月別アーカイブ: 2015年9月

尿酸値は完治

老夫婦お客さまのお宅は、狭い袋小路の一番奥にある。
自家用は自宅に向かって駐車され、わたしは毎週その後ろに止めてエンジンを切り、徒歩で届け、帰りは車を後退して向きを変える。
きょうもエンジンを切り歩き始めたら、自家用車のエンジンが始動して突然バックして鈍い衝撃音がした。
高齢の主人がおりて「どこに車を止めておるか!」と激昂。奥さんも出てこられ、奥さんは状況が理解できていた「主人の弟が、近くで車の修理工場をしているから行きましょう」と先導。修理工場に着いても私に落ち度があると言い張る兄貴に弟が「100対0で兄貴が悪いのがわからんか」と怒鳴った。
警察を呼んで事故証明をとるまでもない物損だから、ましてお客さまだからわたしは穏便にしていた。
その場で、山口トヨタの江口店長と弟のやり取りで保険と修理は解決した。2週間先にわたしの車の破損ヶ所が交換になる。
主人が「卵はもう要らない」と断られた。
自分は悪くないと、子供のように主張するみっともない姿。
高齢になると運転の集中力が減退する。わたしも早く運転から足を洗いたい。
別れ際に主人に言った「相手が人だったら大変でした。気をつけてください」

配達を済ませて血圧と痛風の検査通院。尿酸値はよい。血圧は少し高め。

明日は午前10時すぎからNHKラジオに、クロマチックハーモニカ奏者 南 里沙さんが登場でインタビューと生演奏。楽しみ。

万歩計は11000歩。

秋空に
宮司の太鼓
響く里

宮司の太鼓
秋の空

母の17文字

人住まぬ たわわの柿を 見て通る

野菊手に 道譲りあう 会釈かな

散り際は 椿も同じ 人の世も

このような17文字を、母は誰に見せる意図もなく、大学ノートにたくさん遺してくれた。
毎晩ページをめくり、母の心中にふれている。
わたしの出生のことは一度も口にしなかった。けれども、日常を句に詠みながら、楽しみながら生きていたことがわかる。
金品を遺すよりも、時々の心模様を鉛筆文字に遺してくれた宝物。

生前にはわからなかった母が現れた。今夜も母の心のページをめくる。

きょうの歩数(12000歩)

ひと晩の
ロマンあつめて
朝の月

宮崎の方言

来月、農園日記の写真(月更新)は、神戸の避難所がご縁で親友の牧さんを掲載。彼の話し言葉は宮崎方言かなり強い。わたしは、宮崎県下で仕事をしたから大丈夫。農園で酒を酌み交わして歓談している傍で家内は、会話の内容が断片的にしか理解していない。それぐらい南九州のナマリは難解かもわからない。
その宮崎方言を、宮崎県小林市が、人口増加の移住促進にフランス人とPRムービーを作り、それがマスコミを賑わせている。
小林市を検索して動画をご覧ください。宮崎方言とフランス語が同じとわかるかも知れません。今朝のNHKラジオで紹介していた。

「俳句甲子園」を録画でみた。俳句の聖地、愛媛県で毎年開催される、全国選抜高校生の俳句戦。対戦校同士がそれぞれ俳句を掲げてディベート合戦。審査員はその舌戦までを審査対象にする。
わたしは、俳句の若葉マークだからただ圧倒されみた。例えば「ブドウ」甘いとか紫色を表現すると得点は低い。
いつか「岩にしみいるセミの声」ぐらいを、わたしの「坂の上の雲」にして精進したい。

岡本拓也さんのお母さんが俳句名人と今朝の配達で知った。手ほどきをお願いしたい。

万歩計は1万歩。

犬のとも
長袖はおる
里の朝

母は穏やかに老衰死

NHKスペシャル「老衰死 穏やかな最期を迎えるには」
7年ものあいだ、病院と介護施設を転々とした母が、6月に93歳でお国替えした。
亡くなる朝、介護病棟に会いに行ったとき、あと1日も命は持たない予感がした。予感どおりになった。
母の末期は苦しかったのか、痛みはあったのか。それが最近気になることがあり番組を昨夜みた。
結論は、安堵した。
3度の食事は箸を使い食べた。次の段階はスプーンで食べさせてもらう日が増えた。食欲が減退。食べなくなった。
すべて老衰死の階段を母はおりていた。血液検査など数値から診ると腎臓や肝臓など悪く病名はあった。顔は浮腫んでいたから痩せて見えなかったが、手足は骨格標本のように細かった。
苦痛を訴えるのは、まだ生きる力があるから。階段をおりた老人は細胞の数が減っており、痛いとか苦しいと感じていない観察が番組内容だった。
母は生ききって穏やかに死を迎えたと確信できた。

万歩計をいただいた。ポケットに入れて邪魔にならない軽くてコンパクト。持ち歩いた日は、歩数(単位・千)を日記に添える。きょうは9千歩。

歓声が
こだます空に
万国旗

早朝に
ドカンと花火
運動会

昼寝で3時間

市町村議会の会議録調製の専門会社「ぎじろくセンター」を創業したのは28歳。
取引自治体はゼロから歩みはじめ、辞めて農園をはじめた48歳までに、山口県から九州各県200以上の市町村と年間契約をしていた。
わたしが辞めて数年後、全国で市町村の大規模合併が推進され、山口県だけでも4分の1ぐらいに自治体の数が減った。単純計算では受注の200の市町村が50に減るほど、会議録をつくる会社には大波が押し寄せた。
その激動のなかをくぐり抜けて「ぎじろくセンター」は健在。
白井社長をはじめ若い社員さんたちが、創業当時の、会社の原点を知りたいと、仕事を終えて農園まで来てくれた。
約1時間話をさせていただき会食は酒も交えて楽しかった。
いま会社は創業から35年を経過した。

萩から長門の土曜日を走り終え、缶2本飲んだら眠気がきた。起きたら3時間も寝ていた。

亡き母が
句を詠む心
読み返し

ゆっくり金曜日

8時に散髪。9時半に持世持温泉に到着。
たくさんの湯船とサウナに露天風呂が貸し切りだった。
昼前に戻り映画「劔岳点の記」を一気にみた。
素晴らしい山岳映像と流れる音楽はやっぱり感動。
最後のエンドロールは特に印象的。山々を背景に「仲間たち」と字幕が出て、映画に関わったすべての人の名前が延々と山岳映像に流れた。あえて付け加えると主演など、名前に肩書きはない。
そして字幕の最後は「この作品は原作者に捧げます」で終わる。
原作者は新田次郎。わたしなりに新田次郎さんがこの作品に込めた精神は。

何をしたかではなく。何のためにしたか。

この部分ではないかと感じた。

NHK「プロジェクトX」の初回は、富士山頂にレーダードームを建設する国家プロジェクトだった。
総指揮は気象庁の藤原だった。高山病など過酷な現場から逃げる人夫に立ちはだかり「子や孫にも誇れる仕事を一緒に成し遂げよう」と説得した。
完成後、藤原は工事の仲間たち全員の名前を銅板に刻み、それが現在も山頂にあるという。

藤原は気象庁を退職後に新田次郎(ペンネーム)として文壇デビュー。
芙蓉の人・アラスカ物語・強力伝・火の島に劔岳点の記などわたしが特によかった作品。
ぎじろくセンター株式会社は、わたし28歳で創業し48歳で白井さんにお願いして農園をはじめた。
今夜は白井社長と10名の社員さんが農園に来られ、創業同時のことを聞く計画をされた。

藪のなか
ウズラの親子
石になり

農園から橋を渡った付近にウズラの家族が生活している。
今朝も、わたしが立ち去るまで藪のなかでじっと動かず、藪のなか羽は迷彩になっていた。

トゥーランドット

木曜日を終わり、缶ビールで運転の緊張をゆるめながらの日記。
日記を済ませてからシャワーに食事。

湖上にアリアが響くとき「オーストリア・ブレゲンツ」
オペラはまったくわからないが、知らないことを知る快感をこの歳で覚えた。早くみたいから昨夜の録画を、早起きして再生した。

ナチスドイツに占領されたオーストリアは、ナチスの文化が奨励されオーストリアの文化は禁じられた。
戦後、すぐにブレゲンツ市民は衣食住に事欠くなか、ライン河がそそぐ(対岸はドイツ・スイス)ボーデン湖に台船2隻を浮かべオペラ舞台を浄財と建設奉仕でつくり上演した。それが継続され湖上のアリアは世界的に名を馳せている。
湖上という屋外舞台だから炎の演出や、ときには落雷の閃光までもを演出に使う。
演目は、中国が舞台の物語「トゥーランドット」
ストーリーがおおざっぱに理解できた。そして「誰も寝てはならぬ」の歌も意味がわかった。

三頭の
愛犬偲び
墓に菊

俳句談義

母が元気なころ、といっても足が弱っていた時期「農園に行きたい」と家内の車に便乗していた。
自宅にこもっていては、季節の風景が見えないから俳句の材料を求めてのドライブ。
今村夫妻との井戸端会議でそれを話題にした。奥さまは「かるた」をきわめておられるが、俳句もつくられる。
幼子が
頭寄せあう
アリ地獄

情景が目にうかぶような一句を紹介くださった「毎週、水曜日は三人で一句を発表しましょう」と提案された。ご主人はしり込み。わたしも「まだ修行の身で」と逃げた。

小野田市内の散髪店。おばちゃんが、長年のお客さまから慕われて、辞めたい店が辞められない。
若い頃は「山ガール」話題は偶然、映画「劔岳」になり、あの映画は最高の作品だったと思い出された。
映像は撮影隊、俳優に監督が山小屋から70回ちかく命がけで山頂に通い、朝焼けの山頂からの映像や眼下にひろがる雲海などを撮られた。里山の田畑の映像も絵画を思わせる。しかも音楽がよい「来週DVD無料レンタルしましょう」と約束。

連休中は、日ごろは顔をあわせることがないお客さま家族と対面でき、農園の話題などを交わせてよかった。

鳥たちも
声高らかに
朝参り

シルバーウィーク

シルバーウィークは、ゴールデンウィークに対しての意味かと解釈していたが間違いと知った。
中学一年のとき、金光(こんこう)教の教会で青少年の年末コンパが催された。
初体験のわたしは、コンパって何ですか?と先輩に意味を聞いたら「おまえ知らんのか、金光教パーティーを略してコンパじゃ」と教えてもらった。以後数年は年末の金光教パーティーは楽しかった。

中学生のとき俳句の授業があり宿題が出た。今でも覚えている友達の句。

真締川(まじめがわ)
浮いて流れる
馬の糞(クソ)

全員が爆笑したよき時代。

シルバーウィークは変則的な配達になる。明日で連休は終わるが、変則的な配達は金曜日まで続く。
連日の秋晴れで、稲の収穫は順調のようす。
晴れ続き
多忙きわめる
コンバイン

新田次郎山本一力

新田次郎「劔岳 点の記」は、明治の男たちの苦労(愛国心)を読んでわかった。
その後、BSで映画の放送があり録画して見た。すばらしい山岳映像と音楽が印象的だった。手違いでDVDに作品を録画する前に削除して残念だった。
その後、兵庫県の香山さんから宅配が届いた。中身は映画「劔岳 点の記」メイキング映画だった。高齢の名カメラマン木村大作さんが監督。あの山岳映像を撮るために山小屋から劔岳山頂を70回近く、俳優と撮影スタッフを従えて極寒の登頂を繰り返した。登山家でもやらない「こだわり」があの映像。メイキング映画の冒頭で監督が「行に行くぞ」とスタッフを激励した。まさに修行のようだった。
その映画再放送がきょうあった。農園に戻り録画ができたことを確認した。今夜こそダビング。

作家の山本一力さん。最初に読んだ作品は「まとい大名」深川火消しの心意気と女たち。江戸の火事場にいるような臨場感だった。
それから山本一力さんの大ファン。たくさんの職種を経験された心の厚みが人情をあらわし、江戸のすべてを知り尽くしているような繊細な描写に魅せられる。
下関「浪花」の荒川大将も読者「作品には食べ物が詳しく出ますね」と言われた。そういわれると料理に使う包丁、それを研ぐ石まで江戸の文化にわけいり調べている。

来月11日。県セミナーパークで(人の世の情けを描き続けて)と題して山本一力さん講演が催される。
聴講の抽選に当選!藤野先生も当選されたが都合悪くなりわたしに委任された。

配達の途中、連休で弁天池の水汲み場は順番待ち。

タンクもち
銘水汲みに
列のなか

西くんの墓参り

しばらく雨マークがない。くわえて朝はぐっと冷え込むから、草刈り跡もさほどのびない。今朝は、先日からの草刈りを仕上げた。
とりあえずエンジンで水圧をかけて、わたしが使う二種類の草刈機を洗浄。乾いたら各所に注油をしてシートでおおう。

今朝の草刈りをしているとき大切なことに気がついた。

成りゆきは
子に任せおり
夏座敷

この母の句は、母がたどり着いた心境ではあるが、母が自分の心の境地を目指せよという、わたしへのメッセージと受けとめることが母の願いかもわからない。
それほどあるとは思えないわたしの将来を、わたしが決めるより、成りゆきに身を任せるぐらいが楽かもわからない。
母と無言の会話を交わしている。

西くんの墓参り。愛犬3頭にも花を供えた。
鶏飼いが
天職なれば
夜明けまえ

萩寺町散 策

シリア難民の報道。
生活の基盤を根底からくつがえされ、危険をおかしての逃避行。
作家の五木寛之さんが県セミナーパークで講演されたとき、岡本拓也さんと聴講。
五木さんは10歳の頃に満州で終戦をむかえ、ソ連や現地の人たちに捕まらないよう、家族であらゆる苦労された内容を拝聴した。具体的にこの日記にはあらわせないような体験も語られた。
シリア国民2200万人。内戦で命をおとした国民は20万人以上。国外に逃れた難民(移民)は409万人。
報道を見るたびに胸がいたむ。

土曜日の萩から長門、美祢を走り終えた。今朝は萩の寺町界隈を散策できた。来週は「女台場」に行ってみたい。
昼ごはんをサッさと済ませて草刈り。4時間やり終えた。明日の朝、1時間ぐらいやれば今年の草刈り千秋楽。
凛とした
萩の街並み
空高し

刈り納めをはじめた

草刈り納めには少し早いが、今年最後の草刈りをはじめた。
午前中の4時間。10半まで汗をかいた。日曜日の夕方までに全面積をきれいにして、春まで草刈機は休眠。

広沢虎造「清水次郎長」のCDを持っている。読書に落語、浪曲など情景がうかんで映像より楽しいことがある。
俳句は、その日にタイムスリップできる文字の記録映像だと思う。
母がたくさん遺した文字に目をとおし、母の胸中に接する。なんといっても

成りゆきは 子にまかせおり 夏座敷

わたしが会社を辞めて養鶏をはじめると母に伝えたとき、母は大きく落胆した。それから心の整理をつけた一年後の作品。

母に俳句の手ほどきを受けておけばよかった。今は伊藤園「おーいお茶」に印刷されている作品がわたしの師匠。まだまだ幼稚だと思いながら続ける。

草刈りで
刈らずに残した
彼岸花

(「こころの時代 宗教・人生」今朝のテーマは「こころの壁を超える」文化人類学者 加藤九祚(きゅうぞう)さん93歳を三宅民夫さんが仕事場に訪ねた番組再放送 19日午後1時からEテレであります)

安全保障決着

つい先日まで5時から6時まで草刈りができていたが、5時半でも薄暗い季節になった。
安全保障法案の参議院とりまとめの木曜日。午前中は怒号が飛び交うラジオ中継。
鴻池委員長に「委員長不信任」が民主党の福山委員が出して火に油状態になった。
そして午後からの、不信任決議に対して、賛成と反対の討論は聴き応えがあった。
これまで衆参の法案審議は法律解釈論が多く理解がわたしはすすまなかった。けれども討論は理解できた。
わたしは法案賛成の立場であるけれど、45分、法案反対の立場で委員長不信任を賛成の立場で演説した福山委員の熱弁。続いて民主党の大塚耕平委員(静かに理論的でわたしは以前から好感度よし)参議院らしさをラジオから感じた。
これ以上、いくら審議に時間を費やしても与野党理解の溝は埋まらない。
夕方に結果が出た。

夜明けまえ
虫の音ききつつ
犬の供

タブレットを少し理解

秋雨が一日ふった。水曜日は八幡宮参拝からはじまる。宮司は紫の袴に赤い傘でご神勤。
さきほど農園近くの田に大きなイノシンが1頭入り、収穫間近の稲穂を食べていた。一枚写真を撮ろうと車からおりたら稲を倒しながら山に逃げた。
今朝も宇部市防災メールで通知された内容は、市内でサル一頭の目撃情報「注意せよ」と。

農園も宇部市。道路にサルの群れが座っていても通報する者も被害を受けた者もいない。限界集落状態だから野生動物の楽園になっている。
防災メールもよいが、もっと根本的な解決をお役所はやらねば。

タブレットを使いはじめて一年以上を経過した。農園契約の携帯電話の使用ギガ数契約にタブレットも含まれる、わたしは月に5ギガ以内の使用を目標にしている。
もっとも動画サイトはまったく閲覧しないから使用量を神経質にならなくてよい。
最近、コンビニで買い物をしたついでにWi-Fiを使わせてもらうようにした。調べたいことのいくつかをヒットさせて「オフラインで読む」機能で保存。もしくは「スクリーン・ショット」機能を使うことも覚えた。

母がたくさん俳句を遺した。わたしも俳句に親しみたいと思いながらも手が出なかった。きょう「午後のまりあーじゅ(ラジオ番組)」で俳句がテーマになった。
きょうから一日にひとつを目標に、頭の体操をはじめる。質より量をモットーに。

黄金(こがね)の田 アゼに鮮やか 彼岸花

犬にピストル発砲は?

10年ぐらい前、昼間は姿をあらわさないイノシンが、午後3時ごろ毎日同じ場所から出て来て農園を歩いていた。至近距離まで平気で来る。もしもの事故を考えて猟友会に処分を依頼した。そうとうご高齢の猟師がバイク来た。銃身の長さが異なる猟銃を二挺を足元に置いてタバコを楽しんでいた。
イノシンが200メートル先にあらわれた。タバコをおいて長いほうの銃身を構えて一発で頭を貫通させた。
60キロのメス。翌日の夕方、お礼に猟師から届いた最高のばら肉はすき焼きになった。

きのう、犬にピストルを10数発撃ち込み殺した警官3名の報道。市民や治安をまもる警察官のへっぴり腰に驚いた。さらに「対処は適切だった」と会見。情けない。

JR山口駅に近いお客さま。木切れで動物を捕らえる箱ワナを制作中だった。
敵はタヌキ。庭を掘り返しウンチを毎晩している。ワナにかかったらどうされますかと聞いた。山奥に運び放してやります。

犬には何度か噛まれている。一番おおきい傷痕は小学生のとき。道路工事の人が「何時か聞いてくれ」と言われ、時間を聞きに入ったお宅に大型犬がおり右の脇腹を噛まれた。
犬は悪くない。不用意に立ち入ったわたしに責任があると思っている。その体験から、犬との付き合いかたがわかった。

タヌキは遠くの山に放したい。それがふつうの感覚だと思う。

警察官は警棒ひとつで防御と攻撃は訓練されている。

次週の大型連休。山口県から片道2時間ぐらいの距離になった大分県に家族旅行のお客さま。
わたしは大分県民ぐらいの大分県の観光通を自負しているから長話。特に別府は詳しく案内ができた。

白鵬が休場。やはり保身かと思う。散りぎわの美学もあると思うけれど。

悔いはたくさんある

今朝は13度。今年は残暑は感じない。

金曜日(18日)金光教太秦教会は秋の霊祭が仕えられる。6月にお国替えをした母の霊様は、この日に太秦教会霊殿に祀られる。
参拝すればよいが、来月には秋の大祭があり家内は二泊でお手伝い(掃除や食べごと)奉仕に行くから、霊祭はお供えを送り、霊祭を遥拝させていただく。

母の遺骨は農園に安置しており、朝夕手をあわせている。お墓をどうするかを、母の生前から考えた。すぐにできるカタチは農園内に奥城(おくつき 墓のこと)をつくればよい。太秦教会には信者さんが希望すれば納骨できる奥城がある。そこに母の遺骨を安置させていただき、わたし夫婦もそこに落ち着きたいと決めた。

母が「帰りたい」と懇願した。
家族会議をして、それを議題にすればよかったと悔いがある。
暑い夏、寒い冬。自宅に戻れば命を縮めるから介護施設が、費用がかかっても、それがよいと思うようにした。母の本心は、それでもええから帰りたい。
母の覚悟はわかっていたが叶えることをしなかった。
痛風の先輩、岡本拓也さんが数年前に父上をおくり、その心境を「葬儀からしばらく経って寂しくなります」と先輩として言われた。その言葉がわかる。

こころの壁を超える

「こころの時代 宗教・人生」今朝のテーマは「こころの壁を超える」

文化人類学者 加藤九祚(きゅうぞう)さん93歳を三宅民夫さんが仕事場に訪ねた。
中央アジア ウズベキスタンで発掘を現在もされている。
過去の人は掘ることにより蘇り、シルクロードの時代、世界は戦いではなく生活でつながっていた。その過去を知ることから現在を考えたい。
三宅民夫さんのインタビューは、相手の心の扉をあける。
加藤さんは1922年、朝鮮半島南部で6人兄弟の4番目として生まれた。朝鮮名はイ・クジョン。
10歳のとき日本で働く兄を頼り海を渡った。兄は山口県宇部市西岐波の長生炭鉱で坑木を馬で運ぶ仕事をしていた。
兄は床波の民家の長屋を借り、馬と寝起きしており同居した。
番組で加藤さんは、その民家を訪ねた。加藤さんが世話になった当時は赤ん坊だったが、いまは家の主と対面。加藤さん当時を回想した。
冬の寒い夜、馬の体はあたたかい。腹に身体を寄せたとき母のあたたかさを思い出した。昔を語りながら涙をこぼされた。
鉄工所で働きながら懸命に勉強をして上智大学に進んだ。そして日本は開戦した。大東亜共栄圏の旗印に加藤さんは共感して陸軍工兵学校に進み、終戦は満州。ドイツ語はできたからソ連兵の西部戦線還りから日本兵捕虜のシベリア行きを聞き出した。
すぐにロシア語を勉強する本を手に入れた(ロシア語は現在発掘で活躍)。4年8ヶ月の抑留生活で事件があった。3人の日本人が極寒のなか収容所から脱走した。2名は数日後に捕まり、あとの1名は計画的に「食料」として連れ出され、脱走直後に肉にされ飯盒のなかに詰められていた。その体験は「シベリア記」として出版されている。
最近になり、はじめて韓国の故郷を訪ねた。朝鮮戦争で昔の面影はないが、両親の墓地近くにあった巨木はあった「この巨木が墓です」
親戚も集まり歓迎の宴が催された。
なぜ故郷に帰らなかったかを加藤さんが語った。
志願して日本の軍人になったこと。母国語を話せないこと。
このふたつが故郷を訪れる足かせだった。

こころの壁を超えられた。

著書は「シルクロード考古学」などたくさん。

彼岸花

お彼岸がちかくなると彼岸花。
草刈機で丁寧に刈っているいつもの場所に、2〜3日で20センチ以上の高さになり赤いツボミをつける。まさに彼岸花。

世界で一番美しい瞬間(とき)
「古城をタータンが彩るとき スコットランド」のテレビ番組は感動した。
エディンバラ城で毎年8月の夕暮れ、ロイヤル・エディンバラ・ミリタリー・タトゥー(軍隊の行進)があり、それが番組の内容。
1000年、王国の中心エディンバラ城の城壁には「私を攻撃する者は許さない」と刻まれた銅板が凛としている。
ノルマンディ上陸(史上最大の作戦)に参戦したスコットランド軍の先頭は、バクパイプ奏者がタータンの正装で兵士を鼓舞したのは有名。
つま先立ちで踊るハイランドダンスもスコットランドの歴史と伝統を感じた。
アメリカ空軍儀仗隊。スイスのマーチングドラム隊も圧巻の演技。美祢の「よしの」にダビングして持参した。開店前、慌ただしい時間にダビングの内容を伝えたら笑顔で「ありがとう」。

萩から美祢を走り、昼はロング缶。昼寝は30分。いつもと変わらぬ土曜日。それがありがたい。

監視社会で生きる

BS番組。テロの脅威と監視社会を題材にした「超監視社会を生きる」をみた。

ベルギーで行われた、相手の秘密がすべて読める超能力者の実験と称する番組が冒頭紹介された。
相手とされる数人の若者と超能力者が個別に個室で向き合い、ほんとうの国籍。背中のタトゥー柄。複数と恋愛している。正解な借入金額など、本人以外にはわかりょうのない秘密があかされた。
世界中の人が駆使するGoogleやAmazonにFacebookなどすべてビッグデータとしてこのように管理・監視されている証の番組だった。
例えばわたしが頻繁に検索するサイトで、わたしはカテゴリーされている。過去に何度か九州の観光地を検索したことがある。すると以後、なにかのひょうしに画面に九州観光地情報が出てきて驚くことがある。けれども無視すれば平気ぐらいに思っていたが、実はわたしの欲しい情報の傾向が売り買いされていることを知った。
個人や企業が設置している監視カメラ情報がインターネット経由で警察(公安)が把握しているとしたら、わたしは犯罪を犯さないから構わないでは済まされない人権や自由がそこにはある。
ドイツ首相の携帯電話がアメリカに盗聴されていたぐらいだから、個人のデータは「犯罪抑止」の立場で覗き見られ分析されていると思ってよい。

画廊の主、菊川さんは携帯電話、パソコンにテレビは持たない。
固定電話機、たくさんの辞書にラジオで不便を感じたことはない。自分の生き方が快適におくれるらしい。
便利と人の幸せは異質なものだと番組を見て感じた。

散髪に行き、ゆっくり金曜日を過ごした。今夜は屋根干しの布団が快適だろう。

災害に胸がいたい

ラジオは朝からずっと関東方面の豪雨の警報を伝えた。各河川の増水情報が昼前から緊迫感を増し、1時まえごろ鬼怒川の土手が切れた。
車をとめて関東の雨雲を見て、ツイッターも鬼怒川で検索した。
あらためて自然の営みが、時として情け容赦なく人の営みをのみ込んでしまうと思った。
空からの救出に全力をあげる方々、それを待つ人びとの緊迫した現場。

昨日から豪雨情報がラジオやテレビで周知され避難の助けになったと思う。

大量の濁流が市街地に押し寄せ続けているから、今後の復旧には時間がかかろう。
被災地のみなさんには不安な夜をむかえることになる。これからたくさん支援の方法が迅速に展開してほしい。
わたしも支援に加わりたい。

仕事の幸せ

萩を若いとき何度か観光したが笠山でサザエを食べたこと。萩本陣の展望風呂ぐらいの印象しかない。
歳を重ねて「長州」の歴史が少し理解がすすみ、長州に誇りが持てるようになった。
そして萩を歩いたら、これまで見ていなかったもの(歴史)が見えた。歳を重ねると体力は衰えても視野はひろがる。

お借りした金澤翔子(書家)さん作品集を見た。書はさっぱりわからない。今村さんはたくさんの数の塔婆を年2回、近所の寺に頼まれ書かれる奉仕をされる。書家に師事され書道に詳しいから質問した。
わたしは作品の漢字は読めないから絵画のようにしか見る力しかないが、どう見ればよいかと。
それでよい。と肯定していただいた後に、この漢文(たくさん漢字)は、全体のバランスがよい。力のない人が書くと最初からしだいに文字のバランスが崩れてくるもの。
この太い一文字の作品は、起筆(きひつ)から終筆(しゅうひつ)まで筆の入れかたや、筆を運ぶスピード。含ませる墨の量など、いろいろ勉強になります。

卵を配達する仕事は、老若男女あらゆる達人に恵まれる幸せな仕事。

きょうも犬談義

昨夜の録画Eテレ「オイコノミア」今回は、人生を豊かに「副業の経済学」を3時に再生して少し見た(すぐ眠くなった)
この歳になりEテレの歴史・宗教・経済に哲学が面白くなった。
少し見た記憶は。経済学でいう「リスク」とは、危険やダメージではなく、結果にバラツキがあることを指す。わたしなりに考えたら、安定しないことをリスクと理解して寝た。今夜は、その続きが楽しみ。

又吉直樹さんがオイコノミアを担当。わたしは好感を持っている。彼の作品が受賞して200万部も売れた風潮は好きではない。マスコミから「読め」とあおられて、時代におくれまいと読む数かもわからない。

山口市内でイタリア料理店を経営されていたOさん。
イタリア語は堪能だから「ボクとバスと列車でイタリアを旅しよう。安いから」と誘われたことがある。様ざまな事情で博多でパンの店を10数年まえ開店された。今は繁盛店。けれども博多に出た当時は苦労された。二人乗りベンツからポンコツ軽四になり、高速道路を倹約して「泊めてください」とイタリアのワインと日本海の魚を土産に何度も農園に来られ、お互い元気を養った。
今朝、そのOさんから電話「鹿野の高齢の母がひとり暮らしをしている。犬がそばにおれば生活が変わるかもわからない」そう考えたら「犬」なら「足立」になった。
配達の車を停めて新南陽市のワンワン銀行を検索した。該当は見つかった。
けれども、ご高齢のひとり暮らしのお母さんが元気なうちはよいが、世話ができなくなれば犬は不幸になる。
そのことも添えて電話で伝えた。

わたしは、ほんとうは「ラッセル テリア」を飼いたい。けれども年齢を考えたら無責任になるかもわからない。ハッピー(今は7歳ぐらい)を責任を持つこと。

甲斐犬の気性は荒い

母の葬儀のころ真砂恵さんから聞いた。
ヤクルトの配達をしていると異臭が気になる家があり、それが日ごとに強烈な臭いになるから警察に連絡した。異臭はひとり暮らしの方が亡くなっておられた。
水曜日の配達先でヤクルトレディとあったとき真砂恵さんの通報を話題にしたら「わたしの場合は冬で臭いはありませんでした」と第一発見者。

昨夜は真砂恵さん家族(四人)が来てくれ、発見や通報も話題に賑やかな夕食になった。

きょう美祢の奥でばあちゃんが嘆いた「サルが屋根の瓦を数枚遊んで剥がした」
郵便局職員や宅配業者など、家々を毎日訪れることが仕事の人は、さまざまな世相を垣間見る。

月曜日は犬と遊べる。猟犬は大型でもわたしは大丈夫。お寺の大型紀州犬は一年ぐらいかかったが寝転ばせる仲になった。雑種のコロちゃんも仲良し。けれども苦手な甲斐犬がいる。カイちゃんは闘争本能が強烈。先日はウサギの子をくわえて戻り全部胃袋におさめたから飼い主は、果たして骨や毛のついた皮は排泄できるか心配したが何事もなく消化した。イノシンも倒す。なんとか仲良くなりたいので、きょうも鎖が届かない場所に座りご機嫌をうかがった。はじめは威嚇する様子がしだいにおさまった。仲良くならないと配達が嫌になる。

配達から戻りハッピーと散歩中、桜の樹に毛虫がいたから手ではらった。直後に首筋に痛みがはしった。毒針が飛散した。走って戻りシャワーで石鹸を使い洗いながし、そのあと「ムヒ」を広範囲に塗った。うかつなことをした。

温泉一番風呂!

佐嘉眞(さきま)美術館をEテレ「こころの時代」で知り日記に記したのは1週間前。
ケーテ・コルヴィツの作品を佐嘉眞館長が「苦難のなかの真実は美しい」と語り、その「苦難」と「美しい」の言葉が消化不良のまま胸につかえていた。
菊川画廊に電話をしてそれが理解できるようお願いした。
コルヴィツについて菊川さんは詳しかった。その作品(第一次大戦で息子二人戦死)を観賞して「悲しい」と言葉にするのではなく、ただ涙をながして心が浄化され強い意思がうまれてくるのではないか。
声高らかに反戦を叫ばずとも「戦争は嫌だ」と強く深く心に刻みこめる力作だ。
離発着の戦闘機爆音のそばから佐嘉眞美術館が唱える平和が理解できた。

4時ごろから至近距離の落雷と豪雨になった。作業場のハッピーを見におりたらガタガタ震えていた。ヘビと雷が怖くてい野犬だったから苦労したと思う。長いあいだ抱いてやった。
持世寺温泉に一番風呂。午後から、まえの会社女性社員さんお二人が母をお参りに来てくれ嬉しい。
今夜は真砂恵さん家族が夕飯に来てくれる。家内は台所。わたしは酒の準備体操。

早朝の萩観光

応仁の乱。戦火を逃れた公家たちが全国に散り、その地で糧を得るために私塾を開き、乱があったればこそ都の文化や習慣が庶民に伝わった。

関ヶ原で毛利は敗れ周防と長門に押し込められた。毛利の殿様は武士の大量リストラをせざるをえない窮地に追いやられた。
糧を得るためリストラされた武士は長州藩内いたるところに私塾をひらいた。民衆に学問が伝わり、それも維新の底力だったとわたしは思っている。

萩市内の配達。今朝は早く出た。菊ヶ浜や指月城趾を歩いて見たかった。
7時の菊ヶ浜から対岸の城趾が望めた。塀にはたくさんの狭間が海をにらみ幕府軍との臨戦体制の心意気を見た思いがした。追いやられた長州藩が、長州三白(米・塩・ロウ)の産業を興し、海運などもあわせて蓄財をし維新をおこした。山口県人として誇れる。
これまで萩の見るべきところを見る力がなかった。歴史を学びながら萩をゆっくり歩きたいと思った。2年ぐらい以前に立ちよった旧田中別邸を対岸から眺める寄り道もした。萩焼き窯元も立ち寄れた。

お昼前にもどり、さっさと食べて草刈2時間。川土手の斜面もきれいになった。草刈機をかついで2時間斜面を歩いたから疲れた。

川土手の草刈りに汗

6時すぎから9時半まで川土手の草刈りに汗をかいた。斜面は手がつかなかたが、それ以外は坊主頭のようにスッキリした。
農園をはじめたとき、それまで放置されていた川土手には木がしげって手がつけられない荒れ放題だった。川土手をきれいに整備して誰かに「ご苦労さま」とねぎらってもらえることはない。けれども荒れた川土手を毎日横目で見て素通りは気持ち(心)がととのわない。
鍵山先生から教わった「心は目にうつるようにととのう」が土手の草刈りに向かわせた。
耕作放棄地と川土手の草刈りに流す汗は、わたしの心をととのえる汗になった。

ブライダル「ハラダヤ」の原田社長との親交は長い。松村御大たち15名で屋久島縄文杉ツアーを計画したときも仲間に加わられた。きのう午後1時にまいります。と用件も告げずにアポをとった。
社交辞令は抜きで本題を切り出した。
わたしは自分のことを「助けてください」と周囲にお願いしたことはない。原田社長も、そのあたりは承知のうえで「で、きょうは」と聞いてくださった。わたしには近い人が、わたしには遠い人の縁談が成就するように切実に話されたいきさつをお話した。
ブライダルがお仕事だからチャンネルは多岐にわたる。しっかりお願いして早めにお別れした。来春、松村御大や上田さんと「ふく料理」を楽しみましょうとお声かけをした。
わたしより10歳も先輩だけど、老いは感じない原田社長。

宝くじ談義

先日、ラジオ番組は「当たった」をテーマ。リスナーのメールにやっぱり宝くじがあった。しかも高額当選。
当選したのは女性。夫婦の間が悪く、その後離婚。夫には当選したことは秘密。離婚後にいろいろな名目で夫から分割で送金を受けている。夫に同情した。
今朝、レストランのオーナーに宝くじを話題にしたら、過去に最後の二けた違いのジャンボを経験した。悔しくて宝くじはやめた。

午後からの奥さまはロト6の3等、50万円が当たった。受け取った直後に多額の出費が必要なことが起きた。
財布に、まだ確認していないロト6券が数枚ある。2等の1千万円ぐらいでよいからと、使い方に夢はひろがる。

18歳の飲酒に喫煙。やりたい者はすでにやっている。
隠れてやるスリルはなくなるだろう。解禁されたら、それが当たり前になれば案ずることはない「いけない」と言われると関心が、わたしは深まるクセがある。

配達の距離と軒数で週の山場の木曜日を無事終えた。

安物買いは失敗あり

吉部八幡宮朝参り。ご神勤中の宮司に声をかけた。社務所に月替わりで貼り出されるみ教え(神社本庁提供か?)今月の解説をお願いした。この毎月の文言は「神道百言」から引用されていることが理解できた。

月曜日、100円ショップに歩数計があり衝動買い「安物買いの銭失い」を実感できた。使用中に歩数クリアボタンに一瞬なにか当たればカウントはクリア。これでは役に立たない。
釜山港で1000円のロレックスを買った高山君は金色にご満悦。出航してラウンジで酒盛りのとき「何時か」と聞いた。時計を見た彼は「針がハズレています」ロレックスは海に投げられた。安いには理由がある。

お客さまから「読みませんか」と差し出された本は読んでいる。
いま読んでいるのは「日本から(北)に帰った人の物語」次は「こんなに弱い中国人民解放軍」それから「ダウン症の天才書家 金澤翔子の世界」

1960年。地上の楽園と言われた北朝鮮に希望を持って海を渡った朝鮮人(配偶者の日本人も)が、家畜以下の食べ物を消化できる胃袋になり、日本では朝鮮人と言われ朝鮮では在日と蔑まれ、あらゆる地獄を体験して、中国を経由して脱北した「物語」ではなく「実話」だった。
蓮池薫さん「拉致と決断」を以前読んでいたから、北朝鮮の実態がより立体的になった。気持ちは重いがあと少しで読み終える。

ハッピーの首輪は、はなちゃんのお下がりで汚れてぼろぼろ。きょうはペットショップで少し高級の赤を買ってきた。

で、おまえはどうするか

安全保障法制化に反対をする人たちが日曜日、国会前で反対の気勢をあげた。

ベトナム戦争のとき、小田実さんはベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)に関わった。常に、自分と仲間に問い続けた言葉は「で、おまえはどうするのか」自分の立ち位置がわからないままの烏合の衆ではならない。

それを、わたしに引き寄せて考えるとふたつのキーワードになる。
尖閣諸島で騒ぎはじめたころ、聖路加国際病院の日野原重明先生が新聞紙上で。
日本は軍備を一切捨てて丸腰になればよい。丸腰の日本を侵略する国があったとすれば、それを国際世論が認めるはずはない。尖閣諸島が欲しければ与えたらよい。

もうひとつは。先日の日記に載せた

佐喜眞さんは「沖縄の人は、戦わないで死んでも負けた気がしない」と言われた。

で、おまえはどうするのか。を自問自答している。まだ答えがない。

仲間の2頭を次々に失いハッピー落胆している。それがいろいろな場面にあらわれる。
餌の食べ方に変化がおきた。野良犬のころのように、土間に餌を投げたら食べる。食器では食べなくなった。
健太と太郎と競いあうように食べていた。
散歩も仲間がいないので歩かない。
そのうち慣れるとは思うが元気がない。