六さん 8月16日しんあい農園日記


金光教に長いあいだ身をおいてきた。しかし、それは時計売場でたくさんの品から選ぶようなものではなく、ご縁のままにというレールに乗っていた。自治体の会議録をつくる仕事柄、入力・編集・印刷の工程があったので、それを文書布教というカタチで生かしたいと思い、天理教で大規模にその仕事をしている天理同友社を何度か視察させていただき。金光教の聖地、岡山県金光町に「金光出版」の看板をあげた。たくさんの出版を仕事としてしていくなかで、それはある種「裏からみた金光教」的な作業でもあった。過去は語れるけれど今が語れない。本来「人が助かりすればよい」という原点が、歴史を重ねるごとに「組織の維持」に力点がおかれていることをわたしは感じて信仰の元気を失ってきた。例えば、正月に何万人が初詣したか。ということが重要な話題になる。世襲で信仰の気持ちがない子弟も「教師になれ」と親である教師に叱咤激励される。だからよくはならない。いろいろな組織にかかわり、体質をかえる運動やいろいろな努力をしてきたが、もうええ、止めようと思いポイントをきりかえた。やるだけ距離が拡がってきた。5年ぐらい前のことである。

しかし今でも「元気か。あんたのことはよう神様にお願いしておるから頑張りんさい」と岡山県早島の先生だけは激励を電話でしてくださる。この電話には素直に頭がさがる。お供えという損得抜きであるから。長女の照美が金光教教師の妻となり京都で布教をはじめた。定期便の電話と長女のことを考えているうちに、組織にかかわらない、いわば在野での信心ができないものか「人が助かりさえす ればよい」それを求めることはできないかと思った。

毎年、吉部八幡宮でお仕えいただいてきた鶏の慰霊祭を娘婿にお願いした「させていただきます」と。9月6日に京都から祭具を持って来てくださることになった。忙しい毎日で、農園をはじめたわたしの原点が見えなくなることが多い。そのためにも、わたしの心をあてる定規としての信仰を持ちたいと願うようになった「人が助かる農業」が農園の原点である。組織にはかかわらないで進んでいき たい。

03/08/16(土) 20:37 足立 進(JAG07563)

 


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