六さん 9月2日しんあい農園日記


 

3年前、中部少年学院を会場に山口県の掃除仲間が大会で集った夜だった、ハイラックストラックで参加したわたしに「どこで買われましたか」と言われたのが山口トヨタの岡本さんだった。それ以来、たくさんの場面で助けていただいたお掃除仲間である。きょうの午後、岡本さんからメールが届いた「農園日記は誰のために書いていますか」と。今夜お返事させてくださいと返信した。

前の会社で一番苦労したのは営業だった。何時間も運転して行って、伝えたいこ との半分も伝えきれずに帰る疲れをいつも感じていた。勉強が嫌いで字を書くこ とがなく文字が下手なわたしに日本語ワードプロセッサという、きれいなドット プリンターを備えた右腕ができたので、出張から帰るとキーボードをたたき伝え きれないことを文章で伝え続けた。それを2枚プリントして1ヶ月ごとに製本し ている。多い月には300通近くあった。必要に迫られてわたしが文字で気持ち を伝えるスタートだった。

次に、当時の松村専務から「社員に社長の気持ちを伝え続けよ」と激励され「センター通信48」という毎週金曜日の発行で社長新聞をつくった。週刊金曜の影響で金曜という単純な理由で、一年で廃刊という予定で「48」だった。約3年続けて会社を辞めた。毎週金曜はおおげさにいえば地獄だった。ネタがない。ネタがない苦しさのなかで気がついたことは「一週間も生きて俺は無感動なのか」 ということだった。事実、わたしに感動というアンテナは無かった。ラジオの声・ 自然の営み・子供の言葉・目に映る光景・雑談のなかにもたくさんの感動があることに気がつきはじめた。そのころから金曜が楽になりはじめた。

農園をはじめて1ヶ月が過ぎたころ、はじめて自然のなかで生きる楽しさ・苦労・鶏を飼う面白さを毎日ビンビン感じる自分のアンテナに気がついた。お掃除仲間で、わたしのパソコン先生、広島リコーの中村課長に「日記をホームページで紹介してくれませんか」とお願いして快諾していただきホームページをたちあげてくださり、毎日、広島から日記の更新をしてくださった。しばらくして下関のお掃除仲間、倉本さんが携帯電話で日記が読めるホームページをつくってくださり、いまでも毎日下関で更新してくださる。

日記は、鍵山先生が簡単なことを続けよ。と凡事徹底と教えてくださり、わたしの凡事の実践だと思っている。自分自身の今日のアンテナが動いたかどうかは、日記を書く時間でわかる。水割りを何杯飲んでも一行も進まない日もある。一日生きて、なにか思うことや発見ができるわたしになりたい。

そんな思いなのです。岡本さん。

02/09/02(月) 20:07 六さん(JAG07563)

 


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