六さん 7月 8日しんあい農園日記


 

自称「我がママ」村上えり子さんから本をいただいた。本に添えて6月19日朝 日新聞の切り抜きがあった。本はこの記事の在日韓国人「チェ」さん78歳から ご縁があり村上ママがいただかれた。記事の要旨は「チェさんは、延岡の旭化成 で働き、終戦後に食えずに10日、寝ていたとき役場の職員が生活保護費として 900円くださり、当時の日雇いは一日150円だったので大金だった。10日 ぶりにご飯に塩をかけて食べた味をいまでも覚えている」と。その後ハンセン病 で隔離され、このたび国からの補償金(見舞い)でいただいたお金のなかから, 命を救ってくれた職員にお礼の気持ちで120万円を町に寄付した」と。その町 は宮崎県高鍋町。

この町には思い出がある。前の仕事で関西の大手競争相手とこの町が決戦場にな り、わたしは契約をとるまでは帰らない腹をくくっておもむいた。宮崎市内のホ テルから約1時間。舞鶴公園というおおきな桜の木がたくさんあるいい町だった。 もう15年ほど前だから時効ということで白状すると、2日目の朝に通ったとき 職員が留守で、その机には届いたばかりの競争相手の見積書が封書に入っていた。 心臓が飛び出すぐらい緊張してその金額を読み、車に戻って見積書を書いた。

長生炭坑から生還した秋順得さんは、その後八幡に行き空襲に遭い、長崎の軍艦 島で働き、そこから逃げて延岡の旭化成(当時は日窪化学工業)で防空壕の建設 で働いたと聞いた。このふたりはもしかしたら同胞として親交があったかもしれ ない。鞍手町の秋さん、心臓が悪かった。もう何年もあっていない。

03/07/08(火) 20:04 足立 進(JAG07563)

 


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