六さん 8月22日 しんあい農園日記


島原にはじめて行ったのは普賢岳災害の現場に取材を頼まれたときだった。「災害支援」の幕をつけた自衛隊のトラックが火山灰を巻き上げて往来し、夜は溶岩で赤く染まった不気味な山がみえた。立ち入り禁止区域に自宅がある四宮さんの案内で、膝まで灰に埋まりながら消防団の監視をくぐって行った。

その途中、クーラー室外機が全部盗まれていたのはアルミを売る窃盗グループの仕業だと知った。豚や牛まで避難している飼い主が知らないうちに盗られていた。

着いたご自宅は戸を閉めていたので、家の壁は一面のカビだった。避難所にとどく物資の中には流行おくれのつかい古しの靴。洗濯していないような衣服などがあり心が痛んだことを覚えている。

反面、その状況下でたくましく生きている福祉関係の多くの人にもご縁をいただいた。何度も障害をもった子供と死のうと島原外港に行ったという方とも酒を酌み交わした。

そのご縁で、その後も島原の多くの人たちと今でも交流が続いており、長男の正志は島原の福祉作業所「ひかり」に就職して7年ここで働き、島原の敦子さんと結婚した。わたしが福祉を考えた原点が島原である。

その島原を、きょうはある方たちと500キロ日帰りの旅をさせていただいた。たくさんの思い出の地であり、ほんとうは会わなくてならない人も多いけれど会わずに島原をあとにした。

正志が生活をした下萩原の近くにあるお寺。焼酎で何度も酔った居酒屋「ろくべえ」の前もとおった。浜勝でとんかつも食べた。白地湖も歩いた。定宿にしていた「島原第一ホテル」もみた。酔って歩いた商店街アーケードもそのままあった。

さぁ、明日から頑張るどお。

04/08/22(日) 22:39 足立 進(JAG07563)


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