交換ノート

聴覚障害がある「みゆきさん」と続けている「交換ノート」が最後のページになった。

いま使っているノートは昨年4月からの13冊目。

先日、いつからノートを始めたか尋ねたところ「2004年5月6日木曜日からです」と返事があった。12冊の過去ノートは彼女が保管している。

一日の仕事、死鶏を見つけた鶏舎とその羽数、3日先までの天気、あと彼女が贔屓するジャイアンツの試合結果や、昨夜観たテレビ番組。休日は朝起きてからの一日の様子。箇条書きで4行程度書き込みがあり、昼休み後に渡され、私が一言二言コメントして返す。

彼女は365日。私は週5日。年に数回、彼女の母親から書き込みがある。

2004年、彼女の近所に住む市会議員から「聴覚障害がある女性が仕事を探していますが」という連絡があり、彼女の自宅を訪ね、家族が揃う夕食前の食卓で話を聞き、仕事の説明をした。それほど人手に困っていたわけでなかったが、母親が「ありがとうざいます」と頭を下げ、様子が飲み込めていない彼女も母親から促され頭を下げた。青白い顔をした22歳の彼女が必死で「ウンウン」と頷く姿は強く記憶している。

帰り際、ビールを飲みながら黙って話しを聞いていた父親が「うちの娘に仕事ができるはずがない」と重い口を開き、何か自分の心の中で「カチン」と音がしたが、「まぁボチボチ仕事を教えて行きますから安心して下さい」と玄関を出た。

初めて伺った家庭の様子を見て、何が自分の気持ちをそうさせたかはわからない。
ただ、今の自分だったら「あぁそうですか」と言って、彼女と共に働くことはなかっただろうと思う。

後々、聞いた話、彼女は小学校3年生から学校に通学している。それまでは自宅で母親と生活していたが、行政が介入して義務教育を受けることになったらしい。小学校、中学校は特殊学級で過ごし、卒業後は22歳まで在宅。家族と近所に住む叔母家族以外に人と触れ合うことはなかった。

家庭の事情は様々で親の願いは「我が子のため」という一心の思い。家庭の形は様々だろうと私は思う。みゆきさんが育ってきた環境を変えることも出来ないし、障害がある子供を持つ親の気持ちは安易に否定できない。まして聴覚障害がある子供の子育てをしたことがない私には。

彼女が農園の仲間になった当初は「手話」を使って、仕事を覚えてもらおうと私もギコチナイ手話を使ったが、細かい指示はどうしても筆談になり、ノートを使い始めたのが「2004年5月6日木曜日」だったのであろう。

イラストを書いたり、色つきペンでアンダーラインを引いたりしながら、仕事の手順を教えたり。13年前に手探りで鶏との仕事を進めながら。今は幾分か私自身も季節によっての作業の進め方を身につけたが、彼女の「ノート」ひた向きな姿勢があったからこそ。

どれだけの文章を彼女が理解してくれるのかも手探り。伝えたいことが伝わらないモドカシサもあったが、理解して出来た仕事を誉め、出来なかった事は私の力量不足と常に自分を戒めた。

「上手に出来たね」と書き込んだことが多かったのか、「○○しました。みゆきは上手」と書いて持ってくる時期もあった。

箇条書きの仕事の文章には彼女の「気持ち」はない。何度か「気持ち」や「思い」を書くよう促したことがあったが、私の力不足か仕事に関しては変化が見られず。

ただ、休日に祭りや花火大会に行った時、「たくさん」とか「キレイだった」とか「美味しかった」とか書いてある時は私も嬉しくなり、色ペンでアンダーラインを引き二重丸をして「みゆきさんの気持ちがよく分かりました」と返信する。

彼女が通勤するにあたり、バス停から農園までの4、5軒の家庭に「耳が聞こえない女性が通りますので少しご配慮をお願いします」とお願いに回った。

13年間、同じ時間に出勤し、帰宅していく彼女に近所の方の対応も変わってきた。

皆、手話が出来るわけでないが「暑いねぇ」と団扇を扇ぐゼスチャーで労ってくれ、「お疲れ様」と大きく手を振って下さる。それを受けた彼女は精一杯の「目力」と「微笑み」で応える。

何か大きな気負いがあって付き合い始めたわけでなく「まぁボチボチ」と続けてきた積み重ねが次第に大きくなったと実感する。

彼女の生活が「縦」に伸びる支援は農園では出来ていないと思う。ただ、彼女が生きようとする「横」に伸びる「根」を張る手伝いは「ノート」や「仕事」通じて少しは出来たのではないだろうかと私は考える。

13年前に初めてあった彼女の家庭、当時の農園の状況、共にすごした時間、地域の住民の方との関係の変化。当時より、私も二人分、三人分の仕事をするようになり、彼女もまた仕事量が増えた。元気な体があっての事だが、農園の営みを切らさず続けてこられたのも彼女の存在が大きい。

なにより最近感じるのは、彼女に引っ張られている部分が少し増えてきたことである。

少し辛い時間を過ごしている自分に「お前もがんばれ」と言わんばかりの仕事で励ましてくれ、私が見落とした鶏舎の不具合を自分で進んで直してくれたりする。

13年前、「まぁボチボチ」と付き合い始めた聴覚障害がある「みゆきさん」から「気力」をもらう度に、共に働く人への感謝の気持ちが大きくなる。

あだちまさし。