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六さん 平成17年1月15日 しんあい農園日記
朝、一回目の採卵を夜明け前からはじめて、9時に農園を出た。
大谷山荘から山口市のフジグランの納品をすませ、11時59分発の新幹線で神戸に向かった。2時半に、三宮駅近くで傘を買い、歩いて東公園「希望の灯火」をさがして、震災時の仲間と出会った。

「希望の灯火」地下には、被災して亡くなられた全部のお名前が刻まれて、摩文仁の「平和の礎」を思い出させた。ここを約30名ちかくで清掃させていただいた。みなさんのお名前をから拭きしながら、その数の多さに震災のおおきさをあらためて感じた。「足立」という姓だけでも13名が刻まれていた。その後、隣接するトイレ掃除も雨のなかできた。
その後、思い出の浜山小学校近くの自治会館にうつり、一時間ほどみなさんの思い出を語りあった。ボランティア当初から最後まで避難所でかかわっていたけれど、知らない人が多かった。それは、当時、彼らは大学生で二月の休みから全国から来て被災者と関わっていた。そのときもわたしは三度の食事をどうするかということだけに専念しており、青森からきた女性たちが、小学校全校生徒と避難所にきている人たちにバイオリンコンサートをされたことをきょう知った。
わたしが持ち込んだおんぼろ1トントラック(14万円で購入)は、大型トラックが入らない狭い場所から家財を運び出し、遠くは名古屋までも走った。卒業記念の行事ができないので「6年生に、このトラックに絵を描かせてください」と頼まれた女性教師も来られた。トラックはヒマワリなどがペンキで描かれて派手になり地域の人気ものになった。大阪から来た人は、浜山小学校避難所がわからないのでパトカーを止めて聞いたとき、そのパトカーには「青森県警」の文字があったそうである。
早朝の仕事が気になるので、帰りは新神戸を8時59分の新幹線の指定をとっていた。ほろ酔い気分でホームに上がったら、仕事が忙しくて残念です、と昼間に電話をくれた牧君と松田君がわたしをさがしていた。彼らはこれから仲間と合流するらしい。
腐ったオニギリを、わたしに「配ろう」と促した肝っ玉母さんの片山さんともあえた。とても長く、充実した一日をすごしたわたしを三頭の犬が農園でむかえてくれた。
05/01/16(日) 00:30 足立 進(JAG07563)
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