六さん 5月12日しんあい農園日記


朝はシャツだけでは涼しくヤッケを着たが、8時ごろには半袖シャツ一枚でも動けば暑くなった。午後からは陽射しが加わり、一日でだいぶ日焼けした。母の日は、昨夜の講演でいただいた花束と、いただいたワインを敦子さんのタマゴ便で自宅に届けた。

早めに仕事をすませて、農園だより「ranran」3号の取材をはじめたのは午後4時だった。「人物」は豆子郎の三代目、田原文江さんである。創刊号と2号は男性だったので、きれいどころで紙面を飾ろうということ。もうひとつは紙面の制作に関わってくださる杉本さんの親友ということで、杉本さんも200パーセントのパワーが出るという企画である。田原さんとお会いしたときにはいつ も宴席で、わたしはまともな会話をした記憶はない。それで取材は楽しみだった。

文江さんのお人柄を少ない活字であらわすには何を聞かせていただこうか。数日考えていた。その内容はともかくとして、わたしが今なにを考えているかを雑談でさらけ出し、その勢いで文江さんが豆子郎にかけるおもいを出してくださればよいという結論を持って到着をまった。雑談が本題にうつったこと察して、さすがの杉本さんは録音をはじめた。このあたりが彼女のビジネスセンスが輝くとこ ろで、わたしの合図を待たずに取材になった。

約60年前、満州からハダカで山口に引き揚げた創業者が、まさに寝食をともにして菓子づくりに命をかけた。お客さまの喜びが、お店の喜び。その創業者の頑固なまでの信念をどう15店舗、100名の仲間につたえていけるか。それをコツコツ守り続けておられる話しをうかがいとても勉強になった。

例えば、お菓子のなかに入っているアズキは創業時から同じ北海道の決まった生産者から買い、その粒の全部を商品価値があるものと、処分するシワや不揃いは職人が一粒一粒選別していると聞いて驚いた。3日かけてできたお菓子はギターの弦で人が切り取ると聞いてたまげた。その一個80円のお菓子をつつむ作業は、ふたり一組で一個一個を手でつつむと聞いて、その丁寧さにあきれた。

確かに創造性は必要である。相反する初代性。そのバランス感覚がよいと感じた。

02/05/12(日) 18:54 六さん(JAG07563)

 


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