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親近感と緊張感

薄氷がはった。放射冷却で早朝の気温が氷点下に下がったためだ。
寒さが厳しい冬を長期予報が伝えていたが、小雪を過ぎた頃から現実味をおびてきた。これから予想気温と井戸水が気になるシーズンをむかえる。

農園の背後にある岩郷山から、厚東川へ染み出る山水のお裾分けを浅い井戸がひろっている。川が細くなるとともに井戸の水位も下がりがち。真冬の飲水の確保などの心痛が増す。近年は極寒の重労働に骨をおることが多かったが、今年は案外と水量が安定しているようだ。年始の残雪と八月の長雨で、岩郷山に「水の貯金」があるようだが、その残高を目で確かめることはできない。

農園の隣人である対岸のマコトさん宅も、長年、山の恵みで水をまかなって生活されてきたので、眼下を流れる水事情には精通されている。先日、細くなりはじめた川を眺めながら、冬の不安を打ちあけたところ「いまは水がのまえちょるから大丈夫」と、はじめて耳にする表現で答えが返ってきた。

「のまえる」というのは、大まかに表す水が滞留している様子。川の水位は低いが、ダムの放水量が少ないので、川の流れが止まっている状態をこう表現された。私は水位ばかりを気にしていたが、水面をよく眺めると赤や黄色の落葉が浮かんだまま漂っている。「のまえる」という言葉の響きに長年の経験を感じ、おおらかな共生感が心地よかった。それと同時に、わずかな水の恵みに感謝するか、その少なさを嘆くかの違いを諭されているようにも感じた。

自然の営みに感謝する視点で川を眺めたとき、天地の道理を説き「生きるヒント」を与えつづけて下さった師の言葉を思い出す。

『神様には、親しみと謹みが欠かせない。言いかえれば、親近感と緊張感をもっていなければならない、そうでないと信心にならない。この二つがかけるところには必ず自分流の理屈がでてくる』

非科学的だが、山の恵みである川の流れに、師の言葉を重ねてみると、どうにもならないことばかりに捉われて、ザワザワしている自分が小さく見えてくる。冬の厳しさに備える緊張感のなかにも、自然の営みに親近感を持てるようでなければと思う。

2021.11.26 あだちまさし