六さん 平成18年2月3日 しんあい農園日記


昭和17年2月3日。宇部市長生炭坑で、海底にのびた坑道に海水がはいり「水非常」といわれる災害がおきた。犠牲者は184名、うち朝鮮人や中国人が130名。

この事故を個人的に検証したとき、水没した海底から生還した当時17歳の朝鮮人、秋順得さんを筑豊の宮田町でさがしあてた。「一日2円稼げて、米の飯が食え、辛抱すれば親をよぶこともできる」という噂で15歳で海峡を渡ってきた。秋さんの人生を何度も聴かせていただいたことが、わたしのおおきな財産にいまでもなっている。

もうひとつ、朝5時ごろから浸水をはじめた坑道に入った江本(保安係)という30歳の日本人がいた。引き止める同僚に「責任上行かねばならん」と言葉を遺し還らなかった。奥さまはその後毎月3日に殉難碑に花を供えておられた。

農園に一本のピッケルがある。わたしがこの事故とかかわった唯一の品である。「新川 原田氏(当時、電気技師)」と刻まれており、その意味はわたしは知っている。

いま雪がしんしんと降り積もりはじめた。

しんあい農園 足立 進


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