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「こまつな」考

ある紙面の写真が目に留まった。
ハウス一面の収穫を待つ小松菜。車輪付きの台車に腰掛けて収穫作業をするフィリピン人技能実習生の女性。葉物野菜のハウス栽培が盛んな福岡県久留米市での作業風景である。

新型コロナウイルスが影響して、人手不足から農作物廃棄が一部の農家ではじまっているという。約100棟のハウスで小松菜を通年栽培し、一日600ケースを出荷している農業法人では、フィリピン人実習生9人を雇用し、作業を回しているが、新たに雇用する予定の実習生が入国制限で来日できなくなった。新たな労力を見越して生産していた小松菜の成長は止まらず、収穫期を過ぎたハウス18棟分の数?を廃棄したというのだ。

心に刺さったのは「廃棄」というフレーズもさることながら、「車輪付きの台車に一日中腰掛けて、収穫から包装、箱詰めまでこなす仕事は厳しく、日本人の成り手は少ない」という40歳経営者の切実な言葉である。コロナ禍で、身近な国内農業の抱える人手不足の問題が浮き彫りになった。

同様に養鶏業でも、5年ほど前から育雛業者や廃鶏業者から人手不足や離職者が多い現状を盛んに耳にするようになった。実際に鶏の出入口で外国人実習生を雇用していることから、農園の営みも、間接的には外国からの労働力に依存していることになる。自分では抵抗することの出来ない農業や畜産の大きな流れに、生きづらさを感じるようになったのは今に始まったことではない。

それぞれの規模によって働き方は異なるので、外国人実習生の是非を一概に否定することはできない。ただ、地道な繰り返しの作業を通じて、先人たちが培ってきた自然への観察力や洞察力、経験や勘も同時に失われていくような懸念がつきまとう。多少の辛抱はともなうが反復作業で育てた心と体があってこそ、生産者として自然の恵みに感謝する心や、働く喜びが得られると思うからだ。

同時に、そう考える自分は不器用な生き方をしているとも感じている。

2020.05.25 あだちまさし