JAG07563 六さん 7月30日しんあい農園日記


日曜、通常の仕事を終え、タクロウ君に午後から農園を頼んで正志は先に中津市に向け出発。わたしは山口市内の配達を終えて小郡から高速移動で中津に向かった。はじめての商談などのためである。

夜7時に駅前のホテルで合流。やはり7月はハモ料理であると寿司屋でハモの刺し身、皮、テンプラなどを食べた。正志がわたしの仕事をはじめてから街で飲むのは初めてである。

早朝からひと仕事を終え10時には農園に戻った。タクロウ君はいつもはわたしがしている朝の仕事をするため7時には出てきたという。重兼君と家内もタクロウ君の加勢をして仕事は順調にすすんでいた。

倉敷の焼鳥屋「鳥田金」のおやじから電話があった。ひとつは、去年の4月にわたしとこの趙さん夫婦と、広島の三津川さんと4人で宮崎を一泊旅行した。三津川さんは、広島並木通りの並木ホテルの正面ビルに呉服の店をもっておられる。わたしとは10年近いご縁があり、たまにはドライブに付き合おうと同行された。その三津川さんとおやじが最近ばったり会うことがあり、そのとき三津川さんの奥さんが亡くなったことを知ったという。驚いた。

わたしの里は四国の海が見えるところで、足立さんが農業なら、わたしたち老後は漁師をやろうかね。と美人の奥さんが話しておられた。酔うと得意の阿波踊りをそれはたくみに踊られる。その奥さんが亡くなった。

家庭の複雑な事情でさびしい子供時代をすごされた三津川さんは「おにぎりの味」という短い文書を書かれている。小学生の三津川さんを連れて再婚。運動会のときみんなが食べる弁当を見ながら校門で母親を待つが来ない、やっと小走りでくる母親を見たときは午後のベルが鳴りはじめたときだった。母の手をひいて木陰に座らせおにぎりを食べた。母はしきりとあやまったが、そんなことはどうでもいい。久しぶりに母を独占して食べたあのおにぎりの味を僕は知っているから、どんな苦労にも耐えました。

おおきな悲しみの中をとおっておられることだろう。胸が痛む話題だった。

大工の村上さんが埋め立てを見に来てくれ「8月1日からはじめましょう。月末までには完成させます」と言ってくれた。きょうもダンプとブルの音が終日こだました。

01/07/31(火) 04:51 六さん(JAG07563)


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