六さん 10月26日しんあい農園日記


7時に中村さんと合流して早島に行った。もともと、9月6日に娘婿である太秦教会の上野先生に、念願の宅祭をお仕えいただき、そのお礼を早島で神様に申し上げるというわたしの予定に中村さんが合わせて一緒の参拝となった。しかし、わたしの心の隅には「中村さんを連れてきた」という気持ちがあったことは正直な気持ちである。それが、中村さんに対して話される玉井先生の言葉でみじんに砕けた。

「ええか、あんたのことを祈っておるのは母親なんじゃ。親が生きとっても死んでおっても子供のことを祈っておるぞ」わたしは「神様」という言葉を描いていた。ええか、子供のころ母親の愛情をうけていた。そうではないぞ。わたしの母親は95歳でのうなったが、痴呆でもあったが、のうなってしもうてどれだけ母親の祈りがあったかということがわかったんぞ。先生の迫力を全体から感じた。わたしはある面、口うるさい母親をさけているところもあり、先生の言葉がわたしの向けられていると受けとめられた。中村さんがどう思ったか知る由もない。が、わたしには親をいまいちどうけとめる示唆にみちた言葉であった。

先生の囲炉裏部屋で約一時間ほど、奥さまのおもてなしを受けながら懇談した。ふと部屋をみわたすと「あった」。数年前、元岡さん、井辻さん、林さんたちとこの囲炉裏を囲んで飲んだ。酒がすすみワインのコルクを焼いてみんなが顔に炭を塗り大笑いした。わたしは玉井先生の顔にまで炭を塗った。その大爆笑の光景を側におられた奥さまが「教会に嫁いで、今夜ほどよかったと思ったことはない です」と涙をこぼされた。その炭になったコルクがいまでも備前焼のそばに鎮座していた「中村さん、これじゃ」とだけ言ってコルクをつまんで見せた。それ以上は言葉にならないほど感激がこみあげた。

中村さんをご自宅にお見送りして、並木通りの三津川さんのお店(呉服屋)で5時間近く歓談。うち3時間ちかくはわたしの腰と首の痛みをとる治療をしてくださった。三津川さんとは早島同級生で、ともに玉井先生に心酔している。すっかり痛みがとれた身体で農園に戻った。中村さんのおかげで、わたしに元気をいただいた。

03/10/26(日) 22:06 足立 進(JAG07563)

 


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