JAG07563 六さん 4月10日しんあい農園日記


日付が9日の「宇部時報紙」が届いたのは、輝君のお母さんからの配慮だった。わたしの生き方に大きな影響を与えてくださった礒村千代子先生の「随筆・随想」が載っていたから農園に届けてくださった。内容は吉田松陰先生について十項目を教育者として分析しておられる内容だった。

前の仕事をしていたころ、毎月のように「お茶を飲もう」と電話があり、山陽荘 の下にある喫茶ラメールで先生とデートをした。ここからは周防灘が望め、竹島や大分県の姫島も眺めることができた。デッキにパンを持って出るとたくさんのカモメが群れて、それはいい時間を過ごすことができた。若い頃から教鞭をとり、特に知的に障害をもつ子供の教育にたずさわってこられた。−−そねえなことも しっちょるかね。と方言まるだしで、わたしの話しを本気で聞いてくださり、最後にご自分の意見もそえてわたしを導いてくださった。

宇部で掃除に学ぶ会を興したい。とわたしが言えば「よし、東岐波小学校の校長は教え子じゃから行こう」と、宇部に掃除の会が芽生える道もつけてくださった。 国際ソロプチミストから掃除の会が表彰を受け、大阪国際会議場で受賞したが、その推薦文は礒村先生が書いてくださった。わたしが会社を辞めて障害をもつ人と農業をやりたいと話すと「あんたは、亡くなった主人と同じことを言う。よし!やればいい」と背中を押してくれたのも先生だった。

韓国では李先生にいつもお世話になるが、李先生を日本に紹介したのは、釜山小学校と、当時の東岐波小学校の磯村学級が生徒の絵で交流をはじめたのがきっかけである。その延長線にナザレ園もある。歴史は天皇の歴史ではなく庶民の歴史を学べ。江戸時代に庶民がどんなものを食べ、どんな生活をしていたか。それが歴史であると言われた。先生からわたしは授業を受けたことはない。先生の自費出版をつくらせていただき、それはわたしにはビジネスであったが、それがご縁で先生はわたしの先生になった。

礒村先生とお茶を飲みながら「ひさご庵」のソバを食べながら人生を教わった。鍵山先生からは便器を磨きながら志を教わった。松村さんとは酒を酌み交わしながら男らしさを教わった。いまでもたくさんの仲間から教えていただきながら生きている。ほんとうにいい人たちとご縁ができたから今のわたしがある。輝君のお母さんのおかげで大切なことを思い出した。

02/04/10(水) 19:39 六さん(JAG07563)

 


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