六さん 4月15日しんあい農園日記


山口市維新公園近くの「すき家」は、野菜サラダと丼いっぱいのご飯で500円 でおつりがくる火曜の昼食である。きょうの昼もお世話になった。新入店員が注文を聞きにくる、頼むと「牛丼いっちょう!」と大声で言う。先輩スタッフが 「牛丼はよその店で、ここでは『すき丼』と言え」と小声で教えていたが、その 後も大声で「牛丼いっちょう!」を連発していた。

タマゴをお届けした黄さんの奥さまから一冊の本を頂戴した「主人からです」と。PHP発行の「海はあなたの道」。黒い表紙に赤の帯があり、汚れた朝鮮服のじいちゃんが座り、一見重そうな内容に見えた。裏をみて驚いた。ナザレのおばあちゃんが出ている。目次を信号待ちの時間で読み、黄さんがわたしに託した気持ちが理解できた。

黄さんに酔って言った「いつも韓国・朝鮮と日本の歴史では、恨(ハン)が中心にすわるけれど、教わる歴史の中から真実を見いだすことは困難。例えば、韓国の木浦(モッポ)共生園(孤児院)で、木浦の母として生涯を終えた日本人女性もいる。そのことは歴史には出にくい」と。わたしは、数年前にこの田内千鶴子さんの映画を観て感動したことを言った。戦後の混乱で3000名もの朝鮮人孤 児を育てるなかで、我が子に「きょうからは、あなたたちもみんなと一緒に生活をするのです。わたしはみんなの母ですから」と、我が子を孤児と一緒に育てた。そんな話を黄さんにした。昭和17年、184名死者のなかで130名余りの朝鮮人が亡くなった宇部の海底炭坑事故でも水没する坑内に「責任として入る」と入り殉職した江本という保安係がいる。その奥さまは、いまでも殉難碑に毎月花を供えておらえる。

いっぽう、ナザレ園創設者の金龍成師は「日本人とはいえ、朝鮮の男性を愛して ここまできてくれた女性をこのままにはできない」と、異国で天涯孤独になった日本人妻を助けた。そんな会話をした覚えがある。

目次には、ナザレや木浦の文字がありうれしかった。

03/04/15(火) 20:01 足立 進(JAG07563)

 


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