六さん 5月8日しんあい農園日記


没後30年の企画「わたしと香月泰男」立花隆、特別講演を山口県教育会館ホールに聴きに行った。

10年ほど前だろうか、テレビの映像で立花さんが極寒のシベリアで墓標を前に泣き崩れるシーンがあり、その後5〜6回ほど三隅町の香月美術館を訪れて「シベリアシリーズ」を観ている。

だからこの講演は絶対に聴きたい講演だった。立花さんは東大在学中に香月を知り三隅町を訪ねてから現在まで、たくさんの研究をしておられた。前回、下関の講演では2時間の予定が5時間におよんだというぐらい、立花さんは香月を人々に伝えたいモノをもっておられた。

香月は満州に応召して敗戦をむかえ朝鮮半島38度線あたりまで帰り、そこで2ヶ月足止めになり、ここから再び満州をこえてシベリア抑留者60万人のひととなった。その収容所を日本人ではただひとり立花さんが、香月と同じ条件で貨車に乗り、トラックに乗って訪れている。

マイナス30度以下の日は作業は中止。パンが一日250グラム、それにわずかなスープ、それで凍てついた木材の伐採という労働に餓死する者が多かった。焚き火に倒れても起き上がる力もないほどだったらしい。亡骸は凍土の上で焚き火を繰り返し土を掘るという埋葬で、彼が泣き崩れたのはその墓標であった。

香月がシベリアに送られる貨車の中から満州で見た光景は、皮膚をはがれて転がされている日本人の真っ赤な遺体だった。被爆の惨状の黒い遺体に対しての、赤い遺体、つまり加害者としての戦争を作品は訴えているという。わたしはシベリアへの鎮魂だと思っていたが、その奥には自らの体験をとおして戦争を否定する視点があることも教えていただいた。

また三隅町を訪れて、その作品に出逢いたい。

04/05/08(土) 20:03 足立 進(JAG07563)

 


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