日別アーカイブ: 2015年9月5日

早朝の萩観光

応仁の乱。戦火を逃れた公家たちが全国に散り、その地で糧を得るために私塾を開き、乱があったればこそ都の文化や習慣が庶民に伝わった。

関ヶ原で毛利は敗れ周防と長門に押し込められた。毛利の殿様は武士の大量リストラをせざるをえない窮地に追いやられた。
糧を得るためリストラされた武士は長州藩内いたるところに私塾をひらいた。民衆に学問が伝わり、それも維新の底力だったとわたしは思っている。

萩市内の配達。今朝は早く出た。菊ヶ浜や指月城趾を歩いて見たかった。
7時の菊ヶ浜から対岸の城趾が望めた。塀にはたくさんの狭間が海をにらみ幕府軍との臨戦体制の心意気を見た思いがした。追いやられた長州藩が、長州三白(米・塩・ロウ)の産業を興し、海運などもあわせて蓄財をし維新をおこした。山口県人として誇れる。
これまで萩の見るべきところを見る力がなかった。歴史を学びながら萩をゆっくり歩きたいと思った。2年ぐらい以前に立ちよった旧田中別邸を対岸から眺める寄り道もした。萩焼き窯元も立ち寄れた。

お昼前にもどり、さっさと食べて草刈2時間。川土手の斜面もきれいになった。草刈機をかついで2時間斜面を歩いたから疲れた。