JAG07563 六さん 2月2日しんあい農園日記


朝6時前から鶏舎に入りいつもの仕事をしていた。5番の鶏舎に問題点があったが見事に治されていた。その事情は正志から聞いて知っていた。けれど正志から聞いたとは言えないなー。と思いながら出たらタクロウ君が歩いたいた「おい、5番はえらい上手く手直しの」と言うと「大工の村上さん手伝ってもらいました」といいわけしたから怒った。

村上さんは、新鶏舎の建築で予定を考えて下関から来られている。その村上さんに本来お前がやるべき仕事をさせて、手伝ってもらったなど嘘を言うな!全部が村上さんの仕事というぐらいは見ればわかる。お前のその根性はなんか!

「朝は父親のごとく、夜は母親のごとく」とは、キャンプに明け暮れていた若い頃に教えていただいた言葉である。つまり言うべき苦言は朝。夕方はねぎらいの言葉。それが人の生理にあっていると。だからわたしが怒るときは必ず朝である。

明日は昭和17年に宇部市で起きた海底炭坑水没事故の日であり、184名の犠牲者のうち130名が朝鮮人だった。その追悼式の模様が今夜もテレビで放映された。数年前までは「強制連行された」と、強制連行は19年から少しの間された制度であり。それまでは官斡旋とか、募集で朝鮮半島から多くの人が日本に来た。何度か主催されている方に「歴史の事実認識がちがいます」と言ってきた。回答は広い意味での強制連行だと主張していたが、もうその言葉は使われなくなった。

慰霊碑を建てろ。補償金を出せ。それも、殉難の碑は事故後ただちに建てられ、日本人と同じに名前が刻まれている。補償金も当時の鉱業主が大きな金額を配って歩いている。わたしにその事実を伝えて人たちは亡くなり、歴史がおおいに湾曲されている。当時15歳で釜山から家出して働きに来ていた秋さんが、まだ筑豊で健在ならば当時の事実は出せる。毎年、この日が近づくと、この事故調査に没頭した頃を思い出す。一回の炭坑事故で日本最大の犠牲者が出た事故が歴史に刻まれないことにはわたしも疑問を感じる。と同時に歴史が正確に伝えられるという困難も感じる。

タクロウ君。真っ暗になった7時「失礼します!」とわたしに声をかけて帰った。

02/02/02(土) 19:15 六さん(JAG07563)


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