月別アーカイブ: 2016年4月

4月を終えて

今朝の萩行き。秋吉台周辺は3度と冷え込んだ。
連休に入り、萩市内のホテルや旅館。民宿まで滞在客の県外ナンバーで駐車場はいっぱいのようす。各地の催しに出かけるマイカーも早朝から多かった。

長年続けた「農園日記」は5月末でわたしは終止符。長男の正志がHPを継続。
わたしは個人HPを5月末までに立ち上げたいと思っている。
わたしは、日記を誰かに読んでもらいたからではなく、鍵山先生が提唱された、簡単なことを継続すれば、それがいつか力になる「凡事徹底」の実践としてやり続けている。

5月の農園日記では、30年ぐらい過去にさかのぼり、主な出来事を書き置いているものを公開できればと考えている。

■お笑いコーナー

農園地域は高齢者。バスは「ノンステップ」家内は「最近、ノンストップ」バスになったねぇ。

湯田温泉でゆっくり

仕事はしない金曜日。軽四ダンプは農園内の作業しか使わない。たまには走るとよいからダンプでお出かけ。
目には青空と新緑。耳にはヒバリやキジ。気持ちよい散歩を約1時間。
宇部市内。時代おくれの松原酒店。国旗が掲げてある。店主が開店前にもかかわらずおられた。郵便受けに投函する予定「数楽の会」案内を手渡し近況交換。
彼は明日の「ふく鍋隊」に参加する。わたしも多少の無理をすれば参加できたが、その無理をしないから店主を尊敬。
菊川画廊は不在。彼は酒と携帯電話にテレビに縁がない生活。けれども心は至近距離。郵便受けに数楽を投函。
ホームセンターでハッピーの買い物。ホームセンターの散策は勉強になる。ふだんはゆっくり歩けないから店内を観察。
この時期面白いのは草刈機コーナー。毎年アイデア商品が登場する。今年も便利そうな付属品が多数あり説明書を読んだ。
痛風の岡本先輩をガッツ体育館に訪ねた。今回はフェイスブックの心得を授かりに。
わたしには気がかりな点がふたつあり躊躇している。
ひとつは「リクエスト」を承認するか否かの、いわゆる「人」の選別。
ひとつは、相手が誰を承認しているかがわかる「覗き見的」機能。
岡本先輩の意見を聞かせていただいた。あとはFBをやるかどうかはわたしの判断。
岡本先輩も明日のふく鍋隊にバス運転で参加される。

湯田の温泉で生ビール昼食。ゆっくりお湯を楽しんだ。

■お笑いコーナー

T君。前の仕事で私の右腕力コブ。大分県の町役場を訪問したあと彼が「電話をします」とボックスに。
わたしは運転席で待った。T君が車に駆け足で戻り「早く走ってください!」と叫んだ。車を発進させて電話ボックスを見たら、ボックスの外で男が車をにらんでいる「なにがあったのか」とT君に聞いた。
彼は電話を終える前にオナラが出た。臭いは強烈だったらしい。受話器を置いたら、外で待っている人に気がついた。

気持ちのよい出来事

長府、美術館と長府庭園に隣接する、朝の騒音が届かない閑静な住宅街でめざすお宅に着いた。
10数年、毎週10個を歯科医院まで届けたが、高齢になり自宅の配達を希望される連絡があった。
とにかく一度、朝の渋滞の列になり行ってみてから配達するかどうかを決めたいと思った。
木曜日、早朝から200数十キロを走り、5時までにゴールしなければならないお得意先がある。
自宅の前でわたしの到着を待っておられた。開口一番は「配達してもらえますか」だった。渋滞のストレスを毎週味あうのは嫌でお断りする言葉を用意していた。
けれども、これだけ評価していただくお客さまにお断りは言えない「大丈夫ですよ」と返事をした。
わたしの車に手をあげて見送ってくださった。
気持ちのよい出来事になった。

■お笑いコーナー

某カルタクイーン。自宅に取材にきた記者に「どうぞ」とお茶を出した。取材が核心にせまったころ、クイーンはそのお茶を飲みながら熱弁だった。

帰り道に美祢の動物病院にマダニ対策の薬「フロントライン」を買いに立ち寄った。1ヶ月1700円。

今夜は疲れも手伝いよく眠れそう。

■お笑いコーナー

小雨の八幡宮朝参り。西君の弟さんが、石段下の参道を丁寧に掃き掃除をしていた。

木曜日、長府の歯科医院に長年10個届けてきた。昨夜奥さまから「高齢で病院は辞めました。できれば自宅に配達してくれないか」と電話をいただいた。地図検索をしたら美術館近くで、朝夕は渋滞する地域。けれども「安心ですから」と言われたから、明日は自宅まで届けて時間のかかり具合を試してみよう。

午前中、松村御大から「熊本ふく鍋隊」参加のお誘いを受けた。その日は、太秦教会大祭で家内がご用奉仕に出かけている。農園の仕事からわたしも抜けるとだいぶ無理を強いることになるから今回は辞退をメールでお伝えした。

■お笑い コーナー

中学生のとき、自宅でムカデに足を刺されて病院に行った。
治ったころ、学校図書室で放課後に読書していたら足の太ももにチクリと痛みを感じた。またムカデと。反射的にズボンを脱ぎ捨て、ズボンを足でドンドン踏みつけ、椅子の足でも激しく叩いた。周囲は人だかり。
恐る恐るポケットを見たら名札の安全ピン。パンツ騒動は全校の話題になった。

正誤表

■正誤表■
きのう「数楽の会」を6月14日とご案内しましたが、正しくは6月19日(日曜日)です。

呉 明美さんのお店は5月7日オープンですが素敵なHPができています。
「下関ソリナム」で是非ご覧ください。ランチは「おうちレストラン テジョン」のオモニが腕をふるわれると聞いています。本番ビビンバもありますよ。

大型連休をひかえて配達調整が忙しくなってきた。
すべてお客さまの都合に添えないが、精一杯の調整をはじめた。

1ヶ月前に紛失したガソリンのカードが、車の隙間に落ちていた。5千円の自腹返済が戻ってくる。

数楽の会

「数楽の会」開催決定
6月14日(日曜日)
午後2時から4時
会費 600円
講師 藤野貴之先生
耕心の里

内容 前回に続き、数学者 岡潔の昭和のベストセラー「春宵十話」を読みます。今回からの参加も大丈夫です。わたし関係者には案内書を郵送か手渡しします。問い合わせも受けます。
5月中ごろまでに申し込みください。

次回予告
森田真生先生(独立研究者 数学者 京都在住 東京大学出身)
数楽の会に以前お越しいただきました。著名なかたです。
7月10日 午後2時から4時 耕心の里

6月の数楽の会は、皆勤賞のわたしが欠席かもわからない。母の納骨で京都に行く予定。けれども間に合うよう調整はする。

前回、藤野先生が黙読より音読のほうが頭に入ると言われて、歎異抄NHKテキストは音読している。
確かに黙読すると、雑念が浮かび深まりがない。辞書を脇に置いて音読すると集中できた。けれども、音読する滑舌が非常に衰えた。
今月、萩散策を催した。参加者33名とわたしは関係あるが、みなさん同士横の関係はない。普通ならオリエンテーションで自己紹介となるがやらなかった。
それでも、みなさん楽しいと言われた。
読書や催し運営など、数楽の会がわたしの力になっている。
講座の受け取りかたは多様でよいと思う。要は脳みそを楽しく動かす2時間がよいと私は思う。

名水百選 弁天池にタンクを持参した。顔見知りの方が「地震のあと暫くは水が濁りましたが」で挨拶だった。
加奈ちゃん「おいちゃん!」メールは朝。
きのうパンの売上全額を熊本県に届ける方法をたずねる内容。
嬉しかった。すぐ返信した。

掃除徹底

朝食を済ませて掃除。トイレ・風呂・階段に部屋。風呂のビニールカーテンを漂白剤できれいにできた。

散髪と買い物とウォーキングで山口市内。農園生活で欠かせない朝の納豆。そのお気に入りが見当たらない。店員さんに尋ねたら「熊本工場が被災して製造が止まっている」商品が出てきたら買い続けよう。

明美さんと待ち合わせの3時。早めに農園を出て、関門海峡を露天風呂で眺めるマリン温泉が建物ごとなかった。

8月に二人目の出産わひかえて、5月7日にメッセージギフト・カフェ「ソリナム」を、リトル釜山 グリーンモールにオープンする呉 明美さんと改装中のお店でお会いした。玉子の商談をしながら、彼女の夢を聞かせてもらった。
しっかり応援したい。

農園は一服の絵画

萩に出る前に簡単な朝食をいただきながら思ったことは「今の幸せ」。
わたしが食事をとる位置から窓越しに新緑の山々を背景に、農園開設時にトレーラーで運んで、大型ユンボで植えたケヤキが枝いっぱいに絵画のような若葉をつけた。
開けた窓から、朴(お掃除仲間が記念植樹)の花が甘い香りを漂わせ、キジやウグイスがたくさん元気に鳴く。
私には日常の風景。人はこの非日常を求めて旅をしているのかもわからない。自然のなかで、毎日を過ごせること。これこそが幸せだと、農園生活17年にして実感できた。

戦争カメラマンが捕らえられたとき、さまざまな反応が巻きおこる。大別すると「自己責任」「尊い報道者」。今回、熊本地震でもマスコミの報道姿勢があれこれ論じらている。カメラが被災地の現状を報じるから惨状が伝わる。
一方では、報道の競いあいが過熱している指摘もある。

神戸の震災に身をおいたわたしが感じたことは。
倒壊家屋の生存者を確認するとき、上空でマスコミのヘリコプターがたくさん旋回し、その騒音はレスキューの障害だった。
阪神淡路の前に奥尻島や雲仙災害があり、復興道なかばでありながら、マスコミは新たな災害に向かった。
熊本報道に東北から関心が遠ざかるマスコミ対応になってほしくない。
伝える側と受けとる側には、越えられないものがある。

カヤグム(韓国伝統楽器 琴)奏者で歌姫の呉 明美(オ・ミョンミ)さんから久しぶりの電話があった。5月の連休明けにグリーンモール(下関 リトル釜山)商店街で、ランチと小物のお店を開店します。
明日の午後、開店準備中のお店に彼女を訪ねることにした。

早朝の草刈り

別府市の地鳴りが市民からのツイッター。わたしは神戸で数回それを体験した。地の底から不気味な音が聞こえると、この先なにが起きるのだろうかと恐怖を感じた。
観光都市だから「地鳴り」は報じられないほうが関係者にはよい。けれども正確な情報発信はされなければ。

土日のお天気予報がしゃんとしないから、疲れていても6時から9時半まで草刈りをした。10時過ぎには持世寺温泉。汗をながし全部着替えてさっぱり。
中越地震被災地に、下関「ふく鍋隊」が奉仕。わたしも仲間に加えてもらった。
仕事を済ませて、夕方7時に美祢ICからバス(大型キャンピングカー)に乗り込んだ直後から酒攻めに見舞われた。徳山通過は覚えているが、岩国通過の記憶がない。
朝6時に目があいた。新潟近く、左手に荒々しい日本海「新潟は近いの」と叫んで、一晩中眠れなかった人から「あんただけいや」と返された。
松村御大の陣頭指揮で「ふく鍋」被災者のみなさんに配りながら御大が「ぶち旨い!」を連発。配られた発泡スチロールのふく汁をばあちゃんがもってきて「どれが ぶち ですか」と問われて爆笑した。
帰りは、車内で新潟の酒を飲み続けた長い道のり、行きは「ふく鍋隊」帰りは「酒飲み隊」になって帰還した。

被災地を祈りながら

下関市内のお昼前、エリアメール「安岡の川氾濫情報」とにかく豪雨の1日。被災地にはつらい豪雨だったろう。
普賢岳災害のとき、金光教信徒会の月刊誌から取材要請を受けて島原市に赴いた。
金光教肥前島原教会の関係者を取材した。土砂崩れ危険地区に関係者のお宅があり、長靴に入るぐらい積もった火山灰を歩いて避難地域に足を踏み入れた。地域が避難をした直後に、クーラー室外機をアルミ目的で全家庭盗られていた。被災地はなんでもありの地域になる。
全国から届いた救援物資の仕分け現場では、履きふるした革靴や、古い背広に下着類。
熊本地震では、新品下着のサイズなど明記と発信されている。
神戸の避難所では、断水が解消したとたん、廊下に積み上げた命のペットボトルが邪魔になり捨てた。現場のニーズは刻々と変化するが、今はスマホで伝達ができる。
神戸避難所に数ヶ月滞在して(当初は千人)だんだん身についたことは、ボランティア(当時はその言葉はなかった)は、避難している人を掃除や食事に参加してもらえる雰囲気づくりと思うようになった。野菜がいろいろ届いたら、横になるより仕事のないおばちゃん達に、野菜はこれだけ、人数はこれだけ。なにが作れますか?と言えばワイワイが始まる。
震災直後は、自衛隊からいただいた赤飯缶詰めを少ないボランティアで携帯コンロを動員して温めて配った。あの現場ではサービスする側と受ける側の境はいらない。みんなが団子になってやればよかった。
避難所運営の力を身につけた人を全国で養成したらよい。

治まれば熊本から大分の温泉旅。

フェイスブック困惑

配達を済ませ農園にもどり、所用で山口市内を高速移動。陸上自衛隊旭川駐屯地のトラック車列が九州向け。災害二次派遣の旗印が頼もしい。
未曾有の自然災害は、県知事や首長が指揮をとらず、危機管理のスペシャリスト、自衛隊の指揮下で官公庁が動く仕組みになると被災地はより助かると思う。あの阪神淡路のとき姫路の陸自は即座に動けたが、時の村山総理の災害派遣要請がおくれた。

北海道・山形・秋田・九州新幹線の100円記念硬貨が本日出た。金融機関取り扱いとラジオが報じて銀行に立ち寄った。真砂恵さん次男(6歳)は新幹線マニア。
窓口に行ったら申込書を書くよう言われて、財布と老眼鏡を車に忘れて来たことに気がついた。
取りに行き窓口でかけた眼鏡は濃いサングラス。一瞬カウンターの女性がマジ顔になって、それから笑いをこらえた。

フェイスブック4日目にして壁にあたった。どんどん「もしかして友達」とか、わたしのプロフィールが駆け回り「友達申請」がくる。
まったく知らない人は無視できても、以前にお付き合いがあった方からの申請を無視はできない。
この歳になり、常々お付き合いする人は少なくしたい(わたしの葬儀を伝える人ぐらい)と思い、そうしてきたから困惑。
けれども、地域をこえてリアルタイムに交流できるツールとしては便利と思う。続けるかやめるかを決めなければ。

NHKラジオの午前は「すっぴん」その番組中に熊本県のリスナーから「生きるか死ぬかのときだから、静かな番組にしてほしい」とツイッター。アンカーの藤井彩子さんの困惑ぶりが伝わった。
わたしの正直な感想は「ならばラジオ聴くな」様々な境遇におかれて心の安定を失う人もおられる。朝8時からラジオは励まし続ける番組内容だった。

神戸の避難所に自衛隊給水車が、大渋滞のなかをやっと到着。地域のみなさんバケツなど持って長蛇。非情にもタンクが空になり自衛隊員が深々と頭を下げた。
誰ひとり文句を言わずに列がばらけた。

明日の雨。辛さに拍車がかかるだろう。

通潤橋健在!

阿蘇大橋は、熊本から走ると渡れば高森や高千穂。渡らず直進すれば阿蘇山を右手にみながら大分県。あの赤い鉄骨組みの橋が押し流された。
橋で気になったのは、熊本県・大分県にはたくさんの石橋がある。わたしは石橋が大好きで耶馬溪付近にはお気に入りが何ヵ所もある。
江戸時代に台地と台地に生活・農業用水を通す目的で「通潤橋」が私財で架けられた。ローマにもあった、石橋の水道が熊本県には現役で使われている。高さ75メートル、長さは20メートル。日本最大の水路橋。肥後の石工の技術が残る。水が漏れない石積みの水路は、聞くところによると、今でいう自閉症の人が石大工の指導で極めて精密に石を加工した産物らしい。
あの橋が崩落しないで健在な様子を知りほっとした。

美容のニュースタイル、糸賀社長のお母さんは現役で「大先生」と呼ばれ、宝塚風の93歳、書道家でもある。わたしにプレゼントで「凡事徹底(鍵山先生の言葉)」を書いてくださり、大きな額縁におさめてくださった。自宅にお礼に行ったら「下手ですが、心をこめて書きました」と。
難しいことより、簡単なこと、例えば履き物を揃える。挨拶を先にする。そんなことを徹底すればよい。
鍵山先生の格言はたくさんあるが、わたしにはこの四文字だけでよいと思ってきたから、特別に嬉しかった。

そのオスプレーが災害現場のライフラインになっている。配備反対をした野党はまだ反対を唱えるのか。

フエィスブックの操作不慣れでリクエストの何人様を消去しました。失礼お詫びします。

フエィスブック混乱

美祢市長と市議会議員選挙の投票が昨日行われ、深夜に開票結果が判明した。
きょうは、その美祢市を配達で走った。
地域の候補が当選すれば、美祢市全体のことよりも地域の要望を聞いてもらえと思う人。大所高所から市政を進めてくれる人が望ましいと話す人。
けれども45パーセント投票率。無関心が気になった。

7時前に岡本拓也さん宅に配達。前は痛風のご指導いただき、今は毎日1錠の痛風仲間。今回はフエィスブック。きのう午後に設定して一晩あけたら、すごい数の人たちの紹介が延々と届いた。
前の仕事・スペシャルオリンピックス・掃除・農園に金光教など。これをどうすればよいのか岡本先輩に尋ねた。
玄関で「岡本拓也」と「松村久」の、失礼があっても許してもらえるお二人を「承認」クリック。
お昼に見たら、ご両人の関係者(わたしには他人)の近況が続々と画面に出てきた。
しばらく「承認」はお二人のままで、未知の世界を覗いてみよう。
タブレット検索で、無料HPアプリ「クレヨン」を発見。インストールした。
農園日記の後継は、フエィスブックではなくHPかもわからない。

掃除に学ぶ会参加

車で約40分。小野田市赤崎小学校 掃除に学ぶ会に参加した。
農園をはじめて「会」に参加できなかった。きょうも参加出来ない理由をさがせばあった。赤崎小学校には敷地内に「支援学校 松原分校」がある。教職員さんから長年タマゴのご注文をいただいていること。もうひとつは黄 栄作さん長女の杏子ちゃんが赤崎小学校教員2年目という理由で参加申し込みをした。
18年ぶりに会のみなさんと便器に向き合い、初参加のような気持ちで手を動かした。
農園ひとり掃除もよい。子供たちと肩を並べてやる掃除はもっとよい。

長府の配達があったから、掃除を終えて下関。湯田温泉まで帰り、1時間の入浴。

午後2時。山口市内の大型ショッピングセンター内(Wi-Fi環境)で、わたし個人ホームページ作成を、桂子ちゃん友人に、桂子ちゃん同席でお手伝いしていただいた。
途中でホームページよりフエィスブックのほうが簡単となり、設定を済ませた。
「adachi.susumu足立進」でヒットします。まだ使い方は全くわかりませんが、みなさんからご指南いただきたいと思います。
来月には若葉マークで運転できるようお育てください。
タブレットは、日に数回しか見ませんからレスポンスは悪いと思います。よろしくお願いします。

昼食は、お掃除会場で浪花特製カレーをおいしくいただき充実の1日だった。

被災地は混乱だろう

昨夜から今朝にかけて地震情報が頻繁に鳴り、被災地映像を見ながら神戸を思い出した。
1月19日から4月末まで、兵庫区浜山小学校避難所でお手伝いをした。
ライフラインが寸断されると生活基盤を失う。わたしの体験ではトイレの問題が大変だった。汚物の清掃などをやりながら知恵が出て、プールの水を使うルールができた。
電気やガスが止まると、夜は暗く寒かった。
大渋滞の三ノ宮駅前で、救急車は来ないから自家用車の前と両側面に段ボール紙に「透析者搬送」と表示して警笛を鳴らしながら大阪方面に行く光景を目撃した。
食べ物が少なく、いつも空腹だった。洗面はできなかったから汚れた顔だった。
避難者約千人の中にお産間近の方がおり、どこかに移送された。
犬や猫。ペットの処遇には手をやいた。
自宅を失い、職場にも行けないストレスからなのか喧嘩をよく見た。
当初は命が助かりありがたい気持ちが、日にちが経つにつれ行政対応や自治会運営に不満があらわれた。

被災地では、おさまらない余震のなかで不安をつのらせておられる。なにかの方法で支援をさせていただく。

土曜日は半日かけて萩から長門・美祢市の配達をした。

熊本受難

携帯電話では、宇部市防災メール受信設定。
タブレットは、地震・豪雨・河川洪水など、それぞれレベルを選んで設定している。
昨夜は、タブレットのアラームが眠りから起こし、直後にゆっくり横揺れ(震度4)が来た。玄関(2階の靴を脱ぐ場所)マットを敷き、半室内犬は揺れに動揺していた。
テレビで各局報道をしばらく見て寝た。夜中だから現場の混乱だけ伝わり、被害はあまりわからなかった。生活の基本、大地が揺れることは大きな不安や恐怖になる。

朝の報道で甚大な被害が刻々と伝わりだした。あの美しい熊本城が無残な姿で映された。
天地の営みは人知の及ばざること。けれども、いつの自然災害でも直後から、学者やエキスパートが立派な解説をされる。それほどまでに予知は困難なのであろう。

夜明けから草刈り。土曜日の後半から日曜日は天気がくずれる予報。しっかり4時間、汗をかいた。
降圧剤が切れた。来週水曜日が受診。まぁええかと血圧計で計ったら150・90。シャワーを浴びて着替えて診察に行き薬(前回からジェネリック)をいただいた。

17日(日曜日)午後0時 yab山口朝日放送 「前川清の笑顔まんてんタビ好キ」は美祢市が今回の舞台。楽しみ。

エアコン初日!

朝6時から夕方5時まで走った木曜日。予定どおりの仕事ができたことを神様と母に拍手で御礼。
雨が降るたびに山々の新緑が力強く輝きを増す。
今朝、農園の橋を渡ったら茶色の野ウサギが目の前に飛び出した。犬の散歩でコロコロした小さい糞を見ていた。そのウサギかもわからない。
飼育されているウサギの多くは、餌をしっかり食べてメタボ。野ウサギはとてもスマート。後ろ足のキックで跳ねながら前を行き、途中で右手の斜面も跳びながらあがった。野生の力強さを見せてくれた。

タマゴを届けてくれますか?の電話やメールでしっかり確認しなければならない地名・名前や屋号。
木曜日の午後は、下関市内日。電話で「うない」と聞いて「漢字はどう書きますか」と尋ねた。
農園をはじめたころ。松村御大から「あの米店に話がつけてあるから」と言われ「あの、はどこですか」と聞いたら「あの米店じゃ!」(あの米店)が屋号だった。

午後から、今年初エアコンを入れた。雨が降り気温があがると雑草は遠慮なしで育っ。
明日は草刈りをやらねば。

万歩計9000歩

学びは楽しい

やはりコーヒーには煙草が一番あう。ロングピースに火を着けて。目が覚めた。2時。ああ夢でよかった。
しっかり起きたから録画「100分de名著 歎異妙第2回 悪人こそが救われる!」を見た。見終えて、車に置いていた藤野先生から頂戴したNHKテキストを取りに行き読んだ。
わたしなりの浅い解釈は。難儀を抱えて生きている人は、泳げない人が助けを求めるようなもので、だから救いの手は差し向けられる。

水曜日は朝参り。今村奥さま用におみくじ一枚買った。
今村奥さまは袴姿でメイクはバッチリ。カルタクィーンの正装で貫禄。これから市内の中学校にカルタ講義に出られるところだった。
ご主人、先日はじめてロト6を2本(400円)買われた。それが1万1千円当選したと笑顔。もう相当金額費やしても1万円当たったことはない。奥さまのおみくじは「大吉」。

配達を終えて温泉立ち寄り。湯船で思った。
今朝、録画を見てからテキストまで読んで、少しでも名著が理解できたことが嬉しかった。
藤野先生言われる「学びとは楽しいもの」に少し近づいた。

万歩計12000歩

足立企画は多忙

今朝は冷えた(6度)。疲れているのと寒さで布団から出たのが5時。犬は牛乳と生タマゴ。飼い主はパン・牛乳・バナナが緊急の朝食メニューになった。

火曜日は糸賀社長が、温かいほうじ茶で待ってくれる。萩散策に前日参加を伝えてくれ仲間入りされた。
「よかった」とほめていただいたから理由を尋ねた「ルールがないのかよかった」集合と解散時間は厳守したが、ガイドさんを紹介して「さぁ、まいりましょう」参加者自己紹介もなくだらだらと歩き始めた。
歩行に自信のない数名がおられたから、だらだら散策がよい。なんとなく、わたしが最後尾と前を行き来してだらだらをまとめた。

「また計画してくれんか」とアンコール。もし計画するなら高杉晋作の長府史跡巡り。少し足をのばして柳井の街並み。松月院に参り「生死」をご住職に導いていただく。色々な企画はある。

5月後半から7月前半の日曜日に「子供 採卵体験」を催すことに決めて、きょうから子供さん家庭に案内を配りはじめた。
まだ鶏の体温がのこるタマゴを採卵して持ち帰り、放し飼いの鶏を抱き上げる体験をさせようと思う。
関心ある方は問い合わせください。

万歩計12000歩

よう飲んだが元気!

庄原市会議員の林さんが取り組んでいるバイオマス発電。その内容を理解されながら、質問されながら傾聴された河村代議士。聴き終えてから各方面に、見解を確認の問い合わせ電話を何本もされた。

河村先生(73歳)は、文部科学大臣、内閣官房長官やたくさん要職を歴任されている。

宇部掃除に学ぶ会を立ち上げた20数年前、常盤公園の公衆トイレ掃除をしていた朝、ご夫妻で散歩中の目にとまり「この掃除の目的はなんですか」と足をとめられた。
アピールしたがり性格のわたしは、まるで鍵山先生と肩を並べておるぐらい得意満面で「便器を磨いて心を磨きます」と偉そうに。
以後、ご夫妻は便器仲間になった。
スペシャルオリンピックス山口創立では、隆子奥さまを代表に担いだ。
いろいろご夫妻との交流は深いが口利きを頼んだことはない。
なにより、奥さまと呼ぶ人は少ない「隆子さん」は我々掃除仲間。「奥さん」は秘書をはじめみなさんが「奥さま」とは言わない。その威張らないところが河村先生を支える内助。
ご長男や秘書も交えて和気あいあいの交流ができた。

6時半に林さんたち庄原組は発った。

飲み過ぎでも二日酔いはなく、元気に月曜日を終えた。

農園が交流の場になり

朝から日ごろはやりたくない鶏糞処理を、小型ユンボと軽四ダンプを使いやり終えた。
梅雨を迎える前に、不衛生にならないよう、やらねばならない臭い作業。
お昼前に、岡本拓也さんと長男 直也さん来園。農園で使う車両3台は山口トヨタでお世話になり、江口店長異動になり岡本直也さんに引き継いでもらい、その挨拶来園。

午後2時に広島県庄原から市議の林さん(私と金光教と掃除仲間)同僚市議が到着。4時に河村代議士夫妻とご長男が来園され、林さんが海外視察をされたエネルギー事情をテーマに交流。
勉強会を終えて農園御膳で歓談。充実の一日を終えた。

中尾市長の言葉

下関市長 中尾さん、前職は下関唐戸魚市場常務取締役。松村御大は専務から社長に就任された。
御大とのご縁で中尾常務とふたりで内蒙古自治区(旧満州)を1週間旅をさせていただいた。旅さきで奥さまご両親に旅の便りを書かれておられて人格を知った。

きょうたまたまFMラジオが下関電波を受けた。あす開催「維新海峡ウォーク番組」に市長が登場されていた。中尾市長らしい言葉と思いメモをした。

幸せのなかで不幸を探す人 不幸のなかで幸せを探す人

わたしは不幸を探すタイプかもわからない。よい示唆を受けた。

土曜日の仕事を終えて、鳥の声をたくさん聞きながらゴロゴロ。

犬のおかげで生活にリズムがうまれる。
懐中電灯なしで歩ける5時半を待ち犬にリードをつけて外に出た。瞬間、犬が車の下にすばやくもぐり込んだ。薬で死んだ熊ネズミをくわえて出てきた。
嗅覚で動物を瞬時に見つけ、抵抗しないから口から放した。防府市の草むら生活でしっかり野犬だった証を見た。

小郡で散髪を済ませ、9時に岡本拓也さん宅に到着。
雨後のタケノコにお母さんが手を焼いておられたから、何本か採らせていただき、体力あるだけタケノコ駆除をする申し出をしていた。昨夜はお母さんから喜びの電話「待ってますよ」をいただいた。
拓也さんはすでに留守。横浜のえりちゃんが「わたしも手伝います」と奥から出てきた。2日ほど山口市滞在で、昨夜は岡本家にホームステイだった。
明日は黄加津恵さんがご長男とタケノコ採りに来るようなので、楽しみは残しておいた。
フキを採り、岡本家の原木シイタケをお母さんが収穫され、たくさんお土産を車に積み、えりちゃんは耕心の里まで送りとどけた。

木曜日の疲れが腰に残り、缶2本を睡眠薬にしてしっかり寝た。

小野田市 西山将光夫妻から、長女の京花ちゃん一歳の家族写真ハガキをいただいた。幸せが伝わり嬉しい便り。

クレヨンママからは、先日の萩散策お礼メールをいただいた。

しばらくタケノコ料理が続く予感がする。

現場で考える力

豪雨の朝6時に配達スタート。ゴールの5時には小雨の木曜日。

先日、沖縄観光をされたお客さま「沖縄の高速道路は、米軍基地の利便を優先されており、地元の人には便利ではない。有事に備えたインフラだから地元は不便を強いられる」

以前に、トルコからギリシャの旅をされたお客さまは「日に何度も礼拝しなければならないほど貧困と思った」
司馬遼太郎や、民俗学の宮本常一も現場に身を置いて作品がうまれている。
現場に身を置いた人の感想は説得力がある。

日曜日の朝、Eテレで「宗教」番組があり録画して観ている。
ホームレスの人に寄り添う、小倉のキリスト教牧師か神父か?
大学在学中に、大阪釜ヶ崎でホームレスの人に関わり、その原点があり小倉でも継続されている。難儀な人と向きあわれ宗教家として、教えを実践される姿に尊いものを感じた。けれども、ホームレスでありながら生活保護が受けられる市民運動、大阪や小倉は「生きる権利」を獲得した。背後には組合と言う政治力がある。政治と宗教が互いの目的で手をとっているのだろうかと邪推した。

権利と義務はセットだと思う。

フクロウの真実

水曜日ウォーキングコース。お屋敷の門にフクロウが2羽住み着いている。カメラが趣味の糸賀社長が、山口市から2度も重い望遠レンズをさげて撮影に来られた。
2度目のあと電話があった「あれは置物ではないか」日にちが異なる2枚を拝見した。偽物には見えないが、位置が同じに見える。それと昼間なのに大きく瞳が輝いてみえる。
屋敷の主と今村さんが仲間と知ったので真偽をたずねてもらった。答えは「縁起かつぎの巧妙な置物」糸賀社長には悪いことをした。

長生炭鉱に由来するピッケル。わたしが死んだらゴミになる。水没事故で亡くなった朝鮮人のご位牌を安置して供養されている寺に足を運んだ。ピッケルを語れば物語がある。ご住職に扱いをお任せした。
宇部市長名で。ピッケルは石炭記念館で、歴史の伝承のため展示しますとお礼を頂戴した。あのピッケルは保存された。ご住職に感謝。
松村御大が四国を歩き遍路をされる日が近づいている。
1783年に四国八十八ヵ所を巡り、各霊場のお砂と御札を受けて、山口市秋穂に「秋穂八十八ヵ所」がうまれた。
そのど真ん中まで車で行き、その日歩けるだけ歩く、その繰り返しで霊場を参拝する計画をたてはじめた「巡礼手帖」で見ると広範囲になる。
祈りの足跡を歩んでみよう。

万歩計12000歩

歎異抄お もしろく

昨夜の録画「100分de名著 歎異抄(1)」を2時に再生した。理解したいから朝までに2度みた。
すると番組内容とかけはなれた気付きが生まれた。
わたしは若いころは「組織論や運動論」が好きで、組織をつくり、うまく人を操れば目的が達成できると思っていた。そのわたしが組織や運動では目的は達成できない論者に今はなっている。
尊敬している金光教教師は。例えば元旦の祭りはされない。その理由を尋ねた。
元旦の何時から祭りをする言えば、一番楽なのは教師じゃ。その時間だけ装束着けておきゃあええからの。
この教会は、元旦は家族で都合のよい時間に揃うて参るように教えられている。家族ごとに昨年の御礼、新しい年の願いをしておられる。家庭ごとに御礼も御願いもちがう。それに寄り添うのが宗教だと教えてもらった。そこには組織も運動もない場当たりのような印象を受けた。
法然も親鸞も、人が助かりさえすればよい。その仏の願いを具現化されたような感想をいだいた。

制服でマニュアルの笑顔と言葉で接客してもお客の満足度はあがらない。客に寄り添えば満足度はあがる。

火曜日のウォーキングは「十文字交差点」近くの山登り。とはいっても商業団地だから舗装はされている。
頂上には2つの企業が広大な敷地で営みをしている。
ひとつは、廃車を広域から集めて、部品再生と資源再生工場。役目を終えた廃車から燃料を抜き取り、使えるタイヤ・バンパーやガラスなど丁寧に外し、エンジンやボディーもアルミと鉄などにわけられる。
一方の会社は、ダイハツの軽自動車。新車の大規模基地。各地から北九州にフェリーで運ばれた様々な車種が陸送されている。
生まれた子供と同じように、たくさんの未来を持つ新車。役目を終えた廃車。どちらも「ありがたい」光景。

万歩計13000歩

嬉しくて寝不足

昨夜は体は疲れても気持ちは元気で目はパッチリ不思議なアンバランス。
その理由は、萩散策のほぼ全員から電話やメールで「よかった」「また計画をお願いします」と、リップサービスとしても嬉しく、心はおだてられ木に登った。
内容をふたつご紹介しておこう。最初は御歳70歳の今村さん。萩散策はたくさんされたと思う。
「初めて萩に行ったような気分でした」と。
数楽の藤野先生
「よい意味で統一感がなく、自由で良かったです(笑)学校とは真反対なので嬉しかったです。本来、学校もああいうのが理想ですね。」

2時に目がさめ新日本風土記「永平寺」を再生。雲水の日常もよかっかた。それ以上に感動したのは、祭事のご用奉仕に来られ、餅を切る役目のおばあさんが、餅に合掌されていた映像。餅になるまで、たくさんの人のご苦労を思えば手を合わさずにはおれない。涙をながされた。
わたしも、いつかは自然に手を合わせる人になれるだろうか。

岡本拓也さんのお母さん。竹やぶを昨年、業者に切ってもらわれた。けれども雨後のタケノコ。

もう要らぬ 雨後のタケノコ 威勢よし

万歩計9000歩

萩散策よ かった

歴史の面白さは多様な解釈が成り立つところにあると思う。

萩の堀内散策計画をたて周囲の皆さまにご案内した。萩ボランティア協会に「10名ぐらいで」とガイドをお願いして、参加者が増えた。
萩博物館、田中義一大将(陸軍大将・昭和2年内閣総理大臣)銅像前に参集したのは33名。ガイドの山根さんの挨拶は「なんと多いですね」わたしと皆さんとの関係(タマゴ・掃除・旧友・前の社員さんなど)はある。けれどもみなさんそれぞれの接点はないという団体。一人の遅刻や欠席もなく、晴れ女の力で傘なしで参集できた。
2時間(8000歩)の散策は、維新の足跡をたどり学びの楽しさ満喫だった。
特に江戸から明治にかけてのお雛様がたくさん一堂にきらびやかに揃った「旧久保田家」は、展示期間の最終日に間に合い有意義だった。
留守中に牧さんが来園。戦場カメラマン、ロバートキャパが、ノルマンディイ上陸作戦で使用した「Contax」の同型を、以前ヨーロッパの旅で古物商で見つけた。まだ使用可能という重たいカメラを「しばらく使ってください」と農園に置いて立ち去った。

萩散策のみなさんからお礼に添えて、次の企画を待っています。のメールや電話。
お天気に恵まれ、よい1日になったことを、神様と母にお礼申し上げた。

美祢は桜ポイント

司馬遼太郎「この国のかたち」で、ここが大切なところと感じているのは。
坂東武士の「名こそ惜しけれ」その武士道精神を司馬遼太郎は、世界に類をみない「人間の芸術品」と評している。 さらに立憲国家は、人々、個々の強い精神力が必要なのですと日本の未来に示唆をのこされている。

勝ちさえすればよい横綱相撲や、制度の網をくぐり生活保護に甘えるやから。そんな風潮がはびこれば国は傾いてしまう。

土曜日は美祢市。美祢は知る人ぞ知る桜の名所。黄正吉さんお宅から市役所まで、川の両岸にずらり桜並木。橋から眺めたら、重たいほどの花びらで絢爛豪華。散れば川面に花いかだ。
桜山公園や野球グラウンドいたる所が桜ポイント。ついでに葬儀場も桜会館。

スマホ持ち 桜トンネル みな笑顔

温泉立ちより

美祢市の山あいに毎週木曜日に10個をお届けしている。それは若い奥さまが子育てに使われるらしい。
きのう、おばあさんが出て来られ「嫁から生タマゴをもらい、ご飯にかけたら美味しかった」戦後、採卵養鶏(放し飼い)をされていた。ある夜に野犬数頭が鶏を全滅させて養鶏はやめた。けれども「あの当時の懐かしいタマゴの味がした」その感想を言いたくて待っておられた。来週から倍の20個になった。

ある中学校で先生方がまとめ買いをされていた。春の異動で転校される先生からの電話「異動先の山口市内の学校でも配達してもらえるか。毎週20個だけど」来週から配達することになった。
わたしの仕事は、コツコツ続けてやり甲斐がある。

きのう、わたしが早く着いて月末集金ができなかった下関市内の飲食店に9時に行った。オーナー几帳面な人柄から今朝がよいと判断。オーナー不在だったが女性スタッフが封筒に用意して待っていた。
帰り道、農園近くの温泉に立ち寄り運転疲れを流した。

午後の楽しみはEテレ高校講座「歴史」きょうは第一次世界大戦・第二次世界大戦・オスマントルコからパレスチナ。
映画「アラビアのロレンス(ぶち長編)」を3回も観たので理解ができた。

万歩計4000歩