六さん 11月 18日しんあい農園日記


昨夜、吉部八幡様の奥さまから「働きたい人がいる」というお電話をいただき会うことにした。今朝来られたのは二十歳の女性だった。洋菓子店で働いていたという。農園という言葉にあこがれのような期待がると思った。現場はそんなに夢のようではないですよ。それでも働きたいなら来なさい。と促がした。ちょうど、 きのうから喧嘩して死んだ鶏を4羽ほど焼却炉で焼いていたので「この臭いがわかりますか、鶏が死んでいます!とわたしに言わずに、焼却炉まで自分で持っていくのですよ。あとはわたしがやりますから」というような説明をした。夕方、電話があった「できないと思うので・・」と。頑張って自分がやりたい仕事に就きなさいと励ました。

7トンの餌タンクから配餌車に小分けして運ぶ仕事は、晴れならいいが、雨の日は餌が湿ってよくない。餌の搬送機という、パイプのなかをスクリューがうごいて思う場所まで電動で運ぶ装置があり、それを軒下まで設置した。きのうからトラブルが続き困っていたが廣中社長が電気関係を処置してくださり正常運転できるようになった。次は、下関板金の松本さんと、大工の村上さんに頼んでその餌を軽四に積める箱を作っていただく。それが完成すれば一度に300キロ近い餌を一度に、しかも雨に濡れずに運ぶことができる。もう一歩で構想は完成する。

夕方、ひとりで餌を入れていると稔君の母親が来た。わたしは一番遠い鶏舎で働いていた。用があれば来てくれると助かるのに入り口から動かないので小走りで行った。農園で働いたことがある母親ならば、その距離がわかっていると思う。 いきなり「稔を病院に連れていきます」と用件を言う。普通ならば「お世話にな ります」という言葉が最初にあっても当然。稔君はいつもどうりに4時半に見送 ったあとだった。それを言うとさっさと帰って行かれ、わたしはその態度に唖然とした。言葉の潤滑油が切れている。

02/11/19(火) 20:01 六さん(JAG07563)

 


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