六さん 9月8日しんあい農園日記


 

NHKラジオ、わたしの本棚「あきらめたから生きられた」が金曜に終わった。昨年7月、長崎県瀬戸町(ハウステンボス辺りか)から37日間も小型漁船で漂流し、九州を南下して黒潮にのり、千葉県犬吠崎から800キロの洋上で救出されるまでの様子を聞き取りふうに番組は構成された。大型台風11号にもまれ、小便までも飲み、二度も海に転落しながら「生きられるまで生きよう」と淡々と乗り越えてこられた日々に感動しながら聴いた。

最後に救出される場面で「俺があまり元気だと、助けに来てくれた人に悪いと思 って」と、よろけるしぐさをしたというから余裕である。最後に聞き手が恐縮し ながら、それでも尋ねた「武智さん、不謹慎ですが、もしかしてあなたは漂流を 楽しまれましたか」と。その言葉を否定せず、仏教でいわれる修行の話しをされ た。ただの漁師が言う言葉ではない重みを感じた。

8月は農園の決算。正志に決算は任せている「まだわからないけれど、トントンのようです」と今朝言った。税理士ときのう電話で打ち合わせをしたようである。30円のタマゴで生きていこうと決め、武智さんほどの苦労はないけれど赤字なら生活が根底から崩れるという生活を望んではじめた。だからホットした。税理士さんの大きな疑問は、鶏舎建築の約一千万円がまるで信用貸しであること。下関板金の松本さんが「建てよう」と言ってくださり、農園としては「このぐらいで」という償還表を持参してそれで出来ている。あらためて感謝。

小学生のときは、常盤湖に警察に射撃場があり、夕方、有刺鉄線をくぐって拳銃のタマを掘りにいった。古物商に売りに行くとき鉛のタマは安いので、真ちゅうのタマを本気で手で掘った。誰よりもうまく掘った。高校時代は、宇部高等学校の近く、西野書店で3年、本の配達をした。長期の休みには三輪運輸でセメント運びで儲けた。当時のセメン袋は50キロあった。

ぎじろくセンターの時代20年は、日曜は移動の日であり、高速料金を使わずに宮崎には12時間かけて走っていた。いまも休みなしに働いている。もしかしたら、こんな人生を楽しんでいるのかもしれない。そう思った。

02/09/08(日) 19:50 六さん(JAG07563)

 


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