月別アーカイブ: 2014年3月

明日から増税

早朝、7トン積みバルク車(鶏の餌運搬)が着いた。消費税の4月をまえに養鶏や養豚場から「3月中の納品」依頼で、きょうは早朝から夜中まで走るらしい。

愛犬の餌を買いに行ったら、いつもの餌が売り切れていた。初めての出来事。みなさん買い込んでいる。

夕食と明日の朝食に弁当の買い物に、厚狭のスーパーマーケットに立ち寄ったら広い駐車場が満車。

美祢市の高齢Bさん夫妻。奥さまもいろいろ病気をかかえているけれど、ご主人の透析(週に3日。1回が3時間)が最優先。市民病院に運転手で送迎される。透析中の時間、自宅に戻っても中途半端な時間だから待合室で待つ。毎週10時間、待合室で、これから先をおもうとため息がでる。
配達さきで親しくなると、家庭の悩みを打ち明けられることもある。わたしが聴いても解決にはならないが、ゆっくり聴くようにしている。

聴いて解決できることもある。
厚狭の山奥。奥さまの悩みはネズミ。相当数の大型ネズミと同居されているようす。農機具の配線をかじり断線させる。仏壇を破壊する。それを先週聴いて解決案を示した。
ネズミ駆除業者も使う殺鼠剤(1キロ約4千円)を業者から買えるので、来週持参して使い方を教える。
農園でもネズミ対策に苦労した体験がある。

母が心配

昨夜、運転疲れか睡魔が6時ぐらいから忍びより布団を敷いた。おそらく7時過ぎには夢のなか。

消費税増税まえ、買いだめする物もなく、せめてもの散髪をした。
来月、家内が長女の京都に二泊で行くので新山口駅でキップを買った。

それをすませてから母にあいに行った。ひと月ぐらい前から起きあがるにも介助が要るようになった。抱き抱えてベッドに座らせて「ぜんざい」を食べさせた。自力では食べられない。食べさせた。食べたら眠くなる。
わたしがひとり息子とわからないで「誰かおまえは帰れ!警察を呼ぶ」と混乱した時期。歩けないので排泄はベッドになった時期。それを大正生まれ(大正生まれは苦労している)のド根性で立て直してきた。
今回の窮地はどうなろうかと思いながら部屋をあとにした。

午後から予定の仕事が小雨でできなかった。クレヨンのママから閉店御礼メールが届いた。農園に行きますと結ばれていた。歓迎の返信をした。
コトを始めるエネルギーより、コトを終わるエネルギーのほうが力がいる。よく円満閉店をされた。
わたしも、その道半ばを通過中。

長距離を走った

7時に萩「常茂恵旅館」にお届けのタマゴなどを載せて急ぎ足で向かっていたときメール着信。
発信が松村御大だったので停まって読んだ「海峡ウォーク申し込みをしたか」が内容だった。来月13日、恒例の維新海峡ウォークが開催される。
参加申し込みは、いつも松村御大にあまえていた。今年は携帯電話から事務局HPに申し込みする予定にしたが、やはりパソコンかスマホでないと厄介なことがわかり、娘(真砂恵)に、わたしのエントリーを頼んだ。そう返信して萩に急いだ。
雨ならば不参加。晴れたら30キロを松村御大と元気に歩こう。

来週のテレビ番組で1945年から60年までの日本社会を様々な角度でうつした番組をみつけた。
BSプレミアム・4月1日・午前0時から
「映像の戦後60年」

母は、いつ宇部に来たのか。その理由はなんだったのかをいっさい話したことがない。愚痴も聞いたことがない。
母33歳でわたしを生んだ。サンフランシスコ講和条約から間もないときである。
つまり、わたしを宿したとき日本はアメリカの占領下だった。
先日読ませてもらった、在日韓国人女性が戦後を生きた苦労。母も国家が揺れ動くなかで懸命に生きたにちがいない。
その番組を録画予約した。

萩などをおえて農園にもどり、簡単に腹ごしらえをして小雨のなか下関に軽四トラックで向かった。焼却炉の燃料にする木材を買うため。
わたしの留守中にYさんが農園に来られ、鹿児島土産の(鹿児島でしか流通していない)芋焼酎を鹿児島土産で家内がいただいた。
ちかいうちYさんご主人も一緒に農園に遊び(宴会)に来てくれるらしい。

気持ちのよい朝

給油は山口市内のセルフのスタンド一ヶ所に決めている。
月6000キロ以上走るから頻繁に通う。従業員さんとは名前で呼びあうぐらいになっている。
半月前、30代独身とおもう男性従業員の表情が暗いことに気がついた。
防府市から通う彼は働き者。タイヤ交換など「運動になります」とキビキビこなす。家内の軽四のオイルとタイヤは彼のノルマ(営業成績)に貢献してきた。
「なにかあったか」と尋ねた。一週間ほど前、彼の過失で事故をした。車両保険に入っていなかったから、相手と自分の車の修理代が50万円以上かかる。と悩みをうちあけた。
聞いただけで、わたしは彼の悩みにこたえることはできない。
数日後、小野田市内のお客さまが「行かれませんか」と、5月に宇部で開催の「ハーモニカ演奏会」の案内をいただいた。

ガソリンスタンドの彼はCHAGE andASKA(わたしは?)のハーモニカに魅せられ独学。
愛車に5本のハーモニカ。作業服のポケットにも小さいハーモニカを入れていた。スマホに録音した彼の演奏を何度か聴いたが(?)

ハーモニカ演奏会で彼の気持ちがあがればよいと思い。それも1日でも早いほうがよいので、きのう家内の給油便にパンフレットを託した。

今朝8時の開店一番客でガソリンスタンドに入った。彼が小走りで来て「ありがとうございました!」と久しぶりの笑顔だった。
彼の母親がハーモニカ奏者で、その影響もありハーモニカという立ち入った事情まで聞いた。
事故で気持ちが落ち込んだ青年を励ますことができた。

金曜日。徳山動物園の桜は満開。農園の桜もつぼみがほころびはじめた。

長丁場の木曜日

先週土曜日に黄正吉さんから拝借した蓮池薫「拉致と決断」を今夜で読み終わる。
2日まえ、日本海に向けてテポドン2発を、日米韓の会談にあわせて威嚇発射した。その北朝鮮という国柄が、24年ものあいだ招待所で、日本から戻った朝鮮人と偽装経歴まで烙印され生きた蓮池さんの体験から、テポドンも推しはかることができた。
拉致について詳しくは知らなかったが、この本を読ませていただく機会を得てよかった。
木曜日。約250キロを走りおえてシャワーをつかい、きょうは贅沢プレミアムビールを飲んでホッとした。

農園の桜もつぼみが赤くふくらみはじめた。来月5日は桜の名所、美祢市役所界わいの桜をめでる「美祢桜祭り」。加奈ちゃんも1時から夕方までイベント会場でパンの販売をする。行ってみよう。

「よしの」は午後1時半に完売したらしい。春休みで子供連れで盛況!

ツバメが飛んだ!

小雨のなか、宮尾八幡さま朝参り。ツバメが2羽仲良く滑空を初目撃。これが今朝参拝の「おかげ」。

小野田市内、整形クリニックいつもは老人でいっぱい。しかし雨で広い待合室はガラガラ。老人は診察で病名を拝受すれば、一回わずかな金額でマッサージ器具が使え、湿布薬などもらい放題。
病院と暇をもて余す老人(患者?)の利害が重なり医院は暗黙のうちに老人社交場となっている。雨がふれば元気な患者?は来ない。
医院と老人暇つぶしに膨大な税金が投入されている現実がある。

この医院受付女性の妹「あすみ」ちゃんは難病をかかえている。患者がいないから近況を尋ねた「あすみ」ちゃんは、何度か農園に招きホタル見物や犬と遊ばせた。
21歳になった。体重は19キロ。器官切開で声を失い。食事は「いろう」で口から食べることはない。きのうから体調をくずして宇部の大学病院に入院したらしい。
時間をとって顔を見に行きますと約束した。
配達をすませて農園に戻る途中、近くの温泉に立ち寄った。
朝、タオルに軽石、着替えの下着を用意していた。
湯船で30分、疲れが玉のような汗になりスッキリ!

消費税に思う

日曜日に開催された、秋吉台マラソンのニュースを夕方みた。小学生の部で3位はK君。今朝の配達Kさん奥さまに「もしかして」と尋ねたら「長男が頑張りました」と喜ばれた。
JR湯田駅近くのおばあさん。2年まえにご主人を亡くされ広い屋敷住まい。ご主人の趣味が盆栽と菜園で広い面積が雑草。この雑草に困り果てている。
わたしが草刈機を持参して刈れば1時間もかからないが、それを毎年続けることはできない。来週の配達で除草剤の使い方をアドバイスすることになった。シルバー人材センターの料金も調べておこう。

来週から消費税があがる。配達先でみなさん「困る」と言われる。わたしも税金は安いほど助かる。
しかし、国家は税金が支えている。治安維持の警察。財産と命を守る自衛隊。わたしが毎日走る道路。消防に救命。老後の保障などたくさんある。
税金と社会の仕組みをしっかり子供のときに理解させること。
節税と言いながら脱税する大人のモラルは恥ずかしい。
酒税に今夜も貢献。

米の味!

美祢市の「よしの」に用があり9時半に立ち寄った。11時の開店準備で夫婦は慌ただしい。
過疎の美祢市で、午後には「完売御礼」札をさげる繁盛店。手を抜かずに手をかける姿勢が繁盛の裏打ちしている。
昼にはカウンターもテーブル席も客でうまり、糸賀社長や松原ホタテマンたち、親しい仲間が座っても会話ができないぐらい慌ただしいらしい。
オニギリを奥さまがたくさん握りながら「どうぞ!」と熱々のオニギリをアルミホイルで出してくれた「塩だけです」と。この店の米は新潟の指定農家米、しかも炊きたて。間食しないわたしも食べた。なんと米がうまい!

美祢市の山奥。一番奥に老夫婦が週6個のご注文。ばあちゃんは寝たきり。
じいちゃん(80歳ぐらいか)は普通車を運転して美祢に買い物や病院に行く。何度も自損事故で危ない運転。けれども、背中は曲がっても気持ちは若い「大丈夫いや」とタクシーをすすめたわたしに不機嫌顔。
車を手放したら、山奥で手足をもがれて生きる不安な気持ちもよくわかる。

20年ぐらい前。広島県の山間地域を訪れたことがある。モダンな町営住宅に老人が集められていた。
点在する老人の住まいに上下水道や道路整備などインフラを整える費用に比べたら、住居などを提供して一ヶ所に集めたほうが効率がよい。
開拓時代のインディアンのような処遇だと、そのときは思った。

地域や国の繁栄に尽くされた高齢者がさまざまな不安を抱いて、声をあげるすべもなく生きておられる。

母のサンドイッチ

毎月一度、母の朝食持参の日曜日。今回は母のリクエストでサンドイッチ。
早朝から家内が種類多く、小さいサイズをつくってくれた。気分が変わっていたら困るので小さいオニギリと漬物も用意。

いつもは着替えて待つ母がカーテンをしめた部屋で寝ていた。
腎臓の数値がよくない。顔がむくんでいる。
機嫌をとりながら座らせサンドイッチから食べさせた「食べさせた」とは、小さいサイズをさらに家内がハサミで半分にしたらひとくちサイズになり、やっと食欲スイッチがON。

オニギリにも箸をつけ、長い時間をかけて「おいしい」を連発した。最後は眠たくなり、入れ歯を洗い、薬を飲ませて横にしたら夢の中。

山口市内の配達をして萩シーマートに今夜の魚を買いに行った。
アイナメ一匹、大きなカサゴ二匹に赤ナマコ。家内はアイナメは刺身。カサゴは煮付け。ナマコは刺身らしい。
少し足をのばして香月美術館。わたしは何度も訪れシベリアシリーズ。ハイラル通信など作品にせっしてきた。香月が陸軍時代を過ごし、三隅の奥さまに300通以上、葉書に現地のスケッチと短い便りを添えた「ハイラル通信」その旧満州ハイラルを訪れたことがあるから、北京から空路で約2時間。ホロンバエル草原の町から三隅まで届いた葉書は作品とよべる。

となりに湯免温泉があり500円。1時間ゆっくりお湯を楽しんだ。

本物マ サイ戦士

2014/ 3/22 15:55

氷点下の朝をむかえた。
萩「常茂恵旅館」7時。わたしが決めている定刻に着いた。雲雀峠は氷点下2度だった。
美祢市の黄正吉さん。8時半の定刻に着いて、いつもどうり奥さまからお茶をいただき、いつもの30分、正吉さんのペースで会話がはじまり、わたしの意見も言う。
きょうの会話は、思うことと行動が伴わない。これがテーマになり深い話ができた。
正吉さん。民族のプライドを日本でしっかり示し、それでいて日本社会からも愛される好人物(最近それがわかりはじめた)。
蓮池薫「拉致と決断」を「なかなか内容がよい」と貸してくださった。

午後から宇部市内。ヒストリア宇部を会場に「ケニアの響き マサイ戦士いのちのメッセージ」に行った。昨年も開催され、わたしは2度目。
美人の水元さん呼びかけという理由と、前回ケニアのスラムで生きる子供たちの紹介映像で涙をながした。もう一度、あの過酷な環境のなかで「夢」を実現させるために生きる子供たちの姿から、わたしは力をいただきたいと参加した。
本物マサイ戦士がライオンをもしとめるヤリをたずさえ民族衣装で登場。ライオン7頭をしとめた迫力。
現在、エネルギー採掘で、ケニア草原にも開発の名のもとに大地掘削に道路網がひろがり、牛を飼うことで営みができたマサイの人が、草原を失い牧畜が困難になっている現状を知った。
牛の血液を飲み、牛乳を生かし、皮は大切に使い、棄てるものはない生活から牛が少なくなりお金が要る社会に変わりつつある。
開発の錦の旗印は、果たして人類の幸せの旗印かと思わされた。
マサイ戦士、まだ寒いから風邪をひかれませんように。

訃報に合掌

昨夜、ある人からのメールで会社で事務員(パート)をされたNさんが、昨年がんで亡くなられたことを知った。
わたしの現役時代。朝礼で、毎日順番に短いスピーチをしていた。Nさんのスピーチを覚えている。
愛車が古くなり新車を検討して数社の営業マンに自宅に来てもらい軽四の説明を聞いた。その結果、見積金額が一番たかい三菱車に決めた。その理由は、営業に来た人が誠実に対応してくれたから。わたしは金額で決めたくなかった。

当時、会議録業界は値下げ合戦がはじまり、製品の品質善し悪しを評価できない役所の職員は、価格だけで委託業者を決めた。
会議録は多くの人が関わり用事用語に句読点から段落まで、関わった人の個性ではなく、全体をつらぬく統一性をわたしは重視した。だから、Nさんが価格だけでない。と話した内容に相づちをうった。
お子さんに恵まれず、ご主人と愛犬で幸せにしておられた。
きょうはNさんの笑顔を思い出した。

祭日の金曜日は、日ごろ混雑する道路もすいすい走れ楽に走りおえた。

5年まえ、全国中学校合唱コンクールの課題曲が「拝啓十五の君へ」アンジェラ・アキが各地の中学校を訪れ合唱部と交流した番組をみた。
それ以来、アンジェラ・アキのファン。
あすの午後3時。
Eテレ 拝啓二十歳の君へ アンジェラ・アキと中学生たち 再会
が放映される。あの中学生たちが二十歳になるアンジェラ・アキと再会するのだろうか。楽しみで録画予約をした。

木曜日をおえてゴロゴロ

花粉症対策でマスクをつけた「風邪ですか」と尋ねてくれたお客さまが何人かいた。
「花粉症のようです」と説明したら「失礼ですが、高齢の方は免疫があるようですから風邪でしょう」「若い証拠だから赤飯で祝いなさい」とも言われた。マスクをつけたら鼻水が治る。外したら鼻水とくしゃみが連発する。

10時前後に、下関大丸百貨店の荷揚場。たくさんの駐車スペースの陣取り合戦を業者のトラックが展開する。
13年まえ、松村御大(唐戸魚市場社長)が「大丸に納品できるよう手配した」と電話をくださり大丸百貨店に名刺を持って行った。
「松村様からうかがっております」と肩書きのある紳士が対応くださり、店内でタマゴなどを扱う商店を紹介くださった。

以来、毎週木曜日はわたしが荷揚場から搬入。宅配でも届ける長年のお得意様。とくに「大丸百貨店で農園タマゴをみましたよ」と既存のお客さまの満足度は(価格は高い)アップしてきた。

大丸百貨店から午後の美祢市を走っていたとき大丸百貨店の商店から電話が着信した「急な話しですが、今月末で大丸から撤退することになりました」長い取り引きのお礼を申し上げた。

配達の全部をおわり、正志に大丸の一件を電話で伝えた。

農園を正志に任せて、彼の黄金時代を築いてほしい私の願いは片道通行で、変化のない働きぶりに、わたしは、彼が立ち行くことを基本にして苦言も言うことにした。わたしが黙々とこなしてきた仕事も少し前向きに取り組みはじめた。

大丸のことを伝えたら「はい」と重い声。売り上げの影響が声にあらわれた。
たしかに良い話しではないが。このことがあったから飛躍できた。その組み立てを早くやらねばならない。
わたしの切り抜けるアイデアはいろいろうかんでいる。正志の対応をしばらく静観することにした。

木曜日を走りおえてゴロゴロしながら日記をおえた。

河村隆子さま

わたしの自費出版計画に河村隆子さんから賛同のお便りをいただいた。

偉業を成し遂げた人でも、その多くの歴史は年月で埋もれる。まして凡人で生きたわたしが遺せるものはない。
けれども「あの人がいたから」「あの出来事のおかげ」と思い起こすたくさんのシーン。そのなかでも印象的な、わたしの人生が切り替わった出来事を文字にすることは、わたしが生きた背骨をあらわすことになる。関わった人にお礼にもなる。
高価な墓より、わたしの背骨が読める紙の墓をつくりたい。あとにつづく誰かが、いつか読むかもわからない。

それが心境です。隆子さん。

小野田市。Kさんの庭にやわらかいピンク色の杏が咲いていた。玄関で話題にしたら。
長男家族に初めて子供を授かり、3年まえの1月誕生した。800グラムの未熟児。名前を「杏奈(あんな)」と命名。ドクターチームのおかげで長い入院生活から退院できた。
初孫をいただいたご主人は杏を1本庭に植え、肥料をほどこし我が子のように、祈るように毎日育てた杏。それが咲き誇る。
「よく気がついてくれました」と奥さまが頭をさげられた。
いま、杏奈ちゃんは、標準体重にはおよばないが、じいちゃんに可愛い反抗をするらしい。

花粉症

どうも人並みに花粉症のような気がする。
この数日、くしゃみ・鼻水・涙に悩まされティッシュの箱が手放せない。

糸賀社長と短時間でいろいろ会話。農園そばの川で遊ぶ渡り鳥撮影に2度もこられたらしい。泊まって早朝を撮したらとお誘いした。血圧があがる気がしてコーヒー断ちしている。事務員さんがブラックコーヒーをたててくれた。5年禁煙していたとき「1本ぐらい」と吸った煙草ぐらい、コーヒーで頭がクラクラした。

山口市内Iさん。いつもの2時過ぎに着いた。奥さまが裏口に用意しているクーラーバックにお届けしている。
ランドセルの可愛い女の子が玄関から入ろうとする姿がみえた「タマゴのおじちゃんです」と声をかけたら小走りできた。前歯が抜けた笑顔がとても可愛い。わたしの長女(小1)の末娘も歯が抜けた写真。
名前を聞いたら「まや」です「近くに山があるからマヤです!」タマゴの空き箱で遊んだりして短い至福の時間。よい育ちかたをしていると実感した。
別れるとき「バイバイ」と言うわたしに「さようなら」とおじぎをした。配達冥利。

白井社長と懇談

きのう「ぎじろくセンター」白井社長(50歳)が、わたしの自費出版の相談にのってくれた。

わたしの社長時代、創業から20年間、市町村議会会議録と自費出版を専門にとりくんだから、養鶏業約15年で出版の現場から離れていたとしても制作の心配はなかろうと思っていたが、聞いてみるとOA機器など飛躍的進歩を遂げており、わたしの知識は役にたたないことがわかった。
会社・農園・掃除・その他。4章に分けアバウトな時系列で構成してみようと思う。

入力は糸賀社長のノートパソコンか富士通ワードプロセッサー。もしくは日記を長年入力している携帯電話。この3種の選択肢。
いまのわたしに一番馴染んでいるのは携帯電話。出版入力は携帯電話でやることにした。
たまに、わたしが「ぎじろくセンター」から毎月報酬をとりながら農園をやっているのではないかと冗談を言う人がいる。わたしの後任、白井社長と膝を交えて話したのはきのうが初めて。
税理士は、月50万ぐらい報酬をとり、楽な気持ちで養鶏をやればよいとアドバイスをわたしにした。
そのアドバイスを実行していたら農園も白井社長との関係もゼロになっただろう。
とにかく、わたしの夢をもとめて無責任に会社を白井さんに任せたお詫びもした。
大男の白井社長が男泣きをした。
2年後ぐらいに完成させて出版記念ができたらよい。

花粉症か風邪かわからない。鼻水とくしゃみ、涙の3拍子に悩まされている。

春の陽気

高齢犬(太郎さん19歳)。一時弱っていたが冬を越え、食べる量ももどり元気をとりもどしている。
散歩が好きで毎日相当歩きたがる。けれどもふだんは、特に朝はゆっくりつき合えない。日曜日の朝は気持ちはゆっくりだから、長い時間の散歩ができる。自宅の黒柴「ころ」は20歳を越えて元気。
95歳の母。最近はひとり部屋で食べている。いろいろ妄想に悩まされ、今朝の顔は穏やかではない。食事が終わるまで話し相手をし、食後の薬9粒を飲ませて部屋をあとにした。

午後から、猪が掘り返した広い場所の石を拾い整地をした。草が生えるまえにしておかないと草刈りに支障がある。

自費出版の計画を、ぎじろくセンター社長の白井さんに伝えた。夕方打ち合わせに来てくれる。

宝物はやっぱり「人」

農園をはじめて以来、夜明けから日暮れまで働いている。
季節感は敏感になった。もうじき小野湖からワカサギの大群が産卵で農園そばを遡上する。サギ、カワウなどはワカサギ食べ放題でにぎやかになる。まだ遡上ははじまっていないが鳥は偵察に来る。投網でワカサギ漁をする人に買わせてもらうお願いをした。
佐伯さんが亡くなられ、奥さまからいただいた、関係者へのお礼を桜の苗木にして約20本植えた。年末、その1本につきバケツ一杯の鶏糞をほどこした。そのせいかツボミの数が多い。
愛犬「はなちゃん」の墓に植えた黄色の水仙が勢いよく花を咲かせはじめた。
ウグイスも上手にさえずるようになった。

やっと春が見えてきた。

先週、松村・上田両先輩夫妻と至福の時間だった「キャプテン」ご夫妻から丁寧なお礼状をいただいた。
わたしの宝物は、やっぱり「人」しかないと思った。

深夜の揺れ

深夜の揺れと携帯電話のけたたましいアラーム音で目がさめた。すぐにテレビの速報で津波がないことを確認した。次女(真砂恵)の家は海岸のそばにある。
犬は騒がなかったが、鶏は激しく騒いだ。
木曜日の疲れですぐに寝た。

今朝のラジオ。
中東情勢が安定しないので、日本はロシアから化石燃料の輸入を増やしている。備蓄があるとはいえエネルギーが枯渇すれば国は破綻する。

ウクライナ情勢が緊張している。ロシアとヨーロッパにアメリカが加担。成り行きでは緊張が高まる。

そして、集団的自衛権論議が国内でおきている。同盟国アメリカに向かうミサイルを日本から迎撃。洋上でアメリカ艦船が攻撃を受けたら日本は武力を行使して援護する。
中国と北朝鮮状況を見据えての議論で、わたしも容認の立場だった。
けれども、もしアメリカとロシアが局地戦にしても、場合によっては、燃料問題をかかえながらも日本も動かざるをえない。

原子力発電所の稼働にしても、誰も「ない」ほうがよいが、それで日本社会が維持できるのか。など多面的な議論が必要だろう。

ラジオを聞きながら、おおきな視野でみなければならいことを感じた。

明美さん全国デビュー

下関港国際ターミナルと韓国釜山を往来するフェリー。日本船籍は「関釜(かんぷ)フェリー」。韓国船籍は「釜関(ぷかん)フェリー」。

わたしは、このフェリーを利用してナザレ園に寒くて慰問がない2月、10数回慰問団をお世話して荒波の玄海灘を通った。
フェリーには「ポッタリ」と呼ばれるオモニ(おばさん)達30人ぐらいが釜山から韓国食材を担げるだけ担いで、朝下関に来る。食材を売りさばき、韓国で売れる胡麻油や炊飯器などを買い込み夕方のフェリーに乗り込む。
フェリーがオモニ達の自宅のようなもので、乗船したら誰より先に風呂に入り洗濯をし、下着なども船室にロープをはり干す。キムチのどんぶり鉢をみんなでつついて酒を飲み、花札をするグループもある。
船内免税店で安い酒を買いポッタリのオモニと、船が釜山港沖に着き錨泊する12時ごろ、エンジンが静かになるまで酒盛りで騒いだ。

ポッタリが下関港に着き、荷物を担いで向かう先は歩いて10分程度の街「リトル釜山」とも「グリーンモール」とも呼ばれる街並み。ハングル文字の看板で焼肉屋、民族衣装店、キムチ店などがならぶ。わたしはアリラン食堂に何度か通い「とんちゃん(ホルモン)鍋」を味わった。

きのうお昼のテレビ番組NHK。ひるブラ「下関・伝統のコリア街」を録画していた。
夜、再生した。華やかなチョゴリがカヤグムでアリランを弾く。その顔がまだ映像に出るまえ「明美だ!」と思った。リトル釜山の街路で華やかなチョゴリ姿でカヤグムを弾く呉明美さんが全国ネットで登場。
最後の焼肉屋で登場したのはご主人だったように思った。
彼女は4月2日。湯田ロータリークラブ「観桜会(松田屋)」でカヤグム演奏をする。日韓の政治レベルは困難でも、彼女は笑顔と演奏で日韓をつないでくれるだろう。

今朝2時に目がさめた。香山さんからの「劔岳撮影の記」を一気にみた。
常々、山岳カメラマンの偉業に敬服していたが、この作品に関わる全スタッフが劔岳を難度も往復している場面に驚いた。約70日も劔岳に張りついて作品が完成した。

中越地震の「ふく鍋隊」でご縁をいただき、毎週木曜日にタマゴを配達する金剛住器の木村社長は剣道と山が好き。きょう「1週間の無料レンタルします」と渡した。

よき仲間( 先輩)に恵まれ

専修大学野球監督を引退されて、船木の実家に奥さま(かるたクィーン)と戻られて、ある陶芸家に師事され7年。雨の日は陶芸三昧、晴れたら本格的な菜園で汗をかく生活の今村さん。
先日、素焼きのあとの焼きが終わった。
その話題を上田さんと吉野さんにしたら「今村窯を拝見しましょう」になった。
農園で何度も酒を飲み、わたし以外はスポーツ仲間(野球・ラグビー・合気道)。午後2時過ぎに調整してお二人を今村さん宅にご案内。30分同席して雨が降るまえにやりたい仕事のためわたしは中座した。
タマゴのご縁で仲間がひろがり嬉しい。

22日。マサイの戦士(7頭のライオンと1頭の象を射止めた)を招き「マサイの戦士・いのちのメッセージ」を水元さんたちが企画。水元さんの企画はおもしろいからチケット販売に協力した。大人9枚と子供1枚が売れた(わたし夫婦2枚含む)ケニアを知りたい人が案外お客さまにおられた。

先日観た「劔岳・点の記」撮影記録(メイキング映像・市販「劔岳撮影の記」)DVDを兵庫県の香山さんが購入して届けてくださった。

先日は藤野先生から「現代社会×宗教 表現する宗教者たち」「現代社会×宗教 広がる修行者たち」2枚もいただいた。

自分を操れない自分を自覚する。

という、わたしの心をつかんだ場面があり繰り返しみている。

香山さん。ありがとうございます。わたしが観たあとは日記でアップして、みなさんに回覧します。

基本の上に事は成る

3年おきに催される吉部八幡宮「村芝居」。昨年は田舎のよき文化を楽しませていただいた。
役者は地域の数少ない若者が半年前から、仕事を終え夕方から3時間ぐらい本番まで積み重ねると聞いた。祭りは秋だから猛暑の夜も稽古は続く。しかも一滴のアルコールも飲まずに。それが伝統。

山口市内。ラ・フランチェスカ(イタリア料理)の沖支配人(いまは博多でパン屋)が「毎年イタリアの料理人を招いて勉強をする。とにかくベーシックなイタリア料理に徹して、創作は一切させない」創作を重ねたら基本がわからない。

村芝居もイタリア料理も基本をベースに精進される。

山口市内の経営者。志を磨く目的の会が消滅した。関係者がいろいろいきさつを話してくれた。
会合は夜。発会当時はセレモニーも型どおり。内容も目的に沿っていた。しかし、いつの頃からか会員が晩酌をすませて一杯機嫌で来るようになり、世間話をしてみなさんで夜の街に出る。そして自然消滅解散。

履き物を揃える。掃除をする。挨拶ができる。基本的なことこそ大切。

今朝は氷点下4度まで冷え込んだ。

母の指に感謝

日曜日の朝食。ジャムで汚れた母の全部の指をお湯を絞ったタオルで拭いた。たくましく働き、わたしを育てた指は骨格標本のように細く、それがありがたく思えた。

今朝の配達先でたくさんブロッコリーをいただいた。美祢「よしの」に「半分わけしょう」と奥さまを喜ばせた。

被災地の復興をマスコミがいろいろな視点で取材をする3月になった。
3年経ってもまだにプレハブの仮設住宅。その要因はいろいろあるが、人件費に資材の高騰。
儲かる工事はしっかり儲ける。作業員の日給は1万7千円以上が相場になっている。
漁師や農業の若者は儲かる作業員になり、東北の一次産業は疲弊する。
公共工事が悪のように旗をあげた前政権で土木事業費が大幅削減され、土木技術者の多くが転職し土木技術者の数が足りない。
そして東京オリンピックで儲かる工事は東京に移り東北は取り残される。
多すぎるとまで言われる国会議員は、東北復興施策を知恵を出して取り組まねばならない。
全村避難の飯舘村小学生が避難先で「飯舘」と言えずに生きていた。広島・長崎の人がそうであったようではない理由であってほしい。

キャプテン・クレヨン最高

昨夜は最高に愉快な6時間。

予約時間6時に港町キャプテンに松村・上田夫妻とわたし夫婦は着いた「ご予約で満席」の札がドアにかけてあり、落ち着かないかもわからないと思った。分厚い鉄板焼きカウンターに案内された。このお店ではシェフの奥さまが涙がこぼれるような感動の出来事が20数年前にあった。
シェフ夫妻で肉・魚に野菜をさまざまな器に盛りつけ目と舌と耳を楽しませてくれる。
ビールからワインになったころ、私たち6名で貸し切りだから、いくらでもゆっくり楽しんでくださいと言われ、おもてなしに感動した。最後はガーリックライス。本格的中国茶。

クレヨンは予約時間を少し遅れた。ママが割烹着で忙しいほぼ満席。わたしのマドンナ「かなえ」ちゃんも手伝いで接客。わたしが海外に行くとき化粧品をねだられた。クリスチャン・ディオール「デューン」
湯布院の温泉宿まで決めたが実現しなかった昔ばなしで楽しかった。彼女も二児の母になり45歳。
ママ(65歳)が38年間のお礼を言われた。このお店はママの人柄で客同士が仲良くなれる店だった。
松原酒店がおめかしで入ってきた。そのあと同級生のアレグラ美容室。彼女が「さきほどまで河村代議士の会があり、隆子夫人が足立さんたちがクレヨンにいる(日記を読まれた)」それでクレヨン来店。
隆子夫人から「わたしもナザレ園。クレヨンや松村さんと一緒でしたね」とメール着信。
そうなんです。隆子夫人お気に入りの時計が釜山の店に3万円であり、わたしが交渉して8千円になったような記憶がある。
松村御大「11時になったから解散!」のご発声でおひらき。家内の運転で農園に戻ったら12時を過ぎていた。愉しさの余韻でなかなか眠れなかった。

下関ふく連盟が宮家にふくを献上される。松村御大の毎年恒例の晴れ舞台。
宮内庁売店で、両陛下額入りお写真。塩瀬総本家らくがんをお土産で頂戴した。
今朝、いつもの時間に母に会いに行き両陛下お写真とらくがんを「松村さんからお土産」と渡した。たいへん喜んだ。

1日中スコップを握った仕事をした。今夜は熟睡できる。

今夜はクレヨン

まえの仕事をしていたとき、酒を飲みに行く店は「クレヨン」の一軒だった。
夜の街に出ないわたしは、お客の接待はどこがよいかと同級生のアレグラ美容室に尋ねて紹介してもらった。
私が掃除を始めたら、夜中までの営業にもかかわらず早朝の掃除に参加してくれたり、韓国慶州ナザレ園の慰問にも同行してくれるママの人柄で長年通った。
農園をはじめて約15年、一度も訪れないわたしに、一度も欠かさず年賀状が届いた。
今年の賀状に「3月で店をしめます」と書かれていた。
松村御大から正月明け「クレヨンに行こう」と提案された。ナザレ園のとき御大もママも一緒だった。御大の都合は3月8日。御大と萩の中学同級生。わたしとはワープロがご縁でクレヨンによくお付き合いいただいた上田さん。3組夫婦で市内で夕食をしてクレヨンに行くのは今夜。

今朝は氷点下4度。萩市に向かう秋吉台付近は氷点下6度まで冷え込んでいた。

草刈機がよくなり2時間、今年はじめての草刈りをした。寒いと草刈りから解放されるが、あたたかくなると仕事が増える。

丁寧な言葉で話ができた

薄い雪化粧の朝。
山口市内の奥さまが山行き姿で出て来られた。
ホウベン山は山口市最高峰。3日に一度の登山を数年続けておられると知って驚いた。年間100数十日の計算になる。きょうの山頂はかなり積雪かもわからないと。
この健康山登りに、大勢の高齢者が参加されている。
わたしも何度かホウベンを登ったが3日おきに登るのは無理かと思った。

防府市の奥さま。先週、念願叶い九州へ温泉旅行ができた。けれどもお湯で騒ぎ、食事でも大声で騒ぐ中国人観光客がいた。せっかくの旅がよい思い出にはならなかった。

わたしも数年前に同じ気持ちがした。
まえから大好きな日田の小鹿田焼に家内と行った。バスがとまり山あいの静寂がやぶられた。中国人観光客が大勢降りて立ち小便をする。タバコを吸いながら大声で歩く。うんざりの場面だった。
納豆が食べられないなどは文化のちがいで認めあわねばならないが、立ち小便やタバコは文化のちがいではない。
外国人が立ち寄ることでうるおう日本人がいる反面。外国人が立ち寄るところには行かないと決めた日本人もいる。

周南市から3時すぎにもどり、新品の草刈機を使おうと準備したら問題箇所があった。お店に電話したら「これから行きます」と言われたが、どっちみちきょうの草刈りはできないから「あす持って行きます」と言った。お店は恐縮して「交換します」で終わった。
タマゴの仕事で、お客さまからクレームがあり高圧的な電話対応を何度か体験した。
正しいことでも、言葉は丁寧にしたほうがお互い気持ちがよいことを学んできた。

みなさんからお心遣い

昨夜「点の記・劔岳」をみた。霊峰初登頂をめざす山岳隊。そして陸軍測量班は地図作成のため観測点を山頂につくる任務。
測量班が頂きにたったとき、山頂には修験者の遺品があった。
作者の新田次郎は、測量班の言葉に自らの心を重ねた。
「なにをしたかではなく、なんのためにしたか」と初登頂が目的ではなく三角点をつくることが目的だと。

木曜日。10時前に寿司割烹「浪花」に着く。荒川大将は読書家。たくさんこれまで本をいただいた。今朝はdancyu「たまごが先だ!」あらゆるタマゴ料理レシピ本を「足立さんむきの本をどうぞ」と頂戴した。
まだ詳細に読んでいないがわたしのタマゴの話題が豊富になる本に間違いない。

美祢市の「よしの」に納品。美祢市立図書館をうどんの吉野さんは利用する読書家。
「足立さんが読みたいだろう本を借りた」と差し出された本は。立花隆著「自分史の書き方」
ぼつぼつ紙の墓(自分史)をつくろうと思っていたので嬉しかった。

加奈ちゃんパン教室。田舎パンを半分「食べてください」といだいた。

みなさんからお心遣いをいただき嬉しい木曜日。
農園にもどり天宿温泉。運転疲れをお湯で流して脱衣場。これから入る黄正吉さんとはちあわせ。
湯上がりハイボールを飲みながら家内が出てくるまでの日記。

今朝の「おかげ」

2日まえ参議院委員会中継をラジオで聞いた。
自民党の論客、西田昌司氏が、小泉政権の経済財政担当大臣、竹中平蔵氏の実名をあげて能力に疑問を呈した。答弁にたった麻生大臣が、答弁冒頭に「実名をあげて批判するのはいかがなものか」と釘を刺した。横綱相撲をみた気がした。わたしも、よい歳だから気をつけなければならない。

今朝の神参り。参道を本殿に歩いているときメールが着信。歩きながら、今年の夏に気仙沼に行く兵庫県三田市の香山さんのことを考えていた。その本人からの着信だった。
昨夜の日記で、わたしが48歳で人生をかえたことを知り、47歳の彼が思った内容だった。
会う機会はないが、気持ちが通っている実感。それが今朝の神参りの「おかげ」

今村さん。きょう夕方に窯出し。かねてからラグビーの上田さんが今村焼を見たいと言われていたから、今村焼と今村菜園見学ツアーを、来週の水曜日で調整した。

昨夜「劔岳・点の記」と「のぼうの城」が同じ時間帯。悩んだあげく「劔岳」を録画予約。「のぼう」は寝る覚悟で見たが、やはりすぐに寝ていた。

宝くじ当 選!

産経新聞。今朝の紙面に「荒川健一の関門味風土記」今回は「鯛」市場で良い鯛を見分けて(一本釣り・急流にもまれた証はウロコが小さい・魚体に対して頭と目が小さい)
活きじめにしてうまみが出る時間を計算して、お客様に出すときは最高の味になる。

ハズレた宝くじ12枚(200円×5本)全部で60本を捨てようと思ったが、宝くじ初体験だからいろいろ体験するのもよかろうと、配達を済ませてくじ売り場に行き「チェックお願いします」と渡した。即座にディスプレイに結果が出て、2本当たり2千円をもらった。まだ当選の仕組みがよくわからない。けれども「当選!」

今月「ぎじろくセンター(わたし28歳で創業48歳で辞職)」の白井社長に農園に来ていただき、わたしの自費出版(紙の墓)づくりの打ち合わせをする。糸賀社長が「僕のパソコンを入力用に進呈しようか」とありがたいお申し出をいただいた。できたら富士通ワードプロセッサーの親指シフトキーボードでやりたい。それが無理なとき頂戴するお願いをした。

よう飲みました昨夜は

昨夜は酒屋のお二人をむかえて特選のお酒も賞味させていただき至福の3時間だった。
先週たまたま手にいれた猪肉は極上バラ肉で、鍋以外に2種類の味付けで焼いてくれ好評。
量販店やネットで酒を買う人が多いなか、この二人はそれぞれの個性でのれんをまもる。
例えば量販店。店員にさほどの商品知識はない。ところが二人は各地の酒蔵を訪れ利き酒を重ねて、酒と蔵人の人柄まで理解して、眼鏡に叶えば取引をお願いする。
わたしは農園タマゴの説明を求められたら、求める人の質問に応じてきちんと説明ができる。
お二人もお店の酒全部に語れるだけの物語がある。
手頃な値段から高価な酒まであるが、安かろ悪かろうは無い。

今朝は風が強く杉の花粉が煙のように舞い上がる。軽い花粉症かもしれない。目がショボショボ。鼻水に声がかわった。

母の手の腫れを家内が聞いてくれた。
今朝、往診の結果は小さい傷から雑菌が入り化膿する高齢者に多い症状らしい。
点滴と抗生物質投与で夕方までに腫れはおさまった。
まだまだ長生き記録を更新してほしい。

今夜は祝賀会

朝食会場に母の姿が見えない。職員さんに尋ねたら部屋で食べている。右手首に湿布を貼りパンを食べていた。「あんたノーベル賞おめでとう」と言うから「ありがとう」とこたえて湿布の理由を尋ねたが要領を得ない。かなり腫れていた。
家内が用意した漬物とイチゴを喜んだ。ここでは漬物は献立にのらない。
職員さんに手首を聞いたが原因はわからないが、手当てしますから安心するように言われた。

広島県庄原市の林さん(ダスキン・市議・掃除やいろいろな間柄)から電話があった。
きのうから下関に遊びに来ている。蒲鉾を買いに来たら、正面に「シモバン」という大会社があるが、あの松本さんのシモバンか。
下関板金工業。農園建築のとき屋根を任せた。小さい会社で、松本さんが毎日トラックで来て屋根にのぼった。
あれから15年ちかく経ち、本業は大きくなり、レストラン「卯ぐるーぷ」8店ぐらい。不動産やポスティングの地域情報紙など多彩に展開している。
林さんとは中国掃除で縁があったらしい。あの松本さんと知り驚いていた。
今回は農園素通りするが、また寄るからと元気だった。

背負い式草刈機と一番大きな薪割り斧を買った。午後から薪割りをしたが、1時間も割ると腕が痛くなる。

酒屋の井上さん長男がAKB48の作曲をしたのでお祝いしょうと松原酒店が発案。きょうの夕方、松原夫妻が井上さんを乗せてくる。
昨年、牧君からいただいた瓶仕込み芋焼酎「半ぴどん(35度)」と猪料理を用意する。

3月は疲れてスタート

朝まで生テレビを見て寝不足。この番組は、議論がヒートアップするほど私は冷めて見るのは、多様な考え方を手っ取り早く見つけられる。
朝食など基本的な朝のことを済ませて6時過ぎに萩に向けてスタート。
美祢のホームセンターで斧を一丁買った。10数年使った焼却用の薪がかわり、今度は建築資材の切り屑。といっても大きなブロックもある。これを小さくしなければ用を足さない。斧は強力なものは高価。思案した結果、大きなブロックはユンボのパケットで割れる。そう思い小型の斧にした。

昼ごはんを簡単に済ませて下関に配達。帰り道に下関のホームセンターに立ち寄り、草刈機を買おうと思った。これまで地元JAで購入していたが、ベテラン修理の方が長くない時期に辞め補充はない噂を耳にした。
ホームセンター。安かろ・悪かろうの先入観はやめて一度買おうと思った。
背負い式の草刈機を説明できる店員さんがいない。3人来たが商品知識は私より少なく買うのはやめた。

疲れて農園にもどりユンボで薪割りを試みたが失敗。

思うようにならない1日の疲れは大きい。
しかし、きょうは一本の電話も一通のメールもなく、それはよかった。
疲れた夜は犬と遊んで過ごそう。