六さん 9月5日しんあい農園日記


 

3人の子供が結婚するとき、親として無条件で祝福した。長女、照美の主人が昨夜来てくれた。世襲が多い金光教教師の世界で、彼は信者の立場から教師を志し、仕事を辞め教師になった。言葉は少ないが34歳、少なくともわたしの歳では言えないことを語る男だと思っていたが、ゆっくり彼と語り合う場面はこれまでになかった。

都合がよいお掃除と、おかげ信心を彼に電話で「教えてください」と乞うたら 「行きます」と、岡山から昨夜来てくれた。その気持ちがとても嬉しく待った。 ビールで乾杯して彼が言った「おとうさんからの電話が嬉しかった」わたしの嬉 しい気持ちと彼の嬉しい気持ちが符合した。これまでお互いに腹をわった話しは なかったが、昨夜はそれができたと実感した。

朝、7時半ごろ鶏舎で汗をかいて働いているところに「おとうさん帰ります」と 挨拶に来た。車まで見送りながら「あなたのおとうさんの話しがよかった」とだけ言った。

兵庫県有馬でとくに目立つ人でもなく、そういう意味では普通の父親(63歳)が、信心だけは滅私奉公というぐらい教会を生活の中心に据え信仰の生活を貫いてこられている。子供は男ばかり3人であるが2人が金光教の教師になっているのは父親の背中に学んだからである。ずいぶん前に沖縄遺骨収集奉仕に参加した夜、泡盛で酔ってホテルの廊下を歩いているときご祈念している声が聞こえた。 その部屋のドアを少し開いていたので覗くと、彼の家族(祖父・父親・息子3人)が床に正座して祈っていた。すごい家族もあるものだと思った。

先日、実家に帰宅した彼ははじめて人前で講話をしたという父親にその感想を尋ねたと言う。父親は「まだまだ自分はなっとらんことがよくわかった」とポツリと言い母親を見たという。その「おとうさん」に感動した。と目を潤ませて語ってくれた。震災のときから人工透析を受けながら、それでも自分のことより教会のことを最優先に生きている父親がおおきくみえたという。

いい男に照美は嫁いだと車を見送りながら思った。

02/09/05(木) 20:12 六さん(JAG07563)

 


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