JAG07563 六さん 5月2日しんあい農園日記


5年前、宮崎を歩いたとき足が一歩も前に出せないぐらい激痛にみまわれた。それでも一歩でも歩まねば宿には着かない。わたしの体力限界のとき見えた世界がある。それを言葉にすればいいあてることはむつかしい。しかし、行動としては会社を辞めて鶏を飼いはじめる決心をした。道がみえるときは、安易なときには見えない。わたしには。

きょうは下関方面配達の日で、4時に起きて6時から仕事をはじめ昼前から配達に出た。多くの人から支えられ、鶏舎2棟の建築までお金はないのに、わたしの都合がよい分割ではじまり。農園の規模は大きくなっている。そのなかで、ホームを建築するにはどういう道を歩めば実現するか模索していた。新しい制度NPO法人も県庁に勉強に行った。けれど足が出ない。

美祢の山奥Bさんのお宅にタマゴを届けホーム建設の夢を語った。驚いたことにBさんのお身内に障害児がおられた「嬉しい」と目頭をおさえられた。そのとき道が見えた。神戸の小学校避難所で全国から届いたオニギリが腐っていた。けれど片山のおばさんが「足立さん配ろう」というので1000名に配った。当然、大声で怒鳴りこんで男がたくさんきた。おばさんがわたしの前に立ち「あんたら に配ったのは、つくった人の心や!」と叫んだ。わたしはタマゴを配っていると思っていた。けれど、配達の先々でわたしの願いも届け続け、大勢のみなさんと同じ夢に向かえばいいではないか。制度を利用するのもよいが、わたしにその伝えるという熱意が無ければ成就はしない。

わたしの気持ちが制度によりかかっていた。最初に制度ありきではダメである。会社を辞めてまではじめたこと。真民先生が「捨ててかるくなる」といわれておられる。まだたくさんの執着はあるが、ずいぶんかるくなった。そして、やっと 夢を届けるタマゴ屋としての意識がうまれた。話し相手は犬という農園暮らしを続け、やっとその緒についた思いがした。

明日は、下関から人生の・酒飲みの師匠、松村さん一行が泊まりにこられる。明後日の昼には、広島のキムタクこと井辻さんも来てくださる。楽しいこともたくさん起きてくる。気持ちが充実してきた。

02/05/02(木) 17:42 六さん(JAG07563)

 


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