日別アーカイブ: 2014年3月29日

長距離を走った

7時に萩「常茂恵旅館」にお届けのタマゴなどを載せて急ぎ足で向かっていたときメール着信。
発信が松村御大だったので停まって読んだ「海峡ウォーク申し込みをしたか」が内容だった。来月13日、恒例の維新海峡ウォークが開催される。
参加申し込みは、いつも松村御大にあまえていた。今年は携帯電話から事務局HPに申し込みする予定にしたが、やはりパソコンかスマホでないと厄介なことがわかり、娘(真砂恵)に、わたしのエントリーを頼んだ。そう返信して萩に急いだ。
雨ならば不参加。晴れたら30キロを松村御大と元気に歩こう。

来週のテレビ番組で1945年から60年までの日本社会を様々な角度でうつした番組をみつけた。
BSプレミアム・4月1日・午前0時から
「映像の戦後60年」

母は、いつ宇部に来たのか。その理由はなんだったのかをいっさい話したことがない。愚痴も聞いたことがない。
母33歳でわたしを生んだ。サンフランシスコ講和条約から間もないときである。
つまり、わたしを宿したとき日本はアメリカの占領下だった。
先日読ませてもらった、在日韓国人女性が戦後を生きた苦労。母も国家が揺れ動くなかで懸命に生きたにちがいない。
その番組を録画予約した。

萩などをおえて農園にもどり、簡単に腹ごしらえをして小雨のなか下関に軽四トラックで向かった。焼却炉の燃料にする木材を買うため。
わたしの留守中にYさんが農園に来られ、鹿児島土産の(鹿児島でしか流通していない)芋焼酎を鹿児島土産で家内がいただいた。
ちかいうちYさんご主人も一緒に農園に遊び(宴会)に来てくれるらしい。