六さん 4月10日しんあい農園日記


まだ長田が燃えている神戸に行って、4月末まで浜山小学校避難所でお手伝いをした。

着いた夜は2階の音楽室をあたえられ、持参した食料を食べることはできない雰囲気で、小さいチクワとオニギリを一個いただいて寝た。深夜に、半壊した家で生活していた母と娘が暴漢に襲われそうになり、音楽室に震えながら連れて来られた。

翌日から、夜10時を過ぎると自警団がパトロールをした。避難した空家に窃盗団が横行していた。「金属バットは持たないのか」と、同行することになったわたしが尋ねたら、腕力がありそうな若者が「相手も持っているから、いい結果にはならない。とにかく学校まで逃げ帰れ」と諭された。

崩れそうな家に灯りを照らして入った。混迷のなかを復興祭までの経緯を現場で感じたことは、行政はマクロで対策をうつ、しかしミクロで自発的に動く人が必要である。

お産が近づいた人を救急車がこないので搬送もした。オムツをさがしに歩いたこともあった。届いた物資を管理するだけでも避難したみなさんではできない作業であった。

フセイン政権で抑圧され、いまだに混迷の現地では住民が一番困窮しているであろう。その無秩序のなかに身を投じた若者が無事に帰国できることを祈るばかりである。

5時5分、30キロ先の足摺岬をめざして歩き始めた。「きのうは遥かむこうで霞んで見えた岬がよく見えます。ちいさいわたしでも近づいています。着いたら勿体無い気がします」

14時48分「やったー!いま足摺岬に着いちゃいましたー」の画像メール。

明日は海峡ウォーク。おなじ30キロを20名以上のお掃除仲間が歩く。心配な人物は肥満のホタテ。わたしは、今回は歩けない。

04/04/10(土) 19:37 足立 進(JAG07563)

 


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