六さん 平成17年1月16日 しんあい農園日記


4時半に目覚ましで起きたけれど、そのまま1時間もまどろんだ。眠たい気持ちに「今朝の仕事をするために神戸から帰ったのではないか」と気合をいれて朝食の支度をはじめた。

わたしが神戸を語るとき必ず登場するのが「肝っ玉かあさん」の片山さん。いまは大阪から一時間で走れる道のりでも当時は12時間もかかった。到着したオニギリが腐っていたけれど「足立さん配ろう!」と促したから肝っ玉である。

それは届けた人の心を配ろうという気持ちだった。昨夜、その背景がかあさんの語りで浮き彫りになった。

片山さんのご自宅は、浜山小学校のそばにあり震災では影響はなかった。しかし、PTAの役員をしておられたので、震災直後に先生が「片山さん、ホウキはどこにありましたかね」と尋ねてこられ、その場所を教えに学校に入り食べ物がない1200名の被災者と向き合う運命になったらしい。

缶詰やラーメンが続く毎日、新鮮なキュウリが届いたとき、一本を三等分して全員に配ったとき、若い人は「マヨネーズがありませんか」「ナイフはありませんか」と言うたけれど、年輩のひとは上着の袖で汚れをとってかじりついたそうである。

そして、その腐ったオニギリは「戦時中は食べましたよ」と年輩の人は、しっかりその気持ちを受け取ってくださいました。現場に居たわたしは大勢の男が「食えんじゃないか!」と怒鳴りこんできた勢いに萎縮した。かあさんは目にいっぱいの涙をためて「あんたらは、この、つくった人の気持ちがわからんか!」と怒鳴り返した。愚痴が出る、そんな避難所の空気をいっぺんしたのは、ホウキ一本の運命だった。

仕事を終えて神社のトイレ掃除をした。さすがに一月、手がきれるほど水が冷たかった。けれども、今朝の寒さをついて120名が学校の便器にむきあった下関の仲間よりまだ楽かもしれない。終えてすぐに自動販売機のあたたかいコーヒーを出して指を楽にした。

05/01/16(日) 20:33 足立 進(JAG07563)


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