JAG07563 六さん 5月21日しんあい農園日記

 

午後1時から望月さんが保健所の方と食品加工についての打ち合せをされるので、正志を同席させて勉強させてはどうかとの嬉しいご提案があり、正志は早めに農園からタマゴを積んでお店経由で下関に向かった。帰りに小倉の卵家を訪ね笠田オーナーと会えるよう段取りもした。

わたしは、昼に正志が帰ったあとから箱詰めにしたタマゴを積んでお店に走った。自宅に帰ったら風呂に入ろうと思っていた。農園にもちろん風呂はあるが、ホテルのような風呂なので、洗い場でゆっくり身体を洗うことはできない。ゆっくり風呂にはいり30分昼寝もした。それから病院に行き採血してもらい、定期的な検診をお願いした。前の仕事のときには、年一回は人間ドックに入り、広島市内の内視鏡専門医にも毎年通っていたが、いまはできないので採血なのである。

山口市内の配達を終え、農園に戻る途中にビデオ店がある。わたしはここの会員である。今回は洋画と洋画の戦争ものと、つい沖縄戦の東宝映画がありこの3本を借りた。

20年以上も前から、何度も沖縄に戦没者の遺収集奉仕に通ったので糸満市南部の海岸線一帯のジャングルは、那覇市の国際通りより詳しい。2年前には、はじめて氏名判断ができる子供の小さい遺骨を一体発見した。遺骨とともに「金城サチコ」と刻まれた三角定規が出た。そんなことでビデオを借りた。

食事を終えそのビデオを観た。1平方メートルあたり6トンもの砲弾が炸裂したが、ガマと呼ばれる鍾乳洞がそれはたくさんある。そこに身を隠しておれば大丈夫である。しかし、そのほとんどは火炎放射器で焼かれ、そこからは炭になった遺骨が出る。摩文仁でおそらく病院豪だったと思われるところは崩落していたが、掘り出すと大腿骨が幾重にも重なっていた。おそらく何段かのベッドだったに違いない。牛島中将最後の地、摩文仁の司令豪にも入った。

そんなわたしが体験した沖縄が画面に出たが、住民の集団自決のせい惨な場面などが多すぎて途中でやめた。

尊敬する磯村千代子先生は、地域で戦死し残された未亡人を全員訪ねて、戦後のご苦労などを聞き書きしておられる。世に出せる話しと、出せない話しがあるようであるが、ずっと将来にはその聞き書きが訴えるものがあると思う。戦地から妻や子に宛てた最後の書簡なども書き写しておられる。

リアルな映像より、そんな記録のほうがずっしりと伝わるものがあると思った。

01/05/22(火) 05:10 六さん(JAG07563)


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