月別アーカイブ: 2018年4月

ソフトクリーム日和

4月最終日。日中の気温上昇。晴れ。

好天続きの4月。日照時間も多かったようで、昨年の秋口から高騰が続いていた野菜の値段も落ち着きを取り戻し、

手軽に買えるようになった野菜たちで我が家の食卓と胃袋も潤った。

一方で気温は不安定に感じたのは私だけだろうか。朝晩の冷え込みがやけに厳しく、先週木曜日の朝は仕事中に息が白くなった。

そのせいか、鶏の食欲が例年以上に旺盛。4月中旬あたりの冷え込みで「秋」を感じ、寒い季節へ備えての食い込みだったのか?

先週末あたりから食欲も落ち着きを取り戻し胸を撫で下ろす。いくら野菜が安くなったとはいえ、あのペースで鶏が餌を食べると私たちが食えなくなるのである。

今日は祝日でバスの運行が変則的。Iさんの仕事終わりにバスが来ないので自宅まで送って行った。

いつものように助手席に彼女を座らせ、仕出し「柳屋」から配達をスタートし、こもれびの郷でソフトクリームをご馳走する。

これも、いつものパターン。助手席でコーンのお尻をシャリシャリと口の中に入れたところで彼女の自宅へ到着となる。

女性なので覗き込むわけにはいかないが、うまそうにソフトクリームを舐める彼女の姿を時々横目に見ながら運転。

いつものようにコーンを左手でクルクルと回しながらクリームの山をキレイに小さくしていく。夢中で口に運ぶ姿が微笑ましい。

自宅でお母さんに挨拶しようと車を降りたが仕事で留守。

彼女のお母さんも休日の仕事人である。今日も一日お疲れ様です。

あだちまさし。

心地よい余韻に浸った

慌しさと心地よさが入り混じる一週間をすごした。

連休前の慌しさ。月末と重なり資材や飼料などの発注作業。いつものことだが連休に入る業者に合わせて鶏の顔色を窺う気忙しさが続いた。

日長が延びていく時期はヒナの初産から産卵ピークに達する期間が短いため、作業が押し気味で突入した週明けから生産をつかまえるのに苦心する。

今月産卵をはじめる群が産卵ピークに達する前、生産と受注のバランスで少し時間が取れそうだったので家内と島原へ帰省する予定を立てていた。

本来なら4月15日あたりが生産的には都合が良かったが、子どもたちの都合が合わず見送った。

義父の命日も近いので何とか墓参りだけでもと思いたち、諦めかけていたが心と体に気合を入れて先週末、家内と長男の3人で出かけてきた。

土曜日の午後と日曜日の早朝出勤、休日出勤などをパートさんにお願いして、ほとんど日帰りではあるが車で往復。

年に一度あるかないかの帰省、それも瞬間移動のような弾丸日程である。

家内や実家のご家族には大変心苦しいが、日没前に何とか島原入りして墓参り。家内のご先祖さまに日頃のご無礼を心から詫びた。

島原には会いたい人、尋ねたい所がたくさんあるが家内を辛抱させているので私の都合を優先させることもできず、いつも辛抱修行のような往復になる。

有明海を渡り島原半島に入ると、窓から潮風入り磯の香りが車に充満して。この香りが心の奥の方をチクチクと刺激する。

なつかしい場所をいくつも通り過ぎながら家内の実家へ急ぐなか、有明町の国道沿いで大変お世話になった上司のお母さま「ヨツエさん」をお見かけした。

公私ともに大変お世話になったが15年以上もお会いしていないので、ちょっと車を止めて世間話というわけにはいかず後ろ髪を引かれる思いで通過。

夕暮れ時、足取りはゆっくりだったが、しっかりされていたようにお見受けした。おそらくお元気だろうと感じ安堵する。

往復、睡眠時間を除く、島原での滞在は5時間。とても短い時間だが、大変ありがたい充実したリフレッシュタイムをいただいた。

心地よい余韻に浸りながら慌しい一週間を乗り越えることができたことに感謝。

あだちまさし。

根気よく

新緑が美しく農園を彩る季節になった。小さな緑の点だった葉が少しずつ広がってきて緑の天井が出来上がる。

毎日の作業場で私の立ち位置から見えるのはウメ、カキ、サクラ、クリ、カエデ、ケヤキ、イチョウ、そしてホオ。

それぞれの木が次第に緑で覆われるようになり、木陰が出来始めるころにホオの高木に大きく美しい白い花が「パカッ」と開く。

朴の花が言葉に出来ないくらいの良い香りを放ちながら、新緑の風景が完成し、これを合図に雑草の生育も盛んになる。

そして「草刈り」が作業に加わる。

仕事の合間をみつけ草刈り機を担ぎ、園内を西へ東へと汗をかきながら草を刈っていき、刈り終わって振り向くと、また草が伸びるという時期が秋口まで続く。

農園での作業はシンプルな単純作業が多い。自分自身の能力を客観的に評価するのは難しいが、5年、10年と共に働く従業員が身につけてきた能力は少しずつ増えた。

それは歯を食いしばり根性と瞬発力で身に着けた能力ではなく、同じ作業の繰り返しの中、コツコツと根気よく続けることで身につけた熟練の能力だと思う。

こう書くと全てが完璧に出来ているようだが、私も含め、まだまだ行き届いてないところはたくさんある。

根気よく身につけた熟練した能力は決して折れることはないと信じて、まだまだ磨きをかけていきたい。

あだちまさし。

心暖まる筍のお裾分け

筍が有名な吉部。今年は豊作という話をよく耳にする。農園近くの筍加工場も今が最盛期。

普段は出入りのない加工場だが、この時期になると季節労働される方の車がたくさん並び、

工場の外に設置してある大きなダストボックスには次から次にベルトコンベアで運ばれる筍の皮がドッサリ山積みになる。

以前は小分けした真空パックで販売されていたが安価な中国産に押され、現在は一斗缶での業務用出荷が主になっているようだ。

昭和40年代の前半に筍加工場ができた当時は子どもが小遣い稼ぎに筍掘りをしたり、筍を収穫するため竹を植林する家もあったと教えてもらう。

こんな吉部の昔話をして下さるのはパートのF井さん。生まれも育ちも吉部で60年以上地域の移り変わりを肌で感じてこられた。

このF井さんが毎年「筍」のお裾分けを下さる。手間のかかる下茹でを済ませた状態で頂くので、すぐに「旬」を味わうことができる。

ご自宅の裏に竹林があるので自分で収穫されたものかと思いきや、お裾分け下さる筍は徳島県産である。

娘さんのご主人が徳島県出身。毎年、ご両親が掘りたての筍を吉部のF井さんへ宅配して下さる。ちょっと不思議な話。

両家顔合わせの会食で筍の話題になり、「私どもの口に入る前にイノシシが食べてしまいます」とF井さんが嘆いたところ、

イノシシ被害をひどく同情された主人のご両親が筍が一番美味しい時期に届けて下さるようになったそうだ。

今の時期、吉部で筍は珍しくないのだが、F井さんは徳島からの心遣いが嬉しく、荷物が届くと早速手間がかかる下茹でまで済ませて、ご近所に配られる。

毎年、こんな心温まる「筍」のお裾分けを頂き「旬」に触れる。

我が家でも、昨日はイイダコと一緒に炊いてもらい、今夜は筍ごはん。家族全員、笑顔でいただきました。

あだちまさし

耐性と泰然

休日明けのIさんとの交換ノートを開く。

いつものように家族とショッピングを楽しみ、夕食は「すきやき」と書かれている。アンダーラインを引き「いつもご馳走ですね」と返信した。

ノートには3日先までの天気予報とプロ野球の結果。昨日まで彼女が愛する巨人と我らが「広島カープ」が3連戦。2勝1敗で広島勝ち越し。

土曜日はテレビ中継があったので私も久しぶりに途中から試合観戦した。見ごたえのある好ゲームで手に汗握りながら。

ネットや新聞では「巨人連敗」が大きく取り上げれられるが「広島カープ」の強さをもっと賞賛してもらいたいと感じるのは私だけではないと思う。

しかしながら、今年のセリーグは混戦模様でノートのコメントにも力が入る。

プロ野球の結果とともにスポーツ面を賑わしているのが「二刀流」で大リーグ挑戦中の大谷選手。様々な角度から取り上げれる姿は脱帽することばかりである。

ネットやIさんのノートでスポーツニュースをチェックするのが忙しい日々。そんな中、私が一番興味があるのは「イチロー選手」の動向や言動。

昨年末から去就が取り沙汰され、3月にマリナーズ入団が発表されてからのコメントには興味深いものが多い。

経験を積み重ねてきたイチロー選手ならではコメントは深く心に響く言葉の力がある。とりわけ入団会見でのコメントは心に響いた。

あだちまさし。

以下、イチロー選手のコメントに関する記事抜粋。

「いろんなことを経験しました、この5年半。また(耐性)が強くなった、(耐性)とはいろんなことに耐える能力、これが明らかに強くなったと言うことです」

控え外野手の立場がそうさせたのだと言う。また、124日間にも及んだ「無職の日々」には、この言葉を使った。

「いろんなことを考えました。周りも心配してくれることはたくさん聞いたんですけど、僕自身としては(泰然)とした状態であったと思います。

(泰然)と言う状態はプレーヤーとしても、人間としても、常にそうでありたいと思う目指すべき状態であったので、そう言う自分に出会えたことはとても嬉しかったです」

身につけた「耐性」が「泰然」を生む。世界最多の4358安打を放つ孤高の天才は(経験が人を育てる)と言っているのだと感じた。

文殊の知恵のおかげ

県道230号線伊佐吉部山口線。

アクトビレッジおのを通過し小野湖へ注ぐ厚東川を右手に見ながら吉部に抜ける県道。ここが私の通勤路。

吉部稲荷手前の夫婦岩付近まで大型車が通行困難な狭い県道だが6時前には決まった車しか通行しない吉部への抜け道になっている。

今の時期は自生する藤が点在し紫色の花が目を楽しませてくれる。運転中、イノシシ、タヌキ、キジなど野生動物が出没するが、最近はなぜか野ウサギをよく見かける。

私が通勤中にすれ違うのは新聞配達。吉部側からは毎日新聞。小野側からは読売新聞。週末は釣り人の土地勘のない不慣れな車、あと小野の老人Nさん。

この老人、顎髭を蓄えた中々強面な風貌でノラリクラリと軽トラで早朝から付近を巡回する。

以前は農園にも度々遊びにきたが、地域の住人からは滅法評判が悪い。罠にかかった獲物を横取りするとか、畑の作物を持っていくなど噂話をアチコチで耳にする。

私はそれほど嫌悪感は持っていないが、農園へ顔を出すと作業場にドッカリと座り長話をはじめるので深い付き合いはしていない。

積雪が多い日も軽トラでの巡回は欠かさないので、狭い県道で離合する際に愛想笑いで朝の挨拶をするのが私の日課になっている。

今朝5時半ごろ、前方よりボートを牽引した四輪駆動が二台連なって走ってくるので左側に寄せて道を譲ったが、相手の車幅が広く、さらに左側へハンドルを切ると私の車の後輪が溝にはまった。

日頃なら自力で脱出できる浅い溝だが、昨日の大雨で溝に溜まった水分たっぷりの落ち葉でスリップし前輪までスッポリはまり身動きが取れなくなった。

四駆の釣り人2人が責任を感じ、精一杯の力で手伝ってくれたが私の車はビクとせず、付近で釣りをしている仲間を呼んでくれ応援をまつ。

この間、強面老人Nさんが通りかかり「こんな大きな車が入って来ると迷惑するいぃのぉ」とダミ声を張り上げ、釣り人を一瞥しながら車から降りてくる。

軽トラの荷台からゴソゴソと自然薯掘り用のスコップを取り出し老人も作業に加わった。内心、この人には借りを作りたくなったかがしょうがない。

そうこうする内に応援の釣り人8人が到着し、全員で車を持ち上げてもらい難なく脱出することができた。この間15分ほど。

自分のことの様に喜ぶ釣り人たちに丁寧にお礼し、老人には「すまんかったね」と小さく頭を下げた。

善意の集まりのような釣り人たちの盛り上がりに圧倒された強面老人は自然薯スコップを肩に担ぎ「文殊の知恵のおかげじゃ」と言い残しノラリクラリと帰っていかれた。

みなさんのおかげで今日一日の仕事を滞りなく終えることが出来ました。

ありがとうございます。

あだちまさし。

狭い出口

昨日、鶏の出荷を終えたので生産を掴まえる。減少した羽数に対して産卵がどうなのか。

一日の作業を終え、数日前からの冷え込みで少々マイナス傾向にあるが概ね順調な産卵。

ホッと胸を撫で下ろすと共に次の出荷のタイミングを考えはじめると頭が重たくなる。出口となる出荷業者との調整に神経を使う日がはじまるから。

ケージ飼いと違うので、朝から鶏を整列させて一羽ずつ産んだか、産んでないか点呼を取ることは出来ない。

「産卵率」でザックリ把握し「出来高」で予想した数が整っているか判断するが、ここで大事なのが「歩留まり」。

この歩留まりを強く意識しはじめ、それをコントロールする力がつきはじめたところで廃鶏出荷先の環境が激変した。

悩みの種の一つは出荷業者との距離の問題。近隣の業者が相次いで廃業している。持ち込み処理か、集荷処理かの交渉で頭を痛める。

もう一つは養鶏業の大規模化に伴う問題。養鶏業者は減少しているが、一戸あたりの飼育羽数が年々増加している。

これには様々な事情が関係しているので私の思いだけでは解決できない大きな問題を含んでいる。

大規模養鶏場とのタマゴの販売先や販売方法で住み分けは出来ているが、出口となる廃鶏業者は同じ。

膨大な廃鶏が集中する業者の繁忙期を窺いなが出荷サイクルを整えていく苦労は、これから先も楽になることはないだろう。

タマゴからはじまる「生産関係」の流れ。その速くて大きな波にのまれて、進むべき道を見失わないようにしなければならない。

あだちまさし。

みぞれが降った

昨夜から強風。寒がもどり(この時期に適切な表現か?)。

夕方の走行中、フロントガラスをビシャビシャとみぞれが音をたてた。

二ヶ月ほど前から懸案だった仕事が先週と今週で片付いた。ひとつは給水器の工事、もうひとつは鶏の出荷。

どちらも従来の方法と異なる手順と作業だったので、頭でイメージしたことがカタチになるか不安だったが、ほぼイメージどおりに終わった。

止まることがない毎日の中で、仕事にちょっと工夫をしたり、一歩踏み込んだりするのは少々苦痛を伴うが、

無事終わった達成感と充実感は踏み込まなければ味わうことが出来ないと今更ながら感じている。

一緒に仕事をすすめてくれた仲間が同じ気持ちを心から共有してくれていれが嬉しい。

農園の仕事を一つ一つ見ると同じ作業の繰り返しのようだが、簡単な作業を繰り返し続けることが出来る人にしか

忍耐力と熟練は身につかないように思う。

寒い一日だったが、充実感と疲労で心と体があたたまった。

あだちまさし。

捕って食うわけではない

昨日の日没前、鶏舎の近くでイノシシと鉢合わせ。正確に言うと昨日「も」。

私の想像が間違っていなければ先日捕獲したイノシシの兄弟。昨年、連れ立って姿を現していた2頭のうちの1頭だと思う。

体も大きくなり多少警戒心が強くなったのか鶏舎周辺を荒らした痕も玄人っぽく、そこら中にという訳ではなくなった。

防獣ネットから入る足あと、歩くパターン、あと逃げるパターン、そして目があった時の驚き方は秋口に出会ったウリボウと同じ。

昨年はネットをくぐる場所を補修してまわったが今回は少し対策を変えてみた。

現在、ネットの外側に箱ワナが仕掛けてあるのは3本の獣道が交差する場所。先日の1頭は、ここで捕獲した。

先週末、ワナの付近を丹念に草刈りをして、獣道や防獣ネット付近からワナに誘導するように小米を散布しイノシシの行動を観察する。

自分なりに仮説を立て、もしも小米を食べるようならワナへの誘導が可能、警戒して食べないようならネットをくぐり好みの場所へ近づくだろうと。

結果は後者。ただ、小米を散布したルートは避け、荒らした痕もかなり警戒心を強めた様子に手応えを感じた。

昨年は隣接する放棄地にある雑木林に住み着いているようだったので、今度は雑木林付近の境界を徹底的に草刈りして農園の内と外の輪郭をハッキリさせる。

この周辺には「ニラ」が生えているが、昨年はニラに近づくことがなかったので、ここだけは刈らずに残した。

今朝は3日ぶりに侵入した形跡を残していたが、さらに警戒心を強めて控えめに散歩している様子が伺える。

猟期も終わったので以前ほど猟師がワナを点検にくることはない。1頭だが農園での捕獲実績が出来たので依頼した私と依頼された猟師の面目もたった。

体は大きくなったが腹を空かせたイノシシが私の姿を見て逃げ出す後姿には少々心が痛む。

捕って食ってやろうと考えている訳ではない。お互いのテリトリーの線引きをハッキリさせたいだけ。

そんなことを考えながら、今日も時間をひねり出し3時間ほど草刈りをし、農園の輪郭をさらに刈り込んだ。

私の意図するところをイノシシが感じとってくれたら幸いである。

あだちまさし。

オメデタイのに心配

いつも以上にグイグイ仕事をすすめた一日。久しぶりに夕食前に帰宅。

今日は長男の入社式。帰宅後、どんな話をするのか興味があり、グイグイのおかげで雰囲気は察することができた。

会社を選んでいる過程は垣間見ていたが、それほど興味がないフリをしてきた。そもそも会社を選ぶまでの道のりを考えると感謝しかなかったというのが正直なところ。

自分で選んだ道なので、自分なりに歩んで行くことを信じて見守りたい。

とは言うものの、やはり心配。とにかく心配なのである。

あれこれ先回りすると本人も不安になるだろうから黙っているが、正直なところ、つまり心配。

先日、運転免許をとったばかり、車の運転をはじめたのは5日前。会社でご無礼などあっても親が代わって頭を下げることもできない。

今まで厳しく躾けてこなかったツケが私の心を不安にさせる。

「親思う心にまさる親心」というが、今頃になってのその気持ちがわかり、私自身も随分と両親に心配をかけたと反省したりもしてみる。

新しい出発を祝うような満開の桜。今年の桜は「そろそろ見ごろね」をすっ飛ばし一気に満開になった。

街中を花弁がピングで覆うが、この「一気に満開」というのが心に引っかかり、おめでたい気分が半減し不安な気持ちが過ぎったりもする。

昨年は夏の暑さが長引き、徹底的な冬の寒さは先日まで。息つく暇もなく桜が満開になり、次の季節がすぐそこまできている焦りを感じる。

こんな気持ちで桜を見るとピングが目に刺さるようだ・・・。ちょと大袈裟に心配しすぎか。

長男のことも、桜の満開も、私ひとりの力ではどうにも出来ない不安や心配だが、時節に任せて自分に出来ることを精一杯取り組むしかない。

金光さまのみ教えの中に「心配する心で信心せよ」とある。

心配や不安は人に向けることなく、まっすぐと神さんに向けられるような自分でありたい。

あだちまさし。