六さん 9月1日しんあい農園日記


 

 

防災の日というニュースが一日に何度も流れた。神戸の5千人死者に対して8千人というあまりにも甘い想定を苦い思いで聞いていた。神戸は早朝だったから、加えて被災した範囲が予想される東海地震にくらべると格段に狭い。消防や警察、自衛隊の活躍をテレビで観ながら「訓練はしないより、したほうがええだろう」 と思っていた。

停電・断水・ガスに電話が不通になったとき。被災地にはいる道路が遮断された とき。警察も消防も自衛隊もあてにはならない。混乱に乗じた窃盗や暴力はあた りまえになる。行政をあてにした訓練も必要だろうが、一週間、トイレが使えな い。飯が炊けない。連絡がとれないとき「わたしはどう動くか」を問うことが一 番大切だと思う。

自衛隊の給水車で運ばれた水がなくなったとき、列を組んで待っていた人々が自 衛隊員に罵声を浴びせた。家屋が全壊して避難した小学校に届いた救援物資を、 半壊で自宅で生活していた人がもらいに来て校門で、中と外の男が物資をめぐって血まみれの喧嘩を毎日していた。透析をうけていた人が避難所でピンチになったり、産気づいたご婦人もいた。電気が復旧したら倒壊した家から漏電で火の手がたくさんあがった。歩けないほど疲労がたまった消防士が火災現場にフラフラとホースを持っていたとき「ど阿呆!」と叫ぶ人もいた。指示に従って行動する という机上のプランどうりにはこべばいいが、そうならないとき自分はどう行動するか。1月19日に神戸にはいったわたしは当時を思い出した。

対岸の雑木林がところどころ赤や黄色に装いはじめた。残暑は厳しいが9月になった。

02/09/01(日) 19:41 六さん(JAG07563)

 


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