六さん 平成17年3月14日 しんあい農園日記
昨夜は杉本さんの活躍で出版された本のお祝いを農園で催した。少々寝不足なので、来週「山口新聞」に掲載されるわたしの一文を日記に残して寝るのことにしたい。
5年前、創業して20年それなりに安定した会社(市町村議会会議録作成)を48歳で引退して、小野の山奥で鶏を飼いはじめた。その緒につくまで、くさい・うるさい・汚いという養鶏には三拍子の偏見があり、用地取得に苦労した。何度か農家と用地売買の契約寸前までこぎつけたが「売るな」と地元有力者の声で、ずいぶん金を費やして破談におわった。
会社を辞めるという背水の陣のわたしは、あるときその有力者の自宅にとうとう「なんでか!」と談判に行った。大柄の老人Kさんとは初対面、玄関先で問答になった。ハンディを背負った人の働く場としての農園をつくりたいと問われるままに答えた。「そうだったのか」と理解してくれた「それならばよい場所があるから乗れ」と軽トラに乗せられて現在の場所に案内してくれた。厚東川と小野湖にいだかれたすばらしい場所だった。
農園をたちあげてはじめての正月、Kさん宅に年賀のご挨拶にうかがった。「おう、よう来たの」と笑顔で迎えてくださり「乗らんか」とまた軽トラに乗せられた。
四駆のトラックで雪の残る悪路の山道をかなり登ったところで車から降ろされた。静寂のKさんの椎茸山でふたりっきり「ええか、農業はやっただけの結果は必ずある。苦労はあるけれどがんばれよ!」と、はじめたばかりの養鶏で、わからないことばかりで右往左往しているわたしに激励してくださった。その言葉に涙がこぼれた。
150羽の鶏を放し飼い飼育をはじめ、炎天下の草刈り、マイナス10度近くで各所で水道管が破裂した冬を経験しながら、鶏の数は5000羽になり、数名の障害をもつ仲間とも働けるようになったころ、Kさんから電話があった。「菊見を自宅でするから来るか」もちろん「はい!」と返事をした。虫たちが奏でる秋を聴きながら、立派な庭に飾られライトアップされた大輪の菊を愛でながら、芋焼酎党なので日頃は飲まない熱燗の日本酒をみなさんから注がれるままに盃でたくさんいただいた。地域の話題や、余興の格調たかい詩吟を末席で聴きながら「やっと田舎にとけ込めた」とうれしく酔いつぶれた。
お掃除を教わったイエローハット創業者の鍵山秀三郎先生は「凡事徹底」奇抜なことではなく平凡と思えることでもコツコツやり続けていくなかで道はついていく。そう説かれる。まさに「小さなコトでも、やっただけの結果は必ずある」と、農業一筋に営みを続けてこられたKさんの言葉にもなる。5年。わたしが一日も休まずに働き続けている心の支えの言葉である。
05/03/14(月) 19:09 足立 進(JAG07563)
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