49631/49636 JAG07563 六さん 6月23日しんあい農園日記
( 1)  00/06/23 21:14                          
                                     
                                     
梅雨らしいシトシト雨の一日だった。                    
                                     
「ゆきちゃん」は徹夜で泣きつづけ、わたしの心を悩ませた。さきほど、「ゆき 
ちゃん」をいただいた農家に電話をした「昨夜から泣きつづけ、草も与えていつ 
のに食べないようです」と。「こちらの母山羊も同じです。辛抱してください」。
で電話は終わった。                            
                                     
明日は、宇部掃除始まっていらいの大規模な例会になる。約ではあるが140名。
その準備に大勢の方がご尽力くださった。いま、自宅では家内と次女で来月出産 
の真砂恵が豚汁の準備をしている時間。わたしは、静寂の山でひとりパソコンに 
向かっている。まるで世間ズレしている。                  
                                     
ズレといえば、きょう自宅で昼食をいただいたが、車の騒音がうるさいと感じた。
毎日、川のせせらぎと、鳥の声で生活しているのではなかろうか。       
                                     
きょうは、タクロウ君が枝豆1リットル植えてくれた。数が多いので半日はかか 
る。おおくの方にお届けできればと祈るような心境である。この農園でできた野 
菜を口にしたことがない。全部、収穫寸前で動物の餌になる。いま、スイカ・カ 
ボチャ・サトイモ・ジャガイモそして大量のサツマイモがぞだっているが・・・・・。
                                     
6月23日は、沖縄戦終結の日である。毎年2月は、沖縄南部でご遺骨を収骨す 
る奉仕を22年前から続けているわたしには、6月23日は特別な思いがある。 
                                     
最初に沖縄遺骨収集奉仕に参加したときは、摩文仁の戦跡公園を歩く歩道から数 
メ―トルのアダンの茂みに重なりあうご遺骨があった。嘘のような話しであるが、
地表からつき出た大腿骨につまずくという場面もあった。           
                                     
1平方メ―トルあたり、6トンもの艦砲射撃の砲弾が着弾したという南部一帯。 
4月の沖縄戦から終結まで、軍属と民間人が生き延びたのは(死者は23万とも 
われている)、ガマとよばれる鍾乳洞があるからである。入り口は小さくても、 
入ると100人も入れるようなガマが摩文仁一帯にはたくさんある。それと亀甲 
墓も戦火を逃れるにはかっこうの場所であった。               
                                     
沖縄戦の悲劇は、民間人が10万人以上もわずか2ヶ月で亡くなるというせい惨 
をきわめたところにある。                         
                                     
沖縄に通い続けたわたしの推理である。                   
なぜ民間人がこれほど犠牲になったか。それは、アメリカ軍上陸前から民間人を 
動員して陣地を構築した。そうすると、民間人が日本軍の重要な情報を知り得て 
いるということになる。食料庫・弾薬庫など構築時にはわかる。早い話しが、民 
間人が上陸したアメリカ軍の捕虜になると、日本軍は困るという図式になる。加 
えて、ウチナンチュの言葉はヤマトンチュにはわからない。ウチナ同士が会話を 
していると、ヤマトは理解出来ずに怖くなる。そんなことも、多くの民間人が犠 
牲になった理由のひとつではないかと思う。                 
                                     
集団自決。20人から30人の民間人に手榴弾が配られ、生きて虜囚に辱めを受 
けるよりは。と軍属にいわれ自決。死にきれない親子が違いにカマなどで命を絶 
ったのが「チビチリガマ」。親が死にきれない子供の首をカマで切るという凄惨 
な地獄絵図が展開されたという。                      
                                     
2年前、平和の礎の下。海岸に近い場所で発見した小さいご遺骨。そこから、プ 
ラスックの三角定規がでた。「玉城サチコ」と彫られていた。         
                                     
たった50数年前、おきた出来事である。                  
もう絶対に戦争はしない。という背骨を入れておかないと、また悲劇は繰り返さ 
れる。                                  
                                     
今夜は静かに沖縄心をかよわせたい。                    
                   00/06/23(金) 20:28 六さん(JAG07563) 


| 2002年 | 1月 | |

| 2002年 | 1月 | 2月 | 3月 |4月 |5月 |6月 |7月 |8月 |9月 |10月 |11月 |12 |

| 電子メール | スペシャルエッグ | 2001年 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |

2000年 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |

| トップページ | みなさんのご意見 | 元気な鶏の卵です | 箸よく盤水をまわす | リンク先 | 地図 |