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心に寄り添う

最近、愛犬と朝の散歩が日課だった向かいの奥さまの姿を見かけなくなった。先日ご家族に長年愛されたビーグル犬が亡くなったからだ。私も毎朝慣れ親しんだ風景だけに、今でも車庫から見える犬小屋があった場所に目を向けると「あぁそうか…」と、小さくため息をつき、胸の奥の方ですきま風が吹くような寂しさを感じる。

我が家の息子と、向かいのご長男は同級生で来春に大学卒業予定。そのご長男が小学校入学前に住まいを新築し越してられ、子どもたちの縁で家族ぐるみで仲良くさせて頂いている。引っ越しして間もない頃、ご主人があれこれ悩んだ末にビーグルの子犬を購入された姿を思い出す。大きくなるにつれ、足がすうっと伸び、ビーグルらしからぬスタイルにご主人は苦笑いされたが、それはそれで唯一無二の愛嬌がある犬だった。

几帳面なご夫婦なので朝夕の散歩は欠かされたことがなく、早朝定時に愛犬と出かけられる姿は私にとっても当たり前の日常だった。ビーグルが亡くなって改めて様々な思い出がよみがえってくる。昨年暮れあたりから随分と弱々しい足取りになっていたが、人間の年齢に換算すると八十歳は過ぎていただろうか。ご家族は心に寄り添って育てられ、愛犬は寿命を全うしたように思う。

農園で放し飼いの鶏を前にして「鶏の寿命」をたずねられることがある。
のどかに運動場で遊ぶ鶏を前に、私たちの暮らしを支える経済動物なので寿命を全うさせられない理由を丁寧に説明させていただくように心がけている。

生産効率で決まる寿命だが、そればかりを優先して「さあ産め。今日も明日ももっと産め!」と鶏の尻を叩くように飼育しても良い成績は決して出ない。やはりペットを飼うのと同じか、それ以上に心に寄り添うように飼育しないと、言葉の通じない小さな命とはお互いに幸せになれないのである。

と、そう頭で分かってはいるものの時間や生産に追われ、失敗を繰り返しながら日々反省するのも事実である。日々の改まりを大切にし、鶏の心に寄り添うことを忘れないようにしたい。

2021.6.26 あだちまさし