能、警戒して食べないようならネットをくぐり好みの場所へ近づくだろうと。

結果は後者。ただ、小米を散布したルートは避け、荒らした痕もかなり警戒心を強めた様子に手応えを感じた。

昨年は隣接する放棄地にある雑木林に住み着いているようだったので、今度は雑木林付近の境界を徹底的に草刈りして農園の内と外の輪郭をハッキリさせる。

この周辺には「ニラ」が生えているが、昨年はニラに近づくことがなかったので、ここだけは刈らずに残した。

今朝は3日ぶりに侵入した形跡を残していたが、さらに警戒心を強めて控えめに散歩している様子が伺える。

猟期も終わったので以前ほど猟師がワナを点検にくることはない。1頭だが農園での捕獲実績が出来たので依頼した私と依頼された猟師の面目もたった。

体は大きくなったが腹を空かせたイノシシが私の姿を見て逃げ出す後姿には少々心が痛む。

捕って食ってやろうと考えている訳ではない。お互いのテリトリーの線引きをハッキリさせたいだけ。

そんなことを考えながら、今日も時間をひねり出し3時間ほど草刈りをし、農園の輪郭をさらに刈り込んだ。

私の意図するところをイノシシが感じとってくれたら幸いである。

あだちまさし。