六さん 10月1日しんあい農園日記


きのう広島往復をした。行きの高速道路のサービスエリアに懐かしいバスが停まっていた。秋の金光教ご本部大祭に向かう参拝団のバスである。久留米、博多、大分と九州各地のバスである。懐かしい顔もあった。彼らにはトラックのわたしはわからない。

中学2年の夏、秋吉台で行われた金光教のキャンプにご縁があり参加した。飯盒のご飯とお湯を間違えて、ひっくり返した。軍手の上から煮え湯がかかりおお火傷を負った。医者に走るマツダキャロルのなかで「かあちゃんにお金を請求される・・・」それだけが水泡になった指より心配だった。しかし、治療代は請求されなかった。ボーイスカウトは制服を買うお金が要ったが、この団体では制服を貸してくれる。わたしには居心地がいい仲間に思えた。キャンプに手旗信号、追跡サインを追ってのハイキング。感動のキャンプファイヤーも何度も経験した。大きなキャンプの野営長もさせていただいた。

たくさん金光教にはお世話になった。金光出版というご本部に文書布教の拠点を夢見て仕事場もつくった。いまは高山さんが引き継いでいる。いつの頃からか参拝の足が遠のいた。同じように遠ざかる仲間にわたしが声をかけたのは「教会の先生ではなく、教祖を信心しているのでしょう」と。しかし、神様を現す教会長と呼ばれる多くの人に接し、失望のボディブローを何度も受け、とうとうわたしもダウンした。わたしも同じように金光教の道を去った。長女はその教師の妻になった。胸が突き刺さるほどこの運命は痛い。

初代は信仰の道でも経営でも、貫き通す力があり周囲をつき動かす。しかし、代を重ねるごとにその味が薄まるのは、世襲なのか、継いだ者の力なのか。聴かされる言葉は「初代は偉かった」という昔話しになり今を語れる人が少ない。今を語れる私になりたい。

大勢の仲間が信仰で助かった足跡を見た。反対に失望して去った仲間も見た。金光行きのバスの一団を見送りながら、そんな多くの仲間を思い出した。

01/10/01(月) 21:09 六さん(JAG07563)

 


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